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第四章 小さな竜は愛を乞う

第三話 婚姻の申し出

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 アルバート王子が十六歳になったように、彼の妹であるマリアンヌ王女もまた十四歳になっていた。
 かつて、王宮の端にある尖塔へ行って、小さな紫竜の飛行訓練をしようと声を上げたその王女もまた、まるで蝶が羽化したかのような美しい少女になっていた。
 金色の髪に鳶色の瞳をしたその姫君は、母であるマルグリッド妃により、王国の侯爵家に降嫁する予定であった。
 しかし、この年の春、王宮では一つの話が持ち上がっていた。

 王国の北西にあるザナルカンドという国からの、王国の王子ないし姫との婚姻の申し込みである。
 現在、王国には三人の未婚の王子と姫がいた。
 六番目の王子で現在十七歳のダミアン、三番目の王女で十四歳のマリアンヌ、そして七番目の王子アルバートである。
 王国は竜騎兵を擁する強国であり、王の子らは早くに婚約者を据えられ、政略の相手に嫁いでいく。
 未婚というマリアンヌ王女も母の手回しで侯爵家子息と婚約済であったし、ダミアン王子もまた婚約者持ちであった。
 婚約者がいないのは、アルバート王子だけであったが、彼は今や竜騎兵であったから、本来なら婚約者がいなくても許される立場であった。
 竜によって選ばれる竜騎兵は希少であるからだ。
 そして竜騎兵は王国の最果てと言われる、北方の竜騎兵団に所属する。竜騎兵が妻帯する場合もあるが、多くの場合、妻は滅多に屋敷へ帰ってこない夫を待つことになる。
 そうした不遇の状況は当然貴族の令嬢に好まれず、その上、アルバート王子は七番目という王族の中では隅に追いやられている王子であったため、アルバート王子の婚約に名乗りを挙げる令嬢は今まで現れることはなかった(元からアルバート王子は、その立場を狙って竜騎兵になることを望んでいた)。

 ところがそこに降って湧いた王家への婚姻の申し込みであった。

 どの王子、王女を渡そうかという話になった。
 拒否することははなから考えていない。
 ザナルカンド王国が、王国に平身低頭で、婚姻という形での関係強化を求めてきたことには理由があった。
 遥か北西で広がっていた戦火が、南下しつつあり、王国の周囲の国々も、備えることを考えだしていたのだ。王族同士の婚姻は、国の関係強化の一環である。

 王国の第一王子リチャードは、現在二十四歳の若き王子である。
 戦の足音が静かに近づいている気配は感じていたが、まだ最北の王国にとっては遠い話であった。
 なにせ、王国は勇猛果敢な竜騎兵を擁する国であり、戦においては負け知らず。
 むしろ、この機会をチャンスと捉え、王国の影響力を伸ばすべきだと考えていた。
 ザナルカンド王国から、王家への婚姻の申し出があったのなら、当然その婚姻を前向きにとらえている。

 リチャード王子は父たる国王からその話を聞いた時、答えた。

「ダミアンもマリアンヌもすでに婚約者がいるのなら、今現在、婚約者のいないアルバート王子がザナルカンド王国へ行くべきではないか」

 それには、アルバート王子の母である第三妃マルグリッドが頭を振る。

「アルバートは有望な竜騎兵です。竜騎兵を国の外に出すなどとんでもない」

 マルグリッド妃の言葉に、竜騎兵のことをよく知る騎士団の騎士達も頷いていた。
 だが、リチャード王子は続けた。

「そうは言っても、竜騎兵には替えがいるのだろう? 別にアルバートが竜騎兵を辞めてザナルカンドへ行くことに問題はないはずだ」

 アルバート王子に竜騎兵であることを辞めさせて、ザナルカンドへ婚姻のために行かせるとは考えもしなかった話である。それを聞いたマルグリッド妃は顔を強張らせていた。



 マルグリッド妃は当然、反対であった。
 ザナルカンド王国などといった小国に、アルバート王子を行かせるなんてとんでもない。
 それも今後、戦に巻き込まれるかも知れない国である。
 王国のような軍事に突出した力を持つこともなく、ただ保身のため、大国に婚姻の申し出をして関係強化に励むしかない国である。
 妃は、リチャード王子からの話を聞いた後、すぐさま竜騎兵団へ手紙を出し、アルバート王子やウラノス騎兵団長らに王宮で持ち上がっている話について知らせたのだった。


