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第3章 騎士団長と別離の言葉
第2話 王女来襲(下)
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「……マリア……王女?」
マリア王女は格子を掴み、乱暴にガシャガシャと揺すった。
「ああ、これは邪魔だわ。わたくしと閣下の間を邪魔する悪い格子だこと。壊してしまいたい。ねぇ、閣下、ここはどうすれば開くのかしら。閣下は御存知かしら」
一瞬マリア王女は動きを止め、格子を握り締めたまま虚空をぼんやり眺めてしばらく考え込んでいた。
「ああ、牢番から鍵をもらえばいいのですね」
いいことを思い付いたとばかりに、両手を叩き、無邪気にそう言う彼女の様子がどこか普段の彼女の姿とはズレているようで、恐ろしかった。
「待っていてくださいませ、閣下。わたくし今すぐ、牢番から鍵を頂いて参りますわ。そうしたら、すぐに結婚致しましょう」
クスクスと笑いながら、彼女は再度入ってきた入口の扉の鍵を開け放って出ていく。
ほどなくして戻ってきた彼女の手に握られていた鍵は、なぜかぐっしょりと血で濡れていた。
「すぐに開けて差し上げますわね」
頬を赤く染め、嬉しそうに言うマリアはそれでも可憐な乙女に見えた。
身の危険を感じたヴェルディは、内心、マリアが鍵を開けないでくれるといいと願った。
だが、無情にも鍵は開けられ、錠前は床の上にガシャンと落ち、彼女は格子の内に足を踏み入れた。
「閣下……」
マリアは目を輝かせ、両手を胸の前に組み合わせ、ヴェルディの姿をじっと見つめていた。
そしてすぐさま、ヴェルディに抱きついたのだった。
「ああ、これでようやく閣下と結婚できますわ。閣下のことがわたくし、大好きですの。子供の頃から憧れておりましたのよ。王宮に来て、お父様とお話しするご様子もとても恰好がよろしかったですし、わたくし達に話しかけて下さるのもお優しくて、いつも閣下が王宮に来て下さることを楽しみにしておりましたの。だから、閣下が別の方と結婚されたと聞いた時は、悲しかったですわ」
ヴェルディの顔を見上げるその瞳は潤んでいた。
「でも、わたくしと閣下が結婚して、一つになればすべてが良くなります。だって閣下は……」
そこで、マリアの薄緑色の、金色の睫毛に縁どられた大きな瞳が一瞬、翳った。
「あの御方の唯一の弱みですもの」
「なにを言っている」
マリアはヴェルディを寝台の上に押し倒した。
華奢な女の力とは思えない強い力で、彼を組み伏せる。
今やマリアは興奮したように、ハァハァと荒く息をついていた。
「閣下を手に入れれば、全部うまくいくのですわ。そう、全部うまくいく。貴方は本当に、本当に素晴らしい存在。矮小な人間の存在でありながら、あの御方の唯一になられるとは!! アハハハハッ だから早くわたくしのものになって頂戴。あの御方が夢中になったのだもの、きっと貴方の魂はさぞや美味しいはず」
手首を掴むマリアの力は万力のように強い。抗えなかった。
その王女は薄緑色の瞳を今やギラギラと輝かせ、興奮したように唇をぺろりと舌で舐めた。
「早く早く、閣下と一つになりたいですわ。ああ、ちょうどいいことに、ここに寝台があります」
ヴェルディは思い切り身をよじり、懸命に抗おうとする。
「これはきっと、閣下をここでわたくしが手に入れろという“神の思し召し”ですわ」
その言い回しが気に入ったらしいマリアは何度もそう口にした。
「そう、“神の思し召し”なのだわ。何もできない神の、“神の思し召し”。いつも、何もできぬ神は黙って指をくわえて見ておればいい。わたくしが閣下を手に入れるところも。堕とすところも。ねぇ、閣下、こちら側はとても楽しいのです。早く貴方もこちら側に来て頂戴」
そう言って、マリアは柔らかなその唇をヴェルディの唇に押し付けた。
その小さな舌が男の口に入った瞬間、ヴェルディは眉間に皺を寄せ、激しく抗った。
何かが……入ってこようとしていた。
ゾワリと本能的に、総毛立った。
