騎士団長が大変です

曙なつき

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第十六章 二人の姫君と黒の指輪

第四話 中庭の事件

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 団長がいなくなった後も、フィリップら王立騎士団の騎士達は中庭の警備を続けた。
 王宮の宴もたけなわになると、酔いを醒まそうと中庭へ降りてくる者達も増えて来る。
 また、バーナードが言ったように、明かりの灯された中庭の様子は雰囲気もあって美しい。
 カップルとなった者達が、手を取り合って中庭を散策する様子もちらほらと見られていた。

 そしてそんな中、小さく悲鳴が聞こえた。
 普通ならば耳に届くはずのないその小さな声を、フィリップは人並外れた聡い耳で拾うことが出来た。
 すぐさま、声のした方角に向かって走る。

 茂みの中、一人の若い女性が押し倒され、その服を乱されようというところに、フィリップは駆け付けた。すぐさま彼女を押し倒していた男を組み伏せる。
 若い貴族の男が、侍女らしき服装の女性に乱暴しようとしていたのだ。
 時に酔った男が、この中庭で女性に乱暴しようとする話は聞いていた。だからこその、中庭の警備である。
 その侍女の女性が、一目で、親善でやってきた姫君達に付き従っていた東方の人種であることがわかる。大きなアーモンド形の黒い目を見開き、真っ青な顔で震えている。

「大丈夫ですか」

 酔っているらしい貴族の若い男は、簡単にフィリップに押さえ込まれている。酒臭く赤ら顔の男を地面に押さえ付けつつ、フィリップが彼女に声をかけると、気丈にもうなずいていた。

「……はい、大丈夫です」

 とはいえ、押し倒された時にその綺麗な衣装も破れ、汚れてしまっている。
 そうした様子を見て、とんだ不祥事ではないかと内心フィリップは思っていた。
 親善でやってきた姫君の供の女性に、乱暴狼藉を働くとは。そう思って、ギリギリとその腕を更に強く締め上げようとするフィリップに、その女性は言った。

「あの、騒動になると困りますので、できれば内々に処理をして頂けないかと」

「……わかりました」

 それは願ってもみないことだったが、それでいいのだろうかと問いかける視線を向けると、彼女は頷いた。

「はい。その方が助かります」

 実際には乱暴される前に止められたので、彼女が傷を負ったわけではない。だが、何事がなかったとしても、女性が茂みに引きずり込まれただけで、それは女性側にとってひどい醜聞になることは考えられた。
 内々に処理して欲しいという彼女の願いも理解できた。

 やがて他の騎士達も駆け付けたので、フィリップは狼藉を働いた若い貴族の男を引き渡した。そして、破れてしまった彼女のまとう衣を見て、フィリップは自分の羽織っていたマントを外し、彼女の身にかける。そして、細かく震えを見せているその女性を抱き上げた。
 抱き上げられたことに驚く、腕の中の女性の顔を安心させるように優しく見つめ、フィリップは言った。

「王宮内の、手当の出来るお部屋にお運びします」

 その時には、彼女の同僚であろう東方のイルメキアの侍女の女性も駆け付け、ひどく狼狽した様子でフィリップのそばにやって来た。

「あの、大丈夫なのでしょうか。御怪我をしているのでしょうか」

「診察してもらいましょう」

 駆け付けた女性は、泣きそうな顔をしている。そして抱き上げて運ぶフィリップと共に、中庭の小路を抜けて、人気のない王宮の一室に彼女を運ぶことにした。
 部屋の手配を他の騎士達に頼み、それはスムーズに取り入れられた。
 用意された部屋で、呼ばれた王宮の医師の手当を受けながら、二人の女性は何度も頭を下げてフィリップに礼を言った。

「本当にありがとうございます。一歩間違えば、大変なことになることでした」

 後から来た同僚の女性がそう言う。彼女はリンゼと名乗った。そして、乱暴されそうになった女性はライフィラと言うらしい。
 ライフィラは、痛めたらしく手首に白い包帯を巻いてもらっていた。室内の明かりの中、よく見れば、ライフィラという女性は、男心をそそるような華奢な体躯に、ハッとするほどの白い肌、花のような可憐な顔立ちをしていた。それもあって、あの酔っ払った若い男に絡まれたのだろう。ライフィラは頬を赤く染め、黒い瞳を煌めかせながら、フィリップを見つめて尋ねてきた。

