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第2章 碓氷 雫
#34
しおりを挟む「いやぁ、雫さんが勧めてくれた通り、このリンゴのジュース、めちゃくちゃ美味しいね!」
「はい。正確にはこちらの炭酸じいちゃんに勧めていただいたジュースなんですけどね」
「ははは。細かいことは言わんくてもいいぞ。お2人さんが楽しんでくれていたのなら」
ポリポリと音を立てて細長いお菓子をカウンターで齧っている炭酸じいちゃんを見ていると、この人は本当に今仕事をしているのかと疑問に思ってしまうほど自由な接客だ。
「ここ、本当にいい場所だね。おじいちゃん。僕の好きな場所ランキングのトップ10に食い込んできそうだよ」
「はは、それは嬉しいの。それでもその中で10位とかじゃったらちょっと悲しいがの」
「フフ、もちろんもっと上だよ。バッティングで体も動かせて、甘くて美味しくてすっきりするジュースもいっぱい売ってるしね」
「そんなに嬉しいことばかり言われるならもっと色んなこと言ってやるがの」
そう言ってドヤ顔を私たちに見せつけるじいちゃんは手元に持っていた「マンナップル強炭酸!」と書かれている缶を傾け、喉をごくごくと鳴らしながらそれを飲み進め、じいちゃんが飲み終わる頃には派手で豪快でうるさいゲップをこの空間いっぱいに鳴らしていた。打席に立っていた小学生くらいの男の子が振り向いて私たちを見つめているくらいには目立っていたようだ。
「じいちゃん、昨日いたハルカさんよりうるさいゲップですよ」
「おぉ、すまんすまん。やっぱり炭酸を飲んだからには気持ちのいいゲップを鳴らさんとモヤモヤするじゃろ。昨日のバイクちゃんぐらい豪快なゲップを鳴らしてしもうたな」
「バイクちゃんって……?」
「ハルカさんの呼び名です。名付け親はこちらの炭酸じいちゃんです。理由はまぁ、何となく察してください」
「あぁ、大体分かるよ。ハルカちゃんのゲップがバイクのエンジンぐらいすごい音だったみたいなことでしょ?」
「……まぁ、そうなんですけど」
「ごめんごめん。当てちゃったね。けど、バイクのエンジン音みたいなゲップって相当すごいと思うけど」
「はい。ハルカさんは昨日、相当すごいゲップをしていました。ここで。そちらのジュースを飲みながら」
「まぁハルカちゃんだったら分かるかな。すぐにイメージ出来るからね。雫さんはそういうの、恥ずかしくて音を出さないようにしそうだけどな」
「……まぁ、好き好んで自分から出そうとは思いませんよ」
「僕はそんな雫さんも見てみたいなぁーも思ったりするけどね」
「……はい?」
この人は何を言ってるんだ? へへへと笑う先生の顔には冗談を言っているようには見えなかった。
「それにしてもここの自販機で見るジュースは久しぶりに見るものが多いね。いまおじいちゃんが飲んでるそれなんか、僕が子どもの頃よく飲んでたものだよ」
「お、兄ちゃんこのジュースの出所見たことがあんのかい。ってことは、生まれは川野町かい?」
「うん。川野町のね、海の近くに住んでたよ。おじいちゃんもその辺りなのかい?」
「何とまぁ。わしも海辺じゃったよ。すみれ港は分かるかい?」
「え、もちろん分かるよ。僕の家、歩いて5分でそこに着くけど」
「……こりゃあたまげた。兄ちゃん、名前を聞いてもいいか?」
「麻倉斗和だよ」
「……世間が狭いのか。これもまた人の縁なのか……」
「え? どうしたの?」
「麻倉英明(あさくらひであき)は分かるよな? 兄ちゃん」
「う、うん。おじいちゃんの名前だよ」
「わしはその英明の親友じゃよ」
「え、えぇー!?」
口を開けて唖然としている先生の横で思わず私が声を上げてしまった。それに驚いているじいちゃんが目を大きく開けて私を見つめた。
「何じゃ、お嬢ちゃんが驚いて」
「ご、ごめんなさい……! そんな偶然? あるのかなと思って……」
「おじいちゃん、逆にお名前は?」
「わしは綱吉(つなよし)。徳田綱吉(とくだつなよし)じゃ」
「徳田……。もしかして、徳田商店のおっちゃん?」
「ははは。懐かしいの。そうじゃな。あの松前小学校の前でやっとったな。何年前の話じゃろうな」
「ぼ、僕、小学生の頃毎日のように通ってたよ!」
