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第二章 竜騎兵団の見習い

第十六話 追憶

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 バンナムは、アルバート王子と紫竜ルーシェ、リヨンネからもその勝利を祝われた。
 アルバート王子は自分の護衛騎士が、母親から聞いた通りの素晴らしい腕前を持っていることに感銘を受けている様子だった(紫竜も黒い目を輝かせてブンブンと尻尾を振っていた)。

 その後、敗者となったエイベル副騎兵団長は片手をバンナムに対して差し出して「貴方はとても強かった。おめでとう」と言った。二人は固く握手を交わし合い、その騎士道精神に溢れた光景にまた、周囲の竜騎兵達は歓声をあげていた。

 リヨンネは内心、『私の背中に乗っていいぞ』と言わないのかと、ちょっとばかり期待を込めて美しい副騎兵団長を見ていたのだが、幸い(?)にしてそのような展開をその時見ることは出来なかった。
 バンナムに想いを寄せるレネにとっては良いことではあったが、拍子抜けだった。

(あれはあくまで噂ということかな)

 まぁ、そうでないと困る。
 もし、バンナムに対して美しい副騎兵団長が『私の背中に乗っていいぞ』と、レネの前で告げたのなら、レネ魔術師は彼に勝負を挑むと言っている。第二ラウンドがそこから始まってしまうのだ。
 王宮魔術師対副騎兵団長の戦いを見てみたい気もしたが、現実問題として争いが勃発することはマズイだろう。
 
 未だ頬を赤く染め、バンナムを目を輝かせて見つめ、一生懸命に話しかけているレネを見ながら、(これはこれで良い結果だったんだろうな)とリヨンネは考えていた。
 だが、敗者となったエイベル副騎兵団長はそうは考えていなかった。



 一行はおのおのの寮に戻った。
 そして夜を迎えた。昼の騒ぎが嘘のように、緑竜寮は静まり返っている。
 就寝前に温めたミルクを殿下に差し上げようと、台所へやってきたバンナムの前に、突然、エイベル副騎兵団長が現れた。
 
 騎兵団長以下の上層部の騎兵達は皆、青竜寮で暮らしている。この寮にいないはずのエイベル副騎兵団長が、夜も遅い時間帯に何故こんなところへいるのだろうと、不思議そうな眼差しでバンナムはエイベル副騎兵団長を見つめた。
 彼は入口の柱に身を寄りかからせ、腕を組みながらバンナムを見つめていた。
 
「何か御用でしょうか」

「ええ。バンナム卿、私は強い男にとても興味があるのです」

 彼は薄紫色の瞳を期待に輝かせながら言った。エイベル副騎兵団長は足を踏み出し、ミルクの入ったカップを手にしているバンナムのその手にそっと白い手を添えた。

「だから、貴方にもとても興味があるのです」

 大抵の男は、エイベル副騎兵団長が手を触れさせると、頬を赤く染め、興奮し、そして喜んで彼の誘いに乗る。
 「私も興味がある」と答えて、一緒に寝室に赴き、寝台の上に二人して雪崩込むのがいつもの流れだった。

 だがバンナムは顔色も変えず、もう一方の手でエイベル副騎兵団長の手を外し、「ミルクが冷めてしまいますので失礼します」と言って、台所を出ていった。
 「バンナム卿」と呼び止めようとするエイベル副騎兵団長に、軽く頭を下げて階段をスタスタと上っていく。

 それをまた、物陰から現れたカーティス隊長が声を押し殺すようにして笑っていた。

「ミルクが冷めてしまうから失礼って、かつてない断り文句だな」

 カーティスがまた勝手に自分達の様子を窺っていたことに、エイベル副騎兵団長は柳眉を寄せ、乱暴にソファに座った。

「笑うな。失礼だぞ、カーティス隊長」

「ああ、失礼した、エイベル副騎兵団長殿。いやはや、ウラノス騎兵団長に匹敵する朴念仁じゃないのか、彼は」

 カーティスはクククッと喉奥で笑い続けている。

「貴方の誘いを断るとはな。自信満々で誘いに来たのに」

「…………自信満々というわけではない」

「貴方の誘いを断る男はまずいないんじゃないか」

 エイベルの肩から流れる絹糸のような銀色の髪をすくい上げ、軽く口づけた。
 実際、カーティスの言葉通りだった。

 北方諸国の美姫のように整った顔立ちをしているエイベルの誘いを断る男はまずいなかった。寝台の上で、見目麗しいこの美貌の副騎兵団長がどう乱れるのか見たいと望む男ばかりであった。そして寝台の上での彼は特別に素晴らしかった。それゆえ、エイベルが体を許した男達はひどくこの美しい副騎兵団長に執心する。暗闇の中で灯される蝋燭の炎に蟲達がおびき寄せられ飛んでくるように、男達はエイベルに群がるのだ。
 エイベルは長い足を組んで座った。

