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第二十二章 愛を確かめる
第一話 初めて見た雪にはしゃぐ仔犬
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雪がちらほらと空から舞い落ちてきているのが、近衛騎士団の建物の窓から見えた。
どうりで底冷えするような寒さが続いていると思っていたが、とうとう雪の降る季節に入ったのだ。
窓にへばりつくようにしていた黒い仔犬のディーターは、雪を見た瞬間に緑色の目を輝かせ、勝手に外へ向かって走り出している。
そして建物の外で、音も無く灰色の空から下りてくる雪に興奮してぐるぐると走り回っていた。
そんな仔犬の様子を見て、騎士達は笑っている。
「ディーターは雪を見たのが初めてなのか?」
「そうっぽいな。あの興奮ぶりを見て見ろ」
「ぐるぐる回っているぞ」
実質的な仔犬の飼い主になっているジェラルドが、仔犬のことをナイツではなく、ディーターと呼び始めてから、近衛騎士達もそれに倣って仔犬のことをディーターと呼び始めた。今ではそれが定着している。
何故ディーターと呼ぶのかと聞いた騎士に対して、ジェラルドはポツリと「それが本当の名前らしいから」と答えた。
本当の名前とは何なのだと、そのことに突っ込む騎士はいなかった。仔犬はディーターと呼んでも、ワンと元気よく返事をする。変わらず騎士の者達に好かれている愛らしい仔犬だった。
「ディーター」
そう建物の中からジェラルドが呼ぶと、仔犬はピンと耳を立て、まっしぐらにジェラルドの元へ走って、その胸に飛び込んでくる。仔犬の黒い毛に、雪の結晶がついている。ハフハフと荒く息をしているディーターに、ジェラルドは言った。
「お前は雪が好きなのかい?」
その問いかけに、仔犬はワンと返事をする。あたかも、言葉の意味が分かっているような様子に、ジェラルドは笑みを浮かべて、その頭をワシャワシャと撫でた。
「そうか、じゃあ、お前をいいところに連れていこう」
ジェラルドは考えていた。
雪を見るのがどうやら初めてで、雪を見てこんなに興奮する仔犬だ。たくさんの雪のあるところへ連れていったら、どんなにか興奮するだろう。きっと間違いなく大喜びするだろう。
真っ白く積もった雪の中を走り回って喜ぶ仔犬の姿が頭の中に浮かんだジェラルドは、ディーターを抱きしめ、その緑色の目を見ながら言った。
「北方地方にある別荘に、今度の休暇の時に、連れていってやろう」
ディーターは尻尾をパタパタと振ってワンと返事をした。
*
そして、その週にバーナードが少年の姿をとって、いつものように近衛騎士団の拠点へやって来た時、ディーターは必死になってバート少年のズボンの裾を噛んで、茂みに連れ込もうとした。
「……なんだ、ディーター」
疑問を抱きながら、バートはディーターにずるずると茂みに引き込まれる。そして茂みの中で仔犬に押し倒された。
何事だと思いながら、仔犬に向かって言う。
「お前が見えなくなると、ジェラルドがうるさいだろう」
そう、バートはいつも騎士団の建物の外で、口笛を吹いてディーターを呼び出すのだが、ジェラルドはしっかりと窓からそれを見ている。近衛騎士の若者は、仔犬のディーターのことが余程大事なのだろう。最初の頃は、バートが仔犬と戯れていると睨んでくるくらいであった。最近になって、ようやくその態度も和らいでいる。
茂みの中に連れ込まれたバートは、すぐさま仔犬のディーターが自分で木の枝に首輪を引っかけて、“若返りの魔道具”を外したことに驚く。
「おい、何をしている」
途端、魔道具が外れたと同時に、成獣へと変化していく。
それを見ながら、バートは疑問を抱いた。
変化の速度が速い。
自分が、“若返りのピアス”を使う時よりも、ディーターの大人に戻る変化の速度の方が速かった。
