Tsukakoko 〜疲れたらここへ来て〜

やまとゆう

文字の大きさ
上 下
38 / 68
第3章 故郷

#38

しおりを挟む

 「あぁ、そこそこ。あぁ、いいー……」
 「ちょっと京子ちゃん。変な声出てるわよ」
 「だって先生が気持ちいい場所に当ててくるんだもん」
 「だ、だから! 何言ってんの、京子ちゃん!」
 「そうだよ京子ちゃん。これはマッサージだからね。まぁでも僕の施術でこんなにも効果がある人はなかなかいないと思うな。相当疲れが溜まってるね」
 「そうなの……。うっ、最近できた彼氏が冷たい態度とることが、増えてきてさっ! あぁ、そこそこ! 先生、そこー!」

こんな調子で終始彼女の全身をほぐしてそろそろ1時間が経とうとしている。以前よりも全身の疲労が蓄積されていて、特にふくらはぎから足の裏にかけてストレスが溜まっている。彼女の表情や柔らかくほぐれていていく筋肉を見ていると、だいぶ効果がありそうで良かった。ただ、それを険しい表情で雫さんが見つめていて少し気まずい空気が室内に流れているのは多分気のせいではないだろう。

 「随分疲れが溜まってたからね。特に下半身に蓄積されていたからそれをだいぶほぐせているはずだよ。けっこう疲労は取れてきているとは思うけどね。京子ちゃん」
 「うん。痛いより気持ちいいがずっとあるの。なんか喋ってないと眠っちゃいそうなんだけど」
 「フフ。京子ちゃん、だいぶリラックス出来てきたみたいだね。じゃあ雫さん、マッサージのラスト、いこうか」
 「はい。分かりました」

僕の合図とともに施術用のベッドに搭載されている高音質スピーカーの電源を入れ、彼女のスマホからBluetoothを飛ばした。それと同じくらいのタイミングで僕が推している「邦楽のオルゴールプレイリスト」が流れ始めた。

 「ん? 何か音楽? 聞こえてきた。オルゴール?」
 「そうだよ。いい感じにリラックス出来てるからね。この音楽がさらに体の内面もリラックスしてくれるはず。ちなみに僕が寝る時によく聴いたりするオルゴールだから、僕も少し眠くなるのが改善点だね」

さすがに朝イチの施術から眠くなったりはしない。と思っていながらも、普段よりもあくびの出る回数が多くなっているのが自分でも分かった。睡魔を振り払うように腕を動かしていく。京子ちゃんがうつ伏せの姿勢で良かった。口を開けていても気付かれない、と油断していると目の前にいる雫さんが、何も言わずにただじっと僕を見つめている。普段よりも眉間に皺が寄っているところを見ると、多分僕は軽く睨まれている。その後、雫さんとは目線を合わせないようにしながら京子ちゃんの全身マッサージを終えた。マッサージを終える頃には京子ちゃんは気持ち良さそうな表情で寝息を立てていた。

 「こうして見ていると、ほんとに健気な女の子なんだよね、彼女」
 「先生。変なこと考えてたらぶっ飛ばしますよ」

雫さんが暴言を吐く時は、かなりのイライラが積み重なっている時だ。久々にぶっ飛ばすとか急に言われて少し笑えたのは内緒にしておく。多分、口に出すと逆効果だろうから。

 「大切なクライアントの1人だよ。何もやましいことは考えないし、何よりキミが目撃者だ。僕の行動や振る舞いは全部キミの目が捉えるだろ」
 「こ、心の中までは分かりませんからっ!」

顔を赤らめた雫さんが大きな声を出したおかげで彼女が目を擦りながら起き上がった。自分でも寝ていたのがわからなかったのか、意識を取り戻すとしばらく部屋を見渡していた。そして目を大きくさせて僕と雫さんの方を見た。

 「うわ! 私、寝ちゃってた? 全然気づかなかったし起きたら家だと思ってて、先生のお店だった! なんか色々ビックリしてる!」
 「ははは。よく眠れたみたいだね。じゃあ一度ベッドから降りて全身の具合を確認してみようか。軽く体を動かしてみてくれる?」
 「うん。分かりました……。おぉー! めっちゃ軽くなってる! 特に足! なんだろ……、ジャンプ力上がったみたいに思えます!」
 「そうでしょそうでしょ。だいぶ足の筋肉もほぐれたからね。痛みに耐えた快感、たまらないでしょ」
 「もうほんとにヤバいぐらい気持ちよかった! ずっと虜だ! ヤバいよ! 先生!」

