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第三章 古えの竜達と小さな竜の御印

第十九話 失われた記録と見つけられた記録(下)

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 その日の夜もまた、情報交換のために、青竜寮のリヨンネの部屋にやって来たバンナムとレネの二人は、リヨンネからの報告を聞いて考え込んでいた。

「過去、竜騎兵団にいたのに、二重線でその名を消されているというのは、気になりますね」

「人心を惑わすほど美しいという記録だけが残っているから、人化した紫竜を巡って、当時の竜騎兵団内で血で血を洗う争いになって、存在がなかったことにされたとか」

 リヨンネがふざけた口調でそう言うのを、バンナムは冷ややかな眼差しで見つめていた。

「もしそんなことがあったのなら、団長室の記録に“紫竜が生まれたら気を付けるように”という警告が残されるでしょう。そして“紫竜は人化をしないように”という言葉が代々伝えられていくはずです。それはなかったのですよね」

 確認するようにバンナムが問いかけると、リヨンネは頷いた。

「ああ。ただ名前が、紫竜とその主の竜騎兵の分も消されていた」

「…………レネ先生の方の記録はどうでしたか」

 バンナムの問いかけに、「まだ調べられていません」とレネは少しうつむいて答えた。
 実は、昨夜の話合いの後、レネは、この竜騎兵団の魔術師達の倉庫代わりに使われていた部屋の扉を、初めて開けたのだ。
 そこに、ぎっしりと本やら怪しげな道具やらが山のように積まれているのを見て、後ずさった。埃が雪のように積もった棚と床。埃が舞い上がるその中では、息をするのもきつそうに思えた。
 これを整理するのは時間がかかる。
 それだけは理解した。

 レネから、魔術師達の倉庫部屋の惨状を聞いたキースが自ら「手伝う」と言い、翌日から、レネは授業の合間に整理をし、キースは朝から夕方までその倉庫部屋に行って掃除と整理を始めていた。
 そして一週間も経つ頃には、倉庫部屋は見違えるように綺麗になっていた。
 キースは一度、倉庫内の荷物を全て外に出し、書類や本とそれ以外に大きく分けた。
 レネがいる時には彼に書類と本の中身を見て区分けを判断してもらい、それをどう倉庫の部屋の中に戻していくか相談し、そして掃除した部屋の中にキースが丁寧に戻していったのだ。

「キース君、君はリヨンネ先生のところじゃなくて、私のところに来ないか」

 その掃除と整理の手腕に惚れ切った魔術師レネがそう言うと、リヨンネは大慌てだった。

「ちょっと、やめてくれよ、レネ先生」

「だって、キース君はすごい優秀じゃないですか。リヨンネ先生には勿体ないです!! 私ならちゃんとお給金だって払いますよ」

「…………わ、私もこれからはちゃんとキースにお給金を払うから」

 だから行かないでくれというような、リヨンネのすがる視線に、キースは頷いた。

「僕は、リヨンネ先生にお仕えすると決めているので。でもレネ先生、お誘い有難うございます」

「嫌になったらいつでも言ってね」

「レネ先生……」

 散々、バンナムとの恋の相談に乗ってやったのに、恩を仇で返すような言動に、リヨンネがレネを睨みつけている。レネはそんな視線は気にせず、テーブルの上に古びた書きつけの冊子の山をドサリと置いた。

「これは何ですか」

 バンナムが一冊手に取り、パラパラとめくる。

「昔、ここにいた魔術師達は日誌を付けていたみたいですね。私は知りませんでした」

 あの高齢の前任魔術師二ムルスからもそうした話は聞いていなかった。
 いや、聞く間もなく、二ムルスは倒れて運ばれていってしまったのだが。

「日誌をつけている魔術師もいれば、つけていない者もいるようですし。それに、わざわざ保存の魔法をかけているものは鮮明に記録も残っていますが、そうでない日誌は朽ちてしまっています。その五百年前の魔術師の日誌が残っているかどうかは、この山の中を精査しなければ分かりません」

「………………」

 リヨンネはなんとも言えない表情で日誌の山を見つめていた。
 記録を付け、更には長期間の保存にも耐えられるように魔法を掛けていなければ、その五百年前の記録は完全に闇の中ということだった。

