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2巻
2-2
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当たり前の話だが、人間をやめたくなんてない。確かに、今の俺の周りは魔物だらけの環境ではあるが、それとこれとでは話は別だ。
「魔人なら人間に変身できますよ! 問題なしです!」
そういう問題ではないのだが。
いや、誰かと結婚しようとか考えていないのなら、別にそれでいいのか?
しかし……今は恋愛に興味がないからいいけど、将来的にはいつか結婚して、子供が欲しくなる時がやってくるかもしれない。そう考えると――
「それに、魔人は人間との間に子供を拵える事ができます! 生まれてくる子は普通の人間ですから! 相手にバレなきゃ結婚も問題なし!」
ピータンが的確に、魔人にならなくて済む理由を潰してくる。
相手にバレなければというのはともかく、可能性が残るか残らないかの差は大きいとも言える。
というか――こいつ、まさか俺の心の声が聞こえているんじゃないだろうな? あまりにも俺の考えにピンポイントすぎる言葉なので、思わずそんな事を勘繰ってしまう。
まあ、普段のやり取りには齟齬も多いので、たまたまだとは思うが。
「魔人になるデメリットが俺にはほとんどないというのは分かった」
だが最後に一つ、大きな障害が残っていた。
それも強烈なのが。
「でも俺、あんなの飲めねーぞ」
かつて、パワーアップポーションを口にした時の事を思い出す。
忘れたくても忘れようがない、キッツい思い出だ。
何せ、飲んだ瞬間、体が全力全開でそれを拒否したほどだからな。あの苦しみは、今でも軽いトラウマになっている。
レア達はよくあんなものが飲めたものだと、感心してしまう。
「ふふふふふ。ご安心召されい! このピータン! そこは抜かりなし!」
ピータンが自信たっぷりに笑う。
何か苦しみを抑える方法があるとでも言うのだろうか?
「要は意識がなければいいんですよ! ウェンディの魔法で眠らせ、ナゲットのスキルで麻痺させれば、意識や感覚は完全にカットされます! そこに私がポーションを流し込む! これなら! 気づいたらセドリは魔人になっているという寸法! ワオステキ! どうです!?」
「まあ……そうだな」
人の姿でいられて。
その気になれば子供も作れて。
飲んだ時の苦しみもない。
大したデメリットもなく、大陸中の生活を守れるのだ。気が進まない事に変わりはないが、ここは偽善者らしくいくとしよう。
「分かったよ。ポーションを飲む!」
「セドリ素敵! では、さっさと部屋に戻って、ごくごくいっちゃいましょう!」
「いや、まだレア達の食事が――」
三人を見ると、凄く嬉しそうな顔をしている。
「もう十分であります!」
「マイロードの一世一代の大舞台を前に、呑気に食事などしていられませんわ」
「プルプルプルプルプル」
レアもナゲットもウェンディも……何がそんなに嬉しいのだろうか?
