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第八章 黄金竜の卵

第三話 仕方なしに卵を温める

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 仕方なしに、王都のユーリス青年は、以前目にした叔父が卵を入れて胸元に下げていたような布袋を用意して、白い卵を温め始めた。
 正直、この卵を布袋に入れ、胸元から下げて地下の遺跡現場へ行くことには気が進まなかった。
 何かの拍子に、卵に固いものがぶつかって、卵が割れてしまうことを恐れていたのだ。
 しかし、叔父でさえおそらく温めるのが面倒に思って、突っ返してきた哀れな卵である(ユーリスの不在中、勝手に宿の部屋の中へ入り、寝台に置きっぱなしにするのはどうかと思っていた)。これでユーリスが卵を温めず、放置したら冷たくなって卵が孵化することはないだろう。
 だからユーリスは、この卵が孵化するまでの間、面倒を見てやろうと胸元の斜めに掛けた布の中に卵を入れていた。リヨンネはこの卵が竜の卵だと言っていたが、果たしてそうなのかユーリスは不思議に思っていた。これは奇妙な卵だった。
 理由は簡単で、卵を胸元に入れておいた時、「こんな大きいと現場に持っていくと目立つな」と困ったように呟いていたところ、翌朝には卵は拳二つ分くらいの大きさに小さくなっていた。細身のユーリスが抱えても問題なく、あまり目立たない大きさに縮んでいたのだ。
 
 奇妙なことだと思ったが、小さくなって助かったので、あまりそのことは考えまいとした。
 孵化したなら、さっさとどこかの山へ放ろうと思っていたからだ。竜のことなど何も知らない自分が、そのまま竜の子を手許に置いても仕方がない。そもそも育てられないだろう。むしろ野生に帰った方が竜の子のためだと思っていた。

 そして卵を布袋に入れ、胸元に仕舞いこみ、いつものように遺跡調査の現場へ歩いていく。
 まだ肌寒い季節だから、ぶ厚い上着の下にその小さく縮んだ卵を入れておいても目立たないから良かった。
 ユーリスは調査の現場にはラフな格好で入る。汚れても良いズボンにシャツに、ぶ厚い上着。薄手の手袋をして、腰には採掘に必要な道具類が下げられている。
 遺跡調査に入る学者は、ユーリスのように細身の若者も多かったが、中にはガッシリとした体躯のものもいて、彼らは皆、ユーリスが来ると一斉に振り返る。
 ユーリスは、彼らとは違う“異質な存在”だった。
 陽に焼けることのない真っ白い肌に、切れ長の青い瞳、そして整った目鼻立ちは、どうしてこんな遺跡発掘の現場にいるのだろうかと思われるような人物だった。彼のような綺麗などこか精巧な人形めいた存在は、綺麗に着飾り、貴族達が笑いさざめく華やかな社交の場にいてこそ、映える人物ではないかと皆思っていた。

 しかし、ユーリスは真面目で、そして何よりも飛び抜けて優秀だった。
 アレドリア大学のナウマン教授の秘蔵っ子と呼ばれている彼は、一時、その美貌ゆえにナウマン教授のお稚児ではないかという噂も流れたのだが、ユーリスはその頭脳のあまりの優秀さでそれらの噂を一瞬で蹴散らした。彼は一度目にしたもの全てを忘れることなく、膨大な知識の中からそれを瞬時引き出すことができる能力を持っていた。知識を結びつけ、理論を構築することに長けていた。彼の書き上げた論文は全てしっかりとした裏付けがあり、それゆえ濃密でかつ、非常にスケールの大きいものであり、一目その論文を目にしたものは、彼が尋常ではない優秀さを持っていることが分かる。

 そのユーリス=バンクールが、この王国の遺跡発掘調査に加わる。
 王国地下に眠る王家の禁所、誰も触れることのなかったぶ厚い鉄扉の向こうの一号と二号の遺跡は、初代の王とその伴侶であった竜の女王が生活していた処だと言われているが、もはや二千年前の出来事で、伝説・伝承のようになっている。
 ユーリスもこの遺跡の発掘調査に加わるに際して、関係する文献をかたっぱしから読んでいたが、二千年前の出来事ゆえに、はっきりしない内容のものが多かった。
 それでも、二千年前、この石造りの建物の中で、王と女王が生きて生活していたかと思うと不思議な気持ちになる。鉄扉の向こう、王宮の地下には、更に地下の王宮が広がっていたのだ。残念なことに、地震で大きく崩れている場所もあるが、崩れることなく綺麗な状態のまま残されている場所も多い。一号遺跡は地下二階部分を指し、二号遺跡は地下一階部分を指す。ガランとした地下の王宮には、基本、何も残っていなかった。

 細かなタイルが貼られた大きな浴場。そこは過去、竜の女王が竜の姿で入ることが出来るように造られたと言われている巨大さがあった。白い竜の石像の口から湯が出る仕組みだったのだろう。だが、その石像の口の金色の塗装は剥げてほとんど残っていない。黄金竜であったという竜の女王は、黄金を好んでいたという。この浴場にもそこかしこに金色の塗装があった形跡が残されていたが、いずれも二千年の間に、それは剥げてしまって白くなっている。