これは、魔族の種族の違い、人狼ゆえの魔法の解ける速さなのだろうか。
そして大きな狼に戻ると、次の一瞬で、ディーターは人の姿に変わったのだ。
「……………おい」
当然、そこにいたのは全裸の浅黒い肌の男のディーターの姿であった。相変わらずの一糸もまとわぬ裸体を見て、雪も降るこの寒い中なのに大丈夫なのかと思う一方、バートは声を潜めながら言った。
「こんなところで戻ってどうする。マズイだろうが」
茂みの中とはいえ、王宮の中である。裸体の怪しい男がいるのはマズイ。
誰の視界にも入らないように、バートはディーターを掴んで座らせた。
ディーターには羞恥心はまったくないようで、堂々と裸体をさらけ出し、大事なところを隠す様子もない。狼はその身に生来の毛皮をまとうとはいえ、いつも常に裸である。だから裸でいることが気にならないのだろうか。
そう言えば、フィリップも狼から人の姿に戻った時、あまり羞恥心を持っていないように思えた。
ディーターは言った。
「お前と言葉を交わすには、人の姿に戻るしかないだろう。バーナード、今度、ジェラルドが俺を休暇の時に北方地方の別荘に連れていくといった」
「そうか、良かったな。この寒い中、あの極寒の北方地方に行くなんて、酔狂だな」
「俺が雪を見るのは初めてで、大はしゃぎしたから、ジェラルドはわざわざ俺を連れていってくれると言ったんだ」
「だが、北方地方の積雪は桁が違うぞ。まぁ、そういうドカ雪だから、仔犬のお前に見せて喜ばせてやろうと思ったんだろうな。よかったな、ディーター、お前は愛されているぞ」
「ああ、それは嬉しいんだけど。俺は不安なんだ」
「何が不安なんだ」
ディーターは言った。
「休暇の間に、もし“若返りの魔道具”の効力が切れて、人の姿に戻ってしまったら困る」
「そんなに長い間、別荘に行くわけではないだろう。俺がしこたま魔力を込めておけば、二週間は持つぞ」
「でももし、ジェラルドが別荘にずっといると言ったら、彼の前で俺は成獣になってしまう」
愛する番のジェラルドに可愛がられるために、ディーターは常に魔道具の力を借りて仔犬の姿でいるのだ。その涙ぐましいまでの努力。バーナードは彼の変身に協力するため、週に一度の割合で、近衛騎士団の建物のそばに仔犬を呼び寄せ、首輪の形の魔道具に魔力を注いでいたのだ。
バートは深くため息をついた。腕を組んで尋ねる。
「それで、お前は俺にどうして欲しいというんだ」
「一緒に北方地方へ来て欲しい」
「………………」
「頼む、バーナード」
深々と頭を下げる男を、バートは渋い顔で腕を組んで眺めていた。しばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
ジェラルドのことが好きすぎるが故の不安なのだ。魔法が解けることはないと思っても、少しでもその不安を解消して行きたいらしい。
「わかった。あちらで一回か二回、首輪に魔力を込めれば大丈夫だろう」
「ありがとう、バーナード、本当に恩に着るよ」
そう言って、ディーターがバート少年の手を掴んだところで、彼らがいた茂みが大きく揺れた。
そこに立っていたのは、仔犬の姿が見えなくて、わざわざ探しにやってきた騎士ジェラルドであり、彼はバート少年とディーターの様子を見て、唖然としていた。
それから真っ赤な顔をして「失礼した!!」と慌てふためいて、踵を返して去っていく。
「…………」
バートは、全裸で座り、自分の手を握り締めているディーターを見つめて、ため息混じりで言った。
「お前、いいのか。絶対に誤解されたと思うぞ」
「…………え?」
「こんな茂みの中で、裸で俺の手を握っている状況は、まるでお前が俺とコトを及ぼうとして、口説いているように見えただろう」
ディーターは改めて自分の姿を見て、それからバート少年を見た。
「…………え?」
いつもの仔犬の時のように、首を傾げているディーターは、仔犬の時と違って全く可愛く見えず、むしろどこか間が抜けて見えた。
