10 / 53
第1章 好きな色は黒。
#10
しおりを挟むこんな時間が来るなんて予想だにしなかった。偶然にしてはドラマのような展開すぎて心の中は今も落ち着かない。いつの間にか私は彼と会話をしている。それに、私のこのお気に入りの喫茶店のお気に入りの席で。お互い探り探りでぎこちないところがあるのは否めないけれど、ちゃんと言葉のキャッチボールが出来ている。少なくとも私はそう思っている。彼の顔はやっぱり表情が無いし、声のトーンも一定で、私と視線が合うことなく話をしているけれど、私にはそのある程度の距離感が丁度いいように思えた。
「僕、人と目を合わすことが苦手なんです」
「はい。何となくわかってました! この人はいつも、どこを見てるんだろうなって思いながら今もいます。何なら、この前のスポーツショップに来ていた時もそう思ってました」
「あれは本当にボールの状態が気になってて。っていう言い訳をさせてもらいます。ていうか、今更のこと聞いてもいいですか?」
「は、はい! 何でしょう?」
改まって彼がそう言うものだから、私は自然と背筋がまっすぐに伸びた。肩にも普段よりも余分に力が入っている。彼は何を言うのだろう。あまりにため込むものだから足元がソワソワしてきた。
「お待たせしました。チビチキとミックスジュースですね」
沈黙が訪れた彼と私の間に割って入るように例の綺麗な店員さんが彼の頼んだ物を持ってきた。絶妙なタイミングに、私の体に入っていた力が自然と抜けていったように体が軽くなった。
「ありがとうございます」
「今日もお仕事ですか?」
「いや、今日は単純に休息日です。最近、ちょっと寝れてなくて」
「そうなんですね。ここはいつまでも居ていただいてかまいませんので。体、壊さないでくださいね」
「ありがとうございます」
店員さんは柔らかい笑顔を彼に向けて足早に去っていった。去っていく顔を覗くと、やけに赤みを帯びているように見えて私は全てのことを知ったように納得した。心の中でそんなことを考えていると、彼が再び私の首元をじっと見つめている。
「あ、ごめんなさい。さっきの途中でしたよね。今更の聞きたいこと」
「あ、いえいえ。何でしたか?」
私は店員さんに気を遣うようにさっきよりも声を小さくして再び彼の目を見つめた。
「お名前、聞いてもいいですか?」
「あ、そうか。言ってませんでしたもんね。桜井日菜(さくらいひな)です。桜の木に井戸の井。日の出の日に菜葉の菜です」
「……やっぱり」
「……え? 何のやっぱり?」
彼の左目がその瞬間、じっと私を見つめた。そして私と目が合った瞬間、すぐに視線は私の首元の方に戻った。この人と会ったことがあるのだろうか。頭の中にある引き出しをひとつずつ開けていくように記憶を探った。けれど、絶対に出てこない気がした。まさかの同級生だろうか。
「……フルネーム、とっても明るい人ですね。苗字も名前も」
「あ、あぁ。そ、そうですよね。桜も日も。ちょっと張り切りすぎかも」
「人との接し方を見ていて思いました。この人は太陽みたいな人だなって。だから今お名前を聞いて納得しました。やっぱりって。あ、もちろんいい意味で言ってますからね」
「あ、ありがとうございます……。なのかな? 何と言えばいいか分かりませんが……」
心臓の鼓動だろうか。どくんという強い音が耳の近くで聞こえてくる。こんな音が聞こえるのは生まれて初めてだ。私の記憶探りは見事に見当違いの形で終わった。私は返答に困りながら彼に言葉を返した。ふと彼の目線は窓の方を向いていて、私の返答には何も返さずにいる。店内に流れている静かな音楽が逆に私を焦らせてくるように強引に耳に入ってくる。
「あの……!」
「なんですか?」
思い切ってみようと声をかけると、彼の目線は再び私の首元の方に戻ってきた。私は焦らないようにゆっくりと呼吸をしながら彼の目を見た。
「私もお名前、聞いてもいいですか?」
「……佐藤達月(さとうたつき)です。佐藤は日本一名字の数が多いさとうで、達成の達にお月さまの月でたつきです」
「達成の達にお月さまの月でたつき……」
「早乙女達月と一緒の字ですよね」
彼の名前を聞いた私の心臓は、彼の声を聞いているうちにどんどん速く脈を打っている。そう思えるほど私の心臓が激しく動いている。これは何の感情に対して心臓が動いているのか自分でも分からず心の中が混乱する。
「ま、まさか……!」
「いや、本人ではないです」
私は再び見当を間違えた。あまりにもあっさりと否定され、彼は顔色ひとつ変えずに私の首元を変わらずじっと見つめている。
「僕も同じ字のたつきくんには会ったことなくて。早乙女達月と同じ字なのは個人的にもすごく嬉しく思ってます。早乙女と佐藤も音がちょっと似てたりしますしね」
「……いやぁ、本当に本人かと思っちゃいました……! 佐藤さんの持つ独特な雰囲気とかが余計に小説家さんみたいだと思っちゃったし……」
「よく何を考えてるか分からないって言われます」
うん。それは私も確かに思った。何なら今でも思っている。というか、本当に本人じゃないのか。彼の選ぶ言葉がどことなく早乙女達月の小説に出てきても違和感がないように感じてしまう。
「そ、そうなんですね……。あ! 独特な雰囲気ってもちろんいい意味で言ってますからね! 私の方も!」
「ありがとうございます。いい意味でって言われるの、ちょっとくすぐったいですね。さっきあなたにそう言った僕が言うのも何ですけど」
「あはは、私もさっきくすぐったいような気持ちになりました」
笑顔で彼の顔を見ると、彼の目線が私の目を向いていた。目が合った瞬間、私の心臓がまたひとつ大きく跳ねた。すると、彼のスマホが突然大きな音を立てて振動した。彼の目線はすぐにスマホの方へ向いた。画面には『常連』と書かれているように見えた。彼はため息を吐きながら素早くスマホを取って席を立った。
「あ、ごめんなさい。電話だ」
「あ、はい! ごゆっくり!」
「すいません。ちょっと離れます。もしもし……。あぁ、大丈夫です。はい……」
彼は小さな声で喋りながら喫茶店の入り口のドアを開けて外へ出ていった。私の心の中は嵐が去ったように落ち着き、あんなに激しく聞こえていた心臓の音もいつの間にか聞こえなくなっていた。そんな私を落ち着かせるように店内にはピアノのアレンジで演奏されている、去年流行ったバラードの曲が今にも演奏が止まりそうなほどゆっくりなリズムで流れていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
神楽坂gimmick
涼寺みすゞ
恋愛
明治26年、欧州視察を終え帰国した司法官僚 近衛惟前の耳に飛び込んできたのは、学友でもあり親戚にあたる久我侯爵家の跡取り 久我光雅負傷の連絡。
侯爵家のスキャンダルを収めるべく、奔走する羽目になり……
若者が広げた夢の大風呂敷と、初恋の行方は?
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる