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第十六章 二人の姫君と黒の指輪
第五話 認めたくない事実
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妹姫と侍女リンゼは視線を交わした。
(いったい何があったの)
そう妹姫は、侍女リンゼに問いただしたかったが、リンゼもまたよく分かっていない様子であった。
リンゼが理解していたのは、このアルセウス王国の中庭で、姉姫が酔った男に襲われかけ、それが一人の若い騎士の男によって救われたことだった。
そして、その騎士は数々の貴族や王家の男達を見てきたリンゼの目から見ても、非常に美しい男だった。
暗がりの中でも明るく輝く金の髪に、青い瞳。彫りの深い顔立ちは整っており、王宮の大広間で見てきたこの国の美男と謳われる男達よりも遥かに目を引くものがあった。
彼にマントをかけられ、抱き上げられてこの部屋までやって来た。医師の診察を受けて、落ち着いたところにこれである。
フィリアーシュは、自身の肩にいまだかけられている、あの騎士からのマントにそっと触れ、頬を染めながら顔を埋めている。
さすがにその仕草で、妹姫と侍女リンゼは気が付いたのだ。
「姉様……そのマントはどうなされたのですか」
問いかけるナディアージュに、侍女リンゼが代わって答える。
「フィリアーシュ様をお助けになった騎士様が、姫様の衣が破れてしまったことを気遣い、掛けて下さったものです」
フィリアーシュがどこかうっとりとした様子に、ナディアージュは自身の目が信じられないようなものを見たかのように開かれているのが分かっていた。
(あの、いつも落ち着いている姉様が……こんなご様子を見たことがない)
「その騎士の名は?」
「王立騎士団の副騎士団長フィリップ殿と仰っていました」
「すぐに、その素性を調べさせて頂戴」
「はい。かしこまりました」
侍女リンゼに、妹姫ナディアージュがキビキビと命令している様子に、姉のフィリアーシュは微笑みつつ言った。
「騎士様に御礼をせねばなりませんね。このマントもお返しせねばなりませんし」
「そうですね、姉様」
今まで、男というものに全く興味を持っていなかった姉様が、初めて男に興味を抱いたのである。
その男のことを調べ、もし、姉様にふさわしいとなれば、国許に連れて帰っても良い。
王配にはすでに婚約が相成っている若者が就くだろうが、女王の愛人として仕えさせれば良い。
この王国の副騎士団長ともなれば、素性も悪くはないだろう。
そう妹姫のナディアージュが、すでに彼を連れて帰ることを内心で算段していたが、後ほど、青ざめ強張った表情でやって来た侍女リンゼの報告に、妹姫も言葉を無くしてしまったのだった。
「フィリップ副騎士団長は、既婚者です」
「本当に?」
「はい」
それに、ふらりと姉姫フィリアーシュの体が倒れる。あまりにも呆気ない“恋の終わり”であった。
慌てて介抱する侍女リンゼ。
長い髪を乱し、一瞬でやつれ果てた様子のフィリアーシュはこう言った。
「……あれほど素敵な御方ですもの。とうに結婚していてもおかしくはないですわ。その幸運な奥方様が羨ましいです」
「姉様」
ひしと妹姫のナディアージュが、姉の細い身体を抱きしめる。
「諦めるなんて早いですわ。姉様が、そんなにもその御方のことをお慕いになっているならば、わたくしが何としても、彼を手に入れられるように致しますわ」
「ナディアージュ」
二人の姫君達が見つめ合うその様子を見ながら、侍女リンゼが声を絞りだすようにこう言った。
「あの……このアルセウス王国では、男同士の婚姻が認められており」
「……………」
「フィリップ副騎士団長は、王国の王立騎士団長と結婚しています」
その言葉に、姉姫フィリアーシュの目はくわっと見開かれていた。
