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[挿話] 前途多難な恋
第二話 引っ越しの話
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麗子は都内の結婚式場で式を挙げた。
都内の自衛隊の官舎に住んでいる秋元らは、そのまま官舎に戻るところを、麗子が気を遣って、ホテルの一室を取ってくれた。たまにはこうした民間のホテルで過ごすのもいいだろうと言うのだ。
その際、麗子が非常に嬉しそうな顔で「ツインベットの部屋を一室取りました!!」とやたらと強調して言っていたのが、嫌だった。どうせなら、シングルベットのある部屋を二つ取ってくれればいいのにと、秋元が言うと、麗子は「それは出来ません!!」と断言していた。
なぜ、出来ないのか腑に落ちない。
そもそも、結婚式の招待状を送ってよこす時も、パソコン画面の向こうで(秋元とテレビ通話をしていた)彼女は鼻血が出そうな様子で「え、秋元さんと柚彦君は、自衛隊の官舎の同じ部屋で暮らしているんですか。やりましたね、柚彦君」と興奮しきりだった。
そして結婚式の招待状には「柚彦君、頑張ってください」と手書きの一文があるのを、秋元は知らなかった。柚彦はしばらくその招待状を見て、なんとも言えない表情をしていたのだが。
そんなわけで、秋元らは結婚式場を出た後、さっさとタクシーに乗って都内のホテルに向かった。
ホテルの部屋に入り、引き出物の入った大きな紙袋を、テーブルに載せると、秋元は早速ネクタイを外した。
「あー、ネクタイとか首が絞めるものは苦手だな」
「そうですね」
椅子に座ってため息をついている彼に、ホテルに備え付けの冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出して、秋元に手渡した。
「ありがとう」
秋元は蓋を開けて、早速飲み始めている。
「夕食はどうする?」
式場では昼食が出たのだ。量もそれなりにある食事であったので、それほど秋元に空腹感はない。だが、柚彦は若いから、もしかしたら、空腹を覚えているかも知れない。
「外に出るのは煩わしいので、ルームサービスを頼みましょうか」
「そうだね」
それが良いと、秋元も頷いた。
それから、秋元は少し考え込む様子を見せたが、口を開いた。
「……ちょうど良い機会だから、君に話しておく。僕、来週には引っ越すから」
それに、柚彦は動きを止めた。
彼の目がスッと細められる。
秋元はヒヤリとしたものを背筋に感じたが、ここでひるんではならないと思った。
この現世に留めることを柚彦に望まれてから、秋元は一方的に柚彦の要求に従うばかりだった。
だが、やはり官舎に住み続けることは、今まで自由に生活してきた自分の性に合わない。
自衛隊員でない自分が、自衛隊員である彼と一緒の官舎の部屋に住むことは、そもそも本来、許されていないはずだった。
「マンションを借りた。そこに引っ越す予定だ」
柚彦もミネラルウォーターの蓋を開け、水を仰ぎ飲む。その喉が動くのを、秋元は黙って眺めていた。
彼は唇を拭うと、秋元に尋ねる。
「貴方は僕のそばにいると、貴方の名にかけて誓ったはずです」
そう。
秋元は柚彦のそばにいるとその名にかけて、誓ったのだ。魔法使いにとって、名をかけた誓いの縛りは強い。だが、秋元は口元に笑みを浮かべた。その笑みが、柚彦は気に食わなかった。
「うん。僕は君に誓ったね。君のそばにいると。だけど、照会したところ、“そば”という言葉には解釈の余地があると言われたんだ」
「誰に、照会したんですか」
秋元は、神に聞いたのだ。
秋元のそばには常に神の存在があり(そもそも彼の異世界の二人の妻も、異世界の神の一員であった)、融通が利く。そのことを、まだ柚彦は知らない。
それが、ここ最近、散々柚彦から押し切られていた秋元のチャンスであった。
「まぁ、それはいいでしょう。で、“そば”という言葉は、僕の心次第ということになった。心は君のそばにあるといえば、外国だって行けるよね。だから、君と同じ部屋にいなくても大丈夫だということだ」
「…………解釈次第とか、何でもアリじゃないですか」
ひんやりとしたその声音。秋元は構わず、肩をすくめた。
「そうだね。何でもアリだ。でも、僕はもう異世界には戻らない。そして君のそばにいるのは確かだよ。君の生きている間はね。だけど、自衛隊の官舎から出て一人暮らしをするだけだ」
「秋元さん!!」
柚彦が椅子に座る秋元の腕を掴もうとした瞬間、彼の姿が消えた。
“転移”したのだ。
柚彦の伸ばされた手は空を掴むだけだった。
彼の眉が寄せられる。
秋元は、柚彦が以前のように“転移”を阻止しようとその身を掴むことも予想していたのだ。
掴まれてしまえば、自由に“転移”することはできない。以前のように、脅しのように誓いを口にさせられない。掴まれない限りは、彼は自由なのだ。
そしてその夜、結局、ホテルのその一室に秋元が戻って来ることはなかった。
