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最終章 新しい「疲れたら此処へ来て」
#Last……
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「おはよう! 母さん、父さん!」
「もう! いつになったら寝坊しなくて起きられるの!? もう朝ごはん食べる時間無いじゃない! どうするの?」
「ははは。律(リツ)だって、夜にやりたいことやって頑張ってるんだもんな。だから朝、起きづらいんだよな。分かるよ。僕も昔からずっとそうやって……」
「父さんは黙って! そうやって甘やかすから律が覚えないの!」
午前7時50分。朝食は毎日のルーティンであるハチミツトースト。大好きな「極み林檎。超越」という名前の、僕が大好きなおじいちゃんの繋がりから仕入れている林檎の炭酸ジュースを堪能していると、ドタバタと慌ただしい足音を鳴らしながら2階から降りてきた10歳の息子、律がいつものように雫さんに朝から怒られている。律には悪いが、僕はこの光景を見るのが好きだ。何故だろう? んー、今日も2人と一緒に朝を迎えられたって気持ちになるから、かな? うん。上手く言い表せられない。けど、何故か安心するんだよなぁ……。ん……?
「父さん……? 何笑ってるの?」
雫さんが眉毛をつり上げ眉間に皺を寄せ、僕を睨みつける。頭の上からはツノが生えているように長い髪が寝癖で跳ね上がっている。
「う、ううん。今日もいい朝だなあって思ってさ」
「そうだよね、父さん! こんなに朝から晴れてていい天気なのにそうやって怒ってたら、母さん、損しちゃってるよ!」
「誰が怒らせてるのよ!」
彼女の目の奥には燃え盛るような炎が見えるのは僕の幻覚だろうか。朝から元気な2人を微笑ましく見守りながら僕は雫さんの好きなコーヒーと律が好きな烏龍茶をそっとテーブルの上に置いておく。ポイントはその横に僕が予め作っておいたハチミツトーストを2人分添えておくのが大切だ。慌ただしい音を立てながら律が青色のランドセルに教科書を詰め込んでいく。ため息を吐きながらそれを見つめる雫さんは手元にあるコーヒーとハチミツトーストを視線に入れる。
「ありがとう、父さん。今日も朝ごはん、作ってくれて。ほら、律。あなたも食べてね」
「分かってるよ」
さっきまでのドタバタはどこへ行ったのか、テーブルに座り、それを口いっぱいに頬張る2人は、顔を向けあいながら笑顔に変わる。僕はこの瞬間が大好きだ。雫さんと結婚してから10年の月日が経ち、僕たちの間には律という宝が産まれた。その律が今日から小学5年生。時間が過ぎるのは驚くほど早い。僕もすっかり歳をとり、前髪と顎の先に白い毛が目立ってきているのが最近の悩みだ。それを雫さんに伝えると、カッコいい歳の取り方をしてるから私は好きだと言われ、それならいいやと思える僕は、10年前、いやその前から変わらず単純なんだろう。そう思って雫さんを見ていると、僕の体感、3秒くらいですぐに目が合う。
「何? 父さん。私の顔に何かついてる?」
僕と目が合う雫さんは決まってそう言う。
「うん。いつもと同じ可愛い目と鼻と口がついてるよ」
「……ごほっ! ごほっ!」
「大丈夫!? 雫さん! ほら、お茶もあるよ!」
10年前と変わらず顔が赤くなる雫さんが激しく咳き込み、僕は慌てて彼女の背中を摩りながら僕のコップに律が飲んでいたお茶を注いだ。
「父さん、相変わらず母さんにベタ惚れだね。朝からアツいアツい」
「え? だって雫さんはいつも可愛いし素敵じゃんか」
「斗和さんはいつだってそういうこと言うもんじゃないよ! 何でコーヒーを口に含んだ瞬間、そういうこと言うかなぁ……!」
