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第2章 碓氷 雫
#26
しおりを挟む「雫ちゃんが上手に感情を隠しているのかもしれないけど、長い間雫ちゃんの気持ちに気づかない斗和くんってかなりの鈍感だよね」
「え、当たり前じゃないですか。私が学生の頃から知ってますよ。先生の鈍感具合」
「私が思うに賢い人ってさ、それと引き換えに人間の感情をひとつ神様に抜かれてんじゃないかって思ったりするんだよね。人間たちがある程度、バランスの取れたパラメータになるように、みたいなさ。全部が完璧な人なんていないし、どこが秀でていれば、どこかに改善点があるような性格の人」
「ふふ。ハルカさんってやっぱり面白いこと言いますよね」
「そう? 私はけっこう昔からそういうの考えたりしてるけどな」
お待たせしました、巨峰のシャーベットです。私たちの会話が途切れたのを見計らったように高校生くらいの男の子の店員が私たちの手元にゆっくりとそれを置いた。口には出さないけれど、私はハルカさんも今あなたが言った賢い人に分類されると思ってますよ。と、心の中で独りごちた。てか美味そうだな。このシャーベット。何だこの、丸い形を整えたふわふわの氷の上にかかっている紫色でもあり、濃い青色にも見えるとろとろとしたソースは。
「うわぁ、美味しそうー! さっきまで辛かったり、香ばしいものいっぱい食べたから、今甘いもの食べるのは絶対正解だね!」
「間違いないです。食べる前から美味しいって分かる一品ですね」
「あはは、雫ちゃん。その言い回し、何かお笑い芸人のコメントみたい」
「え? そんなつもり全然無かったです」
「いいの、私が思っただけだから! ほら! シメのシャーベット食べるよ! いただきまーす!」
「いただきます」
それを口にした途端、私の頭の中には一粒一粒が500円玉くらいありそうなごろっと大きな巨峰が現れた。不思議と食感もそれを食べているようなぷるっとした弾力があるようにも思えた。食べているのは氷なのに。それでいて後味は甘味と一緒にスーッとした爽快感が私の体を突き抜け、もうひとつ、またひとつと腕に意志が宿ったようにそのシャーベットに手が伸びる。
「うわぁ、美味しっ。ハルカさん、これ、手が止まんないです」
「ほんとだね! さっき話してたこと忘れちゃうぐらい食べちゃうんだけど! めちゃくちゃ美味いし甘い! あれ? ガチで何話してたんだっけ?」
いや、ハルカさんも絶賛してるけど本当に美味しいな、このシャーベット。せめてこのソースはどうやって作っているのか教えてほしい。ん? ハルカさん、今なんて言った? あぁ、さっき話してた話か。何だっけ。あれ? やばい。私も分からない。今の今まで何話してたっけ。
「わ、私もちょっと飛んじゃいました。何か話飛んじゃうぐらいこのシャーベットに気持ち持ってかれてるんですけど、私」
「いや、ほんとにそうだよ! ガチで美味しい! ガチで今話してたこと忘れちゃったもん。何話してたっけ? えっと、雫ちゃんの気持ちを斗和くんが全然気づいてないってこと話してて、えーっと……。あ、そうだ! 賢い人がちょっと抜けてるみたいな話してたんだったね!」
「抜けてるというか、人間は完璧な人なんていないみたいな話でしたよね」
「あ、そうそう! そうだ! よくスポーツのゲームとかでもあるじゃん。選手の能力データのパラメータ。現実ではすごい成績を残してる野球選手でもゲームではそこまででさ。全部の能力がカンストしてる選手は自分で作るか設定で変えるしか出来ないじゃん。だからどう頑張っても完璧な人間なんていなくてさ。って、雫ちゃん、話ついてこれてる?」
「ごめんなさい。私、未だにゲームはやらなくて。ハルカさんに勧めてもらってた野球のゲームもまだやってないんです」
「あぁ、ごめんごめん! 私が突っ走っちゃった。雫ちゃん、普段ゲームしないのにそのゲームも勧めちゃったしね。まぁとにかく斗和くんも完璧な人間じゃなければ、私も雫ちゃんも他の人たちだって完璧な人なんていないってことだ! 何なら私は仕事以外じゃ欠点だらけだしね」