 アルバート王子はその手紙を読んで、顔をしかめた。
 その手からヒラリと落ちた手紙を小さな紫竜も眺めて、その文字を黒い目で追っていく。

「ピッ!!!!」

 手紙の内容を理解した紫竜はプルプルと震え出し、王子の顔を見つめて叫びだした。

「ピルピルピルピルピルピルピルピルピルピルピルピルピル!!!!!!!!!」

 うるさいぐらいに興奮して鳴いている。その背中で小さな尻尾がビシビシと床を叩き続けていた。
 紫竜の剣幕に驚いた護衛のバンナムが、王子に説明を求めた。

「マルグリッド妃殿下から、どのようなお手紙を頂いたのでしょう。紫竜が興奮しています」

 今も紫竜はビシビシ床を尻尾で叩き続け、それから王子の膝にしがみついて、ぐりぐりとその小さな頭を押し付けていた。

「母上からの手紙で、ザナルカンド王国に嫁ぐ王族を用意する話が出ているそうだ。それの筆頭に私の名前が挙がっていて、竜騎兵を辞めさせて婿入りさせるかも知れないということになっている」

「拝見しても宜しいですか」

 バンナムがそう言うと、王子は頷き、バンナムが落ちた手紙を読むことを許した。
 やがて拾った手紙を読み始めたバンナムの眉間にも皺が寄り始める。

「竜騎兵を辞めての婚姻ですか!? 正気の話なのでしょうか」

「竜騎兵は替えがいる。私が王子である身分の方が重要だというのだ。すでに七人の王子と王女は売れていて、残りは三人。私とダミアン王子と、妹のマリアンヌだ。母上が、マリアンヌの婚約者をさっさと決めていたことは正解だな。こうした訳の分からない婚姻の駒にさせられる。竜騎兵になってそれから逃れられたと思っていたのだが……」

 ぎゅううううぅぅとアルバート王子の膝にしがみつく紫竜の頭を、王子は笑って撫でていた。紫竜は絶対に離すまいといった様子だった。
 見上げてくる黒い大きな目も、どこか潤んでいる。

「まさか、竜騎兵を辞めさせてまで婿入りしろという話が出るとは思いもしなかった」

「私は反対です。王家の皆様は何をお考えなのでしょう。竜騎兵は国を守る要。決して手放してはならない存在です」

 バンナムは信じられないといった表情で頭を振っていた。
 アルバート王子は、十歳の頃から、竜騎兵になるためにこの北方の地へやって来て、厳しい訓練をこなして、ようやく竜騎兵になったのである。それをすぐさま辞めて婚姻のために他国へ行けなどとは、その苦労をまるで認めていないようではないか。
 王子は自嘲するように言う。

「だが、戦なき時には、竜騎兵は国境警備や害獣退治しかしない、ワケの分からない存在なのかも知れない。価値の分からない兄達が気軽に竜騎兵を辞めて婿入りしろという言葉もわからなくはない」

「ピルピルピルルピルピルピルピルピルピル!!!!!」

 ずっと紫竜が怒って鳴いている。
 彼はずっと「そんなの嫌だ嫌だ」と嫌がる言葉を吐いていたのだ。
 離すまいと、王子の膝の下に張り付いている。

「ルー、ちょっと痛い」

 小さな竜とはいえ、強い力でぎゅっと張り付かれ続けると、さすがに痛い。
 王子がそう言っても、紫竜は「ピルピル!!!!(絶対に嫌だからな!!!!)」と鳴き続け、決して王子の足から離れようとはしなかった。



 まさに青天の霹靂だった。

 
 少年だったアルバート王子の前で卵を割り、彼を選んだ紫竜であったが、まさか王子が自分のパートナーを止め、別の国の他の誰かの元へ結婚しに行くなんてこと、今まで考えたこともなかった。
 これまで王子はずっと自分と共に在り、これから先もずっと共に在り続けると当然のように思っていた。
 なのに、それは当然のことではないのだと突き付けられた。

 共に在り続けるはずの王子が、自分の手の届かないどこか遠くへ行ってしまうかも知れない。
 それは恐怖だった。

 その話を聞いて以来、小さな紫竜はアルバート王子の足や背中にぴったりとくっついて絶対に離れないようにしていた。
 歩く時も王子の膝下に張り付いているので、王子は歩きにくそうであったし、時に紫竜は仕方なく王子の背中に張り付くこともあった。
 そんな必死な紫竜の様子に、護衛騎士のバンナムは笑うのを少し我慢するような様子を見せていた。

