愚かな道化は鬼哭と踊る

ふゆき

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【犬神】

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 影の中からずるりと汚れた毛皮が現れ--次の瞬間。人の頭などひと飲み出来てしまいそうな大きな口が、オレの目の前で大きく開かれていた。

 すぐ近く。呼気が前髪を揺らす位置に、凶悪な表情をした巨大な犬がいた。

 獣臭い息と、鋭い牙をぬらぬらと濡らす大量の涎。コレがバクリと閉じられてしまえば、オレなどひとたまりもないだろう。

 犬独特の荒い呼吸が小刻みに空気を震わせ、熱を逃がす為かだらりと伸びた舌先から涎が滴り、食卓の上を汚す。

 酷くみすぼらしい犬だった。
 痩せて肋が浮き出た胴体。汚れてぼろぼろの、つぎはぎだらけの毛皮。いろいろな犬種が混ざっているのか、生えている毛の長さもちぐはぐなら、長さもバラバラ。長い間手入れがなされていないのだろう毛並みはあちらこちらで絡まり、たくさんの毛玉を作っている。

 明らかに、飼育放棄されて長いだろう犬だった。

「リュウちゃん!」

 虎蔵の、切羽詰まった声が耳朶を打つ。
 だが悲しいかな。虎蔵の制止は、ほんの数瞬遅かった。
 オレのすぐ目の前で、バクンと勢いよく巨大な顎門が閉じ合わされる。

「あぁあぁあああッ!!」

 居間に響いた悲鳴は、オレのものだったのか、虎蔵のものだったのか。

「てめえこの……ッ」

 目を細め、口の中のモノを満足気にもっちゃもっちゃと咀嚼する大型犬のマズルを、ヌッと伸びてきた手が徐に鷲掴みにする。

「なんちゅうことさらしやがるんじゃ!」

 押し殺した怒りに震える虎蔵の声音。いつも能天気にへらへらしている男が、珍しくも本気で怒っていた。
 マズルを握る手のひらに力がこもり、筋肉質な腕に血管が浮き上がる。
 どこからどう見ても、戦闘態勢。このまま、是が非でも握り潰してくれようかといった勢いだ。

「いや、おまえがだろ。豚バラキャベツ炒めくらいでマジ切れすんな。狗呂クロも、出てくる時は怪異モード禁止だっつったろうが。邪魔になるから、家の中では小型犬モードにしとけって。後、勝手に上がり込んできて人の飯を食うな」

 虎蔵と渾身の力比べをしている狗呂--もともとは犬神だかなんだか言う、怨みを呑んで死んだ犬の霊の集合体だったらしい--の首筋を撫でてやりながら、既に何度も言い聞かせた台詞を口にする。

 家に上がり込んでくるのはいい。まずは九十九の許可がなければ入り込むこともできないのだ。家に上がり込んできたということは、九十九の設けたルールを守るつもりがあるということでもある。
 そして、九十九にとってオレは必要不可欠なパーツであり、どうやら替えのきかない存在らしい。同じく虎蔵も、九十九にとっては『住人枠』で、そこそこ大事にされている。
 だから、害意のある怪異ならば、ウチへ上がり込もうとしても、九十九が門前払いにしてしまう。

 それに--なんとも認め難いことながらこの狗呂も、いつの間にやらオレの式鬼とやらになっていた物の怪である。警戒する必要はどこにもない。
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