56 / 711
第三章 古えの竜達と小さな竜の御印
第十三話 催促
しおりを挟む
その頃、リヨンネの一番上の兄で、バンクール商会を率いるジャクセンは、妻と子供達との団欒の中にあった。
ジャクセンの妻ルイーズは、ジャクセンにとって親の決めた許嫁であったが、結婚前からジャクセンとの仲は非常に睦まじく、三人の子供達に恵まれている。
今回、リヨンネの「かわいくて綺麗なものも一通り送ってくれ」という無茶な頼みに応えたのは、彼の妻ルイーズと二人の娘達だった。
彼女達は嬉々として、都で流行っているものをこれでもかと、箱いっぱいに詰め込んだ。
綺麗なリボンや、頬が落ちるほどの甘くて美味しいお菓子や、唇にさす淡い色合いの紅や、涙が止まらなくなる流行の恋愛小説や、繊細な花の形をした髪飾りやら。それらを購入するための資金の出所は夫ジャクセンであったから、彼女達は喜んでそれを費やし、箱いっぱいにかわいくて綺麗なものを詰め込んだ。
「リヨンネおじさまは喜んでくれているかしら」という娘達の問いかけに、ルイーズは「もちろんよ」と頷き、そしてジャクセンもまた(……自分には良く分からないが、妻達が流行を外すことはないだろう)と思っていた。贈り物の箱の蓋をしめて、可愛い花柄の包装紙で包み、更に朱色のリボンを留めた。ジャクセンの店の女性店員達も面白がって、リボンは綺麗に花の形に整えてくれた。それを更に木箱に詰めて、壊れ物注意という貼り紙を貼った状態で、この北方の地まで慎重に運ばれ、黒竜シェーラの元に届けられたのだ。
まさかまさか、リヨンネの兄ジャクセンもその妻ルイーズも、二人の娘達も、その「かわいくて綺麗なもの」が詰められた箱が、呪いが十八番だという黒竜の手元に届けられるとは思ってもいなかった。
だが、遠く、北方の洞窟の中で暮らしていた黒竜シェーラの心臓は、まさにその「かわいくて綺麗なもの」に鷲掴みにされた。
リボンを解いて箱から零れ出た、キラキラと輝くその繊細なもの達に、シェーラの金色の瞳もキラキラと輝いた。
今まで黒竜に捧げられていた「かわいくて綺麗なもの」はこんな繊細で美しく綺麗なものではなかった。
そう、こんな流行を押さえた、見るからに少女達がキャッキャ声を上げて喜ぶようなものを、黒竜シェーラは今まで知らなかった。
シェーラは黒髪の女の姿にその身を変え、自分の寝床に横になり、その贈り物を寝床いっぱいに広げて眺めていた。
そして泣ける恋愛小説を転がりながら、読み耽る。そして悲しいシーンにはレースのハンカチを目元に当てていた。
黒竜シェーラは本を読み終わった後に気が付いた。
彼女は読み終わると同時に、竜に姿を変え、まっしぐらに竜騎兵団の拠点目掛けて飛んでいった。
野生の竜と、竜騎兵団の竜達との、その不可侵の協定など、“古竜”であるシェーラは一切気にしていなかった。誰が彼女のことを止められようか。
やって来るなり、彼女は贈り主であるリヨンネの名を呼び、急ぎやって来たその人間の学者を見下ろしながら訊ねた。
「リヨンネ、あの本は一巻であったわ。続巻はないの?」
「…………」
実は、贈り物の中身をリヨンネはチェックしていなかった。
一族の中で最も優秀な兄に丸投げをしていたのだ。リヨンネは、木箱に入った贈り物をそのまま、右から左へと黒竜の元へ流しただけであった。