「私に勝つ男は、基本的に私の誘いには乗らないな」

「ウラノス騎兵団長しかり、バンナム卿しかりというわけか。じゃあ私はどうなんだ」

「貴方は私と引き分けただろう。勝ったわけではない」

 そのエイベル副騎兵団長の言葉に、カーティスは両手を広げ、肩をすくめる動作を見せた。

「でも私は貴方に勝てたとしても、喜んで貴方の“上に乗ります”がね」

 それにエイベル副騎兵団長は唇を釣り上げて笑い、カーティスの後頭部に手を回し、男の唇に自分の唇を押し付けるようにして言った。

「だから貴方は私に勝てないのだよ」
 




 バンナムが部屋に戻ると、アルバート王子は寝台の上で、小さな紫竜を膝の上にのせて一緒に本を読んでいた。
 アルバート王子が熱心に文字を絵本で教え続けた結果、今では紫竜はすらすらと文字を読めるようになっていた。アルバート王子は、紫竜が分からない単語も面倒くさがることなく丹念に一つずつ説明する。その丁寧な指導の成果があったということだ。
 そして紫竜も、王子が学んでいる難しい竜騎兵に関する本も、進んで一緒に読もうとしていた。
 そんな小さな竜と王子の仲睦まじい様子を見ると、バンナムは心温まる癒しのようなものを感じていた。
 
 生まれた時から共にいる紫竜ルーシェとアルバート王子。二人は常に一緒で、常に笑い合い、互いを信頼し合い、愛し合っている。
 まだ十の子供であるアルバート王子であるけれど、彼は紫竜を何よりも大切にしていた。
 そして紫竜も王子のことが大好きだった。
 きっと二人は成長した後も、互いがかけがえのないパートナーとなるだろう。
 そうした予感が今からしていた。

 バンナムは、テーブルの上にミルクの入ったカップを二つ並べて置いた。
 一つはアルバート王子のもので、もう一つは紫竜のものである。
 ただ紫竜は猫舌であるため、ミルクは冷めてから飲むのだ。

 テーブルの上のミルクに気が付いた紫竜はすぐさま飛んできて、椅子にうまく着地していた。
 そしてバンナムに対して、「ピルルピルピル」と言っていた。
 さしずめ「ありがとう」と言っているのだろう。
 そうした言葉は、わざわざアルバート王子が通訳しなくても、言いたいことが伝わってきた。

 だからバンナムは「どういたしまして」と言って、テーブルの上に小皿に載せたクッキーを差し出した。甘いものが大好きな紫竜は嬉しそうだった。
 アルバート王子もやって来て、椅子を引いて座る。
 それを見て、慌てたように紫竜は彼の膝の上に飛んで移っていた。

「ルー、危ないよ。僕は温かいミルクを飲むのだから、お前の体にミルクがかかったら火傷してしまうよ」

「ピルピルゥ、ピルルル」

 さしずめルーシェは「王子はそんなヘマはしない。大丈夫」とでも言っているのだろう。
 困った顔をしながらも、アルバート王子は紫竜を膝にのせたまま、傍から見てもおかしく思うほど慎重にミルクを飲んでいた。
 それを見上げる紫竜は、目を輝かせて嬉しそうだった。
 王子のそばにいて、甘えられるのが嬉しいのだろう。

 そんな一人と一頭を見ながら、何故かバンナムは過去のことを思い出していた。









『バンナム卿は私を応援してくれるのでしょう?』

 そう言ったのは、淡い金の髪の美しい少女だった。
 深い海の底のような紺碧の瞳を持つ彼女は、エルノワール侯爵の末娘で、侯爵夫妻に溺愛されて育ってきた。
 妖精のように小柄で、華奢な少女だった。

『お父様もお母様も、絶対に私達のことをお許しにならないわ』

 彼女はバンナムのことを、兄のように慕っていた。
 十六歳の彼女は、家庭教師の男との初めての恋に舞い上がっていた。
 失うもののことよりも、それで得るもののことばかり考えていた。

 その家庭教師の男と駆け落ちをしたいと告白された時、もちろんバンナムは止めた。
 見つかったら大変なことになると。

 深窓の令嬢たる彼女が、そんなことをしてしまえば、大変な傷になり、将来を失ってしまうと。
 だが、彼女は『卿は私を応援してくれるのでしょう』と言い、家庭教師との恋の進展を教えてくれた。さしずめ仲の良い兄にでも話すかのように。
 
 その結果だった。



 バンナム
 お前のせいだ。
 お前が娘をしっかりと捕まえていれば、彼女は駆け落ちなどしなかった。
 死ぬことなんてなかった。





 彼女を愛していた。
 そう、妹のように愛していた。
 そして彼女もまた兄のように慕ってくれた。
 周囲から、自分は彼女の婚約者として据えられていたけれど、彼女と自分は年の近い兄妹のような関係だった。
 もし、彼女と結婚することになっても、きっと自分は彼女を穏やかに愛しただろう。
 激しい熱に浮かされるような愛ではなく、静かに時を重ね、育んでいくような愛を得たはずだ。

 でも彼女が選んだのは別の男の手で。
 そして彼女はその男と一緒に命を落とした。




 何度も考えた。
 駆け落ちなんてしてはならない。やめなさいともっとキツク言うべきだったと。
 そう言ったら、彼女は生きていただろうか。
 でもきっと、彼女のことだ。やはりあの男と一緒に逃げていた気がする。

 それでも後悔がある。
 
 エルノワール侯爵夫妻に責められた時、自分が大切に想っていた彼女が他の男に恋をしていることを知っていた。もっとキツク戒めなければならなかった。その結果、彼女が死んだことには間違いが無かったから。
 一言も言い返せなかった。

 あの時、何をどうすれば良かったのだろう。
 初めての恋に夢中の彼女の力になりたかった。

 だって妹のように、彼女を愛していたんだ。
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