バートはため息をついて、「まぁ、頑張れよ。俺は知らん」と言って立ち上がり、手をひらひらと振って立ち去って行った。
どうりで底冷えするような寒さが続いていると思っていたが、とうとう雪の降る季節に入ったのだ。
窓にへばりつくようにしていた黒い仔犬のディーターは、雪を見た瞬間に緑色の目を輝かせ、勝手に外へ向かって走り出している。
そして建物の外で、音も無く灰色の空から下りてくる雪に興奮してぐるぐると走り回っていた。
そんな仔犬の様子を見て、騎士達は笑っている。
「ディーターは雪を見たのが初めてなのか?」
「そうっぽいな。あの興奮ぶりを見て見ろ」
「ぐるぐる回っているぞ」
実質的な仔犬の飼い主になっているジェラルドが、仔犬のことをナイツではなく、ディーターと呼び始めてから、近衛騎士達もそれに倣って仔犬のことをディーターと呼び始めた。今ではそれが定着している。
何故ディーターと呼ぶのかと聞いた騎士に対して、ジェラルドはポツリと「それが本当の名前らしいから」と答えた。
本当の名前とは何なのだと、そのことに突っ込む騎士はいなかった。仔犬はディーターと呼んでも、ワンと元気よく返事をする。変わらず騎士の者達に好かれている愛らしい仔犬だった。
「ディーター」
そう建物の中からジェラルドが呼ぶと、仔犬はピンと耳を立て、まっしぐらにジェラルドの元へ走って、その胸に飛び込んでくる。仔犬の黒い毛に、雪の結晶がついている。ハフハフと荒く息をしているディーターに、ジェラルドは言った。
「お前は雪が好きなのかい?」
その問いかけに、仔犬はワンと返事をする。あたかも、言葉の意味が分かっているような様子に、ジェラルドは笑みを浮かべて、その頭をワシャワシャと撫でた。
「そうか、じゃあ、お前をいいところに連れていこう」
ジェラルドは考えていた。
雪を見るのがどうやら初めてで、雪を見てこんなに興奮する仔犬だ。たくさんの雪のあるところへ連れていったら、どんなにか興奮するだろう。きっと間違いなく大喜びするだろう。
真っ白く積もった雪の中を走り回って喜ぶ仔犬の姿が頭の中に浮かんだジェラルドは、ディーターを抱きしめ、その緑色の目を見ながら言った。
「北方地方にある別荘に、今度の休暇の時に、連れていってやろう」
ディーターは尻尾をパタパタと振ってワンと返事をした。
*
そして、その週にバーナードが少年の姿をとって、いつものように近衛騎士団の拠点へやって来た時、ディーターは必死になってバート少年のズボンの裾を噛んで、茂みに連れ込もうとした。
「……なんだ、ディーター」
疑問を抱きながら、バートはディーターにずるずると茂みに引き込まれる。そして茂みの中で仔犬に押し倒された。
何事だと思いながら、仔犬に向かって言う。
「お前が見えなくなると、ジェラルドがうるさいだろう」
そう、バートはいつも騎士団の建物の外で、口笛を吹いてディーターを呼び出すのだが、ジェラルドはしっかりと窓からそれを見ている。近衛騎士の若者は、仔犬のディーターのことが余程大事なのだろう。最初の頃は、バートが仔犬と戯れていると睨んでくるくらいであった。最近になって、ようやくその態度も和らいでいる。
茂みの中に連れ込まれたバートは、すぐさま仔犬のディーターが自分で木の枝に首輪を引っかけて、“若返りの魔道具”を外したことに驚く。
「おい、何をしている」
途端、魔道具が外れたと同時に、成獣へと変化していく。
それを見ながら、バートは疑問を抱いた。
変化の速度が速い。
自分が、“若返りのピアス”を使う時よりも、ディーターの大人に戻る変化の速度の方が速かった。
これは、魔族の種族の違い、人狼ゆえの魔法の解ける速さなのだろうか。
そして大きな狼に戻ると、次の一瞬で、ディーターは人の姿に変わったのだ。
「……………おい」
当然、そこにいたのは全裸の浅黒い肌の男のディーターの姿であった。相変わらずの一糸もまとわぬ裸体を見て、雪も降るこの寒い中なのに大丈夫なのかと思う一方、バートは声を潜めながら言った。