続巻はないのかと尋ねられても、答えられるはずもなく、リヨンネは額に汗を浮かべ、目を彷徨わせている。
「その……問い合わせてみます」
「問い合わせるとは、一体どういうことなの?」
「…………本は、王都から取り寄せたのです。続巻も王都から取り寄せなければなりません」
「そうなの」
なるほど。
どうして洒落た流行の品々ばかり、贈り物の箱の中にあったのかその理由がようやくシェーラには分かった。
このリヨンネという人間は、わざわざ自分へ贈り物を用意するため、王都から取り寄せてくれたのだ。なかなか見上げたものではないか。
「ふん。分かったわ。続刊が来たら教えなさい」
「…………ハイ、ワカリマシタ」
続刊は頼むまでもなく、当然、届けられるべきものだと思い込んでいる黒竜シェーラである。
内心、リヨンネはすぐに兄のジャクセンに手紙を出して、送ってくれた本の続刊も急いで届けてもらわなければと思っていたところで、大森林の一角がゴボォという音と共に、大きく崩れ、そこから赤褐色の巨大な竜が上体を持ち上げていた。
次から次へいったい何事だとリヨンネが目を丸くして思っている中、洞窟の中から悠々とした巨体で怒りを漲らせた赤褐色竜ウンベルトが現れたのだった。
そう、ウンベルトは主である竜騎兵団長ウラノスに、心話で呼びかけられ、黒竜が竜騎兵団へ突然やって来たことを知った。
ウンベルトは、黒竜シェーラが竜騎兵団の拠点の離着陸場にいることを見て、咆哮した。
ビリビリビリと空気が振動し、たまらず耳を押さえてうずくまる者達が続出する。そこかしこで雪崩が起きている音が響く。
「あらあら、ヤル気なのかしら」
黒竜シェーラが受けて立とうと、ゆらりとその大きな竜の身を、ウンベルトのいる方向へ向けた時、声が響き渡った。
「お止めください」
それを止めに入ったのは、副騎兵団長エイベルであった。
黒竜シェーラは、そのよく通る声の方角に頭を向けて、ピタリと動きを止めた。
金色の目が大きく見開かれる。
(まぁ、なんてなんてなんて)
なんて綺麗な人間なのだろう。
それは一度も見たことの無いような美しい人間だった。
流れるような銀糸の髪に、薄菫色の瞳の、美しい顔立ち。スラリとした肢体は竜騎兵団の青い軍装に身を包んでいる。マントを翻したその若々しい騎兵は、まさしく王子様のようないで立ちであった。
黒竜が、内心息を飲んで見つめている中、その銀髪の美しい副騎兵団長は、恭しく片膝をついて言った。
「どうぞ、お怒りをお収めください。お二方にこの場で争われては甚大な被害が生じます」
「ふん、あちらから戦いを挑んでこなければいいことよ」
そう言いながらも、黒竜シェーラは金色の瞳でチラチラと突如この場に現れた竜騎兵の美貌の青年を見つめ続けている。
この竜騎兵団の軍装を身に付けていることから、竜騎兵であるのは間違いないだろう。
こんなにも美しい人間がいることなんて知らなかった。
黒竜シェーラの胸は早鐘を打ったかのようにドキドキとしていた。
更に、リヨンネを心配して駆け付けたアルバート王子と小さな紫竜ルーシェを見た時、またしても黒竜シェーラの金色の目は大きく見開かれていた。
(紫竜がまた生まれているとは聞いていたけれど、なんてなんて可愛い竜なのかしら!!)