「もちろん覚えとるよ。ヒデとよく手を繋いできておったな」
「うわぁ、あの時のおじちゃんかぁ! なんかすっごいエモいね!」
「……えもい? 何じゃ? えもいとは?」
「懐かしいなぁー! この町で地元に人に会えるとは思ってもなかったよ!」
「……まぁ、わしもちと訳ありでこの町に流れ着いての。気がついたらこの店のオーナーになっておるんじゃ。やはり人生は何があるか分からんの」
「本当だね! うわぁ、なんかすごく嬉しいなぁ! 雫さん、ありがとうね! この店教えてくれて!」
「い、いえ……。私は何もしてませんよ……!」
こんなに目をキラキラと輝かせている先生は久しぶりに見た気がする。おまけに私の両手を握ってブンブンと勢いよく振ってくるものだから、私は動揺が隠しきれない。目線がぐるぐると回りながら必死に私も平然を装う。
「そうか……。懐かしいと思うことを最近はえもいと言うんじゃな」
「……まぁ間違ってはないかな。それにしても……、うわぁ、なんかこのジュースを見てるだけで当時を思い出すよ!」
「……それにしても、わしも地元の、それにヒデの孫に故郷とは違う土地で会えるとは思いもしなかったなぁ」
「……川野町」
聞いたことのあるような気がする町の名前だけれどどうしてだろうか。私たちの住んでいる山梨県には海が面している地域はないし、先生は確か神奈川県が出身だったはず。神奈川県は観光名所が多いし、テレビでも特集されることが多いから無意識のうちに「川野町」という場所も聞いていたのかもしれない。
「雫さん、ここにあるジュースはね、僕らの故郷ぐらいでしか販売されてなかったレアものなんだよ。今でも生産されてるの?」
「あぁ。昔からの顔馴染みがやっとる工場で作ってくれとるぞ。配給先はかなり限られているらしいがの。ここもその数少ない配給先のひとつじゃ。じゃから2人とも、ここで飲めるこのジュースたちはかなり希少価値が高いんじゃ」
「でもおじちゃん。このりんごジュースは昔には無かったと思うんだけどな」
「あぁ、そいつはわしが丹精かけて作った世界にひとつだけのりんごジュースじゃ。つまりおりじなるってやつじゃな」
「……へぇ。すごいね、おじちゃん。オンリーワンだ」
「あぁ、わんだふるじゃろ」
「うん。本当に」
「……」
笑いを求めていたのか、おじいちゃんはそわそわした様子で先生をじっと見つめてリアクションを求めているようだった。ん? 今、笑うところあったっけ?
「お嬢ちゃん、雫ちゃんだったか?」
「あ、はい……!」
急に名前を呼ばれた私は、その条件反射のように背筋が伸びた。
「人より少しだけ多く経験をしているわしが言う独り言じゃがの、人生は明日には何が起こるか全く分からん。予想だにしていないことが容易に起こる。いつまでも不変なものは何ひとつとして存在しない。じゃからの……」
「は、はい……!」
自分の人生を振り返るように、ゆっくりと私に言葉を届けてくれる。そんなおじいちゃんの言葉を聞き逃さないように、その声にじっと耳を傾ける。
「悔いのないように毎日を生きるんじゃ。よく聞くような言葉じゃろうが、結局はこれが一番大切。夜、布団の中で両目を閉じる前に今日の出来事を振り返ってみる。良いこともあれば辛かったことや疲れたこともある日だってある。自分を褒めたいこともあれば、自分を叱りたい時だってもちろんあるじゃろうからな。それが糧になり、明日の自分がまた歩き出す。そうしていつまでも歩いて行けるようにわしは願っておるぞ。もちろん雫ちゃんだけじゃなく、斗和もじゃぞ」
「うん。分かったよ。おじちゃん、ありがとう」
「ありがとうございます。胸に留めておきます」
ほっほっほと笑うおじいちゃんの穏やかな笑顔に和んでいると、気づけばホームラン賞でもらったジュース以外でも3本近くペットボトルを空けている自分に気がついてだいぶ時間が経っているんだなと感心し、私は再びバッティングセンターの場所に戻り、再びあの場所のバックネットを潜り、さっきと同じバットに手を伸ばしバットのグリップをぎゅっと強めに握りしめた。先生もさっきよりも嬉しそうな顔でバットを振っていた。
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