――まあいいか。
「んじゃ、部屋に戻ろう」
俺は転移を発動させる。
ポーションを飲むために。
◆◇◆
「はぁっ……はぁっ……すぅー」
荒い息を抑えるように、俺は深呼吸する。それを何度か繰り返し、落ち着いたところで視線を上げた。
そこには引きつった顔で俺を見下ろす妖精――ピータンの姿があった。
「おい……ざっけんなよ」
「あいやー。まさかこうなるなんて、さすがのピータンにも読めませんでした。すみません」
怒りを込めて睨みつけると、彼女にしては珍しく素直に謝ってきた。
とはいえ、今の俺の憤怒の形相を見れば、当然の事だろう。
「まあでも、魔人に進化できたんですから、いいじゃないですか!」
結論から言うと、俺は魔人へと進化していた。ただし、その過程で死ぬほどもがき苦しむ事になった訳だが。
「よくねぇよ! 適当言いやがって!」
「いやー、パワーアップポーション、恐るべしですねぇ。まさか魔法とスキルで昏睡させていたのに、それを無理やり覚醒させてしまうなんて。ピータンもあまりの事にびっくりです!」
「本当に……知らなかったんだろうな?」
声を低くし、ドスをきかせる。
もし知っていて騙したのなら、絶対にぶっ飛ばす。
「ももも……もちろんです! このピータンに嘘はございません!」
ピータンが慌てたように顔の前で手をバタバタさせて否定する。
少々胡散臭い気もするが、知らなかったのなら仕方がない。
俺は深く溜息を吐いてから、周囲を確認する。
レア、ナゲット、ウェンディの三人が怯えたような目で俺を見ていた。
絶対の命令権を持つ相手が怒り狂って殺気を出しまくっていたら、そりゃ怖いよな。別に彼女達に怒っていた訳ではないのだが、怖がらせてしまったみたいだ。
俺は軽く目を瞑って再び深呼吸し、心を落ち着かせる。
アレは本当に酷かった。
レア達が二度目を嫌そうにしていた理由がよく分かる。
俺だって、こんな物を飲むのは二度とごめんだ。
「ウェンディ。魔法で水鏡を出してくれないか?」
「プルプルプル!」
彼女は俺の頼みを聞いて魔法を使い、一瞬で目の前に鏡を作り出した。
「ありがとう」
お礼を言って、俺は鏡に映る自分の姿を覗き込んだ。
顔の左半分に謎の黒い紋様が浮かび、左の側頭部からは内巻きの太い角が生えている。もっと魔物っぽい格好を想像していたのだが、かなり人間寄りの姿だ。
紋様は左手や足にも浮かんでおり、シャツを捲ると、左半身部分は全て同じような感じになっていた。
どうやら、左右で綺麗に分かれているみたいだ。
半分が魔物で、半分が人。だから魔人ってか。
「ふむ。悪くないな」
見た目は悪くない。むしろ、俺好みでカッコイイぐらいだ。
「ピータンもそう思います! キャー! ステキー! ダイテー!」
同意だけしてりゃいいのに、余計な煽りでピータンの言葉が一気に胡散臭くなる。
そんな台詞で俺が本当に喜ぶと思っているのだろうか?
ひょっとして、俺の事を馬鹿か何かだとでも思ってるんじゃないだろうな、こいつ。
一方レアとナゲットは、俺に心酔したようにうっとりとした顔でこちらを見ていた。
「力を感じる素晴らしい姿であります!」
「ええ! ええ! 力強いだけでなく、その中にも洗練された刃のような美しさが秘められております! さすがはマイロード!」
ウェンディを見ると、掌をボード状に変えており、そこには「控えめに言って神」と文字が浮かび上がっていた。器用な事を覚えたものだ。
「いや、お前ら褒めすぎだろ」
悪い気はしないが、左側に紋様が浮かんで角が生えただけで、基本の姿は変わってはいないのだ。絶賛するには無理がある。
「何をおっしゃいます! マイロード! 貴方様こそ至高の存在! そんなお方に仕えられる喜びに、このナゲット、胸が震える思いです!」
「このレア! どこまでも主殿にお仕えする事をここに誓います!」
大げさな奴らである。
何故こうもテンションが高いのか?
