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第3章 故郷
#46
しおりを挟むキッチンの方から戻ってきた優子さんが両手に抱えていたのは、まるで誕生日を祝ってくれているようなホールサイズのショートケーキだった。そのてっぺんに乗っている苺がとても大きい。まるで小さなミカンくらいのサイズがありそうなそれは、僕はこれまでに見たことのない大きなものだった。
「ゆ、優子さん……。それは?」
恐る恐る僕が尋ねると、優子さんはへらっと笑ってそのケーキを僕たちのテーブルの上に置いた。他の客席に座っている人たちの視線も自然とこのケーキの方へ集まっているようだった。雫さんは唖然としていて口を開けているけれど、これは彼女が美味しそうと思っている思考回路が勝っている時に見せる表情だとすぐに分かった。
「言ったでしょう? 秘密の料理、祝福編です。改めまして斗和さん。雫さん。おめでとうございます」
「おめでとうございます」
店長さんと優子さんが拍手をすると、店内にいる人たちが大勢僕たちの方を向いて同じように拍手をしてくれた。恥ずかしくなった僕は、その拍手に対してゆっくりとお辞儀を返していく。向かい側に座る雫さんも我に返ったのか、その拍手に礼を返して優子さんと店長さんにも頭を下げた。
「ありがとう。優子さんと店長さん。こんなにいっぱい祝ってもらって……。なんか照れくさいな」
「私は雫さんの以前から抱いていた斗和さんへの想いを知っていたから、私も自分のことのように嬉しいの。だから、少し斗和さんもびっくりしたと思うけど。どうかお祝いさせてください。雫さん。本当に良かったね」
「はい……。本当に良かったです……!」
顔を赤くする彼女を見ていると、つられて僕の顔も熱くなる。テーブルの前に置かれたそれを優子さんが手際よく2人分切り取ってくれて僕らの前にある皿に乗せてくれた。それを嗅いだだけで甘さが伝わってきそうな香りが僕の食欲を刺激する。
「甘党の斗和さんと雫さんが絶対に喜んでくれるような味にアレンジしてお出しさせていただきます。まだあと半分以上はあるからおうちでも是非堪能してください」
「優子さん、本当にいいの……?」
「もちろん。大切な常連さんの大好きな笑顔が見れたので私もニケさんも満足です。ね? ニケさん」
「はい。本当におめでとうございます。僭越ながら、お二人を見ていると昔の自分と妻を見ているようでとても微笑ましかったです。ですので、そのように幸せな瞬間に立ち会えることができてとても嬉しいです」
笑顔の似ている2人が僕たちのために作ってくれたケーキ。お好みでどうぞと手元に置かれた練乳を少しだけケーキの上にかけると、まるで美術作品かと錯覚してしまうほど美しい仕上がりになった。むしろ食べるのがもったいなく思えた。これを見た雫さんも、目を輝かせながらスマホで写真を撮っている。
「この写真、雑誌の表紙に出来そうじゃない?」
「ほんとだ。スイーツ店の特集とか書いてありそうだね」
撮る人が上手なのと、被写体が素晴らしいからねとドヤ顔で僕に写真を向ける雫さんがとても愛らしかった。
「ではお二人とも、ごゆっくりとお楽しみください」
「雫ちゃん。斗和さん。いっぱい堪能してね」
店長さんと優子さんは優しく微笑んだままキッチンの方へ戻っていった。雫さんは目を輝かせてフォークを握っている。そのフォークが彼女の目と同じくらい輝いているように見えた。
「じゃあ雫さん。あのお二人のお言葉に甘えていただこっか」
「待ってました! 早く食べようよ!」
「じゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」
フォークからはみ出るくらい大きな一欠片を彼女はひと口で口の中に入れた。口の端についた生クリームを逃さず彼女の舌がぺろりと持っていった。その瞬間、彼女の両目はさらに輝いた。まるで漫画のキャラクターみたいにその目の中にいくつもの星があるみたいだった。ただ、僕もそれを口に入れた瞬間、自分の体の中に喜びが満ち溢れた。
「何これ……! めちゃくちゃ美味しいね!」
「うん、すっごく美味しい……! これまでの人生で食べてきたケーキの中で一番美味しい!」
大袈裟に言ったつもりは絶対にない。彼女はそういうことは言わない。だから彼女にここまで言わせるこのケーキがとんでもないのだ。でも、確かに分かる。これは本当に美味しいケーキだ。
「この間に入ってるソースが甘さを引き立てているのもあるかもしれないけど、それを込みにしてもくどすぎないし、本当に完璧なバランスの甘さって感じのケーキだね。あとは、このいちばん上にあるでっかい苺……」
これもまた衝撃を受けた。断面を見てみると、先端から根元の部分までぎっしりと果肉が詰まっていて、それがほぼ全体的に甘さを強調するような色に染まっている。なんという品種の苺なのだろう。
「やばいよ……。雫さん。これ、ケーキもすっごい美味しいけど、この上に乗ってる苺。めちゃくちゃ……」
「斗和さん!」
店長さんたちのいるキッチンまで声が届きそうなほど大きな声で僕の名前を呼んだ雫さんから、凄まじい目力を感じた。
「私が一番最後に好きなもの食べるのを知ってるよね? 私が口にするまでその味の感想は絶対言っちゃダメ」
「……はは。君には敵わないな」
甘いものを前にすると、まるで奉行のような発言と顔になる雫さんをこれからケーキ奉行と命名するよ。そうやって言ってみたら彼女はどんな顔をするだろう。それも楽しそうだけれど、やっぱり今はそれよりもただこの美味しすぎるケーキを堪能したくて、僕たちはひと口ひと口その味に感動しながらケーキを食べていった。気がつくと、ホールケーキの7割以上が無くなっていて悲しそうな顔をする雫さんを見て思わず笑ってしまった。そんな僕を見た彼女が少しだけムッとした顔をした。
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