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第3章 故郷
#49
しおりを挟む「おはよう。雫さん。早起きだね」
「おはよう斗和さん。女には色々準備があるの、昔から知ってるでしょ」
「うん。もちろん。てっきり、旅行が楽しみになって眠れなかったのかと思っちゃったよ」
「そんな……、子どもみたいなことにはなりません! しっかりぐっすり寝ました!」
「そう? まぁぐっすり出来てたならいいけど」
最近の雫さんの特徴。その7。言われたことが図星だと思った彼女は、仕事中ではなくても敬語を使う。朝早くから見事に僕は彼女を困らせている。
「斗和さんこそ、今日は長い時間の運転になるから寝れてないと辛いと思うけど。よく眠れたの? いつもより早起きだけど」
「いいや。それこそ修学旅行の前日みたいな気持ちになったよ。ワクワクしすぎてあんまり眠れなかったね。それで気がついたら陽が昇ってた」
「ふふ。斗和さんはやっぱり子どもだね。運転、疲れたらいつでも変わるからね」
「はは。ありがとう。でも大丈夫。故郷に向かう道なんて、目に見えるもの全てが懐かしく思えるだろうから絶対眠気に襲われないよ」
「……それがフリにならないといいけど」
しししと笑いながら雫さんは慣れた手つきで髪の毛をくるくると巻いていく。半年くらい前は髪の毛が短く、僕の方が長いんじゃないかと思うほどのショートヘアだった彼女もいつの間にか髪の毛が胸の辺りまで伸びていることに驚く。ショートヘアの女性タレントを可愛いよねとか言ったりすると、私は前の長いヘアスタイルの方が好きだったなーと、少し怒ったような声で言ってくる彼女。今の彼女にショートヘアにしないの? なんて聞いたら、旅行に行く前から眉間に皺を寄せさせてしまうような気がして、心の中で生まれたその声は喉元で留まらせた。
「今日は暑くなりそうだから、久しぶりにお団子にしようと思うんだよね。どう思う? 斗和さん」
「え、いいじゃんか。お団子ヘア。最近見てなかったから見たい! それで、その雫さんといっぱい写真が撮りたいよ」
「だよね。先生、お団子、前から好きってアピールしてたしね。せっかく旅行に行くんだし。私も可愛くしたいし……」
なんてこった。僕が一番好きなヘアスタイルでいてくれると聞いた僕は、彼女がヘアアイロンから手を離した瞬間を狙った背後からゆっくりと抱きついた。
「ちょっと! 先生! アイロン、あるんだよ!? 手元、狂う!」
「今、アイロン持ってない瞬間じゃん。だから今ならくっついてもいいかなって思って。つい。ごめんね」
「ごめんね、とか言いながら全然離れようとしないのずるいから!」
「ずるいって何? まだ急がないといけない時間とかじゃないから。ゆっくり準備してくれていいんだよ」
「斗和さんは急に甘えてくるから心臓に悪い……」
慌てて手元がぷるぷると震えていた雫さんも、少しずつ落ち着いてきたのか髪の毛を整える彼女の表情も普段通り冷静になっているように見えた。
「最近分かったことですけど、斗和さんって意外と甘えてくること多いよね」
「え? とっくに知ってると思ってた。僕、好きな人にはすぐくっつきたくなるんだよね。あ、雫さんは嫌だった?」
「いや……。私も、嫌じゃないですけど……!」
「嫌じゃないけど?」
「……アイロン持ってる時はさすがに危ないですって!」
彼女の目の前にある鏡越しに目が合った雫さんは、声を荒げながらも僕の目を見て笑ってくれるところが、僕の心の中を暖かくさせてくれる。まぁ確かに火傷とかは絶対してほしくない。心の中で謝りながらも僕は彼女の背中を包み込むように身を寄せる。さっきよりもじんわりと背中に温もりを感じるのは多分気のせいではない。
「ごめんね。邪魔じゃなかったらもう少しこのままくっついてていい?」
「うん。邪魔ではないけど……。ていうか、斗和さんも自分の準備しなくていいの?」
「あぁ、うん。僕はあそこにある服に着替えて1分で髪の毛を整えたらいつでも出発出来るからね。もう旅行用の準備もあのリュックの中に入ってるし」
テーブルの下にある大きな黒いリュックを指さして笑うと、彼女はため息のような息をこぼし僕のもたれかかる体を支えながら髪の毛をまとめていく。時々鼻に届く彼女の髪のラベンダーみたいな香りがとても良い匂いで僕はますます体を離したくなくなってしまう。
「いいなぁ、すぐに準備できる人は。私なんて、トータルの時間数えたら、斗和さんの何十倍もかかってそうでやだな」
「それだけ時間をかけて用意してくれた雫さんが隣にいてくれるんだから、僕は命をかけて君を守らないとね」
「それは斗和さん、大袈裟に言いすぎ。まぁそうやって思ってくれるのは嬉しいし、そうやって言ってくれるのは斗和さんらしいけどさ。っと、出来上がり。どう、斗和さん。お団子できてるかな?」
ふふふと笑いながら頭のてっぺんにできたお団子を見せつけるように僕の視線をそこに誘導する彼女の笑顔を見つめると、僕もつられてへらっと笑ってしまう。うん、いつも彼女はとても可愛いけれど、今日の彼女はとびっきり可愛い。彼女が許してくれるなら、写真を撮っていつでも見られるようにカメラロールに残しておきたい。多分、それを彼女に伝えたら絶対許可してくれないと思うけど。
「……うん。びっくりするぐらい可愛い」
「……ありがとう。ポイントはこのちょっとだけ巻いた触覚」
照れくさそうにえへへと笑った彼女が、耳元にあるくるくるに巻いた髪の毛を触りながら僕を見つめる。僕はやっぱり彼女に聞きたくなった。
「雫さん」
「何?」
「すっごく可愛いから写真撮ってカメラロールに残して良い?」
「ダメ。絶対」
どこかで聞いたことのある断り方をされた僕は思わず笑いが溢れた。そして、一層彼女を強く抱きしめたくなってしばらくの間彼女の体にくっついた。思っていた以上に時間が過ぎていて僕は慌てて自分の準備に取りかかった。洗面所で慌てて髪の毛を整えている僕を見た雫さんが、僕にカメラを向けているのが視界の端で見えた。
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