騎士団長が大変です

曙なつき

文字の大きさ
上 下
329 / 568
第二十二章 愛を確かめる

第一話 初めて見た雪にはしゃぐ仔犬

しおりを挟む
 雪がちらほらと空から舞い落ちてきているのが、近衛騎士団の建物の窓から見えた。
 どうりで底冷えするような寒さが続いていると思っていたが、とうとう雪の降る季節に入ったのだ。
 窓にへばりつくようにしていた黒い仔犬のディーターは、雪を見た瞬間に緑色の目を輝かせ、勝手に外へ向かって走り出している。
 そして建物の外で、音も無く灰色の空から下りてくる雪に興奮してぐるぐると走り回っていた。
 そんな仔犬の様子を見て、騎士達は笑っている。

「ディーターは雪を見たのが初めてなのか?」

「そうっぽいな。あの興奮ぶりを見て見ろ」

「ぐるぐる回っているぞ」

 
 実質的な仔犬の飼い主になっているジェラルドが、仔犬のことをナイツではなく、ディーターと呼び始めてから、近衛騎士達もそれに倣って仔犬のことをディーターと呼び始めた。今ではそれが定着している。
 何故ディーターと呼ぶのかと聞いた騎士に対して、ジェラルドはポツリと「それが本当の名前らしいから」と答えた。
 本当の名前とは何なのだと、そのことに突っ込む騎士はいなかった。仔犬はディーターと呼んでも、ワンと元気よく返事をする。変わらず騎士の者達に好かれている愛らしい仔犬だった。

「ディーター」

 そう建物の中からジェラルドが呼ぶと、仔犬はピンと耳を立て、まっしぐらにジェラルドの元へ走って、その胸に飛び込んでくる。仔犬の黒い毛に、雪の結晶がついている。ハフハフと荒く息をしているディーターに、ジェラルドは言った。

「お前は雪が好きなのかい?」

 その問いかけに、仔犬はワンと返事をする。あたかも、言葉の意味が分かっているような様子に、ジェラルドは笑みを浮かべて、その頭をワシャワシャと撫でた。

「そうか、じゃあ、お前をいいところに連れていこう」

 ジェラルドは考えていた。
 雪を見るのがどうやら初めてで、雪を見てこんなに興奮する仔犬だ。たくさんの雪のあるところへ連れていったら、どんなにか興奮するだろう。きっと間違いなく大喜びするだろう。
 真っ白く積もった雪の中を走り回って喜ぶ仔犬の姿が頭の中に浮かんだジェラルドは、ディーターを抱きしめ、その緑色の目を見ながら言った。

「北方地方にある別荘に、今度の休暇の時に、連れていってやろう」

 ディーターは尻尾をパタパタと振ってワンと返事をした。



       *


 そして、その週にバーナードが少年の姿をとって、いつものように近衛騎士団の拠点へやって来た時、ディーターは必死になってバート少年のズボンの裾を噛んで、茂みに連れ込もうとした。

「……なんだ、ディーター」

 疑問を抱きながら、バートはディーターにずるずると茂みに引き込まれる。そして茂みの中で仔犬に押し倒された。
 何事だと思いながら、仔犬に向かって言う。

「お前が見えなくなると、ジェラルドがうるさいだろう」

 そう、バートはいつも騎士団の建物の外で、口笛を吹いてディーターを呼び出すのだが、ジェラルドはしっかりと窓からそれを見ている。近衛騎士の若者は、仔犬のディーターのことが余程大事なのだろう。最初の頃は、バートが仔犬と戯れていると睨んでくるくらいであった。最近になって、ようやくその態度も和らいでいる。

 茂みの中に連れ込まれたバートは、すぐさま仔犬のディーターが自分で木の枝に首輪を引っかけて、“若返りの魔道具”を外したことに驚く。

「おい、何をしている」

 途端、魔道具が外れたと同時に、成獣へと変化していく。
 それを見ながら、バートは疑問を抱いた。
 変化の速度が速い。
 自分が、“若返りのピアス”を使う時よりも、ディーターの大人に戻る変化の速度の方が速かった。
 これは、魔族の種族の違い、人狼ゆえの魔法の解ける速さなのだろうか。

