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第3章 故郷
#38
しおりを挟む「あぁ、そこそこ。あぁ、いいー……」
「ちょっと京子ちゃん。変な声出てるわよ」
「だって先生が気持ちいい場所に当ててくるんだもん」
「だ、だから! 何言ってんの、京子ちゃん!」
「そうだよ京子ちゃん。これはマッサージだからね。まぁでも僕の施術でこんなにも効果がある人はなかなかいないと思うな。相当疲れが溜まってるね」
「そうなの……。うっ、最近できた彼氏が冷たい態度とることが、増えてきてさっ! あぁ、そこそこ! 先生、そこー!」
こんな調子で終始彼女の全身をほぐしてそろそろ1時間が経とうとしている。以前よりも全身の疲労が蓄積されていて、特にふくらはぎから足の裏にかけてストレスが溜まっている。彼女の表情や柔らかくほぐれていていく筋肉を見ていると、だいぶ効果がありそうで良かった。ただ、それを険しい表情で雫さんが見つめていて少し気まずい空気が室内に流れているのは多分気のせいではないだろう。
「随分疲れが溜まってたからね。特に下半身に蓄積されていたからそれをだいぶほぐせているはずだよ。けっこう疲労は取れてきているとは思うけどね。京子ちゃん」
「うん。痛いより気持ちいいがずっとあるの。なんか喋ってないと眠っちゃいそうなんだけど」
「フフ。京子ちゃん、だいぶリラックス出来てきたみたいだね。じゃあ雫さん、マッサージのラスト、いこうか」
「はい。分かりました」
僕の合図とともに施術用のベッドに搭載されている高音質スピーカーの電源を入れ、彼女のスマホからBluetoothを飛ばした。それと同じくらいのタイミングで僕が推している「邦楽のオルゴールプレイリスト」が流れ始めた。
「ん? 何か音楽? 聞こえてきた。オルゴール?」
「そうだよ。いい感じにリラックス出来てるからね。この音楽がさらに体の内面もリラックスしてくれるはず。ちなみに僕が寝る時によく聴いたりするオルゴールだから、僕も少し眠くなるのが改善点だね」
さすがに朝イチの施術から眠くなったりはしない。と思っていながらも、普段よりもあくびの出る回数が多くなっているのが自分でも分かった。睡魔を振り払うように腕を動かしていく。京子ちゃんがうつ伏せの姿勢で良かった。口を開けていても気付かれない、と油断していると目の前にいる雫さんが、何も言わずにただじっと僕を見つめている。普段よりも眉間に皺が寄っているところを見ると、多分僕は軽く睨まれている。その後、雫さんとは目線を合わせないようにしながら京子ちゃんの全身マッサージを終えた。マッサージを終える頃には京子ちゃんは気持ち良さそうな表情で寝息を立てていた。
「こうして見ていると、ほんとに健気な女の子なんだよね、彼女」
「先生。変なこと考えてたらぶっ飛ばしますよ」
雫さんが暴言を吐く時は、かなりのイライラが積み重なっている時だ。久々にぶっ飛ばすとか急に言われて少し笑えたのは内緒にしておく。多分、口に出すと逆効果だろうから。
「大切なクライアントの1人だよ。何もやましいことは考えないし、何よりキミが目撃者だ。僕の行動や振る舞いは全部キミの目が捉えるだろ」
「こ、心の中までは分かりませんからっ!」
顔を赤らめた雫さんが大きな声を出したおかげで彼女が目を擦りながら起き上がった。自分でも寝ていたのがわからなかったのか、意識を取り戻すとしばらく部屋を見渡していた。そして目を大きくさせて僕と雫さんの方を見た。
「うわ! 私、寝ちゃってた? 全然気づかなかったし起きたら家だと思ってて、先生のお店だった! なんか色々ビックリしてる!」
「ははは。よく眠れたみたいだね。じゃあ一度ベッドから降りて全身の具合を確認してみようか。軽く体を動かしてみてくれる?」
「うん。分かりました……。おぉー! めっちゃ軽くなってる! 特に足! なんだろ……、ジャンプ力上がったみたいに思えます!」
