黒に染まる

曙なつき

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第1章 騎士団長と不吉な黒をまとう少年

第10話 酔っ払う

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 妹のロザンナから、話がしたいと言われた。
 突然そう求められたことに驚いたのだが、急ぎだという言葉に、すぐに時間を作る。
 彼女は、自分の側付きはもちろんのこと、ヴェルディの側付きのルースが同席することも許さなかった。
 兄妹二人だけで、話したいと言われた。


 部屋から召使や従者達を外へ出した後、ロザンナは椅子に深く座り、ひじ掛けに両手をかけ、小さな声で呟くように言った。

「……お兄様……私、おかしいのかも知れない」

「どうしたんだ、ロザンナ」

 不安そうな、青ざめた顔でロザンナは兄の顔を見上げる。

「ルースよ。あの子……あの子、ルーディス様と同じことを言ったのよ」

「何を言ったんだ」

「私を癒してくれたあと、あの子にお礼を言ったら、“どういたしまして”と。同じ口調で同じ目付きで、同じように肩に手をかけて……とまったく同じように言ったのよ」

 ヴェルディは動きを止めた。

「よく見れば、あの子、ルーディス様にそっくりだったわ。いえ、姿形はまったく違うのはわかっている。でも、優しくて、穏やかで、人を大切にして、話していることも、仕草もまったく同じ」

 ぞくりと身をロザンナは震わせた。

「私がルーディス様を惜しんだから、ルースがそう見えるだけよね。たまたま、そう見えるだけよね」

「…………」

 妹に言われてみて、気が付いた。
 ルースが、前神官長ルーディスと重なる姿が多いことに。そしてルーディスと同じように、彼がそばにいると心地がよい。つい目で彼を追ってしまうこともあることに。

 同じ茶葉の味わい。
 同じように使える治癒の力。
 銀のメダルを求めるその敬虔さ。
 ふとした仕草、目付き、話し方、清廉な態度、それらが重なる。

 かつての、彼の姿に。

「…………確かめてみる」

 ヴェルディはそう妹に告げた。






 その夜もまた、食後にルースはお茶を入れてくれた。
 夕食を終えたヴェルディが自室でくつろいでいる中、黒髪の少年はゆっくりと丁寧にお茶をいれていた。
 ヴェルディにソーサーにのったカップをそっと差し出す。

 その日、ヴェルディはルースにもお茶を勧めた。

「お前も飲め。最近寒くなってきている。身体が温まるだろう」

 そう言うと、少し迷うそぶりを見せたが、うなずいた。
 ヴェルディはルースに椅子を勧めた。従者である身だからと遠慮する彼を無理やり席につかせる。二人は向き合ってお茶を飲んだ。
 遠慮していたルースも、しばらくすると、どことなく嬉しそうな顔をしていた。ニコニコとしている。

(ルーディス……彼と似ているような……気もする。年齢のせいか、幼くも見える。でも、学園にいた時は、あいつもこんな感じだった)

 そう、生粋の神殿育ちのルーディスは無垢で、無邪気だった。
 悪意を知らず、彼は誰に対しても公平で、親切だった。
 その美しすぎる容姿のせいもあり、学園ではルーディスは下級生から上級生まで、多くの生徒達に崇拝されていた。男なのに、女神のように尊いとか言われていたな。
 学園にいた王子方も、ルーディスをちやほやしていた。

(あまりにもルーディスが何も知らないから、悪い遊びを教えてやろうという奴らもいて、そいつらから守るのも大変だったな……)

 三人の王子達と共に、ふざけあっていた時代。
 懐かしい記憶だった。
 ずっと昔の、無邪気な、もう戻ることのできない時代だった。

 あの頃いた、第一王子カールは、“ライシャ事変”を起こした首謀者として処刑された。
 第二王子ライトは、王位継承権を放棄し、離宮で暮らしている。
 第三王子ロベルトは王座に就き、王となっている。
 神官長のルーディスは、“ライシャ事変”で亡くなった。