翼をはためかせて現れた小さな紫色の竜と、心配そうにリヨンネを見つめる黒髪の少年王子。そして煌びやかな銀髪の竜騎兵の青年。
(何かしら、ココには綺麗で可愛いモノが揃い過ぎているじゃないの)
内心、ハァハァと荒く息をつき、黒竜シェーラはクールで冷静沈着なふるまいを取りながらも、心臓のドキドキは止まらなかった。
「大丈夫か、リヨンネ」
「殿下、ここに来てはなりません」
機嫌を損ねると呪いを掛けるという黒竜である。そこに何故、大切な王子を連れて来ているのだと非難するような眼差しを、護衛騎士バンナムに向けるリヨンネ。
確かにその通りだと頭を下げるバンナム。だが、バンナムとて王子を止めようとしたのだが、王子と紫竜二人して、バンナムの制止をくぐり抜けてしまったのだ。
「バンナム卿を責めるな。僕が行きたいと言ったんだ」
「ピュルルピュルルル(俺も行きたいって言ったんだ)」
そう小さな竜と少年王子にバンナムが庇われ、リヨンネが軽く怒っているという混乱の中、ウラノス騎兵団長が隊長職にある四人を引き連れてやって来た。
黒竜の前に片膝をついているエイベル副騎兵団長を一瞥した後、ウラノス騎兵団長は黒竜シェーラに努めて冷静に話しかけた。
「何の用だ」
そこで黒竜はハッと我を取り戻し、目の前に現れたウラノス騎兵団長を見て、金色の瞳を細めた。
「おや……お前はウラノスとかいう竜騎兵団長でしたね」
「忘れられておらず、幸いだ」
十五年ぶりの邂逅であった。
黒竜シェーラは、竜騎兵団団長ウラノスのことを覚えていた。
そして相まみえることのなかった十五年という歳月が、出会った当初、若々しい二十歳そこそこの青年であったウラノスを随分と大人にしたものだと感心したように見つめていた。
千年を越えて生きる“古竜”シェーラにとって、人間であるウラノスのあまりにも速すぎる成長は驚きでしかなかった。
瞬き一つしている内に、消えて代替わりしていることの多い、人間である。
十五年前、二十歳の若者であったウラノス騎兵団長は、自分に対して挨拶一つ出来なかった無礼者であった。
だから、シェーラは彼に罰として呪いを与えた。
「ふん、少しは堪えたのかしら。先達に対する敬いの感情を覚えたのかしら」
ウラノス騎兵団長は無の表情である。
彼とて、ここでシェーラと揉めてしまうと大惨事になろうことは理解していた。
早くこの場から立ち去ってもらう。それが第一だった。
そのためには、シェーラの目的を聞かなければならない。
「……いかなる用件で」
その全く面白みのない問いかけに、ふんとシェーラは鼻息を吐き出した。
「用件は済んだわ。そこのリヨンネという人間に用事があっただけなの。お前のつまらぬ顔など見たくもない」
「こちらとて見たくない」とハッキリと言い返したいところであったが、ウラノス騎兵団長は無表情のままそれを耐えていた。
副騎兵団長エイベルは、ウラノス騎兵団長のその様子を見た後、唐突に黒竜へ言った。
「シェーラ殿。ウラノス騎兵団長に掛けられている呪いを、解いて頂きたい」
その場にいた者達は驚いたように、一斉にエイベルに視線を向けた。
それはウラノス騎兵団長も例外ではなかった。
「何を言っている」というようなウラノスの視線を無視して、エイベルは続けた。
「十五年という年月は、十分な罰の時間であったはずです。呪いを解いて頂きたい」
エイベル副騎兵団長の言葉に、シェーラは一瞬、呆気にとられた様子で、金色の目をパチクリとさせた。
それから美しい副騎兵団長、大柄の騎兵団長の二人を眺め、大きな声でケラケラと笑い声を上げ始めた。
「の、呪いですって。フフフフフフ、アハハハハ」
可笑しくてたまらないように黒竜は笑い続ける。
その様子に、その場にいた人間達は呆然としていると、黒竜シェーラはキッパリと言った。
「もう、とうに呪いなど解けておるわ。あの呪いはせいぜいが一週間ほどしか効力はない」
