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第七章 ある護衛騎士の災難

第二十三話 ある護衛騎士の災難

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 結局、本当の退勤時間を迎えても、ハヴリエルは、アンリ王子の前から下がることを許されなかった。アンリ王子の妃アビゲイルは、アンリ王子のそばで一人の護衛騎士が拘束されていることに気が付き、アンリ王子に「あれは一体どうしたのですか?」と尋ねたが、アンリ王子は笑顔で「大事な者なのだ。近くに置くためにそうしている」とわけの分からない答えをして、周囲をますます混乱させていた。

 大事な者だから、周りを護衛騎士達で取り囲み、逃がさないように拘束している!!

 ハヴリエルはアンリ王子の診察に来た、宮廷医に声を潜めて尋ねた。

「アンリ王子殿下は、おかしくなってしまったのでしょうか?」

 宮廷医はそのことを何人もの人間に質問されていた。

「……意識を取り戻したばかりです。混乱されているのでしょう。しばらくすれば、正常な判断が下せるようになります」

 何気に今は正常ではないと、宮廷医も診断しているのだ。

「しばらくすればって、それはどれくらいで戻るのでしょうか」

 以前のハヴリエルのおかしな行動に苛々としている元のアンリ王子に戻って欲しかった。こんな穴が空くほどずっと甘ったるい視線で見つめ続けるようなアンリ王子なんて嫌だった。
 
 どうやら宮廷医は、その質問も、他の人間達に繰り返し質問されていたようで、少しばかり疲れた表情で答えた。

「分かりません。明日良くなるかも知れませんし、ずっとこのままかも知れません。幸いなことに、殿下は少しおかしいだけで、後はまともな様子です」

 実際、アンリ王子は滞っていた政務を寝台の上で手早くサインをしたり、指示を出したりして着々と進めている。美的感覚の優れた美少年びいきの王子ではあったのだが、その病気さえなければまともで優秀な王子だった。
 しかし、ハヴリエルに対しては違った。
 今は異常なほど、ハヴリエルに対して好意を抱いている。自分の前から彼が下がることを許さないほどに。

「殿下、お腹がすきました」

 王子が目を覚まして以来、ハヴリエルは下がることを許されず、ずっとアンリ王子のそばの椅子に座らせられている。空腹でぐーと下腹から音がしそうであった。
 その声に、アンリ王子は指を鳴らすと控えていた侍従達がすぐさま軽食を運んでくる。

「ああ、済まなかったね。すぐに用意させたから」

 指鳴り一つで食事が運ばれてくるとは、まったく羨ましい身分である。
 運ばれてきた食事は、パンにハムを挟んだものと、スープ、そしてフルーツだった。

「殿下、私はガッツリ肉が食べたいです」

 ちょっとハヴリエルは贅沢を言ってみた。
 すると王子は指を二回鳴らす。すぐさま鉄板の上でジュージューと音を立てる肉が運ばれてきた。ハヴリエルの前のテーブルの上で、ぶ厚く切り分けられた肉は、運んできた料理人から恭しくソースが掛けられる。美味そうな匂いが部屋中に立ち込める。ハヴリエルの周囲の護衛騎士達の、唾を飲み込む音がした。

 ハヴリエルは胸元にナプキンをつけ、銀製のナイフとフォークを手に取って肉を切り分け、口にした。肉汁溢れるその肉の柔らかな味わいは最高だった。ハヴリエルの実家は子爵家であるが、それほど裕福な家ではない。こんな上等の肉を、たっぷり食べられる機会など滅多にない。
 先ほど出されたスープやフルーツも含めて、ハヴリエルはしっかりと完食した。肉に掛けられたソースはパンに付けて食べた。とても美味かった。
 そして食べている最中、アンリ王子は何故だか彼の方がとても幸せそうな表情で、ハヴリエルが食事を残さず綺麗に食べ切る様子を眺めていた。

