Tsukakoko 〜疲れたらここへ来て〜

やまとゆう

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第3章 故郷

#43

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 僕を見つめる雫さんの目は、いつもより大きく見開かれていて、見つめていると吸い込まれそうな気持ちになった。

 「え? 雫さん、ここ辞めちゃうの?」
 「ば……! 辞めませんよ! どうしてそうなるんですか!?」
 「だよね。辞められちゃったら、僕、かなり困るし。でも、卒業って……?」

作業を止めて僕に話しかけている雫さんの顔は、冗談を言っているつもりはなさそうだった。仕事を辞めるつもりはない。そして助手を卒業できないか。それらの言葉が繋ぐ意味合いは僕にも容易に理解ができた。そして、雫さんの顔が赤くなっている理由も分かった。それを踏まえて彼女の顔を見ると、僕の心臓も少しずつ脈を打つ強さが変わってきた。次第に僕の顔も熱くなってきた。

 「もしかして、雫さん……。ひょっとして、僕のこと……」
 「……好きに決まってるじゃないですか……!」

途端に彼女の左目から涙が一筋流れた。僕は慌ててズボンのポケットからハンカチを取り出し、彼女に差し出した。ゆっくりとした手がハンカチを手にすると、彼女の両目から堰を切ったように涙が勢いよく流れ始めた。

 「このままの関係性でいいから先生と一緒にここで過ごしていけたらいいや。ずっとそう思ってました。ですが、先生とお出かけをしたりする時間が増え、クライアントと仲良くお話をされている先生を見ていると、胸がきゅっとなって苦しくなってくるんです。先生は真面目に仕事をされているだけなのに……」
 「……」
 「先生の隣にいる『頼れる助手』という居所も私はとても好きです。なのに、それでも麻倉斗和という1人の男の人という目線であなたを見てしまう瞬間が今も増え続けている。その相反する感情が心の中で暴れ合っていて、このままだと私はどうすればいいのか分からなくなってしまいました」

溢れている涙と一緒に胸の内にあったであろう感情をこぼす雫さん。これほど涙を流す雫さんは未だかつて見たことがなかった。それに、雫さんの心の中がこれほど顕になっているのも未だかつて見たことがなかった。気がつくと、僕は無意識のうちに彼女の手に触れ、全身を包み込むように抱きしめていた。彼女の体はとても温かった。

 「先……生?」
 「僕はやっぱりヘタレなんだ。雫さんからそう言ってもらわないと、自分からは何も行動できなかった」
 「どういう……意味ですか……?」
 「僕もね、正直いつまでも雫さんとずっと一緒にいられるには頼れる先生でいないとって思ってたんだ。だから自分の感情を表立ってキミに言うことはこれまでなかったと思う」
 「……」

言葉を飲み込むように、雫さんは僕の中でゆっくりと首を縦に振った。僕の心臓の動きが彼女に伝わっているかもしれない。それでもいい。今、彼女にこの気持ちを伝えたいんだ。

 「でも、一緒にどこかへ出かけたりして、楽しそうな雫さんの顔を見てたら、どんどんキミの色んな顔が見たくなっていた。そうしたらね、どんどんキミのことが好きになっていったんだ」
 「せ、せんせえぇー……!」
 「ちょ……! 雫さんっ、大丈夫かい!?」

ガバッと音がするほど力強く僕を抱きしめ返す雫さんの体は、熱が出ているように熱くなっていた。

 「せ、先生も私のこと、好きでいてくれたんですかぁー!?」
 「う、うん! ずっと好きだったよ」
 「ずっとっていつからだったんですか? 全然分からなかったぁ!」

怒っているように泣いて、泣いているように笑って。たまに哀しそうな顔をして泣く。色んな感情が一気に出ている雫さんは、力強く僕を離そうとはせずに僕をぐしゃぐしゃになった顔でじっと見つめる。

 「僕は不器用な人間だから、自分の好きな人に気持ちを伝えることができなかった。でも、この人にならいつか絶対伝えたいって思ったのが雫さんだよ。そうやって思うようになったのは、キミがここへ来てくれた時からずっとだよ」
 「え!? じゃ、じゃあ本当に最初から?」
 「うん。今まで言えずにごめんね。雫さん、改めて伝えさせて。僕と付き合ってくれませんか?」
 「……断るわけないでしょ! お願いします!!」

泣き崩れている雫さんの頭を撫でると、僕の一番好きな香りが鼻に届いた。彼女の体温と香り、声と涙を感じていると、僕の両目からも涙がこぼれ落ちて彼女の髪の毛の上に落ちた。それに気づいた彼女は顔をぐしゃぐしゃにして僕を見た。そして、その細長い指が僕の目尻に触れた。

 「先生からも涙、出るんですね……」
 「当たり前じゃんか。僕だってこれでも人間だから」
 「私は先生以外に素敵な人は、ハルカさん以外知りません」
 「ハルカさん、素敵な人いるんじゃん。まぁ否定はしないけどさ」
 「あはは……! なんか私、今夢見てるみたいです……」
 「夢じゃないよ。ちゃんと現実だよ。でも、僕も雫さんから嬉しい返事が聞けて、夢みたいだ」
 「夢じゃありませんよ。ちゃんと現実ですから」
 「はは。そうだね。とっても嬉しい現実だ」
 「……」
 「……? 雫さん?」

じっと僕を見て何も話そうとしない彼女は、「先生らしいです」と言うと、彼女の唇が僕の唇に触れた。ぷるっとした柔らかくも弾力のある感触、彼女が生きていると実感する温かい体温、それらが僕の体温を一気に上げた。唇を離した彼女の顔が目の前にあって、その顔を見ているともう一度彼女の唇に触れたくなり、ゆっくりと彼女の唇に再び触れた。
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