秘密のビーフシチュー

やまとゆう

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第3章 離れてはいけないし、離れたくない

#34

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 「なんか達月、背伸びた?」
 「まさか。この歳ででかくはならないでしょ。もう23だよ」
 「そうかなぁ、前に並んでた時より目線が上にある気がするんだよな。あ、もしかして僕が縮んだ?」
 「あぁ、靴かな。この革靴、ちょっと底が厚いんだ」
 「あ、ほんとだ。日菜ちゃんに会うから背伸びしようとしたの?」
 「ニケさんの冗談聞いたのは5年ぶりぐらいに感じるよ」
 「それは達月、盛りすぎ」

 2人の空間は本当に微笑ましい空気を醸し出している。このやりとりを見ているだけで、これまでの2人の関係性が伝わってくる。表情こそ変わらないけれど、達月くんは普段よりも柔らかい空気を身に纏いながらニケさんと話しているように見える。2人が話し込んでいると、洗面所のドアがゆっくり開いてすっぴんになっている優子さんが戻ってきた。目は抜群に大きいし形が綺麗だし、眉毛の形は整っているし、肌なんか赤ちゃんみたいにプルプルだ。女の私でも彼女の纏う色気が私のテンションを上げる。

 「あ、達月くん、おかえり。久しぶりだね」
 「そうだね。優子さんとも2ヶ月ぶりぐらいに会うか」

 ニケさんと優子さん、達月くんが3人横に並ぶと、冗談抜きでテレビや映画に映る俳優や女優レベルの並びが完成する。ヘタをしたら、その人たちよりも見栄えの良い映りが撮れそうな光景だ。ここにテレビの取材なんかが来たら、あっという間に話題になるだろうなと私は確信する。

 「2ヶ月は久々なの? 久々って使う時は、僕だったら2年ぶりぐらいに会った時とかだと思うけどな」
 「私は10日会ってないと久々に感じるの。日菜ちゃんでさえ久々に思うよ」
 「あはは、優子さん。昨日も会ってるよね、私たち。てか毎日会ってるよね、ここ最近」
 「私は1回寝ると昨日がすごく遠く感じるの。だからもう、日菜ちゃん。ここに住んじゃってもいいよ。てか、もういっそ住んでよ」
 「優子、それは強引。日菜ちゃんだって自分の家があるんだし、自分の生活リズムがあるんだから」

 こんなに綺麗な人が上目遣いで人を見てはいけない。それを目の当たりにした人は、断ることなんて出来るはずがない。本当に、可愛さと綺麗さが留まることを知らない。まぁ実際、住んでもいいのなら、私はここで暮らしたいとは本当に思っている。

 「私、お2人がいいのなら、ほんとにここにも住みたいけどな」
 「マジか? 日菜ちゃん」
 「うん。なかなかにマジだよ。まぁそれこそ、ニケさんと優子さんさえ良けりゃだけど」
 「え、住んでよ。日菜ちゃん。それなら私、すごく嬉しい!」
 「こんなに喜んでる優子も久々に見たな」

 実際、会うのも久々でしょ? と言ってニケさんをじーっと見つめる優子さんに、へらっと笑って「そうだね。まじまじと優子の顔を実際に見るのも久しぶりだからね」と言うと、優子さんは視線を外し、足早にキッチンの方へ歩いて行った。

 「どうした? 達月?」
 「いや、3人が家族に見えるなって思って見てました。何か自分の中に久しぶりに言葉が出てきそうです」

 テーブルに座っていると、私とニケさん、優子さんを見た達月くんが突然そんなことを言い出した。私よりも、キミとニケさん、優子さんの方がちゃんと家族っぽいよ。そう言いたくなったけれど、達月くんが素直に褒め言葉を言ってくれた物だから、私は心の中に大事にしておこうと決めた。
 
 「そう言われるとすごく嬉しい。けど、僕にとっては日菜ちゃんももちろん家族みたいに思ってるし達月も大切な息子や、時には歳の近い弟のようにも思ってるよ。最近、書き物進んでないの?」
 「うん。いや、書くには書くけど、これといったものが出来てなくて困ってたんだ。でも、ニケさんが今言ってくれた嬉しい言葉をしっかり受け取ったから創作意欲が湧いてくるよ」
 「ふふ。何だか昔みたいに賑やかになってきたなぁ。この家。私もすごく嬉しい。それはそうと、ニケさん」
 「ん? 優子、どうしたの?」