魔物の考える事はよく分からん。
……って、そういえば、俺ももう魔物だったか。
なったばかりだからというのもあるが、人間とほとんど感覚が変わらないから、実感が全く湧かないな。
「プルプルプル」
「ん?」
ウェンディがプルプル言って呼ぶので見ると、掌のボードに「魔王様万歳」と書かれてあった。
誰が魔王だ。誰が。
「しかし、どれぐらい強くなったのか、あんまり分からんな」
能力は変身能力が増えているだけだ。これは感覚で分かる。
だが、それ以外の能力がどの程度伸びたのかは、いまいちピンとこない。
魔力は間違いなく増大しているのだろうが、それもどの程度かまでは、あまり実感できなのが本音だ。
「パワーではレアに劣り! スピードはナゲットに遠く及ばず! そしてその魔力はっ! ウェンディ以下! まさに最強の魔人誕生ですよ!」
「全然最強に聞こえないんだが?」
むしろ、その説明だとポンコツにすら思えてくる。
「ま、元がひ弱な人間ですから仕方がないでしょう! え? 強くなりたい!? そんなあなたに、これ!!」
ピータンが笑顔でパワーアップポーションを差し出してきた。悪し様な能力説明は、どうやら俺にもう一回飲ませるための布石だったようだ。
「あっ!?」
俺はそれをもぎとり、速攻で革袋に突っ込んだ。
「瓶を見るだけで気分が悪くなるから、二度と俺の前に突き出すな」
「ぇー。強くなれるんですよ」
「ぇー、じゃねぇよ。ダンジョン機能を回復する以上の力なんて、求めてねーんだよ」
別に、強くなりたくない訳じゃない。
これでも冒険者だ。強力な力に憧れていないと言えば嘘になる。
だがアレをもう一度飲むくらいなら、弱いままで全然いい。いくらリターンが凄くても、あんなのは二度とごめんだ。
「それより、ダンジョンに行くぞ」
俺はそう告げ、右手の紋章を使って、再びダンジョンへと転移する。
◆◇◆
「この中央の台座の上に、右手を置けばいいのか?」
ダンジョンのボスがいた部屋の先にある、宝玉のあった場所に来た俺は、ピータンにそう尋ねた。
「そうです! その台座にガバッと置いちゃってください!」
何がどうガバッとなのか分からないが、言われた通り、俺は赤い紋章の浮かぶ右手をその上に置く。その瞬間、紋章が赤く輝き、何かが俺の中に入り込んできた。
別に不快ではないが、なんともムズムズした感覚だ。
大丈夫か、これ?
《システム継承をチェック。ダンジョンの再起動の準備を行います》
頭の中に謎の声が響いた。台座から色とりどりの光の線が走り、部屋中に広がっていく。
チラリとピータンの方を見ると、何故か親指を立てて笑顔でウィンクしている。
多分、上手くいっているのだろう。
《起動用エネルギー充塡を開始》
頭の中のアナウンスは、よく分からない単語の羅列を俺に伝え続ける。大体なんとかシステム起動だとか、チェックだとか、コンディショングリーンだとかだ。
何を言っているのか、全く理解できん。
やがてアナウンスは《継承を実行しますか?》と俺に投げかけ、ピタリと止まる。
「はい! 実行! 実行! 実行! 実行!」
ピータンが俺の頭上で楽しげに喚いた。
背中を押しているつもりか知らないが、こいつを見ていると、逆にしたくなくなるから困る。
いやまあ、実行はするけども。
――って、どうすればいいんだ?
「ピータン。実行ってのはどうすりゃいいんだ? やり方が分からん」
「それなら簡単です! 紋章を通してダンジョンにありったけの魔力を送り込んでください! それでオッケーです! さあ! ドバッとどうぞ!」
何がドバッとだ。
まあいい。
人間だった頃は指先から流す事ぐらいしかできなかったが、魔人になった影響か、今の俺は体内の魔力を自在に操れるようになっていた。
全身に巡る魔力を、台座に置いた右手の甲に集約させる。
「ぬ……く……」
紋章が強く輝く。手の甲に集めた魔力が、どこかに引き抜かれていく感覚が俺を襲う。
……結構きつい。
痛みなどはないが、強い喪失感に、少しばかりふらついてしまう。
「だ! 大丈夫でありますか!?」
「ああ、私がマイロードの代わりをできたらどれほどいいか!」
「プルプルプル!」
レア達に心配をかけてしまったようだ。俺は片手を軽く上げて、大丈夫だと返しておく。
チラリと上を見ると、ピータンはこっちの事などお構いなしに、楽しそうに踊り狂っていた。
うん、知ってた。
こいつはそういう奴だ。
やがて、右手から魔力を奪われる感覚が止まる。
体感的に九割近い魔力が奪われた感じだ。もし人間のままだったら、絶対に足りなかっただろう。
《ダンジョンを再起動します》
「おお! 凄いであります!」
「ええ、エネルギーが満ちていきますわ」
レアとナゲットがはしゃぐ。ダンジョンが復活した事で、エネルギーが戻って来たようだ。
さて、これで俺はお役御免だな。そう思って台座から手を放そうとしたその時――
《〝管理者〟の記憶をインストールします》
再び頭の中で声が響いた。
魔王の記憶? なんだそりゃ?
