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第3章 故郷
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「いやぁ、ありがとうな。斗和くん。こんな時間に」
「ううん。僕らもお風呂にゆっくり入ったし、テレビ見たりしてのんびり出来たからすごくリラックス出来たよ」
「それに、お二人が持ってきてくださったお酒、すごく美味しいです。これは地物ですか?」
おじさんとおばさんが全ての仕事を終えてからほんの十数分。晩酌が始まったばかりなのにおじさんもおばさんも、雫さんでさえ顔を赤らめながら手元にあるお猪口に手を伸ばしては次々とそこに入ったお酒を飲んでいく。「くーっ!」と叫びながら顔に皺を刻んで微笑むおばさんが「この日本酒はね、昔からこの町で馴染みのある物なんだ」と小皿に入っている鮭とばに手を伸ばす。
「僕も久しぶりにこんな濃い日本酒飲んだかも」
「斗和くんはこの町にいる間はこーんなちぃさいガキンチョだったからまだまだ酒を飲むには早すぎたもんな!」
ガハハ! 口を大きく開けたついでにイカの干物をそこへ入れる。おじさんは本当に楽しんでくれているのだろう、日中の落ち着いた様子とは打って変わり、まるで祭り神輿でも担いでいるようなテンションになって笑っている。
「そうだね。その頃僕が飲んでたのは大体ラムネとかだったもんね」
「そうそう! ラムネばっかり飲んでた子が今じゃ日本酒飲んで顔を真っ赤にしてんだ。俺たちだって、こんなにしわしわな顔になるってもんだ! なぁ!」
おばさんの右肩をばんばんと叩きながら笑うおじさんの左手を払いのけながら雫さんを見ながら眉毛をひそめるおばさん。
「この人、酒癖悪いんだ。2人ともごめんね。もっと酷くなるようなら私がブチ切れるから安心してていいからね」
「あ、あはは……。おばさんが怒ると怖そうなのは想像つくよ」
「う、うん。私も怒らせちゃいけない人だと思った」
雫さんの頬を引き攣って笑わせるおばさんは、おじさんが肩を叩いていた力よりも二、三倍強めの力でおじさんの肩を一発叩いた。それに怖気付いたのか気分が良くなったのか、おじさんはへらへらと笑いながらスナック菓子の方にも手を伸ばしてバリバリと口の中で音を立てながらそれを咀嚼している。
「それはそうと、斗和ちゃん。雫ちゃん。楽しんでくれてるかい?」
「もうね、言葉には表せないぐらい満喫してるよ。おばさん」
「あはは。斗和ちゃんたちのその笑顔を見れば一目瞭然だね」
「それにさ、この街の人たちが僕のこと、覚えててくれてるのも嬉しかったよ」
「そりゃそうさ。斗和ちゃんのこと、忘れる人なんていないだろうさ」
うんうんと、自分の声で自分を納得させるように首を縦に振ってお猪口を傾けるおばさんは、隣でヘラヘラ笑っているおじさんの背中を優しい力で摩っている。
「沙苗さん」
「ん? どうしたの? 雫ちゃん」
ヘラヘラと笑うおじさんの横で、おばさんも同じように、ふにゃっと頬を緩ませる。その笑顔につられるように雫さんも表情筋がふにゃっとなった。
「斗和さんが小さかった頃の話、聞いてみたいです」
突拍子のないことを言い出す雫さんに、僕の心臓が大きく動いた。
「ぼ、僕の? 面白い話なんかないよ」
慌てる僕を見つめる雫さんの目つきを見ていると、ちっとも酒に飲まれていないように鋭く細くなっていた。「もちろん話してやるよ」と笑うおばさんは、向かい側のテーブルから右手を伸ばして僕の髪の毛をくしゃくしゃに撫でた。