「……男同士が結婚? 王国ではそのような婚姻が認められているのですか」
「はい」
問い詰めるような妹姫の言葉に、侍女リンゼは頷いて説明をした。
姫君達の東方の国では、同性同士の結婚の風習、制度は存在していなかった。
「この国だけではなく、半島の国々では、男性同士、女性同士の結婚が認められています」
「……あんな素敵な方が、男と結婚しているというのですか」
「はい」
沈痛な面持ちで、侍女リンゼは頷く。
彼女は、その副騎士団長が、騎士団長と結婚し、更には妻役を務めているらしい話も聞いていたが、さすがにそれをこの場で口にする勇気はなかった。
※実際には騎士団長が妻役であるが、誰もそのことを知りません。
姉姫フィリアーシュはしばらくの間俯いていた。長い黒髪に隠れてその面は見えない。
やがて顔を上げた時、その面には強い決意があった。
「騎士団長との婚姻なんて、きっと権力に物を言わせてされたものに間違いありませんわ」
「そうですわ、姉様」
すかさず妹姫がそう同意するが、侍女リンゼはこうも聞いていた。
騎士団長と副騎士団長の仲は非常に睦まじく、あたかも鴛鴦夫婦のような関係だと。とても、権力に物を言わせて強引に為された結婚ではないようだった。
彼らは王立騎士団という職場も一緒で、常に共に行動している。
この王国で、強く凛々しい騎士団長と、美しい副騎士団長の二人に、憧れる者達は男女共に多いようなのだ。
「……姫様方、でも、お二人はもうご結婚されて二年近くが経過して」
仲良く暮らしているようだと言いかけようとしたリンゼを睨むように、姉姫フィリアーシュは見つめた。
そう言わせまいとする迫力がその時、彼女にはあった。
「フィリップ副騎士団長に御礼を申し上げたいわ。お会いできるように、約束を取り付けてくれるかしら」
そう、姉姫フィリアーシェは微笑みながら言ったが、その大きな黒い目はどこかすわっていた。
げに恐ろしきは女の嫉妬。
そして、“恋は盲目”とは言ったもので、常日頃、あれほど理性的な姉姫が、まるで冷静さを欠いた行動をとり始めていた。
(いったい何があったの)
そう妹姫は、侍女リンゼに問いただしたかったが、リンゼもまたよく分かっていない様子であった。
リンゼが理解していたのは、このアルセウス王国の中庭で、姉姫が酔った男に襲われかけ、それが一人の若い騎士の男によって救われたことだった。
そして、その騎士は数々の貴族や王家の男達を見てきたリンゼの目から見ても、非常に美しい男だった。
暗がりの中でも明るく輝く金の髪に、青い瞳。彫りの深い顔立ちは整っており、王宮の大広間で見てきたこの国の美男と謳われる男達よりも遥かに目を引くものがあった。
彼にマントをかけられ、抱き上げられてこの部屋までやって来た。医師の診察を受けて、落ち着いたところにこれである。
フィリアーシュは、自身の肩にいまだかけられている、あの騎士からのマントにそっと触れ、頬を染めながら顔を埋めている。
さすがにその仕草で、妹姫と侍女リンゼは気が付いたのだ。
「姉様……そのマントはどうなされたのですか」
問いかけるナディアージュに、侍女リンゼが代わって答える。
「フィリアーシュ様をお助けになった騎士様が、姫様の衣が破れてしまったことを気遣い、掛けて下さったものです」
フィリアーシュがどこかうっとりとした様子に、ナディアージュは自身の目が信じられないようなものを見たかのように開かれているのが分かっていた。
(あの、いつも落ち着いている姉様が……こんなご様子を見たことがない)
「その騎士の名は?」
「王立騎士団の副騎士団長フィリップ殿と仰っていました」
「すぐに、その素性を調べさせて頂戴」
「はい。かしこまりました」
侍女リンゼに、妹姫ナディアージュがキビキビと命令している様子に、姉のフィリアーシュは微笑みつつ言った。
