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第三章 古えの竜達と小さな竜の御印

第十六話 制止(上)

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 それからの毎日は、飛行訓練に明け暮れる日々だった。
 朝から夕方まで、離着陸場から竜の背に乗って空を飛び、順調に飛べるとみなされると少しずつ飛べるルートを広げていく。
 事前に、見習い竜騎兵達には付近の地形を学ぶ授業があり、荒く印刷された地図をもとに、竜騎兵達の飛ぶことが許されている地域と、野生の竜達のテリトリーについて徹底的に教え込まれる。
 もしテリトリーを侵した場合、すぐさまそのテリトリーから離れることを教えられた。テリトリーに留まり続けた場合、野生竜からの攻撃を受けても仕方のないものとみなされる。
 そしてテリトリーを侵した、野生竜の獲物だとみなされた竜騎兵の竜は、時に野生竜の巣穴に連れて行かれて、戻ってこないこともあった。
 その話を聞いて、今更ながら紫竜は自分がひどく危険な橋を渡っていたことを知った。
 リヨンネが紫竜と王子に話した通り、竜の中には危険なもの達もいる。紫竜を巣穴に引きずり込もうと虎視眈々と狙う野生竜は確かにいるのだ。

 先輩にあたる教育担当の竜騎兵達は「野生竜のテリトリーには侵入しないこと」「何かあれば竜騎兵団の拠点に引き返すこと」を口が酸っぱくなるほど言っていた。
 そして、野生竜のテリトリーの区域については、すべて暗記するように求められた。
 王子は大きな紙を用意して、そこに渡されていた地図を転記する。更に色分けして、分かりやすいように地形の特徴も書き込んでいった。
 王子と額を突き合わせながら、そうした作業に一緒に取り組んでいくことが、紫竜は楽しかった。
 自分が前世で学生だった頃のことを思い出すのだ。
 
(勉強している内容は、前世と全く違うけど、でも王子と一緒にこうした作業をすることは楽しいな)

 そして飛ぶ際の、翼の拡げ方、風魔法の効果的な使用方法なども教わる。問題なく離着陸動作がこなせ、飛ぶことにも慣れてきた頃には、飛行隊列の組み方を教わる。
 鳥の雁が飛ぶ時のように、Vの字の隊列を組むことが多い。その際の一緒に飛ぶ他の竜達との距離間隔や、羽ばたきの角度、タイミングなど、他の竜達と合わせなければならないことも多い。
 やること、覚えることは多かったが、全てが目新しくて面白かった。

 訓練の間に、何度か、飛ぶ距離や速さについて測定を受けた。
 聞くところによれば、その測定結果によって部隊の配属が決められるらしい。

 竜騎兵団は、基本五人一組の小隊が作られる。その小隊が幾つかまとめられて部隊が作られる。
 五人一組の小隊には小隊長がおり、その小隊をまとめたものが部隊となって隊長が据えられている。
 現在四つの部隊があり、四人の隊長がいる。
 そしてその四人の隊長の上に、副騎兵団長がいて、更にその上に騎兵団長がトップとして君臨しているのだ。
 なお、代々騎兵団長の竜が、竜騎兵団という群れの長を務めている。群れの長に新たな竜が就いた時点で、その新たな竜の主となる竜騎兵が騎兵団長の座に就くのだった。
 
(つまりは、ウラノス騎兵団長のウンベルトは破格の竜であったから、ウラノス騎兵団長は、ウンベルトを自身のパートナーにした時点で、騎兵団長になるべくしてなった人なのだろう)

 紫竜は、自分を救出にやって来てくれた赤褐色の巨大な竜ウンベルトと、ウラノス騎兵団長のことを思い出していた。

 二十歳になるやウラノスが騎兵団長になったことも、それは赤褐色巨竜のウンベルトの存在あってのことだ。
 竜の威光に引きずられていると思われて、ウラノス騎兵団長は、騎兵団長就任当初は苦労したらしい。
 ただ、ウラノス自身も非常に優秀な竜騎兵の若者であったから、そう時間が経たないうちに、実力で、不満を漏らす竜騎兵達をねじ伏せることが出来たらしい。

 現在、この竜騎兵団に竜は百二十頭以上存在する。
 かつて、三百頭を超える竜がいた頃と比較すれば、半減以下となっている。
 竜一頭につき、主たる竜騎兵は一人いるのだから、竜騎兵団には百二十人以上の竜騎兵がいることになる。
 だが、そこは極めて狭い世界である。

 一頭が千兵の価値があると言われる竜騎兵の竜達。しかし、そんな強力な兵器のような生物をパートナーとする竜騎兵達は、戦争に出兵することもなく、もっぱら国境警備と害獣の処理に勤しむだけの毎日である。
 現状が平和な状態ゆえに、自然と竜騎兵団に生まれる竜の数も減少の一途を辿っているのではないかという話もあった。
 ただそれは竜騎兵に限らず、騎士団の騎士達についてもいえることで、戦の無き日々が続くせいで、王国の騎士達の剣もなまくらになっているという専らの噂であった。

(ただ、平和であることはいいことだと思うんだけどなぁ)

 紫竜はその日の夜も、アルバート王子の膝の上でごろごろと転がって遊んでいた。
 
(だって戦争のある国だったら、今頃俺は、こうして王子に甘えてなんていられないだろう)