 瞼の裏に、学園で、画家を呼んで描かせたあの一枚の絵が浮かぶ。
 全員が笑っていたあの絵の中で、今も生きているのは三人だけだった。

「お代わりをもらえるか」

 そう言うと、ルースは立ち上がり、茶葉を新しいものに入れ替え、ポットに湯を入れた。それからまた丁寧にお茶を入れてくれる。

「丁寧に入れればいれるほど、美味しいお茶ができあがる」

 そう、前世のルーディスが言っていた言葉を呟くと、ルースは口元に笑みを浮かべた。

「そうですね」

 新しいティーカップに綺麗な色のお茶が注がれる。ルースにもまた飲めと言うと、彼もまた自分のカップに注いだ。
 その彼の前で、懐から小さな酒瓶を取り出した。

「これを少し入れると、身体が温まる」

「……お酒ですか」

「少しだけだ。神官も禁忌というわけではないだろう。神も少しの酒なら認めている」

「確かにそうですね」

 ルースの目が嬉しそうにお茶にそそがれたお酒を見て、輝いていた。
 このやりとりで、確信した。
 彼はルーディスだと。彼は……神官の身でありながら、その実、酒が好きだった。

 学園にいた頃、彼が入れたお茶に、同じように酒を落とした時、彼はまったく同じセリフを吐いたのだ。
 神も少しの酒なら認めているから、飲めというと、確かにそうだとあの時も納得して……
 そして彼は酒の入った茶を飲んだ。

 その後……酒は少しの量なのに酔っ払ったんだ。
 紫色の目をトロンとさせて、テーブルにもたれかかって。
 第二王子のライトが、そんなルーディスの様子に興奮して、部屋に連れ込もうとしていたのを必死に止めた記憶がある。
 清楚な彼を酒に酔わせると、酔った姿はこうも破壊力があるのかと驚いた記憶がある。
 白い肌は赤く染まり、吐く息は熱く、唇はうっすらと開いて覗いた舌が艶めかしい。乱れた銀の長い髪。

 ルースは酒の落とされたお茶をコクリと飲んだ。

「……確かに体が温まりますね」

 そう言って、カップを両手で持つ。次第に黒い瞳が潤みだす。

(……相変わらず、酒に弱いんだな)

 泣きたい気持ちになった。
 彼だった。
 そう、彼だったのだ。

 ルースは白い肌を赤く染め、熱い息を吐いた。

「……ふわふわして気持ちいいですね。これ。もうちょっと入れませんか」

 酒の入った小瓶に手を伸ばす。
 ルーディスの時は、それを阻止していた。
 だが、今は彼をある程度酔わせて、口を軽くさせないといけなかった。
 酔いつぶれない程度に、いい気持ちにさせないといけない。

 ヴェルディは小瓶の酒を数滴、ルースのカップに落とした。
 ルースは幸せそうな顔をしていた。

「ありがとう、ヴェルディ」

「どういたしまして、ルーディス。お前はこれが好きだものな」

「うん、大好きだよ」

 ルースではなく、ルーディスと呼んでも、彼は普通に返事をしていた。
 酔っている。
 ほんの数滴の酒なのに、効果は抜群だった。

「ルーディス、お前はルーディスなんだろう?」

「そうだよ。ヴェルディ、酔っ払っているのかい?」

 ルーディスよりも幾分幼い声がそう答える。

「ああ、酔ったみたいだな」

「お酒はほどほどにしないとだめだよ。信者にとっては禁忌ではないけれど、節度ある飲み方を神も求めているのだから」

「ああ、そうだ」

 ヴェルディは目を片手で覆った。
 ルースは怪訝な顔をする。

「ヴェルディ、泣いているの?」

「違う、ごみが入っただけだ」

「そうなのか。明日も仕事が早いんだろう。適当にしないと起きられなくなるぞ」

「神官長室に泊めてくれよ」

「だめだよ。そんなことしたら、テラに怒られてしまうから」

 今の酔った彼の意識は、神官長時代のものであるようだ。側仕えのテラがいて、遅くにヴェルディが遊びに来ているという追憶の中の会話。

「大変だろうけれど、帰らないと」

「ああ、そうだな」

 神殿にはいつも、彼がいて、美味しいお茶をいれてくれた。
 その姿が、記憶の中にずっと残っている。
 長い銀の髪を揺らし、美しい紫色の瞳を向け、白い手でそっと茶器を丁寧に扱うその姿が、好きだった。

 失ってしまったその過去。
 再び手に入れることができるとは思ってもいなかった。
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