 だが、バンナムは言った。

「滅多に生まれない紫竜の記録です。当時の魔術師も大層興味を持っていたはずです。記録は残っているでしょう」



 
 テーブルの上に積まれた冊子の山は、リヨンネとレネの二人で手分けして内容を精査することになった。王子を警護するバンナムには、そうした記録を見ていく時間など無かったのだ。当然の帰結である。

 そして五百年前の、その当時の魔術師の日誌を書きつけの山の中から見つけ出したのはレネであった。


 その日の夜、情報交換のためにリヨンネの部屋にいつものように集まった、レネとバンナム。
 レネの顔色はあまり良くなかった。
 彼は、五百年前の紫竜がいた頃、この竜騎兵団の拠点で魔術の教師を務めていた者の日誌を見つけたと述べた。
 その古びた書きつけの冊子をテーブルの上にそっと置いた後、レネは一言、こう言った。

反吐へどが出そうでした」

 そんなキツイ台詞が、純真な魔術師の若者の口から出されたことが信じられないように、その場のリヨンネ、バンナムはレネの顔を見る。
 レネは「一通り読みましたが、最低でした。ルーシェは、人化させても絶対に他人にその姿は見せないようにしましょう」とハッキリと言った。

「何があったのです」

 バンナムの問いかけに、椅子に座ったレネは淡々と感情を込めないように話し始めた。

「五百年前この竜騎兵団で生まれた紫竜は、雌竜でした。主である竜騎兵の若者と愛し合っていたそうです。そして非常に強い魔法の使い手であり、当時あった国境沿いの小競り合いでは、紫竜の使う魔法のおかげで追い返せたことが何度もあったそうです。素晴らしい働きを見せた紫竜と竜騎兵の主である若者は、王宮で褒賞を受けることになり、その時、紫竜は王宮の官吏達の求めで、竜体ではなく人の姿で王宮に入ったそうです」

「なんで竜体ではダメだったの?」

 リヨンネの問いかけにレネは答える。

「それには深い意図はなく、竜騎兵団の主だった面々に褒賞を与えるため、連れて行く竜達全員が竜の姿のまま王宮に入ると、場所が無くなるという理由のためだったようです」

 当時の紫竜は今のルーシェのように、姿を幼竜や成竜に変える力は無かったようだ。そして多くの竜が竜体のまま王宮に入ると、大きい図体のため場所が無くなるということも理解できた。

「……それで?」

 話の先を促すバンナムの前で、レネは続けた。

「人化した紫竜はそれはとても美しかったそうです。ただ、当時の竜騎兵団長の理解もあり、竜騎兵団では争いの元になることはありませんでした。問題は彼女が王宮で、王達の前で人化した姿をさらしたことです」

「……え、待って」

 リヨンネはその後の言葉が予想出来た。
 彼は額に手を当て、戸惑ったように言う。

「それって、ちょっと、人化した紫竜が惑わせたのって」

 レネはふーと息をついた。

「御想像通りです。人化した紫竜が人心を惑わせたのは、この竜騎兵団の竜騎兵達ではありません。王と王子達が、彼女に惑ったのです。特に王は彼女に執心し、彼女を王宮内に留め置いたそうです。ついには主の竜騎兵を捕らえ、その竜騎兵を盾に関係を迫ったとあります」

「それで……」

 冷静に話の先を促すバンナムに、レネは言った。

「二人のその後の記録はありません。竜騎兵団では、二人は“いなかったもの”と処理されたそうです。実際、二人は王宮からこの竜騎兵団に戻ることはなかったようです。魔術師の日誌にもその後のことは書き記されていませんでした。ただ、

「…………」

「…………」

 バンナムもリヨンネも言葉を失って黙り込んでいた。

「二人の存在が無かったことにされていることが、答えのようなものです。こんなこと、五百年前の竜騎兵団長も記録に付けることは出来なかったでしょう。王家に仕える竜騎兵団であるのだから、主君たる王家に不利な記載をすることは許されない。だから、無かったことにされて、ただ紫竜は人の心を惑わすほどに美しかったという記録しか残っていない」