 ニケさんを見つめる優子さんの笑顔は、まるで好きなキャラクターを見つめている子どものように純粋で、明るくて、輝いている。

 「せっかくニケさんもいるんだし、みんなであのビーフシチュー作ろうよ。4人で。日菜ちゃんにも経験してもらいたし。達月くんも一緒にさ」
 「僕、最近全然料理してないから絶対足引っ張るよ」
 「大丈夫。こうやってみんなで料理をする時は、トラブルがあってなんぼだよ。そういうのも踏まえて楽しんで料理するの。どう? みんな」

 私が通っていた保育園の先生も、今の優子さんみたいな優しい笑顔を私に向けてくれていたっけ。それでも優子さんの方がずっと優しくて素敵な笑顔だけれど。ニケさんや達月くんもその優子さんの笑顔に促されるように「そうだね」と顔を見合わせて言った。

 「僕は優子や2人と一緒に料理できるなら大歓迎だよ」
 「僕も優子さんがそうやって言ってくれるならいいですけど」
 「わ、私もみんなと一緒に作りたい……!」

 意を決して私も続くと、優子さんは私の元に駆け寄ってゆっくりと私の体を抱きしめた。あまりに突然の行動に私の頭の中が一瞬真っ白になる。それと同時に、優子さんの優しさを表現するようないいにおいが私の全身を包み込む。

 「ふふ、決まった。じゃあ今日からね」
 「え? な、何が? 優子さん……」
 「日菜ちゃんが私たちの家族になった日」

 家族。母さんだけしか家族のいない私には縁のない言葉。その家族が増えるのだという。家族という存在がどんなものなのか上手く説明する自信はないけれど、この人たちと家族になったら私は幸せになれるんじゃないかな。それは本当に心の底から思っている。

 「……」
 「あ、あはは。ちょっと舞い上がって困らせること言っちゃった。ごめん、日菜ちゃん」
 「いや、違うの。すごく嬉しいんだ。優子さん。私、そんなこと言ってもらえる人生になるなんて思ってもなかったから」

 思いもよらない返しをしたのか、3人とも私の言葉を聞いた途端、声を出さなくなった。というよりも、私と同じようにフリーズしているように見える。私は焦り、「あ、ごめん。大袈裟に言っちゃったけど」と言いかけた時、「大丈夫」と、達月くんの声が私を落ち着かせてくれた。

 「日菜さんは人から愛される魅力を持ってるよ」
 「え?」
 「少なくとも僕はそう思う」

 表情こそ変わらないけれど、達月くんの真剣な声を聞くと、私も自然と笑顔になることができた。私の心の中も、柔らかい風がなびく草原のようなすっきりとした気持ちになった。

 「あ、ありがとう。達月くんからそう言われると、何か説得力みたいなのがあって嬉しくなっちゃった」
 「そりゃねぇ、あの早乙女達月だからね。この大人気作家は。言葉の力は僕たち素人より断然、力強いものがあるだろうね」

 得意げな表情で笑うニケさんだったけれど、私はニケさんの言葉に衝撃を受けた。あまりの衝撃に、声を出すことすら忘れてしまった。そして、徐々にニケさんの言った言葉を理解した。

 「え? 早乙女達月? 達月くんが?」
 「ニケさん……」   

 優子さんは、苦虫を噛み潰したような表情でニケさんを見つめている。それを見たニケさんは、珍しく慌てた様子で私を見た。

 「え? 日菜ちゃん、知らなかったの? じゃ、じゃあ今のうそ」

 えへへと笑うニケさんの顔を見ても、私の耳から入った声は、忘れることはできない。できるはずがない。

 「いや、無理だから! ニケさん、それは絶対無理!」
 「ニケさん……。ごめん、私が言っとくんだったね」

 手のひらで自分の顔を覆う優子さん。それを見てニケさんはますます焦っている。これはこれで面白い光景に見えてくる。

 「えー! ごめん、達月! 日菜ちゃん! てっきり知ってるものだと思ってて……」
 「まぁ……。心の中のどこかではそれも思ってた。名前も漢字も同じだしね。さすがに、あからさまかなって誤魔化してたけど」