戸惑いつつも、なんだか嫌な予感がして、俺は急いで手を放そうとする。しかしそれよりも早く、記憶のインストールとやらが始まってしまう。
「が……あっ……」
頭の中に、知らない誰かの記憶が流れ込んでくる。
その膨大な情報の渦に、俺の意識は完全に押し流されてしまった。
――かつて、世界は広く、そのほぼ全てを人間が支配していた。
陸も、海も、空すらも。
だが人々の欲望は留まる事を知らなかった。
膨らみ続けた人類の欲は、ついに限界を迎える時がやって来る。
――終末大戦。
そう呼ばれたその戦争は一年続き、人類は人口の九十九パーセントを失う事になった。
更に、星は戦争によって撒かれた汚染物質によって、生物がまともに住める環境ではなくなってしまう。
このままでは間違いなく、人類は滅亡するはずだった。
だが滅びゆく人類を、一人の女神が救う。
――それは天才科学者によって生み出された、人造の女神。
彼女は星の核からエネルギーを汲み上げるシステムを構築し、汚染物質を遮断し、浄化する結界を張る。
そしてそこに五つの大陸を生み出し、人類を移住させた。
彼女は人類にとってまさに救いの神である。
だが、女神から見た人間の評価は最低だった。彼女が人類を救ったのは、生み出した研究者が人類の存続を望んだからでしかない。
――放っておけば、人類は再び同じ過ちを犯す。
そう判断した女神は、それぞれの大陸に管理者を生み出した。
あまりに強大な力を持つために長く生きられない女神の代わりに、人類を管理する存在として。
「せーの! 魔王就任! おめでとうございます!」
「おめでとうであります!」
「おめでとうございます!」
「プルプルプルプル!!」
目を覚ますと、ピータンの音頭と、皆の祝福の言葉が響いた。
続いて目に入ってきた大きな垂れ幕には、デカデカと「祝! 新魔王誕生!」と書かれている。
「全部、狙ってやってた訳か」
流れ込んできた魔王の記憶の中には、ピータンとのものがあった。
それは自分が死んだ後、その資質を持つ者がダンジョンに現れたら攻略に導け、といった感じのやり取りだ。
――どうやら魔王は、ピータンの導きによってダンジョンをクリアした者を、新たな魔王に据えるつもりだったらしい。
そして俺はそんな狙いに、見事に巻き込まれた訳だ。
「もちろんです! このピータンはダンジョンナビゲーターですよ! 知らない事など何もありません!」
元気のいい返事からは、反省の色が微塵も感じられなかった。
俺は責める口調で言ったのだが、ピータンには通じなかったみたいである。
正直、彼女の掌でいいように踊らされていたのかと思うと、かなり腹が立つ。
が、ピータンの目的――使命のお蔭で俺が助かったのも、また事実である。
命という最大の利益を享受している以上、その事で文句を言う訳にもいかないだろう。
しかし……
「はぁ……俺が魔王か……」
俺は自分の置かれた状況に、大きく溜息を吐いた。
別に魔王になったからといって、何かが変わるという訳ではない。特に行動を強制されたりもしないので、普通に暮らす事も当然可能だ。
というか、普通に暮らす気満々である。
ピータンには悪いが、魔王の使命など俺の知った事ではないからな。
……まあ、魔王の記憶を見て、少し思うところがなくもないが。
『願わくば次代の魔王も、人類のために働いてくれる事を期待する』
それが魔王の残した願いだった。
記憶を見る限り、先代の魔王は優しい心の持ち主だったようだ。
彼は人類を思うが故に、大陸の人々を苛烈に管理した。二度と同じ過ちを繰り返させないために。その結果――魔王の管理を良しとしない人間の勇者によって、彼は討たれてしまった訳だが。
人類のために頑張りすぎた結果、人類に討たれるとは、皮肉なものである。
「魔人なら人間に変身できますよ! 問題なしです!」
そういう問題ではないのだが。
いや、誰かと結婚しようとか考えていないのなら、別にそれでいいのか?