 地下二階の一号遺跡には、竜の女王が日常過ごした部屋があり、壁などの意匠も非常に凝っていた。女性らしく美しいニンフの石像が残っている。そして天井も含め、壁面には爪の先ほどの大きさの色のついたタイルが貼られ、竜の女王とおそらく王であろう人が、竜達の祝福を受けながら婚姻する場面が描かれていた。

「春に婚姻を挙げたのか?」

 壁画を見た研究者達は、口々にそれを言う。
 竜の女王らしき人型の女性が、男の手をとり、立っているその場面には花々が咲き乱れると同時に、金色の塗装がわざわざ為されたゼンマイのような新芽が幾つも描かれていた。そのクルリと先端を巻いた金色の新芽は、他の壁画にも必ず描かれていた特徴的なものである。

 ユーリスは、書物でそれが水気の多い場所に好んで生えるシダ植物であることを知っていたが、この王国ではあまり見ない植物であったから、不思議に思った。そのシダ植物が新芽を出すのは、春も初めの頃である。

 そして、更に気になることがあった。一号遺跡も、二号遺跡にもたくさんの採光のための窓があることだ。その窓部分から土が流れ込んで崩壊している箇所も多かった。地下にある遺跡なのに、たくさんの窓があることが不思議だった。
 ユーリスが師事する高齢のナウマン教授も、遺跡の窓の多さには首をひねっていた。すでに一度、これまで調査した結果を、精密な図面と共にナウマン教授の手元に送っていた。
 そして女王の部屋の周囲には、恐らく子供を育てるためのやや小さめの部屋があり、そこには小さな竜の石像が何体も立てられていた。残念なことに幾つかの石像は激しく壊れている。

 ふとユーリスは思った。

(竜は卵生だ。人とは違う産み方になる。初代の人間の王と女王が結ばれて、どうやって子供が生まれたのだろう)

 それは奇しくも、紫竜ルーシェが抱いた疑問と同じものであった。
 王国の王家には、初代の王と結ばれた黄金竜の血が流れていると言われている。だが、人と竜の間には子供は生まれない。実際、叔父リヨンネに尋ねたことがあった。リヨンネは、竜騎兵団で、雌竜と結ばれた竜騎兵の間で、子供が生まれたことは一度としてないと教えてくれた。竜と人間の生態は違い過ぎる。例え、魔法的な生物で、魔力により人の姿をとることができる竜であっても、人間との間に子を産み落とすことはできない。

(王家には黄金竜の血が流れているというが、それはただの噂に過ぎず、実際には竜の血など流れていないと考えることが妥当だ)

 人間と人化した竜は、性交こそすることは出来るが、人間と竜の間で卵を産むことができないからだ。
 黄金の髪の王子、王女が生まれやすいことも、単純に、黄金の髪の者同士婚姻しているからだ。実際、王家の七人の王子の中には、黒髪の王子だって存在している。必ずしも全員、黄金の髪の人間が生まれるわけではない。
 そんなことを口にすれば、王家の権威を傷つけることであるからして、誰もそれを口にすることはない。ただただ、初代の王と黄金竜の血を引く、尊き王家としてたっとぶばかりだ。

(二千年前この王国を開闢した初代の王は確かに優れた王なのかも知れない)

 ユーリスは竜の女王が用意したらしい竜の石像の置かれている子供部屋の中を見回しながら思っていた。

(だが、二千年もの間、ただただ尊ばれて繋がってきた血脈は淀んできている)

 ユーリスの知る王子達の中には、どうしようもない屑のような王子もいた。あれが王子だというのが、おかしくて笑いが零れるくらいであった。そんなどうしようもない王子に、少年時代のユーリスは目を付けられて、ひどい目に遭いそうになった。辛うじて彼らから逃れることのできたユーリスは、アレドリア王国へ渡り、ナウマン教授に目を掛けられて、学問に生きる道を選んだ。少年時代には楽しかった思い出もあれば、今でも思い出すと胸が苦しくなる思い出もある。ユーリスは知らずため息をつきながら、その子供部屋を一つ一つ眺めていった。子供部屋の数は五つもあった。
 王国の始祖が黄金竜の娘と結ばれた伝承があることから、この遺跡にある柱や壁などの意匠には竜のデザインが多い。その五つの部屋もそれぞれ竜の石像が置かれている。そしてそれぞれの部屋には、座席部分がくぼんだ石の椅子が置かれていた。
 人一人が座ることのできる石で出来た椅子は、深くくぼんでいる。
 調査に携わっている者達は、「随分と深く座ることのできる椅子だな」と不思議に思っていたが、それが何を座らせるためのものなのか分からなかった。ただそのくぼんだ石の椅子にも、小さな竜の石の彫刻が刻まれていて、どこか可愛らしい雰囲気もあって、ユーリスは好きだった。
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