「助けて頂いてありがとうございます。あの、もし宜しければお名前と御所属をお聞きしても宜しいでしょうか」

 それに、フィリップは答えた。

「王立騎士団副騎士団長フィリップと申します」





 歓迎の宴が終わる頃に、バーナード騎士団長は中庭へ戻ってきた。

「警備をまかせきりにして済まなかったな」

「いえ、大丈夫です」

 そして、東方の姫君の侍女が乱暴されそうになった事件の話をすると、バーナードは眉間にクッキリと皺を寄せていた。

「未遂で済んだから良いものを。とんだ不祥事だな」

 その馬鹿貴族は、牢に放り込んである。陛下にも後ほど報告の上、何かしらの処分がされることになるだろう。

「すぐに駆け付けることができたので、大事にはなりませんでした」

 そう言うと、バーナードは手を伸ばし、フィリップの金髪の頭を乱暴に撫ぜる。そして笑顔で言った。

「お手柄だったな」

「はい。ありがとうございます」

 それから、フィリップは周囲を見回し、中庭の自分達の立つ近辺に人気がないことを確認すると、「褒美を下さい」と頬を紅潮させてそう言ってきた。
 王都一と謳われる美貌の騎士に、そう求められるのは悪い気はしない。
 バーナードは口元に笑みを浮かべ、フィリップの頭の後ろに手をやり、引き寄せるようにして自ら口づけた。
 すぐさまフィリップも応えるように唇を開き、舌を絡めてくる。だが、それは一分にも満たない時間で、すぐさま騎士団長は副騎士団長から身を離して、濡れた唇を手で拭った。

「……勤務中だ。これで我慢しろ」

「…………今日は、私の屋敷にお帰りになりますよね」

 欲を浮かべて自分を見つめてくるフィリップの瞳を見つめ、バーナードは言った。

「……わかった」

 バーナード自身も、彼に触れて体に熱がこもってきているのがわかる。
 こうも簡単に欲情してしまう自身の身の浅ましさに驚き呆れてしまうところもあったが、それも仕方がなかった。諦めにも似た思いがある。
 そして実際、その夜は激しく求めあう夜になったのだった。
 

    *


 王立騎士団の騎士達から案内された、その王宮の一室で、ライフィラと名乗ったそのたおやかな侍女は、手当をされた手をさすっていた。
 部屋の中から騎士達はすでに去っている。駆け付けた東方のイルメキアの侍女リンゼは、周囲に人影がなくなった時点で、ライフィラの傍らに跪き、ライフィラの衣の裾に口づけた。

「姫様に、何事もなくて本当に良かった」

「……リンゼ」

 リンゼの顔はまだ青く。そして目には涙が浮かんでいた。
 この忠実な侍女をひどく心配させてしまったことを、ライフィラは詫びた。

「ごめんなさい、リンゼ」

「もう、このような“入れ替わり”などおやめください。大事があったのなら、どうなさるのです」

 リンゼの言うことは尤もだった。
 ライフィラと名乗ったイルメキアの侍女の正体は、イルメキアの二人の姫君のうちの一人で、長女のフィリアーシュであった。
 彼女は、この半島の国々を周遊するにあたって、時に自ら侍女に扮して、自由に他国の様子を見て回ることを望んだ。
 姫としてやってくれば、厳重の警備の中もてはやされるだけで、その国の本当の姿を知ることが難しい。自由に見て回りたかった。
 二十歳になれば、フィリアーシュは婚約者と結婚し、女王として立つことになる。
 それまでの束の間の自由を謳歌したい気持ちもあったのだ。
 その思いを汲んで、協力してくれる供の者は多かったし、妹のナディアージュもそうだった。
 侍女の姿をとっている時は、背格好がよく似た侍女が姉姫に成り代わっている。今まで、その“入れ替わり”を勘づかれたことはなかった。
 
 しばらくして、妹のナディアージュが部屋にやってくる。
 妹姫は寝台に座るフィリアーシュの体をぎゅっと抱きしめた。

「もう、“入れ替わり”は禁止です」

 妹姫の告げた言葉に、フィリアーシュは必死に首を振った。

「お願い。このアルセウスにいる間だけでいいの。もう我儘は言わないわ」

「……姉様、さすがにダメです」

「そうですわ、もうさすがにダメです」

 妹姫であるナディアージュは、歓迎の宴に出席するために唇には紅をさし、金の飾りをつけ、艶やかな黒髪は綺麗に背中に流した美しい姿であった。薄桃色の絹の衣もよく似合っている。その衣には、国の職人たちが何年もかけて刺した大輪の花の刺繍がされていた。
 そしてナディアージュは、侍女に扮しているフィリアーシュの様子を見て、細い眉を上げた。

「……姉様?」

 姉もまた美しい姫君であったが、次期女王に就くために幼少より厳しい教育を施されていた。
 いつも口元に穏やかな微笑みを浮かべつつも、冷静に物事を判断する素晴らしい女王になるはずの女性だった。
 そう、いつもの冷静沈着な彼女なら、理性的に判断して「仕方ないわ。もう“入れ替わり”はやめる」と言うだろう。
 なのに、彼女は“我儘”を言っている。聞き分けの無い娘のように。

 そこではじめて、ナディアージュは姉姫の顔をまじまじと見つめたのだ。
 フィリアーシュの大きな黒い瞳は夢見るように輝き、そして頬もどこか赤く染まっている。

(姉様が美しいのは、知っている。だけど、まるでこれは……)

 そう、蕾だった花がゆっくりと花開こうというような、色香があった。

「お願い、アルセウスにいる間だけでいいから」

 何度もそう願う彼女の顔は、まるで初めての恋をしているようであった。その瞳には熱に浮かされたような輝きがあった。
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