「そんなことないですよ! 私は今も昔もハルカさんの生き方や人間らしさを尊敬してます。それはちょっとお酒癖が悪い時もありますけど、それを差し引いても私にとっての人生の師匠みたいに思ってますよ」
そう、先生から見たカケルさんみたいに、私から見たハルカさんを私は師匠だと思っている。それは当時の私を支えてくれた恩人という意味でもあるし、全ての人を大切にしようとしている考え方なんかもそうだし、まぁ数え出すとキリがない。何だ、この熱い話。やっぱり飲み物かシャーベットにお酒でも入ってたのかな。ちょっと体も熱い気がするし。きっとそうだ。そうに違いない。目線をハルカさんの方へ戻すと、彼女は顔を赤くしたままえへへと笑って体をゆっくりとくねくねさせている。
「そんなこと言われても何とも思わないよ、私は! そんなに言われたらヨイショしてくれてるんだって思っちゃうし!」
褒められるとヘラヘラして小踊りするトナカイみたいなキャラクターが少年マンガにいたような気がするが、そのキャラみたいな動きをしながらも背中を丸めて手元にあるシャーベットを食べるハルカさんが一層愛らしく見えた。
「ヨイショって久しぶりに聞きましたよ、ハルカさん。もう若者の間では死語だと思いますよ。それに、私とハルカさんの関係でわざわざそんな気を遣うようなことはもう言わないですって」
「それもそうか。何だかんだ、もう7、8年ぐらいの仲だもんね。幼稚園で仲良くなった2人が中学生になったぐらい年月が経ってんだもんね。って、雫ちゃん、ちゃっかりジェネギャアピールしてんじゃん!」
「……やっぱりハルカさんと話してると、笑いが尽きないですね」
決して面白いことは言っていない。本人は笑いを狙っているのかは分からないけれど(だいぶ失礼)、私はそうやって会話を楽しませてくれるハルカさんの話が好きだ。たまに今みたいにヨイショとかジェネギャとかひと世代前の単語を使うのがハルカさんの会話の特徴のひとつだ(だいぶ失礼)。
「私も雫ちゃんと話してると、会話も笑いも尽きないよ。私が男で未婚者だったらすぐにでも雫ちゃんにアタックするのになぁ!」
「ハルカさんが男になったら、絶対グイグイ引っ張っていってくれる人になりそうですよね」
「雫ちゃんみたいな可愛い子が相手ならグイグイいくし、独占しちゃうね! ほんっとにいつまでも一途で健気だし!」
「健気、なんですかね……。自分じゃいまいち分かんないですけど」
会話が途切れるたびに口に運ぶシャーベットは、食べれば食べるほど甘味が増しているように思えて全く手が止まる様子がない。500円で食べられるにしてはかなり多い量が入っていたガラスの容器だったのに、あっという間に底が見えてそこから下に敷いてあるパンダのキャラクターが描かれているコースターが見えた。
「実際のところ、雫ちゃんってナンパとかされないの?」
「ナンパ……。んー、無いと思いますけどね。ただ、食事に行きませんか? とか今度の休みの日、一緒に映画見に行きませんか? とかはクライアントの方から何回かは言われたことがあります」
「雫ちゃん、世間じゃそれをナンパって言うんだよ」
「あ、ごめんなさい。お金払うからホテル行ってくれませんか? とかそういうことかと思ってました」
「それはまた違う単語になってくるね」
「じゃあそっちはないです。ナンパは何回かありますね、どうやら」
文字通り顔から火が出そうなほど熱くなった。何なら背中もじんわりと熱を帯びたように感じた。別にボケるつもりなんてなかったのに。両手を叩いてうわははと笑っているハルカさんを見ていると、私はますます恥ずかしくなって「笑い過ぎですよ。ハルカさん」と、ハルカさんの笑い声に負けないくらいの声を出して指摘した。ハルカさんの手元に目線を落とすと、ひと足早くシャーベットが無くなっていた。
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