「お前は、美味そうに食べるのだな」

 そう言われ、ハヴリエルは口元をナプキンで拭いながら頷く。

「はい。肉は私の好物であります」



 周囲の護衛騎士達は、アンリ王子とハヴリエルの会話がどうにもおかしく思えていたが、なんとなしにそのことを指摘することが憚れて、誰もが黙ったままであった。

「ならば、これからは毎食、お前に肉を出すように命じよう」

「…………」

 その言葉にハヴリエルはひどく苦し気な表情を見せた。

「好物でも、毎食食べると太ってしまいますので結構です」

「健康に留意しているのだな!! さすが護衛騎士の鑑だ!!」

 いつの間にやら部屋へやって来ていた近衛騎士団長も、アンリ王子とハヴリエルの会話に唖然としている。先日、どうも、アンリ王子と護衛騎士ハヴリエルの間の空気が悪いという報告を受けたばかりであった。そろそろハヴリエルを王子の護衛から外す時が来たのかと思っていたところでの、この有様である。

「……これは一体どうなっているのだ」

 すぐさま護衛騎士の一人が、近衛騎士団長の袖を引き、隅で彼の耳元に囁いた。

「アンリ王子殿下は、お目覚めになられてから、ハヴリエル卿に対してずっとこの調子でございます。おそばから離さず、こうしてどこか……どこかお熱な様子でして」

「………………」

 そう、今もアンリ王子は護衛騎士ハヴリエルをじっと熱っぽい視線で見つめ、一時も目を離さない有様だった。この態度、この口調は、まるでハヴリエルに対して恋に落ちたかのような様子だった。

 そして突然のこの変化を、当然近衛騎士団長は異常に感じた。
 彼は今度は、医師ではなく、王宮魔術師を呼ぶことにしたのだった。
 



 近衛騎士団長に呼ばれ、やってきたウール王宮魔術師長は、アンリ王子の前に座ると、彼の手を持ったり、その額に手をやったりして診察をする。
 それから、ウール王宮魔術師長は、彼にしては珍しく戸惑ったような様子をしていた。

「………………確かに、アンリ王子殿下にまじないの痕跡を感じる。ハヴリエル卿に対して強い好意を抱いているのは恐らくその呪いの影響だろう」

 その言葉に、部屋の者達は一斉に騒めいた。

「なんだと」
「一体誰が呪いなどかけたのだ」

 王宮魔術師長自身も、これをおかしなことだと感じていた。
 何故なら、ウール王宮魔術師長は、王家の者達の上には強力な加護があり、呪いのたぐいは跳ね返すと聞いていたからだ。かかるはずのない呪いが、アンリ王子にかけられている。
 
「その呪いを解くことは出来ますか」

「私には出来ない」

 キッパリとウール王宮魔術師長は答える。
 王家の者には、治癒魔法以外の魔法を掛けることが出来ない(不思議なことに治癒魔法だけは加護から外れてかけることができる)。だから、アンリ王子に対して、呪いを解除するための魔法を掛けることは、ウール王宮魔術師長といえども出来ないのだ。

「しかし、これでは……困……」

 困ってしまうと言いかけた近衛騎士団長であったが、王国の第二王子アンリが、護衛騎士ハヴリエルに恋して、具体的に何か困ることはあるだろうかと、ふと思ったのだ。勿論、アンリ王子には妻であるアビゲイル妃がいる。アビゲイル妃からしてみれば、面白くない事態のはずだ。でも、すでに散々アンリ王子はアビゲイル妃の前で、綺麗な少年達を侍らせ、浮気めいた行動を繰り返していた。その綺麗な少年達が、今も嫌そうな表情でアンリ王子の熱い視線を受け止めているハヴリエルに置き変わっただけである。
 これは、なまじまったく知らぬ第三者にアンリ王子が熱烈に惚れてしまうことよりも、まだマシな事態ではないかと思われた。
 その呪いをかけた人物が、何を目的にしてそうしたのかは分からない。王宮を混乱させるためか、それともアビゲイル妃とアンリ王子を仲違いさせようとしたのか。目的は呪いをかけた相手にしか分からないだろう。
 そもそも、アンリ王子が何故、ハヴリエルに恋しているのかも不明だ。
 だが、最後のその問いには、ウール王宮魔術師長が答えた。