京子ちゃんの語彙力が無くなるくらい疲労が取れて良かった(ジャンプ力も上がったかもしれないし)。京子ちゃんは両手を大きく上に伸ばし、「いやぁー」と独特な声を漏らしながら体全体を伸ばしている。

 「いつもありがとう、先生。雫さん!」

「いやぁー」の後に出てきた不意の感謝の言葉。雫さんなんか目を大きくして京子ちゃんの方を見つめている。

 「私は何もしてませんよ」
 「そんなことないよ。ここに温かいコーヒーを置いてくれたのは雫さんでしょ? さっきの音楽をかけてくれたのも雫さんだし。先生のマッサージもすごく心地よかったけど、雫さんがしてくれたことも私にとってはすごく心地よかった。だから、ありがとう」

ニッと笑って彼女の両手を上から両手で包み込む彼女を、雫さんは慌てて目を逸らしながらぶんぶんと包み込まれている手を振った。京子ちゃんはそれを離そうとはせず、両手で包み込み続けた。徐々に雫さんの顔が赤くなっているのが分かった。いつも京子ちゃんに対して当たりの強い雫さんだけど、こうして見ていると年齢も近いしなんだかんだで仲が良いんだなぁと、何故か親のような目線になって安心してしまう。それを微笑ましく思っていると、雫さんの鋭い視線が不意に僕の方へ飛んできた。

 「せ、先生っ! 京子ちゃんの施術の時間、そろそろ終わりですよね?」

仕事中、こんなに慌てている彼女を見るのも久しぶりだし、優しい顔で笑っている京子ちゃんを見るのも嬉しい。確かに施術の時間はそろそろ終わりになる頃だ。ただ、まだ終わってはいない。

 「そうだねぇ。でも、まだあと10分ぐらいはここでゆっくりしていってもらっても構わない時間ではあるかもだね」
 「ほら、先生もそう言ってるんだし。そんなにすぐ手を離そうとしないでよ。雫さんの手、冷たいけど今はこの冷たさが絶妙に心地良い。知ってる? 手が冷たい人って、心は温かいんだよ」

そんなことを言い出したものだから雫さんはさらに悶絶した様子でその手を振り解こうと手をぶんぶんと振る。京子ちゃんが意外と力強いのだということを僕は顔には出ていないだろうけれど内心驚いている。それに、こんなに眉毛が八の字になっている雫さんは多分、本当に貴重な一瞬だと思う。そう思った僕は、その瞬間を収めたくてスマホのカメラで写真を撮った。シャッター音に気づいた2人分の視線が一気に僕の方へ向いた。

 「ごめんごめん。すごく微笑ましくてさ。つい撮っちゃった」
 「撮っちゃったじゃないですよ先生! 消してください! プライバシーの侵害です!」
 「えー? 消さないでよ、先生! むしろ、私は今の写真欲しいです!」
 「ダメだよ京子ちゃん! ダメです! 先生!」
 「消さないとダメ? 2人とも結構いい感じに写ってるんだけどな」

執拗に写真を消すことを強要する雫さんに少しの違和感を感じながら、その撮った写真が写ったスマホの画面を2人の方へ向けた。

 「ほらぁ、いい感じに写ってるじゃん! 先生、消しちゃダメだよ。せめて消す前に私のスマホに送ってください!」
 「そうだなぁ……、SNSとかに投稿しないっていう条件付きでなら送ってもいいかい? 雫さん」
 「ダメです! 特にこの写真はダメ!」
 「……何か特別ダメな理由があるのかい?」

流石に違和感のある雫さんの言動と表情を見て、僕はその理由が聞きたくなった。すると雫さんは長めのため息を吐きながらスマホに写っている自分の顔を指さした。

 「先生なら気づくと思ってました……」
 「ごめん。全然分からないや。何?」
 「こんなイカつい顔でクライアントを睨んでる顔なんて、ほぼ変顔ですよ! この写真だけは消してください!」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

誰の代わりに愛されているのか知った私は優しい嘘に溺れていく

矢野りと
恋愛
彼がかつて愛した人は私の知っている人だった。 髪色、瞳の色、そして後ろ姿は私にとても似ている。 いいえ違う…、似ているのは彼女ではなく私だ。望まれて嫁いだから愛されているのかと思っていたけれども、それは間違いだと知ってしまった。 『私はただの身代わりだったのね…』 彼は変わらない。 いつも優しい言葉を紡いでくれる。 でも真実を知ってしまった私にはそれが嘘だと分かっているから…。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...