目元を潤ませながら僕に問い詰める雫さんは自分を落ち着かせるようにコーヒーを飲む。それを見る律がしししと笑いながら僕たちの方を見ている。
「何だよ、律。その顔」
「ううん。父さんと母さんは慌てると、自分たちを名前で呼び合うことを僕はずっと前から知ってる。んで、僕はその2人が好きだなーって思ってる!」
てへへと笑う律は、雫さんと同じ笑顔で僕を見つめる。つられて笑ってしまった僕を見た雫さんも、僕と同じように頬が緩んで笑いを溢している。
「何だかんだで落ち着いちゃうんだよな。私たちの朝って。律は学校に行く時間めちゃくちゃ迫ってるし、父さんも今日のクライアント、朝イチでカケルさんなのに全然準備してないし。私は私で午後にハルカさんと食べに行くランチの予約、まだ取れてないのに時間迫ってるし」
「大丈夫だよ。母さん」
「え? 何が?」
「人生、焦ってもしょうがない。何とかなる」
「……はぁ。多分ね、父さんの空気感がこういう感じになってるんだなぁって私はしみじみ思うよ」
「こういうって?」
「なんかもう、どうにでもなるよなぁ、みたいな感じよ」
いつしかゆったりとした時間が流れ、僕たちが行動する頃には律は授業が始まっている時間になっていたし、僕たちの家には師匠が着いていて、結局そこで律も話し込む流れになってしまった。渋々、2限目から学校を行くように雫さんに言われた律は飛び跳ねるように師匠に抱きついた。
「カケルさん、おはようー! 今日もいい匂いする!」
「律くん、おはよう。俺の香ばしいにおいを気に入ってくれるのはキミだけだよ。最近はリッカに香水をプレゼントされる始末だからね」
10年分、僕と同じ歳をとった師匠は50歳を超えても相変わらずカッコいい。本人は自分の体臭を気にしているけれど、律も言っているように僕もいい匂いだと思うし、ちっとも臭いとは思わない。へへへと笑いながら律の頭を優しく撫でる師匠は、10年前よりも深い笑い皺を顔中に刻む。
「師匠。おはよう。相変わらず早いね。まだ準備できてないよ」
「おう。歳をとると、あんまり長く寝てられなくてさ。それに、ここに店を移転してから来るのは初めてだからワクワクしてさ。すごいじゃん! ここからの景色! この丘の上から眺める地平線、すっごい綺麗だな! よくこんな場所、見つけたなぁ」
「へへ。はるばるありがとうね。師匠。この場所はね、ずっと前に雫さんとこの街に来た時に雫さんが見つけた秘密の場所だったんだ。意外と土地代も安く済んだし、災害の心配もない高さで、何よりこの綺麗な海が見えるでしょ? それがこの2代目Tsukakokoさ」
僕がドヤ顔を見せると、師匠はへへへと笑いながら雫さんの方へ目線を変えた。
「それにしても良かったな。斗和。最終的に故郷へ戻って来れて」
「うん。前にいた土地でお世話になったクライアントの人たちも、ほとんど全員ここまで来て施術をさせてくれるから本当に頭が上がらないよ。個人的には、笠井さんが常連になって10年以上の付き合いになってるのが一番信じられないよ」
「笠井さん?」
「斗和さんのことを始めは嫌いだったクライアントです。何で初対面の若造にタメ口聞かされるんだって言って。敵対心むき出しの人でした」
「あはは。斗和は誰にだってタメ口だもんな。まぁそこがお前のいいところの1つでもあるんだけど」
「うん。僕もそう思ってるよ。その笠井さんは明日、ここへ来てくれるんだったよね。雫さん」
「そうだね。明日はリハビリを兼ねた歩行練習と和食の昼食が予約されてるからね。また今日のうちに買い出しに行かないと」
「そうだね。ちょうど今日のうちに食材が無くなっちゃうだろうからちょうどいいね」
気がつけば僕と雫さんしか会話をしていない空間で、律と師匠がニヤニヤしながら僕たちの方を眺めている。
「ん? どうかした? 師匠。律」
