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【外伝】
その子らの物語のはじまり (上)
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広大な皇宮の敷地の、白バラが咲き乱れる花園。円形のテーブルの上にはティーセットが並べられていた。
すでに椅子に座っていたフランシスが片手を挙げる。
「ゼファー」
その声に、黒髪に眼鏡をした線の細い青年も手を挙げた。
彼の手に、黒髪の少年の小さな手がしっかりと握られているのを見て、フランシスは微笑みを浮かべる。
目の前までゼファーと少年がやってくると、フランシスはしゃがみこんで、少年と視線を合わせるようにして優しく言った。
「君が、ウィル君なのかな。宜しくね」
ウィルと呼ばれた少年は、そばにいるゼファーとそっくりの顔立ちをしていた。
漆黒の髪に、大きな青い瞳。
髪色と顔立ちは母親であるゼファーから引き継ぎ、その青く美しい瞳は夫のアーノルドからのものだろう。
ウィル少年は今年、八歳。
父親のアーノルドが溺愛し(ゼファーにそっくりなことが拍車をかけている)、本来、帝都の学園に通わせる時期になっても通わせることもなく(アーノルドは真剣な表情で「ウィルに悪い虫がついたら困る」と述べる)、ゼファーが直接少年を教育していると聞いている。
ゼファーそっくりの少年が、少年の頃のゼファーと同じようにしっかりとその腕の中に『魔法大全』を抱えていることに、笑みが零れてしまった。
「もう、『魔法大全』を読んでいるの?」
「ああ、スラスラと読んでいる。この子も塔の魔術師になるだろうね」
ゼファーの傍らの椅子に大人しく座り、ウィルは『魔法大全』を開いて読み始めていた。
眼鏡をかけていないウィルの顔を、フランシスは改めてまじまじと見て言った。
「こうしてみると、ゼファー、あなたもきっとかわいい顔をしているのだろうね」
それに、ゼファーはみるみるうちに頬を紅潮させる。
「なっ、何を急に言うんだ」
「眼鏡を取ってみてよ。僕、そう言えば、君の眼鏡を取った顔を見たことなかったな」
「…………まったく前が見えなくなるから、だめだ」
ぷいとゼファーが顔を背ける。
思わずフランはクスクスと笑ってしまった。
しばらく大人しく本を読んでいたウィルは、庭園の中に珍しい植物が植えられていると聞いて、それを見に行きたいと言う。
女官の一人が、彼についていくと言ったので、任せることにした。
「大人しい子だね」
フランシスは紅茶の注がれたカップに口づけながら、そう言うと、ゼファーは肩をすくめた。
「そうなのかな。うちはあの子だけだからわからないんだ。確かにあまり手がかからないな。本さえ与えていれば大人しい」
庭園の向こうに歩いて行くその背を、ゼファーは柔らかな表情で眺めていた。
フランシスは、ゼファーもこういう表情をするのだと少しばかり驚く思いだった。
父親のアーノルドが一人息子を溺愛しているように、ゼファーもウィルを愛しているのだ。
二人に大事に育てられているウィルは、もっぱら屋敷と塔を移動する日々だという。
それで、皇宮へとウィルが連れて来られたのは初めてのことだった。
「君のところの子も大きくなっているだろう。レオンハルト皇子と、アリシア皇女とレイシア皇女だよね」
「うん。レオンハルトは十二歳になったよ。アリシアとレイシアは十歳」
アリシアとレイシアは双子だった。
「レオンハルト皇子は、君の夫の……アレクサンドロスと同じ、黄金の瞳持ちの先祖返りだったよね」
フランシスは頷いた。
過去の帝国の歴史の上でも、二代続けて黄金の瞳持ちの先祖返りが現れたことはなかった。父親も黄金の瞳持ちで、その息子も黄金の瞳持ちなのだ。つまりは“黄金竜”の血を色濃く引く。竜の番を追い求める気持ちも一緒のはずだ。
「……普通でよかったのに」
フランシスは視線を下に落とす。その沈んだ様子に、ゼファーは慰めるように肩に手をやった。
「番が現れるのを、彼も待っているの?」
「……そうみたい」
「そうか」
「でも、お茶会を開いても、舞踏会を開いても、学園に進学しても、まったく番の子が見当たらないんだ」
「…………」
「探しても探しても、番の子がいなくて。レオンハルトが辛そうで、かわいそうで……」
それに、ゼファーはなんとも言えない気持ちになった。
フランシスの夫のアレクサンドロスも、同じだったと言いたかったが、その言葉を飲みこむ。
フランシスは、過去、自分がアレクサンドロスの前に現れないように、お茶会も舞踏会も学園への進学もパスしていたことを覚えていないんだろうか。
そして、アレクサンドロスは番をずっと追い求め続けて、ようやくこのフランシスを得た。
同じように、彼の息子のレオンハルト皇子も、番が現れることを待ち続けている。
