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第2章 碓氷 雫
#23
しおりを挟む「ごめんね、急に家まで来ちゃって」
「い、いえ……」
「あの、ご両親にお線香をあげさせてもらってもいいかな?」
「あ、はい……。もちろんです」
「ありがとう。お邪魔します」
「じゃ、じゃあご案内しますね」
「うん。ありがとう」
半分強引なくらいすぐに私の家に上がった南さんは、私の後を近づきすぎず遠すぎない距離を保ったまま仏壇のある部屋までついてきた。ドアの前で立っていた姿勢が綺麗だった彼女は、私の後ろから聞こえてくる足音さえ品のある音のように聞こえた。
「こ、こちらです……」
「ありがとう……」
仏壇の前に長い足を畳んで正座をすると、手慣れた様子で線香を上げゆっくりと掌を合わせて目を閉じた。あまりにも長い時間そのままの姿勢で動かなくなった彼女は私が声をかけようとした瞬間に目を開けて腕を下ろした。
「わ、わざわざ来てくださってありがとうございます……」
「いえ。こちらこそありがとう。大切な人が突然いなくなる辛さ、私も分かる。辛かったね」
「……」
正直、同情はされたくなかった。それに、この人も今言ったみたいに大切な人を亡くした経験があるのかもしれないけれど、私の苦しみや辛さが分かるはずがない。家族が……、私の大好きで大切な家族の命が一瞬にしてなくなったんだ。今の私の胸の中なんて分かるはずがないだろう。言葉を返したくなった私だが、私はぐっと両手を握り、力を入れて口を噤んだ。
「だからさ、今日は私がこの世界で一番好きな食べ物をお裾分けしに来たんだ」
「……お裾分けですか? 私、食欲無いんですけど」
「あ、そうだよね。じゃあこれ、冷蔵庫で冷やしといてくれたら1週間くらいは持つから、食べたくなったら食べて」
手渡された袋の中にはプラスチックのタッパーに入れられた何やら茶色っぽい黒っぽい何かが入っている。思いもよらない発言に私は全身の力がふっと抜けた。
「……何ですか? これ」
「言ったでしょ。私の世界一好きな食べ物。中身は開けてからのお楽しみね。ヒントは甘いもの」
「あ、甘いもの……? 今はいらないなぁ……」
「大丈だよ。さっきも言ったけど、気が向いたらでいいから」
「は、はぁ……」
「じゃあ次! これ!」
「こ、これは?」
彼女の持っているトートバッグの中から、次はボーイズグループのライブ映像を収録したDVDの入れ物が取り出された。
「このグループのライブを観ます! あ、これ公式のグッズね」
「な、何これ……?」
彼女から手渡されたボールペンのような細長くて小さなものには電源を入れるスイッチがついていて、それを押すと何やら幻想的な淡い青白い光がそのペンのようなもの全体を包み込むように光りだした。
「ペンライト! 1人、2本ね。ほら、雫さんの分もあるから!」
「え、ええっと……」
「カッコいい人たちがカッコいいダンスや歌を歌うの。もうこれ観てるだけでファンになっちゃうから!」
えへへと笑いながら慣れた手つきで自分の家のようにDVDを私の部屋のレコーダーに突っ込むと、映像が切り替わった瞬間からテレビが壊れてしまいそうなほどの歓声が聞こえてきた。慌ててリモコンを手に取り音量を目一杯下げる。画面に映し出されるファンの人たちは、今の私たちが持っているのと同じようなペンライトを輝かせて天にかざしている。
「このライブがね、私の一番好きな映像なんだ」
「は、はぁ……」
自分の趣味を押し付けるように思えるこの人の行動も、正直鬱陶しいとは思った。こんな状況の私の家で何が起こっているのか理解することに時間がかかる。ただただ隣にいる南さんが目を輝かせてDVDの収録時間である2時間半が過ぎていった。それを観終わった頃には彼女の右手には、推しだと言っていた「雷電堂馬(らいでんとうま)」という名前とその人の顔がプリントされたうちわが握りしめられていた。
「どうだった? 雫さん」
「ど、どうって言われても……」
「あんなにイケメンなのが5人も映ってたのに心が動かないなんて、雫さんの理想の男はとんでもなくハードルが高いのね」
「いや、そういうわけじゃなくて……。ていうか、そもそも私、男の人を好きになったことなんてないし」
「え? そうなの? 勿体無い。そんなに可愛い顔して、そんなにスタイルの良い体してるのに。私だったら学年イチのモテ男に告られるぐらいアプローチしちゃうのに! でもそこまで! 告られたらそれを思いっきりフるの! そこまでが1セットね」