「そうでしょそうでしょ。だいぶ足の筋肉もほぐれたからね。痛みに耐えた快感、たまらないでしょ」
「もうほんとにヤバいぐらい気持ちよかった! ずっと虜だ! ヤバいよ! 先生!」
京子ちゃんの語彙力が無くなるくらい疲労が取れて良かった(ジャンプ力も上がったかもしれないし)。京子ちゃんは両手を大きく上に伸ばし、「いやぁー」と独特な声を漏らしながら体全体を伸ばしている。
「いつもありがとう、先生。雫さん!」
「いやぁー」の後に出てきた不意の感謝の言葉。雫さんなんか目を大きくして京子ちゃんの方を見つめている。
「私は何もしてませんよ」
「そんなことないよ。ここに温かいコーヒーを置いてくれたのは雫さんでしょ? さっきの音楽をかけてくれたのも雫さんだし。先生のマッサージもすごく心地よかったけど、雫さんがしてくれたことも私にとってはすごく心地よかった。だから、ありがとう」
ニッと笑って彼女の両手を上から両手で包み込む彼女を、雫さんは慌てて目を逸らしながらぶんぶんと包み込まれている手を振った。京子ちゃんはそれを離そうとはせず、両手で包み込み続けた。徐々に雫さんの顔が赤くなっているのが分かった。いつも京子ちゃんに対して当たりの強い雫さんだけど、こうして見ていると年齢も近いしなんだかんだで仲が良いんだなぁと、何故か親のような目線になって安心してしまう。それを微笑ましく思っていると、雫さんの鋭い視線が不意に僕の方へ飛んできた。
「せ、先生っ! 京子ちゃんの施術の時間、そろそろ終わりですよね?」
仕事中、こんなに慌てている彼女を見るのも久しぶりだし、優しい顔で笑っている京子ちゃんを見るのも嬉しい。確かに施術の時間はそろそろ終わりになる頃だ。ただ、まだ終わってはいない。
「そうだねぇ。でも、まだあと10分ぐらいはここでゆっくりしていってもらっても構わない時間ではあるかもだね」
「ほら、先生もそう言ってるんだし。そんなにすぐ手を離そうとしないでよ。雫さんの手、冷たいけど今はこの冷たさが絶妙に心地良い。知ってる? 手が冷たい人って、心は温かいんだよ」
そんなことを言い出したものだから雫さんはさらに悶絶した様子でその手を振り解こうと手をぶんぶんと振る。京子ちゃんが意外と力強いのだということを僕は顔には出ていないだろうけれど内心驚いている。それに、こんなに眉毛が八の字になっている雫さんは多分、本当に貴重な一瞬だと思う。そう思った僕は、その瞬間を収めたくてスマホのカメラで写真を撮った。シャッター音に気づいた2人分の視線が一気に僕の方へ向いた。
「ごめんごめん。すごく微笑ましくてさ。つい撮っちゃった」
「撮っちゃったじゃないですよ先生! 消してください! プライバシーの侵害です!」
「えー? 消さないでよ、先生! むしろ、私は今の写真欲しいです!」
「ダメだよ京子ちゃん! ダメです! 先生!」
「消さないとダメ? 2人とも結構いい感じに写ってるんだけどな」
執拗に写真を消すことを強要する雫さんに少しの違和感を感じながら、その撮った写真が写ったスマホの画面を2人の方へ向けた。
「ほらぁ、いい感じに写ってるじゃん! 先生、消しちゃダメだよ。せめて消す前に私のスマホに送ってください!」
「そうだなぁ……、SNSとかに投稿しないっていう条件付きでなら送ってもいいかい? 雫さん」
「ダメです! 特にこの写真はダメ!」
「……何か特別ダメな理由があるのかい?」
流石に違和感のある雫さんの言動と表情を見て、僕はその理由が聞きたくなった。すると雫さんは長めのため息を吐きながらスマホに写っている自分の顔を指さした。
「先生なら気づくと思ってました……」
「ごめん。全然分からないや。何?」
「こんなイカつい顔でクライアントを睨んでる顔なんて、ほぼ変顔ですよ! この写真だけは消してください!」
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