「斗和ちゃんはね、この世界で一番優しい夫婦と言えるぐらい、素敵なお父さんとお母さんから生まれたサラブレッドなんだ! ね、あんた!」
「おう。あいつらより良いヤツらを俺は知らねえな。その2人から生まれた斗和くんだ。そりゃ、言うまでもねぇよな!」
「そんなに持ち上げられたら、結構困るんだけどな……。でも、確かに父さんと母さんは優しい人だったな……」
頭の中に浮かぶ2人の顔。優しい垂れ目が特徴的だった父さんと、穏やかな笑顔と一緒に出るえくぼが特徴的だった母さん。2人はいつも僕を抱きしめてくれたし、いつも手を繋いでくれたし、今のおばさんみたいに優しく頭を撫でてくれた。昔の記憶は全てを思い出すことは出来ないけれど、僕が思い出す記憶の中にいる2人は、いつも困っている人を助けたり、おじさんやおばさんたち、知り合いの人たちの仕事を手伝ったり、多くの子どもたちに絵本を読み聞かせている、そんな景色が思い浮かぶ。
「父ちゃんが絵本作家。母ちゃんが保育士さんだったんだよな。『あさくらるい』って絵本作家、知らないか? 雫ちゃん」
「……ごめんなさい。知識不足で」
「いや、謝ることはないよ。その斗和くんの父ちゃんはな、何冊も自分で絵本を出版してさ、それを披露する小さな図書館を家で開いてたんだ。そこにはたくさんの子どもたちが笑顔でその絵本の話を聞いてた。それ以外にも斗和くんの母ちゃん、桔梗(ききょう)さんが勤めてた保育園に行っては絵本を読み聞かせたり、この旅館に来てくれて、1階の大広間で大勢の子どもたちに絵本を読み聞かせたり、ある時なんか無料でその絵本を配ってる時もあったよな」
「あぁ、あったねぇ。あの時の瑠衣くんは、サンタよりもサンタみたいな人間に見えたんだよね」
うんうんと首を縦に振りながらお猪口を傾けていく。呂律はまだまだとしっかり保っている。2人が話してくれる父さんと母さんの話を聞いていると、僕の一番最初の記憶の方にいる2人の記憶が少しずつ蘇ってくる。それと同時に、体の奥の方が少しずつ熱くなってきた。
「それこそ、この旅館に3人で泊まりに来てくれたこともあったんだよ。斗和ちゃん、覚えてるかい?」
「うん。少しだけど覚えてるよ。ここで食べた何かの魚の唐揚げがすごく美味しかったんだ。その後、喉に骨が引っかかって泣いちゃったところも含めていい思い出だよ」
懐かしい。4歳ぐらいの頃に食べた唐揚げ。きつね色に揚がったカリカリの衣とふわふわした魚の身のあまりの美味しさに食べ続け、喉に骨を詰まらせ号泣した記憶。それを優しい笑顔で慰めてくれた母さんの顔が頭の中に甦る。過去の記憶を思い出していくうちに、無くなっていたパズルのピースを取り戻すように過去の記憶が戻ってくる。
「そうそう。微笑ましかったなぁ。斗和ちゃんに限らず、桔梗さんは泣いている子どもがいたら、すぐに駆け寄って笑顔にさせる人だったからね。それを側で見て育った斗和ちゃんもさ、同じぐらいの歳の子が泣いてることがあったら、横に立って頭を撫でてあげてたんだ。すっごく可愛かったんだから。覚えてる?」
「う、うん。覚えてるよ。そこまで言われちゃうと恥ずかしいけどね。だって困ってる人がいたら助けたいじゃんか」
「ハハ。そういうところを町の人たちが見てたからね、自ずと斗和くんたちのことはみんな覚えてるんだよ」
少しずつ少しずつ。だが、確実に。熱くなっていく体が顔の方にも熱が伝わる。油断をすると涙が出てしまいそうだったから、慌ててお猪口に手を伸ばして気を紛らわせた。側で僕の様子を見ていた雫さんは優しく笑って僕の背中をゆっくりと撫でてくれた。
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