しかし……今は恋愛に興味がないからいいけど、将来的にはいつか結婚して、子供が欲しくなる時がやってくるかもしれない。そう考えると――
「それに、魔人は人間との間に子供を拵える事ができます! 生まれてくる子は普通の人間ですから! 相手にバレなきゃ結婚も問題なし!」
ピータンが的確に、魔人にならなくて済む理由を潰してくる。
相手にバレなければというのはともかく、可能性が残るか残らないかの差は大きいとも言える。
というか――こいつ、まさか俺の心の声が聞こえているんじゃないだろうな? あまりにも俺の考えにピンポイントすぎる言葉なので、思わずそんな事を勘繰ってしまう。
まあ、普段のやり取りには齟齬も多いので、たまたまだとは思うが。
「魔人になるデメリットが俺にはほとんどないというのは分かった」
だが最後に一つ、大きな障害が残っていた。
それも強烈なのが。
「でも俺、あんなの飲めねーぞ」
かつて、パワーアップポーションを口にした時の事を思い出す。
忘れたくても忘れようがない、キッツい思い出だ。
何せ、飲んだ瞬間、体が全力全開でそれを拒否したほどだからな。あの苦しみは、今でも軽いトラウマになっている。
レア達はよくあんなものが飲めたものだと、感心してしまう。
「ふふふふふ。ご安心召されい! このピータン! そこは抜かりなし!」
ピータンが自信たっぷりに笑う。
何か苦しみを抑える方法があるとでも言うのだろうか?
「要は意識がなければいいんですよ! ウェンディの魔法で眠らせ、ナゲットのスキルで麻痺させれば、意識や感覚は完全にカットされます! そこに私がポーションを流し込む! これなら! 気づいたらセドリは魔人になっているという寸法! ワオステキ! どうです!?」
「まあ……そうだな」
人の姿でいられて。
その気になれば子供も作れて。
飲んだ時の苦しみもない。
大したデメリットもなく、大陸中の生活を守れるのだ。気が進まない事に変わりはないが、ここは偽善者らしくいくとしよう。
「分かったよ。ポーションを飲む!」
「セドリ素敵! では、さっさと部屋に戻って、ごくごくいっちゃいましょう!」
「いや、まだレア達の食事が――」
三人を見ると、凄く嬉しそうな顔をしている。
「もう十分であります!」
「マイロードの一世一代の大舞台を前に、呑気に食事などしていられませんわ」
「プルプルプルプルプル」
レアもナゲットもウェンディも……何がそんなに嬉しいのだろうか?
――まあいいか。
「んじゃ、部屋に戻ろう」
俺は転移を発動させる。
ポーションを飲むために。
◆◇◆
「はぁっ……はぁっ……すぅー」
荒い息を抑えるように、俺は深呼吸する。それを何度か繰り返し、落ち着いたところで視線を上げた。
そこには引きつった顔で俺を見下ろす妖精――ピータンの姿があった。
「おい……ざっけんなよ」
「あいやー。まさかこうなるなんて、さすがのピータンにも読めませんでした。すみません」
怒りを込めて睨みつけると、彼女にしては珍しく素直に謝ってきた。
とはいえ、今の俺の憤怒の形相を見れば、当然の事だろう。
「まあでも、魔人に進化できたんですから、いいじゃないですか!」
