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第3章 故郷
#56
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宿に着くと、おじさんが宿の前にある花壇に水をあげていた。僕らに気づいたおじさんは、手を伸ばせば触れられるくらいの距離にいる僕たちにゆっくりと手を振っていて、それが面白くて僕も同じように手を振り返した。
「おかえり。お2人さん。楽しかったかい?」
「ただいま。おじさん。うん、すごく楽しかったよ。懐かしい人たちにもいっぱい会えて嬉しかったし、すごく喜んでもらえた」
「そうだろうなぁ。斗和くんが来たらみんな喜ぶに決まってる。あ、ごめんごめん。引き止めてしまったね。宿に入ってね」
「ううん。そんなことないよ。雫さんと一緒にディナーも楽しみにしてるよ、おじさん」
「私もさっきから色々食べてますが、夜のお食事のことを考えると、すぐにお腹が空いて食べたくなります」
雫さんの一言がおじさんの顔を満面の笑みにさせる。僕も頭の中で想像すると、すぐにお腹が活動を始めて油断するとお腹が鳴りそうになった。
「そんなことを言われちゃったら、より一層頑張らないとな。2人とも期待しててね」
ニッと笑うおじさんの笑顔を見ていると、僕もつられて頬が緩む。
「ありがとう。おじさん。一旦、部屋に戻ってゆっくりさせてもらうね」
「うん。ゆっくりしててくれ。あ、今日はもう温泉にも入れるから、もし入りたかったらいつでも入ってくれていいからね。今はお客さんも少ないだろうから、貸切風呂みたいに入れるかもな」
「ほんと? それは嬉しいな。お言葉に甘えるかも」
「いっぱい甘えてくれればいい。じゃあ2人とも、また後でな」
「うん。ありがとう、おじさん。また後で」
「ありがとうございます。私も楽しみです」
雫さんの笑顔に、ひらひらと手を振って応えるおじさんに挨拶をしてから僕たちは宿のドアを開けた。フロントに座っているおばさんは、僕らに気づくと目をキラキラ輝かせて手を振った。2人とも仕草がよく似ていて、それが僕の心をじんわりと暖かくさせた。僕と雫さんも同じように手を振り返しておばさんの元へ歩いた。
「おかえり。2人とも楽しかったかい?」
おじさんと同じ質問をされ、僕も、そして雫さんも思わず笑いがこぼれた。
「ん? 私、何か面白いこと言った?」
「ううん、さっき外でおじさんと同じ質問をされたからさ。ちょっと笑えてきちゃって。多分雫さんも同じことで笑っちゃってると思う」
「えー? それは何か嬉しくないなぁ。けどまぁ2人がこの町を満喫してくれてたなら結構だ。私たちも腕を振らないとな!」
「沙苗さん、私もすごく楽しませてもらっています! 夜のご馳走もすごく楽しみにしています」
「あはは。その熱量に応えられる食事を作らせてもらうよ。さっきね、もう浴場に入れるようになったから、今からでも入ってもらっていいからね」
「あはは。ありがとう。それもさっき、おじさんから聞いたんだ」
「あ! あいつ! 私の台詞、全部喋っちゃったな!」
「でも2人の優しさが改めて伝わってくるよ。ぜひ堪能させてもらうね」
「私も早くそのお風呂に入りたいです」
「アハハ! 私たちなんかより、あなたたちの方がずっと優しいよ。ゆっくりしていってね」
「うん。ありがとう、おばさん。じゃあまた後でね」
「はいよ。行ってらっしゃい」
部屋の方へ歩く僕らを、ひらひらと手を振って笑顔で見送るおばさんは、やっぱりおじさんとお似合いだと思った。僕と雫さんも、歳をとっても2人みたいな関係性でいたいと思っているのが雫さんも同じだったらいいな。心の中でそんなことを考えながら僕たちは部屋へと続く階段を上っていった。
*
あっという間に日は沈み、窓の外には水平線から顔を出し始めた満月が少しずつ顔を出し、太陽に温められていた海が少しずつ少しずつ、ひんやりと冷やされているような景色が広がっていた。
「うわぁ、もう夜になったんだね。さっきまで綺麗な夕焼けが見えてたのに」
「本当だね。でも、この景色もすごく綺麗。というより、私はどっちかというとこの景色の方が好きかも」
「うん。確かに。この景色もすごくいいね。てかさ、今から露天風呂とか入っちゃったら、すごい気分になると思わない?」
「すごい気分?」
「うん。何だろ、あー今、めちゃくちゃ幸せな時間過ごしてるなーみたいなこと思えそう。体を大の字にしながらお湯の中に入ってさ……」
「……まぁ言いたいことは伝わってくるよ。斗和さんが語彙力無くなるぐらいすごい気持ちになるお風呂に入れるかもってことは分かったよ」
雫さんの言う通り、僕は普段よりも本能に忠実な語彙しか頭に出てこないまま、窓の外の景色を見てはしゃいでいる。想定ではウキウキにはしゃぐ雫さんを見てほっこりする気になっていたのに、実際には僕がはしゃいじゃって、雫さんがいつもより冷静になって話していることが少し悔しく思えた。けれど、それよりもこの景色が壮大で、夕食の前に入るお風呂が楽しみで、その後の雫さんとの晩酌を考えると、心の中の僕は何倍もはしゃいでいることだけは確実だった。
「じゃあ雫さん。準備整えたらお風呂行く?」
「ふふ。嫌って言ったら寂しそうな顔をする斗和さんも見てみたいけど、私も早くお風呂に入ってみたいって気持ちが強いから、素直にうんって言ってあげるよ」
「何かちょっと悔しさがあるのは気のせいかな」
「んん? 何のこと? 斗和さん」
「何でもないよ。じゃあ準備したら行こう! 素敵なお風呂!」
「ふふ、はいはい。そうと決まったら急いで準備しないとだね」
雫さんを楽しませるつもりだったのに、僕がそれ以上にはしゃいでしまっているこの時間。少し悔しいけど結果オーライだと考え、僕はこの後に近づく幸せな時間、そして雫さんに伝えたいことを話す瞬間が近づいていることが現実的になり、いつもよりも心臓の動きが大きく、不規則に動いた。それだけは気づかれないように雫さんと一緒にお風呂へ行く準備を整えた。窓から吹き込む、ひんやりとした風が、普段よりも高くなった体温を落ち着かせてくれているようだった。
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