 転生した先が、アルバート王子のいる国で良かったとしみじみと思う紫竜。
 先日、リヨンネに連れられてきたキースという少年は、遥か西方地域で起こっている戦乱から逃れるためにやって来た避難民の子供だと聞いて驚いた。
 アルバート王子と同じ十歳の年齢とは思えないほど、痩せ細り、小さく見えた少年だった。
 日本のように平和で、食べることにも苦労のない生活をしてきた紫竜は、今更ながら、ここが、戦争もある過酷な世界だと気が付いたのだ。

(転生してきたばかりの時は、人間じゃなくて竜であることにただただ驚いていたけど)

(本当に俺は恵まれている。こればっかりは転生させてくれた神様に感謝しないといけないな)

(まぁ、神様なんてものがこの世界にいるのかどうか分からないけれど)

 そもそも、人間の学生であった自分が、トラックに跳ね飛ばされてどうして、異世界の竜の体に魂が宿ることになったのか。その理由も未だに分からない。
 よくある異世界転生のアニメや小説では、物語冒頭に女神やら神様やらが出てきて、転生者に、転生した理由やその目的を説明してくれるものだ。
 自分の場合、そうした場面は一切なかった。
 目が覚めたら、卵の内側にいて、切羽詰まった気持ちで王子を主とするために、卵の殻をくちばしで割ったのだ。

(目的もない、ただの転生ということなのかなー)

 王子の手が優しく紫竜の頭を撫でる。
 紫竜の、その大きな黒曜石のような瞳を見つめ、王子はふと気が付いたように言った。

「成長した竜の姿になることが出来るのなら、お前はもう、人の姿になることも出来るのかな?」

 それに、紫竜はコテンと頭を傾げた。

「ピルルピル(……試したことがないから分からない)」

「成長した竜の姿でも、お前はあれほど美しいのだもの。きっと、人の姿に化身したお前は、とても綺麗だろうな」

「ピルピルルルピル?(王子は、人の姿に変わった俺に会いたいの?)」

 そう尋ねると、王子は紫竜の胴体を両手で持ち、高い高いをするように持ち上げながら笑顔で言った。

「それはそうだ。人の姿のルーに会いたい」

(成竜の姿になる時と同じように、人の姿になりたいと望めば、人の姿に変われるのだろうか)

 そう言えば、今までレネ先生から、成竜から人の身に変わる方法について聞いていない。
 竜は、魔力が相応にあれば、人の姿に変わることも出来ると聞いた。
 “魔術の王”と称される紫竜であるルーシェならば、間違いなく人の姿に変わることはできるだろう。
 そして今や紫竜は、魔法の力で幼竜の姿や成竜の姿になることも出来るし、魔力自体も魔素で相当蓄えている。
 出来ないはずがない。

 もし人の姿に変わることが出来るなら、王子の勉強をもっと手伝ってあげられるだろう。野生竜のテリトリーを地図上に書き込む作業の時だって、色を塗るための筆を、竜の手だと持てなかったから、せいぜいが地図用の大きな紙がめくり上がらないように足で押さえたり、王子を応援したりすることしか出来なかった。でも人の姿に変われるのなら、人と同じような作業が出来る。もっと王子のことを手伝ってあげられる。
 大体、前世での自分は、今の王子よりも年上の高校生だったのだ。十歳の王子を手伝えることはたくさんあるはず。子供の竜の姿よりも、人の姿の方がもっと役に立てる。

(試してみようかな)

 そう軽い気持ちで紫竜が思っていた時、護衛騎士バンナムがそれを止めた。

「お止めになった方がよろしいです」

 アルバート王子とルーシェが同時にバンナムのいる方に顔を向ける。
 普段、アルバート王子とルーシェが楽しく遊んでいる場に、邪魔してはならないと滅多に口を挟むことのないバンナムである。
 当然、王子は疑問をぶつけた。

「何故、止めるんだ」

「……まだ早いと思われます。殿下と同年の見習い竜騎兵の竜達は一頭も人化をしていません。人化についてはまた改めて講義がされるはずです。勝手な人化には問題があるでしょう」

「ルーが人化しても、僕の前でやるだけだ。問題はないと思うぞ」

 バンナムは頭を振った。

「お止めになられた方が宜しいです。ここは、私めの言葉をどうぞお聞き入れ下さい」

 バンナムはそう言って頭を下げたまま、王子がその意見を受け入れることを望んでいた。
 仕方なしに王子は頷いた。

「……分かった。勝手な人化には問題があるとは知らなかったな。明日、リヨンネ先生やレネ先生に聞いてみよう」

 そう言う王子に、「お聞き入れ下さってありがとうございます」とバンナムは言った。
 なんとなしに、バンナムの中に(今の王子の前でルーシェが人化することはまずい)という思いがよぎったのだ。
 それはまさしく勘のような思いだった。

 いつぞやの、ウラノス騎兵団長との面会の時に、ウラノス騎兵団長はアルバート王子にこう言った。

『紫竜は、他の竜と違い、小柄で“魔術の王”と呼ばれるほど魔術に長けた竜となります。そして非常に美しい。竜の姿でも美しく、人の姿となれば、人心を惑わすほどに美しい』

 あの時、その言葉を聞いた王子も紫竜もピンと来ていない様子だった。
 ルーシェよりも前に生まれたという紫竜は、五百年も昔の存在だった。
 その五百年前の紫竜についての言い伝えが、今もまだ竜騎兵団の騎兵団長には伝えられている。

()

 その言葉はどこか不吉な響きを持っていると、バンナムは感じていた。
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