 今も王子の膝までの右足のブーツ部分に紫竜がピタリと張りついている。
 その状態のまま、王子は同じ部隊の仲間達と話をしている。
 他の竜騎兵達も気になるようにチラチラと王子の右足に張りついている小さな紫竜を見ていたが、王子は紫竜のことを全く気にせずに話をしていた。
 話が終われば、そのまま足に紫竜を張り付かせたまま部屋から出ていく。
 一度王子が紫竜の尻尾を踏みそうになって、紫竜に「ピルピルピルピル!!!!」と激怒されていたが、王子はその後は器用に紫竜の尻尾をぐるぐると自分の足に巻き付けて踏まないようにしていた。

 それは小さな紫竜なりの「王子に行って欲しくない。自分は絶対に離れないぞ!!」という強い気持ちの表れであった。
 その姿が可愛くて、足や背中に張り付かれることは王子にとって大層不便なことではあったのだけれど、そうされることを許してしまう。

(殿下は本当に、ルーシェに甘い)

 バンナムはそんな王子と紫竜を見ながら、そう思う。
 王子は、紫竜のやる事為す事すべてが可愛くて仕方がないというような表情で、小さな竜を見ていた。
 そのことを護衛騎士バンナムも理解していたから、不便そうな王子を見ても何も言わなかった。バンナムから見ても、毎日王子の体のどこかしらに必死に張り付いて離れまいとしている紫竜が、言っては何だが、馬鹿みたいに可愛いのであった。


 そして、王宮での話を聞いた魔術師レネも心配していた。
 必死こいて王子の側に居ようとする紫竜が可愛くもあったが、その彼の必死さや、健気な気持ちがよく分かる。
 自分の手の届く場所から、大事な人が居なくなってしまうかも知れない。
 その不安は、レネもかつて経験したことがある感情だったからだ。

 だからレネは自分が以前、リヨンネから言われたように、紫竜に話をした。

「ルーシェが、もし王子が好きで、他の誰にも取られたくないというのなら、ちゃんと捕まえておかないとダメですよ」

 小さな紫竜は、真っ黒い瞳を向けて、黙ったままレネの話を聞いている。

「好きで、大好きな人なら、離れたくないという気持ちがあるのは当然です。ルーシェは王子が好きなのでしょう? なら、ちゃんとその気持ちを伝えておかないと。後悔だけはしないようにしないとね」




(ちゃんと捕まえないとダメだと、レネ先生は言った)

 紫竜は、王子が自分の体を抱きしめたまま眠りについた姿を見つめていた。
 夜になり、緑竜寮の自室で眠っている王子。

(「好きだ」と俺は毎日言っているし、王子も俺のことが「好きだ」と言ってくれる)

 それは、王子と出会った時から互いに口にしていた言葉だった。
 自然に唇から零れ、そして聞いたらとても嬉しくなる言葉。
 胸の中がポカポカと温かくなる。そう、とても幸せな気持ちになる言葉だった。

(俺は王子が大好きだ!!)

 そして眠っているアルバート王子の脇に頭をぐりぐりと押し付ける。
 王子は「ううん」と小さく呻いたが、目を覚ますことはなかった。
 王子の整った顔を見つめながら、紫竜は夜の闇の中で考え込んでいた。

(言葉だけじゃ……足りないのかな)

 以前、王子は自分のことを子供だと言った。だからそれ以上のことは、王子はまだ早いと思っている。
 
(だけど、本当は、俺は子供じゃない)

 生まれた時には、前世の記憶があった。
 十五歳で、トラックに跳ねられて死んだ沢谷雪也としての記憶。
 だから、最初の頃は小さな竜の姿をしていたけれど、自分の方がお兄さんのような気持ちもあった。
 でもいつの頃からだろう。
 王子はぐんぐんと大きくなった。大人みたいに大きくなった。
 自分が小さな竜の姿のままであるのと対照的に、彼は大人の男になっている。
 出会った時は十の少年で、竜騎兵の見習いだった。でも、今や彼は見習いではない、立派な竜騎兵になっている。
 大きくなった彼に、抱き締められると自分がとても小さな存在のようにも思える。
 それでも、甘えて可愛がられる今の立場がとても心地良くて、このままの関係でいいと思っていた。

(でも、王子を捕まえておくためには、このままじゃいけないのかな)




 それからしばらくして、王宮からアルバート王子を招く文が届いた。
 差出人は、彼の二つ年の離れた妹、マリアンヌ姫からであった。
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