 自分を納得させるように、頭の中を整理するようにゆっくりと首を縦に振る。とても衝撃的なことを聞いたけれど、それよりも何か嬉しさなのか、高揚感なのか、心の中が昂っているのが自分でも分かる。

 「あ、じゃあ僕も今、ひとつバラしたいこと言っていい? これを機に」

 達月くんの視線が久しぶりに私と重なった。彼の言い回しに、私の体はぴんと背筋が伸びて力が入った。

 「え? 何?」
 「ちぇりーさんって日菜ちゃんだよね。歌い手さん」

 どくんと心臓が大きく鳴った。そして、思考が止まった。私のSNSでのアカウント名を的中させた彼は、いつものように視線を外そうとはせずに、いつまでも私を見つめている。素直に認める方が正解なのか、誤魔化した方が正解なのか私の頭の中はぐるぐると混乱しながら返答を模索する。

 「な、何のこと? ちぇりーさん? メリーさんみたいだね。私、そんなホラーっぽい名前の人知らないよ?」

 ふっと鼻を鳴らして私の目を達月くんは見つめ続ける。

 「いや慌てすぎだから。日菜さん、誤魔化せてないよ」

 さすがに誤魔化すことは出来ないだろう。私は認めようと決めた。彼も自分のことを話してくれたんだし。腹を括ろう。

 「な、何で分かったの?」

 達月くんは、ひとつ大きく息を吸って口を開いた。

 「話してる声と、歌ってる時の声が同じだったから。すぐに分かった」

 私とは正反対な落ち着きを見せる彼は、自分では気づいているかは分からないけれど、私を嬉しくさせる言葉を届けてくれる。私はそれに気づいていないフリをしながら彼の声に応える。

 「え? そうなの? 自分では全くそう思わないんだけどな」

 「なになに? 日菜ちゃん、歌手だったの? スポーツショップの店員さんじゃなかったっけ?」

 へらへらと笑うニケさんは、私をおちょくろうとしているような声で達月くんの隣から話しかけてくる。

 「頻度は多くなかったけど、アコギを弾いてSNSで歌ってみた動画をアップしたりすることはちょっと前からやってて。あ、そのSNSで早乙女達月さんから嬉しいこと言われたこと、確かにあった!」
 「うん、あれ、僕だね。ちぇりーさん、昔から好きだよ」

 好き。その言葉を達月くん、いや「早乙女達月」から言われる日が来るとは。人生とは何があるか分からない。本当に。私は、平静を装いながらも、心の中では自分でも引くぐらい歓喜している。

 「フフ、達月も成長したね。あんなに人のことが嫌いだったキミが好きな人が出来るなんて」
 「いや、僕が好きなのはちぇりーさんであって日菜さんでは」
 「その日菜さんは好きじゃないの?」

 ニケさんの声を聞いた達月くんは、さっきの私みたいに動かなくなった。達月くんの返答は気になるけれど、心の中がパンクしそうになっているほどそこが高鳴っている。これ以上はさすがにまずい。

 「き、嫌いじゃないけど」
 「嫌いじゃないけど?」
 「ちょっと、ニケさん……!」

 たまらず私はニケさんを呼んだ。

 「ん? どうした、日菜ちゃん」

 深呼吸をして自分を落ち着かせながらニケさんを見つめた。

 「わ、私の顔が熱くなってきたからそろそろやめよ?」
 「ふふふ、2人ともいつも通り可愛いね、優子」
 「うん、本当にね」
 「……2人して意地悪だよ」
 「……本当にね。日菜さんの言う通り」

 悪戯を終えた子どもみたいな笑顔でニシシと笑うニケさんと優子さんは、楽しんでいるようにも見えるけれど、私たち2人のことを見守ってくれていることは確実に伝わってくる。だから嫌いになんてなれるはずがない。むしろ、どんどんこの関係性を強くしたいと私は思った。達月くんの表情も、さっきより柔らかくなっているように見えて、一層嬉しくなった。