「いや、2人とも、やっぱり俺の大事な家族だなぁって思ってさ。多分、律くんも俺と同じようなこと思ってるよな」
「うん! 僕はやっぱり2人が父さんと母さんで良かったなって思った!」
「な、何言ってんだよ。急に。律、そうやって言って母さんの機嫌、ちょっと取り戻そうとしてるんだろ」
僕は見事に勘を外したらしく、律はキョトンとした顔で僕を見つめ、師匠と雫さんはニヤニヤした様子で僕を見つめ、3人分の視線が僕を焦らせる。
「斗和さんが一番照れてるみたいで安心したよ。律がそう言ってくれるのはもちろんすごく嬉しいけど、私は斗和さんが斗和さんらしくちょっと抜けてるところが私は一番嬉しい。ほら、私のイライラはおかげさまでどこかへ飛んでいったから、律は学校へ行く準備、斗和さんはカケルさんを施術する準備をしてください」
「はーい! 母さん!」
「分かったよ。雫さん」
いつしか柔らかい笑顔を僕に向ける雫さんは、10年前の結婚式の時と、そして、初めて彼女と出会った時と何も変わらない純粋無垢な笑顔で僕の心をほっこりとさせてくれた。律は「よっこいしょ」と大きな声を出し、その背中には似合わない大きなランドセルを担いで玄関の方へと歩き出した。
「明日はちゃんと早起きするからね、母さん」
「はいはい、期待してるね。忘れもの、ない?」
「うん! 無いよ! 母さん!」
「おし! じゃあ今日も行ってこい!」
明るい声のやりとりが終わりそうな瞬間、僕はテーブルの上にある水色の巾着袋を見つけた。これは、つまり、あれだ。そう、あれだ!
「律ぅー! 給食当番だろ、今週? エプロン忘れてるぞー!」
大きめの声を出してみると、慌ただしい足音がどんどん近づいてきてドアが開いた。律が顔を赤らめながら笑い、「忘れものあったー!」と僕の手から袋を受け取った。それと同時に僕の腰に律の両腕が周り、ぎゅっと僕の体を抱きしめると、勢いよく背中を向けて走り出した。律の体温は、いつものように、いや、いつもより温もりがあるように思えた。
「ありがとう、父さん! 行ってきまぁーす!」
「気をつけて行くんだぞー」
「はぁーい!」と言う返事が聞こえなくなる瞬間に、玄関のドアが開き、それからすぐに玄関のドアが閉まった。鍵のかけられる音が聞こえると、雫さんがため息を吐いて笑いながら戻ってきた。
「ほんと、誰に似たんだろうね、あの慌ただしい性格……」
「ははは。僕は断然母さんに似てると思うけどな。目元だってクリクリでそっくりだし」
「え? 本気で言ってる? 顔のパーツはだんだん父さんに似てきてると思ってるんだけど」
律が自分に似ていることを気づいているはずもない雫さんと話していると、施術台の上でうつ伏せになっている師匠が両足をパタパタさせながら僕らの意識を向けさせた。
「俺は2人にそっくりだと思ってるけどなぁー」
「あ、ごめん。師匠。もうすぐ施術するからね。え、僕にも似てるところあるかなぁ? 律」
「あるだろ。すっごく分かりやすいものが」
「え? どうだろ? 自分じゃ分かんないけど……」
「雫ちゃんが大好きなところだよ」
師匠の声が聞こえた瞬間、そこに居合わせている雫さんが寝そべっている師匠の背中を手に持っているバインダーで強めに叩いた。
「そういうことは今言わなくて大丈夫っ! カケルさん……!」
僕と師匠が同時に笑い声を上げると、雫さんが持つバインダーが僕の背中に勢いよく届いた。こんなにも体温の上がる朝は久しぶりだけれど、今日もすごく楽しくて、嬉しくて、良い1日が始まりそうな予感がした。窓の外から、明るい声で挨拶をする律の大きな声が穏やかな風に乗って聞こえてきた。その声を聞いた僕と雫さんは、同じタイミングでお互いの目が合い、同じタイミングで頬が緩んだ。
fin.
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