「こんなところで戻ってどうする。マズイだろうが」
茂みの中とはいえ、王宮の中である。裸体の怪しい男がいるのはマズイ。
誰の視界にも入らないように、バートはディーターを掴んで座らせた。
ディーターには羞恥心はまったくないようで、堂々と裸体をさらけ出し、大事なところを隠す様子もない。狼はその身に生来の毛皮をまとうとはいえ、いつも常に裸である。だから裸でいることが気にならないのだろうか。
そう言えば、フィリップも狼から人の姿に戻った時、あまり羞恥心を持っていないように思えた。
ディーターは言った。
「お前と言葉を交わすには、人の姿に戻るしかないだろう。バーナード、今度、ジェラルドが俺を休暇の時に北方地方の別荘に連れていくといった」
「そうか、良かったな。この寒い中、あの極寒の北方地方に行くなんて、酔狂だな」
「俺が雪を見るのは初めてで、大はしゃぎしたから、ジェラルドはわざわざ俺を連れていってくれると言ったんだ」
「だが、北方地方の積雪は桁が違うぞ。まぁ、そういうドカ雪だから、仔犬のお前に見せて喜ばせてやろうと思ったんだろうな。よかったな、ディーター、お前は愛されているぞ」
「ああ、それは嬉しいんだけど。俺は不安なんだ」
「何が不安なんだ」
ディーターは言った。
「休暇の間に、もし“若返りの魔道具”の効力が切れて、人の姿に戻ってしまったら困る」
「そんなに長い間、別荘に行くわけではないだろう。俺がしこたま魔力を込めておけば、二週間は持つぞ」
「でももし、ジェラルドが別荘にずっといると言ったら、彼の前で俺は成獣になってしまう」
愛する番のジェラルドに可愛がられるために、ディーターは常に魔道具の力を借りて仔犬の姿でいるのだ。その涙ぐましいまでの努力。バーナードは彼の変身に協力するため、週に一度の割合で、近衛騎士団の建物のそばに仔犬を呼び寄せ、首輪の形の魔道具に魔力を注いでいたのだ。
バートは深くため息をついた。腕を組んで尋ねる。
「それで、お前は俺にどうして欲しいというんだ」
「一緒に北方地方へ来て欲しい」
「………………」
「頼む、バーナード」
深々と頭を下げる男を、バートは渋い顔で腕を組んで眺めていた。しばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
ジェラルドのことが好きすぎるが故の不安なのだ。魔法が解けることはないと思っても、少しでもその不安を解消して行きたいらしい。
「わかった。あちらで一回か二回、首輪に魔力を込めれば大丈夫だろう」
「ありがとう、バーナード、本当に恩に着るよ」
そう言って、ディーターがバート少年の手を掴んだところで、彼らがいた茂みが大きく揺れた。
そこに立っていたのは、仔犬の姿が見えなくて、わざわざ探しにやってきた騎士ジェラルドであり、彼はバート少年とディーターの様子を見て、唖然としていた。
それから真っ赤な顔をして「失礼した!!」と慌てふためいて、踵を返して去っていく。
「…………」
バートは、全裸で座り、自分の手を握り締めているディーターを見つめて、ため息混じりで言った。
「お前、いいのか。絶対に誤解されたと思うぞ」
「…………え?」
「こんな茂みの中で、裸で俺の手を握っている状況は、まるでお前が俺とコトを及ぼうとして、口説いているように見えただろう」
ディーターは改めて自分の姿を見て、それからバート少年を見た。
「…………え?」
いつもの仔犬の時のように、首を傾げているディーターは、仔犬の時と違って全く可愛く見えず、むしろどこか間が抜けて見えた。
バートはため息をついて、「まぁ、頑張れよ。俺は知らん」と言って立ち上がり、手をひらひらと振って立ち去って行った。
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