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第1章 麻倉 斗和
#20
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主人公の少年は不思議な体質の持ち主で、ある日突然黒猫に変身する能力を身につけたらしい。先天的なものではないらしく、猫のような暮らしがしたいと望んでいると本当に猫になることができたとのこと。人見知りの少年が周りにいる人間たちと繰り広げる心温まるストーリーが描かれている物語は、雫さんの言った通り本に興味のない僕でも十分読み進めることができるほど読みやすいものだった。それに、この主人公である「ニケ」少年の境遇が僕に似ているところがあって、どこか親近感のようなものを彼に抱いた。
「うん……。確かに面白いね。この小説……」
食事当番はそこで使った食器も全て洗い終えることで今日のすべきことを終える。僕が食器を洗い終えてリビングに戻る頃には雫さんはコタツの中でうつ伏せになって気持ちよさそうに寝息を立てて眠っていた。酒をよく飲んでいたしうつ伏せで大丈夫だろうか。そんな彼女の横に腰を下ろし、テーブルの上にあるみかんに手を伸ばしながら小説を開いた僕は、彼女の言った通り本の世界にのめり込むようにページが次々と捲れていった。国語の勉強とか漢字とかあんまり得意じゃなかったけれど、僕は意外と読むのは早いし、漢字もある程度読めるみたいだった。僕が小説の世界に入り込んでいると、現実の世界に戻すように雫さんの頭の近くに置いてあったスマホが勢い良く鳴った。彼女はがばっと体を起こし、スマホの画面を見ると、ひとつため息をこぼしてその着信を無視するようにスマホをテーブルの上に置いた。
「電話、出なくていいの?」
「はい。非通知なので。最近よくかかってくるんですよね」
「非通知? また何で?」
「知りませんよ。迷惑以外のなにものでもないですよ」
雫さんは眠気を覚ますようにみかんに手を伸ばすと、手際よく皮を剥いていき半分に割ったみかんを一気に口の中に入れた。彼女はいつもこうやってみかんを食べる。彼女が言うには、こうやって食べた方がみかんの瑞々しさが伝わってくるらしい。
「電話番号変えたら?」
「いいですよ。変えたら変えたで知人の方たちにひとりひとり連絡をするのが手間なので。そっちの方が面倒だし、非通知でかけてくる相手に負けたような気がするのでそれは絶対にしたくないです」
「はは。相変わらず負けず嫌いだね、雫さんは。そういえば、もうお酒の方は大丈夫? 酔った時、うつ伏せで寝てるのはそれこそ危なかったと思うし」
「大丈夫ですよ。吐いたりはしませんから。それに私、酔ってる時もちゃんと記憶には残ってますから」
さっきまで林檎みたいに赤くなっていた彼女の頬は、落ち着きを取り戻したように白くなっていた。もぞもぞとこたつの中で体を動かしている雫さんは、「よっこいしょ」と言ってこたつから出て立ち上がった。たまに出るこういうところも、雫さんの良いギャップだと思っている。本人には言わないけど。そんな彼女は、体勢が疲れていたのか腰の辺りをとんとんと叩きながら捻っている。
「ちょっと痛かったりする? さっき長い時間、うつ伏せで寝てたから」
「いえ。そういうわけじゃないんですけど。なんだろ、筋がぴきっとなってるみたいな感じですかね。明日とかに痛くなりそうなやつです」
「あぁ、さっき飛び起きるようにスマホに反応してたからね。その瞬間的な動作が体に負荷かかっちゃったんじゃないかな。ちょっと腰、押さえてもいい?」
「い、いえ! いいです、私の体は私が一番分かるので! 痛っ……」
背骨の近くに手を置き眉間に皺を寄せて片目を瞑る雫さんを見ると、彼女は申し訳なさそうな声を出して笑った。
「ほら、言わんこっちゃない。慌てなくていいんだよ」
「あ、あはは……。まさか、今日最後のクライアントが私になるのは先生も予想外でしたよね」