結論から言うと、俺は魔人へと進化していた。ただし、その過程で死ぬほどもがき苦しむ事になった訳だが。
「よくねぇよ! 適当言いやがって!」
「いやー、パワーアップポーション、恐るべしですねぇ。まさか魔法とスキルで昏睡させていたのに、それを無理やり覚醒させてしまうなんて。ピータンもあまりの事にびっくりです!」
「本当に……知らなかったんだろうな?」
声を低くし、ドスをきかせる。
もし知っていて騙したのなら、絶対にぶっ飛ばす。
「ももも……もちろんです! このピータンに嘘はございません!」
ピータンが慌てたように顔の前で手をバタバタさせて否定する。
少々胡散臭い気もするが、知らなかったのなら仕方がない。
俺は深く溜息を吐いてから、周囲を確認する。
レア、ナゲット、ウェンディの三人が怯えたような目で俺を見ていた。
絶対の命令権を持つ相手が怒り狂って殺気を出しまくっていたら、そりゃ怖いよな。別に彼女達に怒っていた訳ではないのだが、怖がらせてしまったみたいだ。
俺は軽く目を瞑って再び深呼吸し、心を落ち着かせる。
アレは本当に酷かった。
レア達が二度目を嫌そうにしていた理由がよく分かる。
俺だって、こんな物を飲むのは二度とごめんだ。
「ウェンディ。魔法で水鏡を出してくれないか?」
「プルプルプル!」
彼女は俺の頼みを聞いて魔法を使い、一瞬で目の前に鏡を作り出した。
「ありがとう」
お礼を言って、俺は鏡に映る自分の姿を覗き込んだ。
顔の左半分に謎の黒い紋様が浮かび、左の側頭部からは内巻きの太い角が生えている。もっと魔物っぽい格好を想像していたのだが、かなり人間寄りの姿だ。
紋様は左手や足にも浮かんでおり、シャツを捲ると、左半身部分は全て同じような感じになっていた。
どうやら、左右で綺麗に分かれているみたいだ。
半分が魔物で、半分が人。だから魔人ってか。
「ふむ。悪くないな」
見た目は悪くない。むしろ、俺好みでカッコイイぐらいだ。
「ピータンもそう思います! キャー! ステキー! ダイテー!」
同意だけしてりゃいいのに、余計な煽りでピータンの言葉が一気に胡散臭くなる。
そんな台詞で俺が本当に喜ぶと思っているのだろうか?
ひょっとして、俺の事を馬鹿か何かだとでも思ってるんじゃないだろうな、こいつ。
一方レアとナゲットは、俺に心酔したようにうっとりとした顔でこちらを見ていた。
「力を感じる素晴らしい姿であります!」
「ええ! ええ! 力強いだけでなく、その中にも洗練された刃のような美しさが秘められております! さすがはマイロード!」
ウェンディを見ると、掌をボード状に変えており、そこには「控えめに言って神」と文字が浮かび上がっていた。器用な事を覚えたものだ。
「いや、お前ら褒めすぎだろ」
悪い気はしないが、左側に紋様が浮かんで角が生えただけで、基本の姿は変わってはいないのだ。絶賛するには無理がある。
「何をおっしゃいます! マイロード! 貴方様こそ至高の存在! そんなお方に仕えられる喜びに、このナゲット、胸が震える思いです!」
「このレア! どこまでも主殿にお仕えする事をここに誓います!」
大げさな奴らである。
何故こうもテンションが高いのか?