「おそらく呪いは、殿下がお目覚めになられて最初に見た相手に、惚れるようにしたのだろう」

 護衛騎士ハヴリエルは、意識のないアンリ王子を起こそうと、その肩を掴んでグラグラと揺すったという。そして目覚めたアンリ王子がその碧い双眸で見た最初の人間が、ハヴリエルであった。
 となると、アンリ王子の恋の相手になる可能性は、アンリ王子が目覚めた時、この部屋の中にいた者全てにあったことになる。アンリ王子といつもイチャイチャしていた侍従達はその事実を知り悔しがり、護衛騎士達数名はホッと胸を撫で下ろしていた。
 
 ただ、ウール王宮魔術師長の話を耳にしたハヴリエルだけは違った。
 眉間にクッキリと皺を寄せ、彼は言う。

「それで、殿下のその呪いは、いつになったら解けるのでしょうか」

 今も、アンリ王子はハヴリエルが自分の前から去ることを許さない。不浄に行きたいと言うと、彼はそこまでついて来ようとするのだ。それにはハヴリエルはゾッとして、「殿下、私は必ず貴方の前に戻って参ります。この剣に誓います。ですので、不浄だけは一人で行かせてください」と懇願して、許しを得ていた。

 もううんざりだった。
 例え、大好きな美味しい肉がたらふく食べられる身分になったとしても、うんざりだ。

 ウール王宮魔術師長は言った。

「たかが呪い、されど呪いじゃ。簡単に出来るものではない。いかなる魔術師がしたのじゃろうな。痕跡とはいえ、見事な呪いの式がわかる。これを為したのは、非常に腕の良い魔術師じゃ」

 どこか褒めるような口ぶりに、ハヴリエルは苛々としていた。

「一体、どこの魔術師なのでしょうか。王族に対して呪いをかけるなど、言語道断、当然死罪です」

 そう。アンリ王子に呪いをかけた魔術師は、見つけ次第当然、処刑される。王族に対して呪いをかけるなど大罪である。
 ウール王宮魔術師長は肩をすくめる。

「その魔術師を見つけるのが大変であろう」

「王宮魔術師長は見つけて下さるのですよね」

「…………そうさのう。陛下の御命令があれば、探すことになる」

 その言い方だと、陛下の命令が無ければ探す気はないということだ。
 そこで、はたとハヴリエルは思い出した。
 ハヴリエルは、アルバート王子の騎竜ルーシェの誘拐未遂について証言をした。その結果、王宮魔術師二人が魔力封印の後、追放された。王宮魔術師達は、アンリ王子に対しても、ハヴリエルに対しても良い感情を持っていない。それどころか、彼らは今の状況を見て、内心「ざまあみろ」とでも思っているかも知れないということに、気が付いた。

 ハヴリエルが顔を強張らせている様子に、王宮魔術師長ウールはそれでも優しい声で尋ね始めた。

「殿下がお倒れになる前、何か部屋の周辺で異常はなかったか?」

 ただ、ウール王宮魔術師長には強い好奇心があった。
 呪いをかけられるはずのない王族に、呪いをかけた魔術師。
 一体それはどこの誰なのだと。
 それを知りたいという知識欲が、彼の中に猛烈に湧き上がっていたのだった。





 その頃、北方地方のとある山奥のほら穴の中、黒い竜が小さくくしゃみをして、軽く頭を振った後、またウトウトと眠りについていた。
 竜の周りには、彼女の大好きな恋愛小説の本が散らばり落ちている。部屋の中は、先日、入手したばかりの暖房の魔道具の効果でぬくぬくだった。そしてリヨンネが届けてくれた美味しいお菓子もそばにある。綺麗な服や宝石もたくさんある。
 幸せだった。
 暖かな部屋で、大好きな美味しいものと綺麗なものに囲まれて、とても幸せな気持ちでウトウトと眠る黒竜シェーラの頭の中には、すでに王都で呪いを掛けた王子のことなど、これっぽっちも残っていなかった。
 彼女は早く、この厳しい寒さの冬が終わり、色とりどりの美しい花が咲き乱れる優しい春が来ることを待ち望んでいたのだった。
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