更には、自衛隊の官舎の部屋から、秋元の私物の全てが消えており、彼は柚彦の部屋から姿を消したのだった。
都内の自衛隊の官舎に住んでいる秋元らは、そのまま官舎に戻るところを、麗子が気を遣って、ホテルの一室を取ってくれた。たまにはこうした民間のホテルで過ごすのもいいだろうと言うのだ。
その際、麗子が非常に嬉しそうな顔で「ツインベットの部屋を一室取りました!!」とやたらと強調して言っていたのが、嫌だった。どうせなら、シングルベットのある部屋を二つ取ってくれればいいのにと、秋元が言うと、麗子は「それは出来ません!!」と断言していた。
なぜ、出来ないのか腑に落ちない。
そもそも、結婚式の招待状を送ってよこす時も、パソコン画面の向こうで(秋元とテレビ通話をしていた)彼女は鼻血が出そうな様子で「え、秋元さんと柚彦君は、自衛隊の官舎の同じ部屋で暮らしているんですか。やりましたね、柚彦君」と興奮しきりだった。
そして結婚式の招待状には「柚彦君、頑張ってください」と手書きの一文があるのを、秋元は知らなかった。柚彦はしばらくその招待状を見て、なんとも言えない表情をしていたのだが。
そんなわけで、秋元らは結婚式場を出た後、さっさとタクシーに乗って都内のホテルに向かった。
ホテルの部屋に入り、引き出物の入った大きな紙袋を、テーブルに載せると、秋元は早速ネクタイを外した。
「あー、ネクタイとか首が絞めるものは苦手だな」
「そうですね」
椅子に座ってため息をついている彼に、ホテルに備え付けの冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出して、秋元に手渡した。
「ありがとう」
秋元は蓋を開けて、早速飲み始めている。
「夕食はどうする?」
式場では昼食が出たのだ。量もそれなりにある食事であったので、それほど秋元に空腹感はない。だが、柚彦は若いから、もしかしたら、空腹を覚えているかも知れない。
「外に出るのは煩わしいので、ルームサービスを頼みましょうか」
「そうだね」
それが良いと、秋元も頷いた。
それから、秋元は少し考え込む様子を見せたが、口を開いた。
「……ちょうど良い機会だから、君に話しておく。僕、来週には引っ越すから」
それに、柚彦は動きを止めた。
彼の目がスッと細められる。
秋元はヒヤリとしたものを背筋に感じたが、ここでひるんではならないと思った。
この現世に留めることを柚彦に望まれてから、秋元は一方的に柚彦の要求に従うばかりだった。
だが、やはり官舎に住み続けることは、今まで自由に生活してきた自分の性に合わない。
自衛隊員でない自分が、自衛隊員である彼と一緒の官舎の部屋に住むことは、そもそも本来、許されていないはずだった。
「マンションを借りた。そこに引っ越す予定だ」
柚彦もミネラルウォーターの蓋を開け、水を仰ぎ飲む。その喉が動くのを、秋元は黙って眺めていた。
彼は唇を拭うと、秋元に尋ねる。
「貴方は僕のそばにいると、貴方の名にかけて誓ったはずです」
そう。
秋元は柚彦のそばにいるとその名にかけて、誓ったのだ。魔法使いにとって、名をかけた誓いの縛りは強い。だが、秋元は口元に笑みを浮かべた。その笑みが、柚彦は気に食わなかった。
「うん。僕は君に誓ったね。君のそばにいると。だけど、照会したところ、“そば”という言葉には解釈の余地があると言われたんだ」
「誰に、照会したんですか」
秋元は、神に聞いたのだ。
秋元のそばには常に神の存在があり(そもそも彼の異世界の二人の妻も、異世界の神の一員であった)、融通が利く。そのことを、まだ柚彦は知らない。
それが、ここ最近、散々柚彦から押し切られていた秋元のチャンスであった。
「まぁ、それはいいでしょう。で、“そば”という言葉は、僕の心次第ということになった。心は君のそばにあるといえば、外国だって行けるよね。だから、君と同じ部屋にいなくても大丈夫だということだ」
「…………解釈次第とか、何でもアリじゃないですか」
ひんやりとしたその声音。秋元は構わず、肩をすくめた。
「そうだね。何でもアリだ。でも、僕はもう異世界には戻らない。そして君のそばにいるのは確かだよ。君の生きている間はね。だけど、自衛隊の官舎から出て一人暮らしをするだけだ」
「秋元さん!!」
柚彦が椅子に座る秋元の腕を掴もうとした瞬間、彼の姿が消えた。
“転移”したのだ。
柚彦の伸ばされた手は空を掴むだけだった。
彼の眉が寄せられる。
秋元は、柚彦が以前のように“転移”を阻止しようとその身を掴むことも予想していたのだ。
掴まれてしまえば、自由に“転移”することはできない。以前のように、脅しのように誓いを口にさせられない。掴まれない限りは、彼は自由なのだ。
そしてその夜、結局、ホテルのその一室に秋元が戻って来ることはなかった。
更には、自衛隊の官舎の部屋から、秋元の私物の全てが消えており、彼は柚彦の部屋から姿を消したのだった。
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