            ✳︎

 「順調? 向こうの仕事の方は」

 スポーツショップへの最終勤務日が近づくなか、私と佳苗は久々にシフトが被り、バイトを終え、ニケさんと優子さんの店に向かう途中の車の中で佳苗が不意に私に尋ねた。

 「うん。何かね、自分でも意外なんだけど結構覚えてるんだよね。案外、料理の才能は持ち合わせてたのかなって思ったりして」

 あえて天狗になったような言い方をしてみると、佳苗は鼻で笑いながらハンドルを左にゆっくりきった。

 「そんな調子いいこと言ってたら足元すくわれるよ」
 「嘘だよ。優子さんの教え方がすごく上手いの。だから、私もすぐに知識が頭の中に入っていってる感じがするんだ。あと、やっぱり見れば見るほど綺麗だし、話せば話すほど優しい。それと、近づけば近づくほどいい匂いがする」
 「相変わらず優子さんへのリスペクトがすごいね。まぁ周りの人たちに感謝しないとね」
 「いつも感謝してるよ。もちろん、佳苗にもね」
 「付け足したみたいな言い方やめれ」

 冷静なトーンで私にツッコミを入れる佳苗。彼女がツッコミを入れる時は、テンションが上がっている時だ。もちろん、ツッコミを誘発する今の私もテンションが上がっている。

 「あはは。そんなつもりないって。あ、そうそう、晴樹さんの足、調子はどう?」

 晴樹さんの話題を出すと、一旦今抱いている気持ちをリセットするように「そうだねぇ」と言って窓の外を眺める。

 「本人が言うには順調にリハビリが進んでるらしいよ。このままいけば、後遺症みたいなものも残らないだろうし、完治も見えてくるって言ってたな」
 「ほんと? よかったじゃん!」
 「まぁまだリハビリ始まったばかりだからね。今の段階ではってところしか言えないらしいけどね」
 「けど、良い方向で治療が進んでてよかったじゃん」
 「うん、まぁそれはそうだね」

 うんうん、と首を縦に振って両手でハンドルを握る佳苗の口角が上がっていた。佳苗が喜んでいると、私まで嬉しくなってくる。

 「佳苗からも、晴樹さんにいっぱい励ましの気持ちを送らないとね」
 「毎日LINEしてるよ。電話も出来る時はしてるし」
 「違う違う。差し入れを持っていったりとかだよ」

差し入れと聞いた瞬間、佳苗の口角が下がり、真剣な表情になった。

 「差し入れかぁ。確かに、そろそろ許可が下りたとか言ってた気がするな」
 「お、じゃあ尚更いいじゃん。晴樹さんの病室に持っていってあげなよ。晴樹さんは何が好きなの?」
 「好きな食べ物はハンバーグ一択だよ」

あまりにも男の人らしく、晴樹さんらしい好物を聞いて、私の頭の中で晴樹さんがハンバーグをふた口で食べきっている映像が浮かび上がった。うん、簡単に想像できる。

 「ハンバーグかぁ……。さすがに病室にハンバーグは持ち込めないよね。お見舞いは、果物とかなら持っていってあげれそうだけど」
 「あぁ、あの人、そういえばアップルパイも好きだったな」

あの大きな手に収まるパイ生地。それを放り込むように口の中に入れる晴樹さん。想像は出来るけれど、甘いものが好きなのは意外だった。うん、とても意外だ。ギャップ萌えと言えばそれに当てはまりそうだけれど。

 「アップルパイ! いいじゃん! それなら作って持っていってもいいんじゃない? においとかもしなさそうだし。持ち運びやすそうだし」

私がそう言うと、佳苗は眉間に皺を寄せて眉毛を八の字にした。

 「日菜、知ってるでしょ。私、絶望的に料理が下手なの」

困っている佳苗を見ていると、この前の優子さんみたいに抱きつきたくなる。私が突然抱きついたら佳苗はどんな反応をするだろう。想像はつくけれど、もっと困らせるような状況は避けたい。だからこそ私は、今思いついたことを佳苗に伝えようと決めた。

 「そこで私にいい考えがあるの。たった今思いついたんだ」
 「え? 今? どんなの?」
 「今からあの店行ったらさ、優子さんに聞いてみようよ」
 「……もしかして、みんなでアップルパイ作るつもり?」

私の考えていることを当てる佳苗には敵わない。私はふふっと笑って佳苗の大きな目を見た。そんな佳苗は、前の車との車間距離を空けながら落ち着いた運転をしている。さすが、私なんかよりずっと冷静だ。

 「あ、さすが佳苗だね。そういうことです」
 「いやいや、さすがに優子さんにも悪いでしょ。日菜の料理の腕が上がる勉強も兼ねてならまだ分かるけどさ」 
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