シェーラの言葉に、ウラノス騎兵団長は立ち尽くした。
その様子を見て、黒竜はなおもケラケラケタケタと笑い続けていた。
「ハハハハ、フフフフフフ、アハハハハ、その様子だと、貴方は十五年も、十五年もしていなかったというの。呪いがあると信じ続けてずっとずっと」
ウラノス騎兵団長は自身の額に手をやる。
「これはこれは、面白いこと。楽しいこと。十五年間、貴方は呪いがあることを信じ続けていたの?」
それには赤褐色竜ウンベルトが怒りに翼を広げ、向かって来ようとする。
だが、それよりも先に黒竜シェーラは離着陸場から飛び立ち、空へと羽ばたいていく。ごうと強い風が人間達に吹き付ける。
眼下の人間達を金色の目で見下ろし、彼女は言った。
「なんて愚かなこと。随分と時間を費やしてしまったのね、ウラノス。哀れな人間だこと。さぁさ、これから貴方は自身の春を取り戻すことね。まぁ、まだまだ貴方は若いのだから、取り戻す時間は十分にあるでしょう」
そして黒竜シェーラは、リヨンネと可愛らしい紫竜を見つめて言った。
「リヨンネ、続きの本を手に入れたのなら、すぐに私に知らせなさい。そして可愛らしい紫竜。お初にお目に掛かるわ。また貴方とは是非とも別の機会にお会いしたいわ」
そうして黒竜は、登場した時と同様に、立ち去る時も自分の意のまま気の向くまま、勝手に飛び去っていったのだ。
あっという間に現れ、そして消え去った黒竜の姿を、竜騎兵団の者達は呆然として見送っていた。
ジャクセンの妻ルイーズは、ジャクセンにとって親の決めた許嫁であったが、結婚前からジャクセンとの仲は非常に睦まじく、三人の子供達に恵まれている。
今回、リヨンネの「かわいくて綺麗なものも一通り送ってくれ」という無茶な頼みに応えたのは、彼の妻ルイーズと二人の娘達だった。
彼女達は嬉々として、都で流行っているものをこれでもかと、箱いっぱいに詰め込んだ。
綺麗なリボンや、頬が落ちるほどの甘くて美味しいお菓子や、唇にさす淡い色合いの紅や、涙が止まらなくなる流行の恋愛小説や、繊細な花の形をした髪飾りやら。それらを購入するための資金の出所は夫ジャクセンであったから、彼女達は喜んでそれを費やし、箱いっぱいにかわいくて綺麗なものを詰め込んだ。
「リヨンネおじさまは喜んでくれているかしら」という娘達の問いかけに、ルイーズは「もちろんよ」と頷き、そしてジャクセンもまた(……自分には良く分からないが、妻達が流行を外すことはないだろう)と思っていた。贈り物の箱の蓋をしめて、可愛い花柄の包装紙で包み、更に朱色のリボンを留めた。ジャクセンの店の女性店員達も面白がって、リボンは綺麗に花の形に整えてくれた。それを更に木箱に詰めて、壊れ物注意という貼り紙を貼った状態で、この北方の地まで慎重に運ばれ、黒竜シェーラの元に届けられたのだ。
まさかまさか、リヨンネの兄ジャクセンもその妻ルイーズも、二人の娘達も、その「かわいくて綺麗なもの」が詰められた箱が、呪いが十八番だという黒竜の手元に届けられるとは思ってもいなかった。
だが、遠く、北方の洞窟の中で暮らしていた黒竜シェーラの心臓は、まさにその「かわいくて綺麗なもの」に鷲掴みにされた。
リボンを解いて箱から零れ出た、キラキラと輝くその繊細なもの達に、シェーラの金色の瞳もキラキラと輝いた。
今まで黒竜に捧げられていた「かわいくて綺麗なもの」はこんな繊細で美しく綺麗なものではなかった。
そう、こんな流行を押さえた、見るからに少女達がキャッキャ声を上げて喜ぶようなものを、黒竜シェーラは今まで知らなかった。
シェーラは黒髪の女の姿にその身を変え、自分の寝床に横になり、その贈り物を寝床いっぱいに広げて眺めていた。
そして泣ける恋愛小説を転がりながら、読み耽る。そして悲しいシーンにはレースのハンカチを目元に当てていた。
黒竜シェーラは本を読み終わった後に気が付いた。
