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第三章 古えの竜達と小さな竜の御印

第十三話 催促

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 その頃、リヨンネの一番上の兄で、バンクール商会を率いるジャクセンは、妻と子供達との団欒の中にあった。
 ジャクセンの妻ルイーズは、ジャクセンにとって親の決めた許嫁であったが、結婚前からジャクセンとの仲は非常に睦まじく、三人の子供達に恵まれている。
 今回、リヨンネの「かわいくて綺麗なものも一通り送ってくれ」という無茶な頼みに応えたのは、彼の妻ルイーズと二人の娘達だった。
 彼女達は嬉々として、都で流行っているものをこれでもかと、箱いっぱいに詰め込んだ。
 綺麗なリボンや、頬が落ちるほどの甘くて美味しいお菓子や、唇にさす淡い色合いの紅や、涙が止まらなくなる流行の恋愛小説や、繊細な花の形をした髪飾りやら。それらを購入するための資金の出所は夫ジャクセンであったから、彼女達は喜んでそれを費やし、箱いっぱいにかわいくて綺麗なものを詰め込んだ。
 「リヨンネおじさまは喜んでくれているかしら」という娘達の問いかけに、ルイーズは「もちろんよ」と頷き、そしてジャクセンもまた(……自分には良く分からないが、妻達が流行を外すことはないだろう)と思っていた。贈り物の箱の蓋をしめて、可愛い花柄の包装紙で包み、更に朱色のリボンを留めた。ジャクセンの店の女性店員達も面白がって、リボンは綺麗に花の形に整えてくれた。それを更に木箱に詰めて、壊れ物注意という貼り紙を貼った状態で、この北方の地まで慎重に運ばれ、黒竜シェーラの元に届けられたのだ。

 まさかまさか、リヨンネの兄ジャクセンもその妻ルイーズも、二人の娘達も、その「かわいくて綺麗なもの」が詰められた箱が、呪いが十八番だという黒竜の手元に届けられるとは思ってもいなかった。
 だが、遠く、北方の洞窟の中で暮らしていた黒竜シェーラの心臓は、まさにその「かわいくて綺麗なもの」に鷲掴みにされた。

 リボンを解いて箱から零れ出た、キラキラと輝くその繊細なもの達に、シェーラの金色の瞳もキラキラと輝いた。
 今まで黒竜に捧げられていた「かわいくて綺麗なもの」はこんな繊細で美しく綺麗なものではなかった。
 そう、こんな流行を押さえた、見るからに少女達がキャッキャ声を上げて喜ぶようなものを、黒竜シェーラは今まで知らなかった。
 シェーラは黒髪の女の姿にその身を変え、自分の寝床に横になり、その贈り物を寝床いっぱいに広げて眺めていた。
 そして泣ける恋愛小説を転がりながら、読み耽る。そして悲しいシーンにはレースのハンカチを目元に当てていた。

 黒竜シェーラは本を読み終わった後に気が付いた。
 彼女は読み終わると同時に、竜に姿を変え、まっしぐらに竜騎兵団の拠点目掛けて飛んでいった。
 野生の竜と、竜騎兵団の竜達との、その不可侵の協定など、“古竜”であるシェーラは一切気にしていなかった。誰が彼女のことを止められようか。
 やって来るなり、彼女は贈り主であるリヨンネの名を呼び、急ぎやって来たその人間の学者を見下ろしながら訊ねた。


「リヨンネ、あの本は一巻であったわ。続巻はないの?」

「…………」

 実は、贈り物の中身をリヨンネはチェックしていなかった。
 一族の中で最も優秀な兄に丸投げをしていたのだ。リヨンネは、木箱に入った贈り物をそのまま、右から左へと黒竜の元へ流しただけであった。
 続巻はないのかと尋ねられても、答えられるはずもなく、リヨンネは額に汗を浮かべ、目を彷徨わせている。

「その……問い合わせてみます」

「問い合わせるとは、一体どういうことなの?」

「…………本は、王都から取り寄せたのです。続巻も王都から取り寄せなければなりません」

「そうなの」

 なるほど。
 どうして洒落た流行の品々ばかり、贈り物の箱の中にあったのかその理由がようやくシェーラには分かった。
 このリヨンネという人間は、わざわざ自分へ贈り物を用意するため、王都から取り寄せてくれたのだ。なかなか見上げたものではないか。
 