魔物の考える事はよく分からん。
……って、そういえば、俺ももう魔物だったか。
なったばかりだからというのもあるが、人間とほとんど感覚が変わらないから、実感が全く湧かないな。
「プルプルプル」
「ん?」
ウェンディがプルプル言って呼ぶので見ると、掌のボードに「魔王様万歳」と書かれてあった。
誰が魔王だ。誰が。
「しかし、どれぐらい強くなったのか、あんまり分からんな」
能力は変身能力が増えているだけだ。これは感覚で分かる。
だが、それ以外の能力がどの程度伸びたのかは、いまいちピンとこない。
魔力は間違いなく増大しているのだろうが、それもどの程度かまでは、あまり実感できなのが本音だ。
「パワーではレアに劣り! スピードはナゲットに遠く及ばず! そしてその魔力はっ! ウェンディ以下! まさに最強の魔人誕生ですよ!」
「全然最強に聞こえないんだが?」
むしろ、その説明だとポンコツにすら思えてくる。
「ま、元がひ弱な人間ですから仕方がないでしょう! え? 強くなりたい!? そんなあなたに、これ!!」
ピータンが笑顔でパワーアップポーションを差し出してきた。悪し様な能力説明は、どうやら俺にもう一回飲ませるための布石だったようだ。
「あっ!?」
俺はそれをもぎとり、速攻で革袋に突っ込んだ。
「瓶を見るだけで気分が悪くなるから、二度と俺の前に突き出すな」
「ぇー。強くなれるんですよ」
「ぇー、じゃねぇよ。ダンジョン機能を回復する以上の力なんて、求めてねーんだよ」
別に、強くなりたくない訳じゃない。
これでも冒険者だ。強力な力に憧れていないと言えば嘘になる。
だがアレをもう一度飲むくらいなら、弱いままで全然いい。いくらリターンが凄くても、あんなのは二度とごめんだ。
「それより、ダンジョンに行くぞ」
俺はそう告げ、右手の紋章を使って、再びダンジョンへと転移する。
◆◇◆
「この中央の台座の上に、右手を置けばいいのか?」
ダンジョンのボスがいた部屋の先にある、宝玉のあった場所に来た俺は、ピータンにそう尋ねた。
「そうです! その台座にガバッと置いちゃってください!」
何がどうガバッとなのか分からないが、言われた通り、俺は赤い紋章の浮かぶ右手をその上に置く。その瞬間、紋章が赤く輝き、何かが俺の中に入り込んできた。
別に不快ではないが、なんともムズムズした感覚だ。
大丈夫か、これ?
《システム継承をチェック。ダンジョンの再起動の準備を行います》
頭の中に謎の声が響いた。台座から色とりどりの光の線が走り、部屋中に広がっていく。
チラリとピータンの方を見ると、何故か親指を立てて笑顔でウィンクしている。
多分、上手くいっているのだろう。
《起動用エネルギー充塡を開始》
頭の中のアナウンスは、よく分からない単語の羅列を俺に伝え続ける。大体なんとかシステム起動だとか、チェックだとか、コンディショングリーンだとかだ。
何を言っているのか、全く理解できん。
やがてアナウンスは《継承を実行しますか?》と俺に投げかけ、ピタリと止まる。
「はい! 実行! 実行! 実行! 実行!」
ピータンが俺の頭上で楽しげに喚いた。
背中を押しているつもりか知らないが、こいつを見ていると、逆にしたくなくなるから困る。
いやまあ、実行はするけども。
――って、どうすればいいんだ?
「ピータン。実行ってのはどうすりゃいいんだ? やり方が分からん」
「それなら簡単です! 紋章を通してダンジョンにありったけの魔力を送り込んでください! それでオッケーです! さあ! ドバッとどうぞ!」
何がドバッとだ。
まあいい。
人間だった頃は指先から流す事ぐらいしかできなかったが、魔人になった影響か、今の俺は体内の魔力を自在に操れるようになっていた。
全身に巡る魔力を、台座に置いた右手の甲に集約させる。
「ぬ……く……」
紋章が強く輝く。手の甲に集めた魔力が、どこかに引き抜かれていく感覚が俺を襲う。
……結構きつい。
痛みなどはないが、強い喪失感に、少しばかりふらついてしまう。
「だ! 大丈夫でありますか!?」
「ああ、私がマイロードの代わりをできたらどれほどいいか!」
「プルプルプル!」
レア達に心配をかけてしまったようだ。俺は片手を軽く上げて、大丈夫だと返しておく。
チラリと上を見ると、ピータンはこっちの事などお構いなしに、楽しそうに踊り狂っていた。
うん、知ってた。
こいつはそういう奴だ。
やがて、右手から魔力を奪われる感覚が止まる。
体感的に九割近い魔力が奪われた感じだ。もし人間のままだったら、絶対に足りなかっただろう。
《ダンジョンを再起動します》
「おお! 凄いであります!」
「ええ、エネルギーが満ちていきますわ」
レアとナゲットがはしゃぐ。ダンジョンが復活した事で、エネルギーが戻って来たようだ。
さて、これで俺はお役御免だな。そう思って台座から手を放そうとしたその時――
《〝管理者〟の記憶をインストールします》
再び頭の中で声が響いた。
魔王の記憶? なんだそりゃ?
戸惑いつつも、なんだか嫌な予感がして、俺は急いで手を放そうとする。しかしそれよりも早く、記憶のインストールとやらが始まってしまう。
「が……あっ……」
頭の中に、知らない誰かの記憶が流れ込んでくる。
その膨大な情報の渦に、俺の意識は完全に押し流されてしまった。
――かつて、世界は広く、そのほぼ全てを人間が支配していた。
陸も、海も、空すらも。
だが人々の欲望は留まる事を知らなかった。
膨らみ続けた人類の欲は、ついに限界を迎える時がやって来る。
――終末大戦。
そう呼ばれたその戦争は一年続き、人類は人口の九十九パーセントを失う事になった。
更に、星は戦争によって撒かれた汚染物質によって、生物がまともに住める環境ではなくなってしまう。
このままでは間違いなく、人類は滅亡するはずだった。
だが滅びゆく人類を、一人の女神が救う。
――それは天才科学者によって生み出された、人造の女神。
彼女は星の核からエネルギーを汲み上げるシステムを構築し、汚染物質を遮断し、浄化する結界を張る。
そしてそこに五つの大陸を生み出し、人類を移住させた。
彼女は人類にとってまさに救いの神である。
だが、女神から見た人間の評価は最低だった。彼女が人類を救ったのは、生み出した研究者が人類の存続を望んだからでしかない。
――放っておけば、人類は再び同じ過ちを犯す。
そう判断した女神は、それぞれの大陸に管理者を生み出した。
あまりに強大な力を持つために長く生きられない女神の代わりに、人類を管理する存在として。
「せーの! 魔王就任! おめでとうございます!」
「おめでとうであります!」
「おめでとうございます!」
「プルプルプルプル!!」
目を覚ますと、ピータンの音頭と、皆の祝福の言葉が響いた。
続いて目に入ってきた大きな垂れ幕には、デカデカと「祝! 新魔王誕生!」と書かれている。
「全部、狙ってやってた訳か」
流れ込んできた魔王の記憶の中には、ピータンとのものがあった。
それは自分が死んだ後、その資質を持つ者がダンジョンに現れたら攻略に導け、といった感じのやり取りだ。
――どうやら魔王は、ピータンの導きによってダンジョンをクリアした者を、新たな魔王に据えるつもりだったらしい。
そして俺はそんな狙いに、見事に巻き込まれた訳だ。
「もちろんです! このピータンはダンジョンナビゲーターですよ! 知らない事など何もありません!」
元気のいい返事からは、反省の色が微塵も感じられなかった。
俺は責める口調で言ったのだが、ピータンには通じなかったみたいである。
正直、彼女の掌でいいように踊らされていたのかと思うと、かなり腹が立つ。
が、ピータンの目的――使命のお蔭で俺が助かったのも、また事実である。
命という最大の利益を享受している以上、その事で文句を言う訳にもいかないだろう。
しかし……
「はぁ……俺が魔王か……」
俺は自分の置かれた状況に、大きく溜息を吐いた。
別に魔王になったからといって、何かが変わるという訳ではない。特に行動を強制されたりもしないので、普通に暮らす事も当然可能だ。
というか、普通に暮らす気満々である。
ピータンには悪いが、魔王の使命など俺の知った事ではないからな。
……まあ、魔王の記憶を見て、少し思うところがなくもないが。
『願わくば次代の魔王も、人類のために働いてくれる事を期待する』
それが魔王の残した願いだった。
記憶を見る限り、先代の魔王は優しい心の持ち主だったようだ。
彼は人類を思うが故に、大陸の人々を苛烈に管理した。二度と同じ過ちを繰り返させないために。その結果――魔王の管理を良しとしない人間の勇者によって、彼は討たれてしまった訳だが。
人類のために頑張りすぎた結果、人類に討たれるとは、皮肉なものである。
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