「いいんだよ。しんどい時はお互い様でしょ。ほら、そこにマット敷くから座って」
「あ、ありがとうございます。お金、払いますね」
「いや、いらないよ。むしろ、さっき良い趣味を教えてもらったお礼が出来そうだからちょうど良かったよ」
「……すいません。ありがとうございます……」
「いえいえ。はい、じゃあ雫さん。こちらへ」
「は、はい……」
ストレッチマットの上に寝そべる彼女の腰辺りに触れてみる。なんか以前よりも体の厚みが減った気がする。こんなに腰周り、細かったっけ。僕の半分くらいしかないんじゃないか。ダイエットをすると言っていても、確実にする必要は無いと思うんだが。
「この辺りかな?」
「は、はい。あぁ、その辺りですね。背骨の近くの」
「だよね」
背骨と筋肉の間にある溝に手のひらを添え、ゆっくりと動かしてみる。小さめの声が漏れたのと一緒に彼女が息を吐いた。効いてそうだ。しばらくこの辺りをほぐしてみよう。
「ちょっと筋、痛めちゃったね。でも大丈夫。解せる箇所だから明日には響かないようにしとくよ」
「ありがとうございますぅ。あぁー、やっぱり先生のマッサージは魔術ですぅ」
「魔術って何。悪者の得意技みたいだけど」
「良い意味で言ってるんですよぉ。なんかまた寝てしまいそうです」
「いいよ、眠っても。あとで部屋に運んでおくから」
「い、いやいや! それは流石に恥ずかしいです! 一瞬で目が覚めましたよ!」
「え? そうなの? 全然いいのに」
慌てて体を動かす彼女の体を押さえながら患部の筋肉をぐりぐりとほぐしていく。さっきより随分と柔らかくなった。彼女が慌てるとさっきみたいにガバッと体を動かして二の舞になりかねない。今は特に彼女を慌てさせないようにしないと。てか雫さんって、慌てた時こんな動きする人だったっけ?
「先生が良くても私がダメです! そもそも、先生みたいに非力な人は2階まで運ぶことなんて出来ないですよ」
「いやいや、雫さん。体軽すぎだから。腰に触れた瞬間びっくりしたよ。絶対ダイエットする必要ないじゃんって思ったんだけどな」
「軽くないですよ……! しかもさっき言ったでしょ。私には私のなりたい体重や体型があるんだって。だから先生はそんな私を応援してくださいよ」
「わ、分かってるよ。でも、絶対無理はしちゃだめだからね。肋骨から骨が透けて見えたりしちゃ絶対いけないからね。雫さんが入院とかしちゃったら困るからさ」
「わ、分かってますって……!」
いい感じだ。これなら明日に響かないどころか、少し体も軽くなったはずだ。ん? 彼女の右の肩甲骨の位置が低い。肩甲骨に触れ、その付け根にある筋肉に触れると、ここはここで違う筋肉の張り方をしていた。
「あれ? 先生。そこは痛い場所じゃないですよ」
「なんかね、違和感に思えた場所だったからついでにほぐしとくよ」
「あ、ありがとうございます……。なんかこうして長い時間、先生にマッサージしてもらってると、初めて先生に会った時のこと、思い出します」
「初めて会った時? 昔、雫さんが言ってた学生時代、当時僕の働いていた整体で施術をした時のこと?」
「そうですそうです。あれからもう10年近く経とうとしていてるのが驚きです」
「もうそんなに経つんだ。全然そうは思えないけどな。てか雫さん、いつも思うけど、よくそんなに前のこと覚えてるよね」
「私、記憶力いいんです。鮮明に覚えてますから」
さっきよりも笑う回数が増えた雫さんにつられるように僕も笑いながらマッサージをしていると、気がつけば2時間近く彼女の体をほぐしていた。それに驚き、同じタイミングで彼女と目を合わせ、同じタイミングで笑った。「どんだけ筋肉ほぐしてもらったんですか、私」と言って笑いながら僕に礼を言って浴室の方へ歩いていく彼女を見送った後、僕はこたつに足を伸ばし、再び雫さんオススメの小説を開いた。さっきの、慌てて普段よりも機敏に動いていた雫さんが頭の中で再生され、僕はつい頬が緩んだ。
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