「ふん。分かったわ。続刊が来たら教えなさい」

「…………ハイ、ワカリマシタ」
 
 続刊は頼むまでもなく、当然、届けられるべきものだと思い込んでいる黒竜シェーラである。
 内心、リヨンネはすぐに兄のジャクセンに手紙を出して、送ってくれた本の続刊も急いで届けてもらわなければと思っていたところで、大森林の一角がゴボォという音と共に、大きく崩れ、そこから赤褐色の巨大な竜が上体を持ち上げていた。

 次から次へいったい何事だとリヨンネが目を丸くして思っている中、洞窟の中から悠々とした巨体で怒りを漲らせた赤褐色竜ウンベルトが現れたのだった。
 そう、ウンベルトは主である竜騎兵団長ウラノスに、心話で呼びかけられ、黒竜が竜騎兵団へ突然やって来たことを知った。
 ウンベルトは、黒竜シェーラが竜騎兵団の拠点の離着陸場にいることを見て、咆哮した。
 ビリビリビリと空気が振動し、たまらず耳を押さえてうずくまる者達が続出する。そこかしこで雪崩が起きている音が響く。

「あらあら、ヤル気なのかしら」

 黒竜シェーラが受けて立とうと、ゆらりとその大きな竜の身を、ウンベルトのいる方向へ向けた時、声が響き渡った。

「お止めください」

 それを止めに入ったのは、副騎兵団長エイベルであった。



 黒竜シェーラは、そのよく通る声の方角に頭を向けて、ピタリと動きを止めた。
 金色の目が大きく見開かれる。

(まぁ、なんてなんてなんて)

 なんて綺麗な人間なのだろう。
 それは一度も見たことの無いような美しい人間だった。

 流れるような銀糸の髪に、薄菫色の瞳の、美しい顔立ち。スラリとした肢体は竜騎兵団の青い軍装に身を包んでいる。マントを翻したその若々しい騎兵は、まさしく王子様のようないで立ちであった。
 黒竜が、内心息を飲んで見つめている中、その銀髪の美しい副騎兵団長は、恭しく片膝をついて言った。

「どうぞ、お怒りをお収めください。お二方にこの場で争われては甚大な被害が生じます」

「ふん、あちらから戦いを挑んでこなければいいことよ」

 そう言いながらも、黒竜シェーラは金色の瞳でチラチラと突如この場に現れた竜騎兵の美貌の青年を見つめ続けている。

 この竜騎兵団の軍装を身に付けていることから、竜騎兵であるのは間違いないだろう。
 こんなにも美しい人間がいることなんて知らなかった。

 黒竜シェーラの胸は早鐘を打ったかのようにドキドキとしていた。
 更に、リヨンネを心配して駆け付けたアルバート王子と小さな紫竜ルーシェを見た時、またしても黒竜シェーラの金色の目は大きく見開かれていた。

(紫竜がまた生まれているとは聞いていたけれど、なんてなんて可愛い竜なのかしら!!)

 翼をはためかせて現れた小さな紫色の竜と、心配そうにリヨンネを見つめる黒髪の少年王子。そして煌びやかな銀髪の竜騎兵の青年。

(何かしら、ココには綺麗で可愛いモノが揃い過ぎているじゃないの)

 内心、ハァハァと荒く息をつき、黒竜シェーラはクールで冷静沈着なふるまいを取りながらも、心臓のドキドキは止まらなかった。

「大丈夫か、リヨンネ」

「殿下、ここに来てはなりません」

 機嫌を損ねると呪いを掛けるという黒竜である。そこに何故、大切な王子を連れて来ているのだと非難するような眼差しを、護衛騎士バンナムに向けるリヨンネ。
 確かにその通りだと頭を下げるバンナム。だが、バンナムとて王子を止めようとしたのだが、王子と紫竜二人して、バンナムの制止をくぐり抜けてしまったのだ。

「バンナム卿を責めるな。僕が行きたいと言ったんだ」

「ピュルルピュルルル(俺も行きたいって言ったんだ)」

 そう小さな竜と少年王子にバンナムが庇われ、リヨンネが軽く怒っているという混乱の中、ウラノス騎兵団長が隊長職にある四人を引き連れてやって来た。
 黒竜の前に片膝をついているエイベル副騎兵団長を一瞥した後、ウラノス騎兵団長は黒竜シェーラに努めて冷静に話しかけた。