彼女と何を話していても話が入ってこなかったけれど、その発言だけは妙に引っかかった記憶が鮮明にある。そして不思議に思った私が顔で訴えるように南さんを見つめていると、ニシシと少年のような笑顔を向けたこともハッキリと覚えている。線香をあげてくれた南さんと、いつの間にかライブの映像を見て、恋愛トークまでしていた急展開は、今思うと本当に不思議な状況だ。
「……どうしてフるんですか? 付き合わないんですか?」
「学年イチモテてるやつと絶世の美女が付き合ったらセオリーすぎるじゃん。そこはモテてる男を弄んでやるの。それで、一生そのイケメンの頭の中に、青春時代手の届かなかった高嶺の花として私の顔をずっと覚えさせる。そんなことが出来たらすごい楽しそうじゃん! 思わない?」
「ど、どうだろ……。分かんないですけど、そのうちわに写ってる雷電さん……みたいな男子がいても、そうやって弄ぶんですか?」
「そんなわけないじゃん! 私が狙った男は絶対逃がさないよ。私の彼氏になるまでアタックし続けるのが私だから」
そう言い張り、決め台詞のように言い放った後に手元にあったポテチをパリッと食べる仕草が絶妙にダサくて思わず笑えた。笑ってしまった。笑うつもりなんてなかったのに。それを見た南さんはもっと笑って私の頭をゆっくりと撫でた。その優しい手つきに私の体は熱を帯びたように熱くなった。
「やっぱりあなたは笑ってる顔が素敵だね。私、あなたの笑ってる顔がとても好き」
「わ、私の笑ってる顔……」
他人に好きなんて言葉を言われたのはこの瞬間が初めてだった。どくどくと強く慌ただしく脈を打っている音が彼女に聞こえていないか恥ずかしくなった私の心臓は、徐々にその動きを激しくしていった。余裕がなくどうしたらいいか分からないままでいた私を南さんは、その暖かくて優しくて安らぎをくれる全身で私の全てを癒してくれた。
「私もね、しんどくて辛い時間を過ごしたことがあってね。もう人生どうにでもなれって思ってた時期があったんだ。家出だって数えきれないぐらいやったよ」
「……」
「そしたらね、私が家族と距離を取ってる間に母親が倒れちゃってね。意思疎通こそ取れるものの……。あ、ダメダメ! 今はこういう話をしたかったんじゃなくて……! とにかく!」
私の頭の上に置いてある手が少しずつ温かくなり、少し震えているのが彼女の心の中をそのまま表しているように思えた。南さんは大きな目をキラキラと輝かせニカッと笑った。私もつられて体温が上がったのか、さっきよりも顔全体が熱くなった。
「しんどい時間も生きてかなくちゃいけない。楽しい時間ばっかりあるのが人生じゃないし、本当にたくさんのことが起こるのが人生だから、生きたくても生きられなかった人たちの分まであなたは生きていかなくちゃいけないの」
「……」
「でね、せっかく生きていくなら楽しんだ方がいいじゃない?」
「まぁ……。悲しいのは嫌ですね……。辛いし……」
「だから雫さん! 私と友だちになってくれない?」
「と、友だち……? 私があなたと?」
「うんっ! ちょっと若い子たちの流行には疎いかもしれないけど、色んな楽しいこと知ってるから一緒に楽しまない?」
ふふんと笑っている南さんの目からつーっと涙が一筋伝った。それがあまりにも綺麗だと思った私は、その涙が伝った跡をゆっくりと撫でるように触れた。
「綺麗……。今の涙……」
「雫さん、今の人差し指、ちょっとエッチだったんだけど……」
「は!? な、何言ってんですか!?」
私は自分で出した大声に驚くと、それを見たハルカさんは両手を勢いよく叩きながら口を大きく笑っていた。いつの間にか私たちの手元にはカルピスが注がれたグラスが置いてあり、雫さんの持ってきてくれたタッパーに入っていた茶色の物体はかりんとうだと分かり、あまりにそれが美味しすぎて、それがタッパーの中から無くなるまで手をそこへ動かし続けて食べ尽くした。その後、カントリーマアムをどっちが多く食べられるかを競い合った。どうしてそんな勝負をしていたのかは覚えていないけれど、私はその時間があったおかげで心が壊れなくて済んだのだと時間が経ってから分かった。私には命の恩人だと思っている人が多くいるけれど、ハルカさんはそのうちでも一際特別な命の恩人だ。本人に言うとまた泣いちゃうと思うからいざという時にしか言わないけれど。けれど、いつかまた、あの綺麗な涙を見てみたいと思っているのは私だけの秘密だ。
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