「騎士様に御礼をせねばなりませんね。このマントもお返しせねばなりませんし」
「そうですね、姉様」
今まで、男というものに全く興味を持っていなかった姉様が、初めて男に興味を抱いたのである。
その男のことを調べ、もし、姉様にふさわしいとなれば、国許に連れて帰っても良い。
王配にはすでに婚約が相成っている若者が就くだろうが、女王の愛人として仕えさせれば良い。
この王国の副騎士団長ともなれば、素性も悪くはないだろう。
そう妹姫のナディアージュが、すでに彼を連れて帰ることを内心で算段していたが、後ほど、青ざめ強張った表情でやって来た侍女リンゼの報告に、妹姫も言葉を無くしてしまったのだった。
「フィリップ副騎士団長は、既婚者です」
「本当に?」
「はい」
それに、ふらりと姉姫フィリアーシュの体が倒れる。あまりにも呆気ない“恋の終わり”であった。
慌てて介抱する侍女リンゼ。
長い髪を乱し、一瞬でやつれ果てた様子のフィリアーシュはこう言った。
「……あれほど素敵な御方ですもの。とうに結婚していてもおかしくはないですわ。その幸運な奥方様が羨ましいです」
「姉様」
ひしと妹姫のナディアージュが、姉の細い身体を抱きしめる。
「諦めるなんて早いですわ。姉様が、そんなにもその御方のことをお慕いになっているならば、わたくしが何としても、彼を手に入れられるように致しますわ」
「ナディアージュ」
二人の姫君達が見つめ合うその様子を見ながら、侍女リンゼが声を絞りだすようにこう言った。
「あの……このアルセウス王国では、男同士の婚姻が認められており」
「……………」
「フィリップ副騎士団長は、王国の王立騎士団長と結婚しています」
その言葉に、姉姫フィリアーシュの目はくわっと見開かれていた。
「……男同士が結婚? 王国ではそのような婚姻が認められているのですか」
「はい」
問い詰めるような妹姫の言葉に、侍女リンゼは頷いて説明をした。
姫君達の東方の国では、同性同士の結婚の風習、制度は存在していなかった。
「この国だけではなく、半島の国々では、男性同士、女性同士の結婚が認められています」
「……あんな素敵な方が、男と結婚しているというのですか」
「はい」
沈痛な面持ちで、侍女リンゼは頷く。
彼女は、その副騎士団長が、騎士団長と結婚し、更には妻役を務めているらしい話も聞いていたが、さすがにそれをこの場で口にする勇気はなかった。
※実際には騎士団長が妻役であるが、誰もそのことを知りません。
姉姫フィリアーシュはしばらくの間俯いていた。長い黒髪に隠れてその面は見えない。
やがて顔を上げた時、その面には強い決意があった。
「騎士団長との婚姻なんて、きっと権力に物を言わせてされたものに間違いありませんわ」
「そうですわ、姉様」
すかさず妹姫がそう同意するが、侍女リンゼはこうも聞いていた。
騎士団長と副騎士団長の仲は非常に睦まじく、あたかも鴛鴦夫婦のような関係だと。とても、権力に物を言わせて強引に為された結婚ではないようだった。
彼らは王立騎士団という職場も一緒で、常に共に行動している。
この王国で、強く凛々しい騎士団長と、美しい副騎士団長の二人に、憧れる者達は男女共に多いようなのだ。
「……姫様方、でも、お二人はもうご結婚されて二年近くが経過して」
仲良く暮らしているようだと言いかけようとしたリンゼを睨むように、姉姫フィリアーシュは見つめた。
そう言わせまいとする迫力がその時、彼女にはあった。
「フィリップ副騎士団長に御礼を申し上げたいわ。お会いできるように、約束を取り付けてくれるかしら」
そう、姉姫フィリアーシェは微笑みながら言ったが、その大きな黒い目はどこかすわっていた。
げに恐ろしきは女の嫉妬。
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