彼女は読み終わると同時に、竜に姿を変え、まっしぐらに竜騎兵団の拠点目掛けて飛んでいった。
野生の竜と、竜騎兵団の竜達との、その不可侵の協定など、“古竜”であるシェーラは一切気にしていなかった。誰が彼女のことを止められようか。
やって来るなり、彼女は贈り主であるリヨンネの名を呼び、急ぎやって来たその人間の学者を見下ろしながら訊ねた。
「リヨンネ、あの本は一巻であったわ。続巻はないの?」
「…………」
実は、贈り物の中身をリヨンネはチェックしていなかった。
一族の中で最も優秀な兄に丸投げをしていたのだ。リヨンネは、木箱に入った贈り物をそのまま、右から左へと黒竜の元へ流しただけであった。
続巻はないのかと尋ねられても、答えられるはずもなく、リヨンネは額に汗を浮かべ、目を彷徨わせている。
「その……問い合わせてみます」
「問い合わせるとは、一体どういうことなの?」
「…………本は、王都から取り寄せたのです。続巻も王都から取り寄せなければなりません」
「そうなの」
なるほど。
どうして洒落た流行の品々ばかり、贈り物の箱の中にあったのかその理由がようやくシェーラには分かった。
このリヨンネという人間は、わざわざ自分へ贈り物を用意するため、王都から取り寄せてくれたのだ。なかなか見上げたものではないか。
「ふん。分かったわ。続刊が来たら教えなさい」
「…………ハイ、ワカリマシタ」
続刊は頼むまでもなく、当然、届けられるべきものだと思い込んでいる黒竜シェーラである。
内心、リヨンネはすぐに兄のジャクセンに手紙を出して、送ってくれた本の続刊も急いで届けてもらわなければと思っていたところで、大森林の一角がゴボォという音と共に、大きく崩れ、そこから赤褐色の巨大な竜が上体を持ち上げていた。
次から次へいったい何事だとリヨンネが目を丸くして思っている中、洞窟の中から悠々とした巨体で怒りを漲らせた赤褐色竜ウンベルトが現れたのだった。
そう、ウンベルトは主である竜騎兵団長ウラノスに、心話で呼びかけられ、黒竜が竜騎兵団へ突然やって来たことを知った。
ウンベルトは、黒竜シェーラが竜騎兵団の拠点の離着陸場にいることを見て、咆哮した。
ビリビリビリと空気が振動し、たまらず耳を押さえてうずくまる者達が続出する。そこかしこで雪崩が起きている音が響く。
「あらあら、ヤル気なのかしら」
黒竜シェーラが受けて立とうと、ゆらりとその大きな竜の身を、ウンベルトのいる方向へ向けた時、声が響き渡った。
「お止めください」
それを止めに入ったのは、副騎兵団長エイベルであった。
黒竜シェーラは、そのよく通る声の方角に頭を向けて、ピタリと動きを止めた。
金色の目が大きく見開かれる。
(まぁ、なんてなんてなんて)
なんて綺麗な人間なのだろう。
それは一度も見たことの無いような美しい人間だった。
流れるような銀糸の髪に、薄菫色の瞳の、美しい顔立ち。スラリとした肢体は竜騎兵団の青い軍装に身を包んでいる。マントを翻したその若々しい騎兵は、まさしく王子様のようないで立ちであった。
黒竜が、内心息を飲んで見つめている中、その銀髪の美しい副騎兵団長は、恭しく片膝をついて言った。
「どうぞ、お怒りをお収めください。お二方にこの場で争われては甚大な被害が生じます」
「ふん、あちらから戦いを挑んでこなければいいことよ」
そう言いながらも、黒竜シェーラは金色の瞳でチラチラと突如この場に現れた竜騎兵の美貌の青年を見つめ続けている。
この竜騎兵団の軍装を身に付けていることから、竜騎兵であるのは間違いないだろう。
こんなにも美しい人間がいることなんて知らなかった。
黒竜シェーラの胸は早鐘を打ったかのようにドキドキとしていた。
更に、リヨンネを心配して駆け付けたアルバート王子と小さな紫竜ルーシェを見た時、またしても黒竜シェーラの金色の目は大きく見開かれていた。
(紫竜がまた生まれているとは聞いていたけれど、なんてなんて可愛い竜なのかしら!!)