 そして大きな狼に戻ると、次の一瞬で、ディーターは人の姿に変わったのだ。

「……………おい」

 当然、そこにいたのは全裸の浅黒い肌の男のディーターの姿であった。相変わらずの一糸もまとわぬ裸体を見て、雪も降るこの寒い中なのに大丈夫なのかと思う一方、バートは声を潜めながら言った。

「こんなところで戻ってどうする。マズイだろうが」

 茂みの中とはいえ、王宮の中である。裸体の怪しい男がいるのはマズイ。
 誰の視界にも入らないように、バートはディーターを掴んで座らせた。
 
 ディーターには羞恥心はまったくないようで、堂々と裸体をさらけ出し、大事なところを隠す様子もない。狼はその身に生来の毛皮をまとうとはいえ、いつも常に裸である。だから裸でいることが気にならないのだろうか。
 そう言えば、フィリップも狼から人の姿に戻った時、あまり羞恥心を持っていないように思えた。

 ディーターは言った。

「お前と言葉を交わすには、人の姿に戻るしかないだろう。バーナード、今度、ジェラルドが俺を休暇の時に北方地方の別荘に連れていくといった」

「そうか、良かったな。この寒い中、あの極寒の北方地方に行くなんて、酔狂だな」

「俺が雪を見るのは初めてで、大はしゃぎしたから、ジェラルドはわざわざ俺を連れていってくれると言ったんだ」

「だが、北方地方の積雪は桁が違うぞ。まぁ、そういうドカ雪だから、仔犬のお前に見せて喜ばせてやろうと思ったんだろうな。よかったな、ディーター、お前は愛されているぞ」

「ああ、それは嬉しいんだけど。俺は不安なんだ」

「何が不安なんだ」

 ディーターは言った。

「休暇の間に、もし“若返りの魔道具”の効力が切れて、人の姿に戻ってしまったら困る」

「そんなに長い間、別荘に行くわけではないだろう。俺がしこたま魔力を込めておけば、二週間は持つぞ」

「でももし、ジェラルドが別荘にずっといると言ったら、彼の前で俺は成獣になってしまう」

 愛する番のジェラルドに可愛がられるために、ディーターは常に魔道具の力を借りて仔犬の姿でいるのだ。その涙ぐましいまでの努力。バーナードは彼の変身に協力するため、週に一度の割合で、近衛騎士団の建物のそばに仔犬を呼び寄せ、首輪の形の魔道具に魔力を注いでいたのだ。
 バートは深くため息をついた。腕を組んで尋ねる。

「それで、お前は俺にどうして欲しいというんだ」

「一緒に北方地方へ来て欲しい」

「………………」

「頼む、バーナード」

 深々と頭を下げる男を、バートは渋い顔で腕を組んで眺めていた。しばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
 ジェラルドのことが好きすぎるが故の不安なのだ。魔法が解けることはないと思っても、少しでもその不安を解消して行きたいらしい。

「わかった。あちらで一回か二回、首輪に魔力を込めれば大丈夫だろう」

「ありがとう、バーナード、本当に恩に着るよ」

 そう言って、ディーターがバート少年の手を掴んだところで、彼らがいた茂みが大きく揺れた。
 そこに立っていたのは、仔犬の姿が見えなくて、わざわざ探しにやってきた騎士ジェラルドであり、彼はバート少年とディーターの様子を見て、唖然としていた。
 それから真っ赤な顔をして「失礼した!!」と慌てふためいて、踵を返して去っていく。

「…………」

 バートは、全裸で座り、自分の手を握り締めているディーターを見つめて、ため息混じりで言った。

「お前、いいのか。絶対に誤解されたと思うぞ」

「…………え?」

「こんな茂みの中で、裸で俺の手を握っている状況は、まるでお前が俺とコトを及ぼうとして、口説いているように見えただろう」

 ディーターは改めて自分の姿を見て、それからバート少年を見た。

「…………え?」

 いつもの仔犬の時のように、首を傾げているディーターは、仔犬の時と違って全く可愛く見えず、むしろどこか間が抜けて見えた。
 バートはため息をついて、「まぁ、頑張れよ。俺は知らん」と言って立ち上がり、手をひらひらと振って立ち去って行った。
しおりを挟む
感想 195

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

お客様と商品

あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています

八神紫音
BL
 魔道士はひ弱そうだからいらない。  そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。  そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、  ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る

112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。 ★本編で出てこない世界観  男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

処理中です...