「何の用だ」

 そこで黒竜はハッと我を取り戻し、目の前に現れたウラノス騎兵団長を見て、金色の瞳を細めた。

「おや……お前はウラノスとかいう竜騎兵団長でしたね」

「忘れられておらず、幸いだ」

 十五年ぶりの邂逅であった。



 黒竜シェーラは、竜騎兵団団長ウラノスのことを覚えていた。
 そして相まみえることのなかった十五年という歳月が、出会った当初、若々しい二十歳そこそこの青年であったウラノスを随分と大人にしたものだと感心したように見つめていた。
 千年を越えて生きる“古竜”シェーラにとって、人間であるウラノスのあまりにも速すぎる成長は驚きでしかなかった。
 瞬き一つしている内に、消えて代替わりしていることの多い、人間である。

 十五年前、二十歳の若者であったウラノス騎兵団長は、自分に対して挨拶一つ出来なかった無礼者であった。
 だから、シェーラは彼に罰として呪いを与えた。

「ふん、少しはこたえたのかしら。先達せんだつに対する敬いの感情を覚えたのかしら」

 ウラノス騎兵団長は無の表情である。
 彼とて、ここでシェーラと揉めてしまうと大惨事になろうことは理解していた。
 早くこの場から立ち去ってもらう。それが第一だった。
 そのためには、シェーラの目的を聞かなければならない。

「……いかなる用件で」

 その全く面白みのない問いかけに、ふんとシェーラは鼻息を吐き出した。

「用件は済んだわ。そこのリヨンネという人間に用事があっただけなの。お前のつまらぬ顔など見たくもない」

 「こちらとて見たくない」とハッキリと言い返したいところであったが、ウラノス騎兵団長は無表情のままそれを耐えていた。
 副騎兵団長エイベルは、ウラノス騎兵団長のその様子を見た後、唐突に黒竜へ言った。

「シェーラ殿。ウラノス騎兵団長に掛けられている呪いを、解いて頂きたい」

 その場にいた者達は驚いたように、一斉にエイベルに視線を向けた。
 それはウラノス騎兵団長も例外ではなかった。

 「何を言っている」というようなウラノスの視線を無視して、エイベルは続けた。

「十五年という年月は、十分な罰の時間であったはずです。呪いを解いて頂きたい」

 エイベル副騎兵団長の言葉に、シェーラは一瞬、呆気にとられた様子で、金色の目をパチクリとさせた。
 それから美しい副騎兵団長、大柄の騎兵団長の二人を眺め、大きな声でケラケラと笑い声を上げ始めた。

「の、呪いですって。フフフフフフ、アハハハハ」

 可笑しくてたまらないように黒竜は笑い続ける。
 その様子に、その場にいた人間達は呆然としていると、黒竜シェーラはキッパリと言った。

「もう、とうに呪いなど解けておるわ。あの呪いはせいぜいが一週間ほどしか効力はない」

 シェーラの言葉に、ウラノス騎兵団長は立ち尽くした。
 その様子を見て、黒竜はなおもケラケラケタケタと笑い続けていた。

「ハハハハ、フフフフフフ、アハハハハ、その様子だと、貴方は十五年も、十五年もというの。呪いがあると信じ続けてずっとずっと」

 ウラノス騎兵団長は自身の額に手をやる。

「これはこれは、面白いこと。楽しいこと。十五年間、貴方は呪いがあることを信じ続けていたの?」

 それには赤褐色竜ウンベルトが怒りに翼を広げ、向かって来ようとする。
 だが、それよりも先に黒竜シェーラは離着陸場から飛び立ち、空へと羽ばたいていく。ごうと強い風が人間達に吹き付ける。
 眼下の人間達を金色の目で見下ろし、彼女は言った。

「なんて愚かなこと。随分と時間を費やしてしまったのね、ウラノス。哀れな人間だこと。さぁさ、これから貴方は自身の春を取り戻すことね。まぁ、まだまだ貴方は若いのだから、取り戻す時間は十分にあるでしょう」

 そして黒竜シェーラは、リヨンネと可愛らしい紫竜を見つめて言った。

「リヨンネ、続きの本を手に入れたのなら、すぐに私に知らせなさい。そして可愛らしい紫竜。お初にお目に掛かるわ。また貴方とは是非とも別の機会にお会いしたいわ」

 そうして黒竜は、登場した時と同様に、立ち去る時も自分の意のまま気の向くまま、勝手に飛び去っていったのだ。
 あっという間に現れ、そして消え去った黒竜の姿を、竜騎兵団の者達は呆然として見送っていた。
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