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第1章 巡り合わせ
#4.
しおりを挟む「カケル、これもうオレたち、入るしかないやつだよな」
「確かにめっちゃタイムリーだね」
「少しレトロチックな外観といい、このネーミングセンスといい完璧だよな。特にすなっくってひらがなで書いてあるとこ。分かるか?」
「ごめん、それは全然分かんない」
僕の隣で鼻息を荒くするダイキは、まるでレースに参加している競走馬のように興奮してその建物を眺めていた。
「じゃあダイキ、ここに入ろっか」
「え、ほんとに入んのか?」
「ここへきてダイキが躊躇うの?」
戸惑うダイキを見て僕はぷっと吹き出した。こんなに身長も高くてイケメンなのに、いざという時に及び腰になるのは昔から変わっていない。この性格が変わっていたらダイキのモテ具合はもっと違ったのかな。そんなことを考えるぐらいには頭が働いていた。
「ま、まぁ言い出しっぺはオレだしな……じゃあ行くか。カケル」
「うん、行こう」
そこの建物は扉を開けるとまだ店の中には入れなかった。扉を開けた瞬間、目の前に飛び込んできたのは2階へ続く階段だった。階段を上る手前に、「すなっく緋色、2階に上がっていただいて左手にございます」と、丁寧な言葉で案内紙が書かれていた。その指示に従って僕とダイキは階段を上っていく。辺り一面、生命力あふれる緑色の木々や茶色い壁で張り巡らされているその光景を見ると、森の異世界に迷い込んだのかと思い込んでしまうほど自然を感じる風景が目の前に広がっている。
「何かすごいな。ここ」
「うん、外と中で世界が違うみたいに感じる」
「ほんとだよな。何か妙に落ち着くっていうか。外は外で魅力的だし、内側はこうして自然を感じることが出来るよな」
「ダイキ、緊張すると早口になるの昔から変わらないね」
「え、そうか? 普段と変わんなくね?」
「ふふ。まぁ声は通りやすいから女の人たちにも大丈夫だと思うけど」
「自分じゃ分かんねえけどなぁ。って、店のドア見えてきたぞ」
階段を上りきると、そこは分かれ道になっていて右側にはトイレがあった。そして、左側には淡い青い色で控えめに優しく光っている「すなっく緋色」という看板が椅子の上に乗せられていた。重量感のありそうな黒色のドアだけが僕たちの侵入を拒むように待ち構えているように見えた。
「さぁ、入るよ? ダイキ。大丈夫?」
僕は緊張が慣れたのか開き直ることが出来ているのか、冷静にダイキの目を見て話しかけることが出来ている。ダイキもごくりと喉を鳴らすと。同じように開き直ったのか、
「うし! じゃあ行くかぁ!」
と、店の中にも聞こえていそうなほど大きな声を出してから目の前のドアノブに手を伸ばした。カランコロンと、これまた優しい鈴の音が鳴ってダイキがドアを開けたその先には、まるで吸血鬼の館に繋がっていたのかと思えるほど、この世ならざる空間が広がっていた。真っ黒に塗られた壁にかけられた真っ赤なカーテンの存在が際立ち、天井には何本あるのか数えきれないシャンデリアがキラキラと輝いて君臨していた。僕もダイキもこの光景を見ては、何も口に出すことは出来ずに立ち尽くした。
「いらっしゃい。あら、可愛いお客さんたちね!」
すると、カウンターの中でワイングラスを布で拭いている女性が僕たちを見てそう言って笑いかけた。赤いドレスがよく似合う魅力的な大人な女性だが、顔は僕らと同じくらいの歳に思えた。ダイキには何歳に見えているのだろうか。
「こんばんは! ここ、営業してますか?」
ダイキが爽やかさ全開の笑顔でその人に問いかけた。
「あはは! もちろん! じゃないと鍵、開いてないでしょ! お客さんもほら、ちゃんといるんだし」
その女性で見えなかった隣では、もう1人の女性が真っ黒なスーツを着た白髪混じりの男性とマンツーマンで話し合っていた。その女性もとても綺麗な人で、ヨーロッパ系のハーフっぽい人かなと勝手に思った。
「いらっしゃいませ」
そのハーフっぽい女性が僕らに軽く会釈をしてそう言うと、再び彼女の目の前にいる男性と談笑を始めた。
「あなたたちはこっちに座って! 何飲む?」
「んー、とりあえずビールと枝豆かなぁ? カケル?」
緊張している時は鼻の頭を触るクセが今もダイキには残っているようだった。早口でそう言うとダイキは助けを求めるように僕の方を見た。
「う、うん、そうだね」
「ビールももちろんあるけどさ! 初めてよ、そんな居酒屋みたいな注文されたの」
「え? そうなの?」
「ふふふ、やっぱり君たちは可愛いね! 私がとっておきを作ってあげる」