翼をはためかせて現れた小さな紫色の竜と、心配そうにリヨンネを見つめる黒髪の少年王子。そして煌びやかな銀髪の竜騎兵の青年。
(何かしら、ココには綺麗で可愛いモノが揃い過ぎているじゃないの)
内心、ハァハァと荒く息をつき、黒竜シェーラはクールで冷静沈着なふるまいを取りながらも、心臓のドキドキは止まらなかった。
「大丈夫か、リヨンネ」
「殿下、ここに来てはなりません」
機嫌を損ねると呪いを掛けるという黒竜である。そこに何故、大切な王子を連れて来ているのだと非難するような眼差しを、護衛騎士バンナムに向けるリヨンネ。
確かにその通りだと頭を下げるバンナム。だが、バンナムとて王子を止めようとしたのだが、王子と紫竜二人して、バンナムの制止をくぐり抜けてしまったのだ。
「バンナム卿を責めるな。僕が行きたいと言ったんだ」
「ピュルルピュルルル(俺も行きたいって言ったんだ)」
そう小さな竜と少年王子にバンナムが庇われ、リヨンネが軽く怒っているという混乱の中、ウラノス騎兵団長が隊長職にある四人を引き連れてやって来た。
黒竜の前に片膝をついているエイベル副騎兵団長を一瞥した後、ウラノス騎兵団長は黒竜シェーラに努めて冷静に話しかけた。
「何の用だ」
そこで黒竜はハッと我を取り戻し、目の前に現れたウラノス騎兵団長を見て、金色の瞳を細めた。
「おや……お前はウラノスとかいう竜騎兵団長でしたね」
「忘れられておらず、幸いだ」
十五年ぶりの邂逅であった。
黒竜シェーラは、竜騎兵団団長ウラノスのことを覚えていた。
そして相まみえることのなかった十五年という歳月が、出会った当初、若々しい二十歳そこそこの青年であったウラノスを随分と大人にしたものだと感心したように見つめていた。
千年を越えて生きる“古竜”シェーラにとって、人間であるウラノスのあまりにも速すぎる成長は驚きでしかなかった。
瞬き一つしている内に、消えて代替わりしていることの多い、人間である。
十五年前、二十歳の若者であったウラノス騎兵団長は、自分に対して挨拶一つ出来なかった無礼者であった。
だから、シェーラは彼に罰として呪いを与えた。
「ふん、少しは堪えたのかしら。先達に対する敬いの感情を覚えたのかしら」
ウラノス騎兵団長は無の表情である。
彼とて、ここでシェーラと揉めてしまうと大惨事になろうことは理解していた。
早くこの場から立ち去ってもらう。それが第一だった。
そのためには、シェーラの目的を聞かなければならない。
「……いかなる用件で」
その全く面白みのない問いかけに、ふんとシェーラは鼻息を吐き出した。
「用件は済んだわ。そこのリヨンネという人間に用事があっただけなの。お前のつまらぬ顔など見たくもない」
「こちらとて見たくない」とハッキリと言い返したいところであったが、ウラノス騎兵団長は無表情のままそれを耐えていた。
副騎兵団長エイベルは、ウラノス騎兵団長のその様子を見た後、唐突に黒竜へ言った。
「シェーラ殿。ウラノス騎兵団長に掛けられている呪いを、解いて頂きたい」
その場にいた者達は驚いたように、一斉にエイベルに視線を向けた。
それはウラノス騎兵団長も例外ではなかった。
「何を言っている」というようなウラノスの視線を無視して、エイベルは続けた。
「十五年という年月は、十分な罰の時間であったはずです。呪いを解いて頂きたい」
エイベル副騎兵団長の言葉に、シェーラは一瞬、呆気にとられた様子で、金色の目をパチクリとさせた。
それから美しい副騎兵団長、大柄の騎兵団長の二人を眺め、大きな声でケラケラと笑い声を上げ始めた。
「の、呪いですって。フフフフフフ、アハハハハ」
可笑しくてたまらないように黒竜は笑い続ける。
その様子に、その場にいた人間達は呆然としていると、黒竜シェーラはキッパリと言った。
「もう、とうに呪いなど解けておるわ。あの呪いはせいぜいが一週間ほどしか効力はない」
シェーラの言葉に、ウラノス騎兵団長は立ち尽くした。
その様子を見て、黒竜はなおもケラケラケタケタと笑い続けていた。
「ハハハハ、フフフフフフ、アハハハハ、その様子だと、貴方は十五年も、十五年もしていなかったというの。呪いがあると信じ続けてずっとずっと」
ウラノス騎兵団長は自身の額に手をやる。
「これはこれは、面白いこと。楽しいこと。十五年間、貴方は呪いがあることを信じ続けていたの?」
それには赤褐色竜ウンベルトが怒りに翼を広げ、向かって来ようとする。
だが、それよりも先に黒竜シェーラは離着陸場から飛び立ち、空へと羽ばたいていく。ごうと強い風が人間達に吹き付ける。
眼下の人間達を金色の目で見下ろし、彼女は言った。
「なんて愚かなこと。随分と時間を費やしてしまったのね、ウラノス。哀れな人間だこと。さぁさ、これから貴方は自身の春を取り戻すことね。まぁ、まだまだ貴方は若いのだから、取り戻す時間は十分にあるでしょう」
そして黒竜シェーラは、リヨンネと可愛らしい紫竜を見つめて言った。
「リヨンネ、続きの本を手に入れたのなら、すぐに私に知らせなさい。そして可愛らしい紫竜。お初にお目に掛かるわ。また貴方とは是非とも別の機会にお会いしたいわ」
そうして黒竜は、登場した時と同様に、立ち去る時も自分の意のまま気の向くまま、勝手に飛び去っていったのだ。
あっという間に現れ、そして消え去った黒竜の姿を、竜騎兵団の者達は呆然として見送っていた。
106
お気に入りに追加
3,611
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい
戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。
人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください!
チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!!
※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。
番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」
「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824
【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜
himahima
恋愛
夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。
えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。
ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ!
★恋愛ランキング入りしました!
読んでくれた皆様ありがとうございます。
連載希望のコメントをいただきましたので、
連載に向け準備中です。
*他サイトでも公開中
日間総合ランキング2位に入りました!
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜
双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」
授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。
途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。
ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。
駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。
しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。
毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。
翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。
使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった!
一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。
その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。
この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。
次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。
悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。
ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった!
<第一部:疫病編>
一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24
二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29
三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31
四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4
五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8
六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11
七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18
非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします
muku
BL
聖なる山に住む聖獣のもとへ守護騎士として送られた、伯爵令息イリス。
非力で成人しているのに子供にしか見えないイリスは、前世の記憶と山の幻想的な食材を使い、食事を拒む聖獣セフィドリーフに料理を作ることに。
両親に疎まれて居場所がないながらも、健気に生きるイリスにセフィドリーフは心動かされ始めていた。
そして人間嫌いのセフィドリーフには隠された過去があることに、イリスは気づいていく。
非力な青年×人間嫌いの人外の、料理と癒しの物語。
※全年齢向け作品です。
【完】ゲームの世界で美人すぎる兄が狙われているが
咲
BL
俺には大好きな兄がいる。3つ年上の高校生の兄。美人で優しいけどおっちょこちょいな可愛い兄だ。
ある日、そんな兄に話題のゲームを進めるとありえない事が起こった。
「あれ?ここってまさか……ゲームの中!?」
モンスターが闊歩する森の中で出会った警備隊に保護されたが、そいつは兄を狙っていたようで………?
重度のブラコン弟が兄を守ろうとしたり、壊れたブラコンの兄が一線越えちゃったりします。高確率でえろです。
※近親相姦です。バッチリ血の繋がった兄弟です。
※第三者×兄(弟)描写があります。
※ヤンデレの闇属性でビッチです。
※兄の方が優位です。
※男性向けの表現を含みます。
※左右非固定なのでコロコロ変わります。固定厨の方は推奨しません。
お気に入り登録、感想などはお気軽にしていただけると嬉しいです!
僧侶に転生しましたが、魔王に淫紋を付けられた上、スケベな彼氏も勇者に転生したので、恥ずかしながら毎日エロ調教されながら旅しています
ピンクくらげ
BL
両性具有の僧侶に転生した俺ユウヤは、魔王に捕まり、淫紋を刻まれてしまった。
その魔王は、なんと転生前に、俺の事を監禁調教したレイプ魔だった。こいつも一緒に転生してしまったなんて!
しかし、恋人だったマサトが勇者に転生して助けに現れた。(残念ながら、こいつもスケベ)
それからというもの、エロ勇者と2人きりのパーティで、毎日勇者から性的悪戯を受けながら冒険している。
ある時は、淫術のかけられた防具を着させられたり、ある時は催淫作用のあるスライムを身体中に貼り付けられたり。
元恋人のエロエロ勇者と、押しに弱い両性具有の僧侶、元強姦魔の魔王が織りなす三角関係調教ラブ❤︎
世界を救うよりもユウヤとセックスしたい勇者、世界を滅ぼすよりもユウヤを調教したい魔王。
魔王に捕まったり、勇者に助けられたりして、エロストーリー進行します。
勇者パートはアホエロ、ラブイチャ風味。魔王パートは、調教、背徳官能風味でお送りします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる