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第十二章 黒竜、再び王都へ行く

第九話 不発(下)

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 マリアンヌは、もはやリヨンネの兄ジャクセンに自分の正体がバレることもやむなしと判断した。
 彼女はシェーラに言った。

「シェーラさん、私に掛けている魔法を解いて下さい」

「……いいの?」

 今、マリアンヌはその髪色も茶色く魔法で変え、顔にもそばかすを散らしていた。それを解くというのだ。

「ええ、こうなったら本当の姿をお見せして、ジャクセンには信頼して頂くしかありません」

「わかったわ」

 一瞬で、マリアンヌの茶色の髪は美しい金髪に変わり、そばかすも消えた。
 シェーラは、マリアンヌに対して、珍しくひどくしょげ返ってこう言った。

「役に立たなくて、…………ごめんなさい」

 マリアンヌは微笑みながら首を振った。

「いいのですよ、シェーラさん。いつも私に良くしてくれてありがとうございます。役に立たないなんてことはないです」

 二人は見つめ合っている。
 マリアンヌは言葉に出さずに心の中で呟いた。

(ただ、リヨンネ先生よりもジャクセンの方が、上手なだけなんです)


 キースの先導で、家の居間に案内されたジャクセンは、部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、眉を上げた。
 目の前に、床の上で見事な土下座をしているリヨンネを見つけたからである。
 床の上に膝を曲げて座り、両手を前につき、頭を深々と下げて平伏している。
 当然、ジャクセンは末弟に尋ねた。

「……リヨンネ、お前は何をしている」

「遥か西方の国では、この格好が、お詫びの最上級の姿だと聞いています」

「…………………何をしたのだ」

 ジャクセンは整った眉を寄せ、不機嫌そうに言う。
 まさか、リヨンネが土下座をして待ち構えているとは想像もしていなかったキースは、ジャクセンの後ろで口を開けて呆然としていた。当然、ジャクセンの妻ルイーズも、目を見開いて驚いていた。

「兄さん、とにかく椅子にお座りになってください」

 床から立ち上がったリヨンネは、兄に椅子を勧める。
 ジャクセンは椅子に座り、長い足を組み、弟をねめつけるように見つめた。
 そんな姿でさえ、兄ジャクセンは一枚の絵のように美しく、その兄の問い詰めるような鋭い視線にリヨンネはビクビクとしていた。

「兄さん、最初に謝っておきます。私は間違ったことはしていません」

「……何故、謝っておきながら、間違ったことはしていないと言うのだ」

 ジャクセンの美貌がますます不機嫌そうなものになる。この末弟を眺めていると、次第に嫌な予感がしてくる。末弟は、学者をしていて頭は良いが、どうも抜けているようなところがある。胸の中に広がる黒々とした嫌な予感を払拭したいが、まずは話を聞かなければ始まらないだろう。
 ジャクセンの隣の席に、ルイーズが静かに座った。

「お前の妻の女性に会いに来たのだ。何か問題があったのか」

 そうジャクセンが声を掛けたその時、部屋の扉が開いて、そこから二人の女性が現れた。
 一人は長い黒髪の女である。彼女は、その姿形から黒竜シェーラの化身した姿であろうとジャクセンは見当をつけた。そしてもう一人の女性を見た時、ジャクセンは日頃冷静沈着な彼にしては珍しくも驚き、それからリヨンネを睨みつけた。

「リヨンネ!!」

「兄さん、だから私は悪いことはしていないんだ!! でもごめんなさい」

 反射的に謝罪するリヨンネ。
 ジャクセンはすぐに妻ルイーズと共に椅子から立ち上がり、マリアンヌの前まで足を進めると、彼女の前で片膝をついて礼を示した。

「マリアンヌ妃殿下のご無事なお姿を、再び拝見することができ、大変嬉しく思っております」

「ジャクセン、貴方の弟には面倒を掛けております。どうか彼を叱らないで下さい」

(ああああ、マリアンヌ様!! 有難うございます)

 マリアンヌがリヨンネをすかさずフォローしてくれている。「叱らないで下さい」と言ってくれた。そうなれば、兄も自分を叱らないはず……。………………たぶん。

 ジャクセンは恭しく一礼した後立ち上がり、マリアンヌの座る席の椅子を引いて、彼女を座らせた。
 その後、彼は立ったまま、リヨンネに言った。

「全部話せ。リヨンネ」

「…………ハイ、ワカリマシタ」

 リヨンネは叱られた子供のようにうなだれて、ポツリポツリとすべてのことを兄達に話し出した。
 そして全ての話を聞いた後、ジャクセンは海よりも深いため息をついて、天を仰いでいた。




「つまり、アルバート王子殿下とマルグリッド妃殿下は全てご存知でいらっしゃると。両殿下からご依頼を受けてお前は行動しているのだな」

「はい」

「マリアンヌ妃殿下の身籠られた御子は、今となってはザナルカンド王国の唯一の王位継承権者になられる」

「…………はい」

 といってもザナルカンド王国は、今やサトー王国に降伏して、サトー王国に併合されている。国は亡きものだ。しかし、もしこのラウデシア王国がマリアンヌとザナルカンド王国の王位継承権者たる赤ん坊を確保したなら、駒としていかようにも使えるだろう。また別の見方では、サトー王国がその赤ん坊を要求して攻め入る隙を与えかねない。サトー王国のご機嫌を伺うためにマリアンヌと赤ん坊を差し出す局面も考えられる。
 このラウデシア王国が今はサトー王国に対立するか、それともできるだけ戦争を避けての中立を維持するのか、どっちつかずの立場であったから、マリアンヌと彼女の産む赤ん坊の立ち位置は現状あまりにも不安定であった。王宮に保護されたとしても、保護という名の監禁に近い形になるのではないかと思われた。
 そんなことを、兄であるアルバート王子もマルグリッド妃も望んでいない。

 この弟リヨンネは今やどっぷりと王家の内情に漬かっていた。
 これまでジャクセンは、バンクール商会の商売を長く続けていくために、王家とは付かず離れずの適切な距離を保ち、良い関係を保っていた。そのための努力を惜しまなかった。
 なのに、末弟がしでかしている。

「身二つになるまでは、リヨンネ先生のお世話になろうと思っております。どうか、バンクール家のご厚情に甘えさせて頂きたいのです」

 マリアンヌはジャクセンを鳶色の瞳でじっと見つめて言った。
 つまり、年明けの出産まではこの家にいることを認めろと言うのだ。
 目の前に座るマリアンヌは僅か十六歳の王女である。
 ザナルカンド王国を脱出し、以降、この王国で王女の身分を隠して暮らしていたはずだ。随分と肝が据わっている。そのことにジャクセンは感心した。

 王家にマリアンヌを差し出したとしたら、マルグリッド妃とアルバート王子の怒りを買うことは間違いないだろう。マルグリッド妃は王の三番目の妃、そしてアルバート王子は竜騎兵団長に可愛がられている部下で、かつ彼はバルトロメオ辺境伯の養子と婚姻を結んだばかりである。あの辺りの貴族達に一斉に睨まれることになる。
 かといって、このままマリアンヌがバンクール家に匿われ、密かに出産し、その隠していた彼女もろとも見つかった時のダメージは大きい。何故、王家に報告をしないのだと詰め寄られるであろう。そうなればこれまで良好に保っていた王家との関係も悪くなる。
 非常に頭が痛い状況であった。

(とりあえず、現状、絶対にマリアンヌ妃殿下が見つからぬようにするしかないだろう。後の手当を考えなければならないな)

 ジャクセンは、しばらく顎に手を当て考え込み、やがてため息をついて言った。

「分かりました。ですが、妃殿下、わたくしどもも、保険を掛けさせて頂きとうございます」

「……それはどういうことでしょうか」

 そのマリアンヌの問いかけに、ジャクセンは微笑みながら言った。
 その美しい微笑みに、見惚れてしまうほどであった。

「それは保険が成立した時に、妃殿下にはお知らせ致します。妃殿下にとって悪いお話ではないと思いますから」

 そう言って、ジャクセンは一礼して、妻ルイーズと共に部屋を退出した。
 その退出する間際で、末弟リヨンネの腕をしっかりと掴み、青ざめたリヨンネをずるずると引きずって部屋から出ていったのだった。
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