厭わしく、汚らわしい。
だが、マリアは執拗に唇を求める。
「ああ、閣下、ダメですわ。ちゃんとわたくしの想いを受け止めてくださって」
マリアの唇が何度も重なり、唾液すら流し込もうとしていた。
「やめ……」
傍目から見ればおかしな光景だった。
華奢な少女が、体格の良い男の上に覆いかぶさり、押さえつけて唇を奪っている。
男の方が懸命に抗おうと、力を込め、押しのけようとするが、少女は平然とその細い手足で押さえつけている。
ふいにパシンと音がして、マリアの身体が突然、ヴェルディから弾け飛ばされた。
マリアの身体は床に音を立てて落ちる。
ヴェルディは唇を何度もぬぐい、咳き込みながら起き上がった。
そのヴェルディの前に立っていたのは、険しい顔をしたあの、ルーディス神官長の姿だった。
その雰囲気から、彼は“もう一人のルーディス”なのだろうと思った。
また、ヴェルディを助けに来てくれたのだ。
彼はすぐさまヴェルディのそばにしゃがみこんだ。
「な……」
何だと言う前に、美しい神官長はその唇を、ヴェルディの唇に重ねた。
驚愕にヴェルディは目を見開いていた。
白い手を伸ばし、男の背中に手を回し、舌も入れてくる濃厚な口づけをされる。
王女に続いて、前神官長にまで唇を奪われたヴェルディは、フリーズしていた。
だが、ルーディスは自分が愛しく思っていた男である。
ヴェルディは口直しといわんばかりに、今度は自分から彼を寝台に押し倒そうとしたところで、ルーディスの実体がないことに気がついた。すっと身体を通り抜けてしまう。先刻一瞬実体を感じたが、それはほんの一瞬だったようだ。
東地域討伐の際に助けに来てくれた時もそうだった。
自分の背後にふわりと飛んでいるような気配だった。
「……ルーディス」
ルーディスは形の良い眉を寄せ、ため息と共に呟いた。
「……本当に手のかかる、騎士団長殿だ」
唐突に、彼の姿が消えた。
そして笑い声が、格子の扉の向こうからした。
心底、嬉しそうな声だった。
「ああ、ルーディス、また会えるとは思ってもみなかった」
牢の入口から、満面の笑みを浮かべて入ってきたのは国王の兄公爵のライトだった。
マリア王女は格子を掴み、乱暴にガシャガシャと揺すった。
「ああ、これは邪魔だわ。わたくしと閣下の間を邪魔する悪い格子だこと。壊してしまいたい。ねぇ、閣下、ここはどうすれば開くのかしら。閣下は御存知かしら」
一瞬マリア王女は動きを止め、格子を握り締めたまま虚空をぼんやり眺めてしばらく考え込んでいた。
「ああ、牢番から鍵をもらえばいいのですね」
いいことを思い付いたとばかりに、両手を叩き、無邪気にそう言う彼女の様子がどこか普段の彼女の姿とはズレているようで、恐ろしかった。
「待っていてくださいませ、閣下。わたくし今すぐ、牢番から鍵を頂いて参りますわ。そうしたら、すぐに結婚致しましょう」
クスクスと笑いながら、彼女は再度入ってきた入口の扉の鍵を開け放って出ていく。
ほどなくして戻ってきた彼女の手に握られていた鍵は、なぜかぐっしょりと血で濡れていた。
「すぐに開けて差し上げますわね」
頬を赤く染め、嬉しそうに言うマリアはそれでも可憐な乙女に見えた。
身の危険を感じたヴェルディは、内心、マリアが鍵を開けないでくれるといいと願った。
だが、無情にも鍵は開けられ、錠前は床の上にガシャンと落ち、彼女は格子の内に足を踏み入れた。
「閣下……」
マリアは目を輝かせ、両手を胸の前に組み合わせ、ヴェルディの姿をじっと見つめていた。
そしてすぐさま、ヴェルディに抱きついたのだった。
「ああ、これでようやく閣下と結婚できますわ。閣下のことがわたくし、大好きですの。子供の頃から憧れておりましたのよ。王宮に来て、お父様とお話しするご様子もとても恰好がよろしかったですし、わたくし達に話しかけて下さるのもお優しくて、いつも閣下が王宮に来て下さることを楽しみにしておりましたの。だから、閣下が別の方と結婚されたと聞いた時は、悲しかったですわ」
ヴェルディの顔を見上げるその瞳は潤んでいた。