「まるで、……隠れているみたいだ」
「……君じゃないんだから、隠れることなんて、ないんじゃないか」
思わずゼファーは小さく呟いていた。
すでに椅子に座っていたフランシスが片手を挙げる。
「ゼファー」
その声に、黒髪に眼鏡をした線の細い青年も手を挙げた。
彼の手に、黒髪の少年の小さな手がしっかりと握られているのを見て、フランシスは微笑みを浮かべる。
目の前までゼファーと少年がやってくると、フランシスはしゃがみこんで、少年と視線を合わせるようにして優しく言った。
「君が、ウィル君なのかな。宜しくね」
ウィルと呼ばれた少年は、そばにいるゼファーとそっくりの顔立ちをしていた。
漆黒の髪に、大きな青い瞳。
髪色と顔立ちは母親であるゼファーから引き継ぎ、その青く美しい瞳は夫のアーノルドからのものだろう。
ウィル少年は今年、八歳。
父親のアーノルドが溺愛し(ゼファーにそっくりなことが拍車をかけている)、本来、帝都の学園に通わせる時期になっても通わせることもなく(アーノルドは真剣な表情で「ウィルに悪い虫がついたら困る」と述べる)、ゼファーが直接少年を教育していると聞いている。
ゼファーそっくりの少年が、少年の頃のゼファーと同じようにしっかりとその腕の中に『魔法大全』を抱えていることに、笑みが零れてしまった。
「もう、『魔法大全』を読んでいるの?」
「ああ、スラスラと読んでいる。この子も塔の魔術師になるだろうね」
ゼファーの傍らの椅子に大人しく座り、ウィルは『魔法大全』を開いて読み始めていた。
眼鏡をかけていないウィルの顔を、フランシスは改めてまじまじと見て言った。
「こうしてみると、ゼファー、あなたもきっとかわいい顔をしているのだろうね」
それに、ゼファーはみるみるうちに頬を紅潮させる。
「なっ、何を急に言うんだ」
「眼鏡を取ってみてよ。僕、そう言えば、君の眼鏡を取った顔を見たことなかったな」
「…………まったく前が見えなくなるから、だめだ」
ぷいとゼファーが顔を背ける。
思わずフランはクスクスと笑ってしまった。
しばらく大人しく本を読んでいたウィルは、庭園の中に珍しい植物が植えられていると聞いて、それを見に行きたいと言う。
女官の一人が、彼についていくと言ったので、任せることにした。
「大人しい子だね」
フランシスは紅茶の注がれたカップに口づけながら、そう言うと、ゼファーは肩をすくめた。
「そうなのかな。うちはあの子だけだからわからないんだ。確かにあまり手がかからないな。本さえ与えていれば大人しい」
庭園の向こうに歩いて行くその背を、ゼファーは柔らかな表情で眺めていた。
フランシスは、ゼファーもこういう表情をするのだと少しばかり驚く思いだった。
父親のアーノルドが一人息子を溺愛しているように、ゼファーもウィルを愛しているのだ。
二人に大事に育てられているウィルは、もっぱら屋敷と塔を移動する日々だという。
それで、皇宮へとウィルが連れて来られたのは初めてのことだった。
「君のところの子も大きくなっているだろう。レオンハルト皇子と、アリシア皇女とレイシア皇女だよね」
「うん。レオンハルトは十二歳になったよ。アリシアとレイシアは十歳」
アリシアとレイシアは双子だった。
「レオンハルト皇子は、君の夫の……アレクサンドロスと同じ、黄金の瞳持ちの先祖返りだったよね」
フランシスは頷いた。
過去の帝国の歴史の上でも、二代続けて黄金の瞳持ちの先祖返りが現れたことはなかった。父親も黄金の瞳持ちで、その息子も黄金の瞳持ちなのだ。つまりは“黄金竜”の血を色濃く引く。竜の番を追い求める気持ちも一緒のはずだ。
「……普通でよかったのに」
フランシスは視線を下に落とす。その沈んだ様子に、ゼファーは慰めるように肩に手をやった。
「番が現れるのを、彼も待っているの?」
「……そうみたい」
「そうか」
「でも、お茶会を開いても、舞踏会を開いても、学園に進学しても、まったく番の子が見当たらないんだ」
「…………」
「探しても探しても、番の子がいなくて。レオンハルトが辛そうで、かわいそうで……」
それに、ゼファーはなんとも言えない気持ちになった。
フランシスの夫のアレクサンドロスも、同じだったと言いたかったが、その言葉を飲みこむ。
フランシスは、過去、自分がアレクサンドロスの前に現れないように、お茶会も舞踏会も学園への進学もパスしていたことを覚えていないんだろうか。
そして、アレクサンドロスは番をずっと追い求め続けて、ようやくこのフランシスを得た。
同じように、彼の息子のレオンハルト皇子も、番が現れることを待ち続けている。
「まるで、……隠れているみたいだ」
「……君じゃないんだから、隠れることなんて、ないんじゃないか」
思わずゼファーは小さく呟いていた。
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