 当時の魔術師が日誌にそれを残したのは、その魔術師なりの反抗の気持ちだったのではないかと思われた。その日誌を目にするのは後任となる魔術師しかいない。しかしその話を漏らそうにも、この閉ざされた北方の竜騎兵団の拠点で、誰に話す事ができただろうか。ましてやその話は、王家にまつわる話である。だから今まで、その話が漏れることも、伝えられていくこともなくなっていた。そしてやがて日誌の山に埋もれて、忘れ去られていく。
 竜騎兵の多くが平民である。
 おそらく、その紫竜の主である竜騎兵の若者も、平民ではなかったのか。いや、たとえ彼が貴族であったとしても、どうして王に逆らうことができよう。

 リヨンネは、深くため息をついて、その書きつけの冊子を手に取った。
 
「レネ先生の言う通りにしよう。ルーシェにも、殿下にも、紫竜の人化した姿は他人に見せていけないとよくよく言い聞かせよう。他人には、まだ幼くて人化は出来ないと言ってもいい。そうだ、殿下を背中に乗せて飛ぶ時以外、ルーシェには子竜の姿のままでいさせよう。そうすれば、大人の人間の姿にも変われるなど思われない」

「そうしましょう」

 バンナムも頷いた。
 誰よりも美しいであろうルーシェの人化した姿が、いらぬ争いの種になることは避けなければならなかった。

「そして殿下の前でだけ、ルーシェは人の姿に変わるんだ」

 レネは言う。
 彼は、ぽつりぽつりと言う。

「いつか殿下はルーシェを求めるだろう。でもルーシェは他人の前で決して人化しない。殿下の前でだけ、人化するんだ」



 後日、バンナムはアルバート王子と紫竜を前に、努めて淡々と、五百年前の紫竜の身に起こった出来事を話したのだった。その結果、アルバート王子と紫竜は、人化したいと話すことはなくなった。少しばかりそのことが可哀想に思えたが、用心に用心を重ねた方が良いだろうとバンナムは考えていた。

 そしてリヨンネは、レネが部屋に置いていった五百年前の魔術師の日誌をバラバラとめくって読んでいく。その最中、ふと気になるものを見つけた。
 しおりのように挟まれていた紙片があった。その紙片には正方形の枠の中に花の紋様が描かれている。その紋様をどこかで見たことがあると思った。
 それでリヨンネは一人、ぽんと手を叩いた。
 そうだ。
 この紋様は、以前、王宮の端に建つ尖塔の中で、紫竜に飛行訓練をしていた時に、見つけた黒ずんだ指輪に刻まれていた紋様だ。
 リヨンネはいそいそと、仕舞いこんでいた指輪を取り出す。見つけた当時は黒ずみ、汚らしいものにしか見えなかった指輪だったけれど、磨き上げた結果、こんなにも綺麗になっている。
 勝手に尖塔から持ち去ったままになっていた指輪だった。
 指輪には四角い正方形の枠の中に花弁が大きく広がるような花の紋様が刻まれていた。
 その指輪に刻まれていた紋様と、この日誌の冊子に挟まれていた紙片に描かれている紋様は全く同じだった。

 そこでリヨンネは、はたと動きを止めた。

(あの尖塔には、かつて気の狂った姫が閉じ込められていたという)

(いや……いやまさか)

 考えれば考えるほど、怖い考えになってしまいそうだった。
 五百年前、王宮から戻って来なかった竜騎兵と紫竜。
 この紋様は、まるで王族達の御印のようでもある。
 アルバート王子が身の回りのものに押す小さな竜の御印を作ったように、王が寵愛した紫竜の娘を、王家に招き入れ、御印を与えたのなら?

 それがこの花の御印なら?

(いや、仮にも竜だ。尖塔に閉じ込められていても、竜なら飛んで逃げることができる。ルーシェだってあの尖塔から飛ぶ訓練をしたくらいだ。飛べる竜を尖塔に閉じ込めることはできない)

(そう、そんなはずがない)
 
 きっと、あの尖塔に閉じ込められていたという気の狂った姫君と、五百年前の美しい紫竜の娘は別人だろう。

 だけど、五百年前の紫竜と竜騎兵の若者は、王宮から戻ることなく、消えてしまったのだった。
 王宮から先の行方は分からない。プツリと途切れた足跡。それだけが真実だった。
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