「でも、わたくしと閣下が結婚して、一つになればすべてが良くなります。だって閣下は……」
そこで、マリアの薄緑色の、金色の睫毛に縁どられた大きな瞳が一瞬、翳った。
「あの御方の唯一の弱みですもの」
「なにを言っている」
マリアはヴェルディを寝台の上に押し倒した。
華奢な女の力とは思えない強い力で、彼を組み伏せる。
今やマリアは興奮したように、ハァハァと荒く息をついていた。
「閣下を手に入れれば、全部うまくいくのですわ。そう、全部うまくいく。貴方は本当に、本当に素晴らしい存在。矮小な人間の存在でありながら、あの御方の唯一になられるとは!! アハハハハッ だから早くわたくしのものになって頂戴。あの御方が夢中になったのだもの、きっと貴方の魂はさぞや美味しいはず」
手首を掴むマリアの力は万力のように強い。抗えなかった。
その王女は薄緑色の瞳を今やギラギラと輝かせ、興奮したように唇をぺろりと舌で舐めた。
「早く早く、閣下と一つになりたいですわ。ああ、ちょうどいいことに、ここに寝台があります」
ヴェルディは思い切り身をよじり、懸命に抗おうとする。
「これはきっと、閣下をここでわたくしが手に入れろという“神の思し召し”ですわ」
その言い回しが気に入ったらしいマリアは何度もそう口にした。
「そう、“神の思し召し”なのだわ。何もできない神の、“神の思し召し”。いつも、何もできぬ神は黙って指をくわえて見ておればいい。わたくしが閣下を手に入れるところも。堕とすところも。ねぇ、閣下、こちら側はとても楽しいのです。早く貴方もこちら側に来て頂戴」
そう言って、マリアは柔らかなその唇をヴェルディの唇に押し付けた。
その小さな舌が男の口に入った瞬間、ヴェルディは眉間に皺を寄せ、激しく抗った。
何かが……入ってこようとしていた。
ゾワリと本能的に、総毛立った。
厭わしく、汚らわしい。
だが、マリアは執拗に唇を求める。
「ああ、閣下、ダメですわ。ちゃんとわたくしの想いを受け止めてくださって」
マリアの唇が何度も重なり、唾液すら流し込もうとしていた。
「やめ……」
傍目から見ればおかしな光景だった。
華奢な少女が、体格の良い男の上に覆いかぶさり、押さえつけて唇を奪っている。
男の方が懸命に抗おうと、力を込め、押しのけようとするが、少女は平然とその細い手足で押さえつけている。
ふいにパシンと音がして、マリアの身体が突然、ヴェルディから弾け飛ばされた。
マリアの身体は床に音を立てて落ちる。
ヴェルディは唇を何度もぬぐい、咳き込みながら起き上がった。
そのヴェルディの前に立っていたのは、険しい顔をしたあの、ルーディス神官長の姿だった。
その雰囲気から、彼は“もう一人のルーディス”なのだろうと思った。
また、ヴェルディを助けに来てくれたのだ。
彼はすぐさまヴェルディのそばにしゃがみこんだ。
「な……」
何だと言う前に、美しい神官長はその唇を、ヴェルディの唇に重ねた。
驚愕にヴェルディは目を見開いていた。
白い手を伸ばし、男の背中に手を回し、舌も入れてくる濃厚な口づけをされる。
王女に続いて、前神官長にまで唇を奪われたヴェルディは、フリーズしていた。
だが、ルーディスは自分が愛しく思っていた男である。
ヴェルディは口直しといわんばかりに、今度は自分から彼を寝台に押し倒そうとしたところで、ルーディスの実体がないことに気がついた。すっと身体を通り抜けてしまう。先刻一瞬実体を感じたが、それはほんの一瞬だったようだ。
東地域討伐の際に助けに来てくれた時もそうだった。
自分の背後にふわりと飛んでいるような気配だった。
「……ルーディス」
ルーディスは形の良い眉を寄せ、ため息と共に呟いた。
「……本当に手のかかる、騎士団長殿だ」
唐突に、彼の姿が消えた。
そして笑い声が、格子の扉の向こうからした。
心底、嬉しそうな声だった。
「ああ、ルーディス、また会えるとは思ってもみなかった」
牢の入口から、満面の笑みを浮かべて入ってきたのは国王の兄公爵のライトだった。
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