彼女はそう言うと、僕の拳くらい大きな氷を1つ大きなグラスの中入れると、その流れで目の前にある細長い瓶の蓋を開け、その中からどろっと出てきたオレンジ色の液体をグラスへ入れてから、形が特徴的なペットボトルから取り出したシュワシュワとしている液体を同じグラスに入れてから透明な棒のようなもので軽く混ぜた。出来上がったそれを僕とダイキの前に置いた。
「どうぞ。ハルカスペシャルです!」
「ハルカスペシャル?」
「あ、ハルカは私の名前。初めまして! お酒の名前がダサいって言ったら出禁にするから気をつけてね」
そんなことを言いながら彼女はふふふと口を閉じて笑った。渡されたグラスを鼻に近づけてみると、色とりどりの花があちこちに咲いているのかと思うほど色々な甘い匂いがした。まさに未知との遭遇だった。その後、柑橘系の匂いが一際強く遅れてやってきた。
「とりあえず乾杯しようぜ、カケル! あと、ハルカさんも飲んでください!」
「そ、そうだね」
「ハルカでいいよ! 私もお2人さんの名前も知りたいんですけど。あと、敬語は使わなくていいから」
「あ、あぁ。それなら遠慮なく。オレはダイキ! んで!」
「あ、カケルです」
「ふふ、ダイキくんとカケルくんね! よろしく!」
「よろしくー!」
「よろしくお願いしまーす」
かちん。それぞれの持ったグラスが爽やかな音を鳴らし合った。くいっとグラスに入ったそれを口に入れてみると本当に不思議な味がした。桃のように甘い味覚が来たかと思うと、それはより濃くなってマンゴーのような味になった。そして後味は蜜柑のように爽やかな味が体全体を駆け巡るような感覚になった。
「こ、これはお酒ですか?」
「もちろん。色んなフルーツの味がするでしょ。てか、カケルくん、敬語使わなくていいって」
「あ、あはは……。初対面の人には敬意を持たないと」
僕の言葉を聞いたハルカさんは「何それ!」と、悪戯を成功させた女の子のように無邪気な笑顔を僕に向けた。
「めっちゃ美味い! ハルカ! どうやって作ったんだ?」
食い気味で既に呼び捨てで彼女を呼ぶダイキは、僕よりもこの飲み物の虜になったようだった。
「ししし! 美味しいでしょ。作り方は企業秘密だから教えないわよ」
「マジかー! まぁ普通そうだよな」
「確かにおれもこんなに飲みやすいお酒を飲んだのは初めてです」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん、カケルくん! 表情に出てないから苦手だったかなって思って安心した」
「カケルは昔からポーカーフェイスなんだ。ご覧の通り、イケメンでクールだから女子からはカッコいいって学生の頃は言われてたんだ」
「いやいや。そんな話、聞いたことないから」
ダイキの盛りに盛った発言を、僕は慌てて撤回する。どうして急にそんな嘘をつくのか。既に酔いのスイッチが入ったのかもしれない。
「へへ、カケルは鈍感だったからなぁ! あ、今もか」
「あはは! 2人とも昔から仲良いのね」
「うん。オレとカケルは幼稚園の頃から親友なんだ!」
大きな口を開けて笑うダイキは、僕の肩に手を回すとぐいっと自分の体の方に近づけた。幼い頃からじゃれあうつもりでいつもダイキにこうやって肩を組まれていたことを思い出して不意に懐かしく感じた。
「カケルくん、照れてるね! 顔、赤いよ」
「こ、これは! 酒の影響ですっ!」
「あれれ? まだお酒、ちょっとしか入れてないのに?」
ダイキとハルカさんは同じタイミングで僕を見て笑った。良い気はしないけれど、こうして誰かと一緒に酒を飲み交わすのは生まれて初めてで、素直に楽しいと思えた。そして、今は仕事やプライベートといった現実から離れた所で時間を過ごせていると思えた。座っていても普段より肩や首も全く痛くない。
「私もね、君らみたいに親友、いるんだ」
ハルカさんは笑顔がよく似合う人だと思った。今度の笑顔は、大切な思い出をゆっくりと呼び起こしていくようなしっとりとした優しい笑顔だった。
「そうなんだ! ちゃんとこうして会ったりしてるのか?」
「うん。もちろん。何ならここで働いてるよ」
「え? あの男の人と喋ってる子か?」
「違う違う! あの子は後輩のミクちゃん! あ、噂をすれば」
カランコロンという音が聞こえて再びドアが開いた。
「おはよう! チハル」
ハルカさんがチハルと言ったその人は、ハルカさんに向けてふふふと微笑んだ。僕はその人を見た瞬間、自分に雷が落ちたように体全体に電流が流れた。そしてその人を見つめていると、その人も同じように僕を見つめていた。僕はしばらく思考が停止して、文字通りその人に釘付けになった。彼女を見た途端に、薔薇のような上品で甘い匂いが僕の身をふんわりと包み込むように僕の鼻をくすぐった。
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