掌の中の神様

かずシ

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3. 天井の物音(7000字弱)

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「はい、もちろんでございます。これであなたは極楽浄土へ行ける切符を得たも同然でございます。いやぁ、しかしあなたは運が良い。この幸運の壺は、残りあとわずかしか残っておりません。あなたのすばやい決断があなたの魂を極楽浄土へ導いたのです。お見事でございます。感服いたしました」
 ファミリーレストランの角の席、他の客からは見えにくいこの席で、私は顔いっぱいに笑顔を作り、マシンガンのように相手を褒めたたえた。
 褒められて嫌な気持ちになる人はいない。この老年の女性もまんざらではないようで、にんまりと微笑んでいる。
「はい、もちろんでございます。これであなたは極楽浄土へ行ける切符を得たも同然でございます。いやぁ、しかしあなたは運が良い。この幸運の壺は、残りあとわずかしか残っておりません。あなたのすばやい決断があなたの魂を極楽浄土へ導いたのです。お見事でございます。感服いたしました」
 ファミリーレストランの角の席、他の客からは見えにくいこの席で、私は顔いっぱいに笑顔を作り、マシンガンのように相手を褒めたたえた。
 褒められて嫌な気持ちになる人はいない。この老年の女性もまんざらではないようで、にんまりと微笑んでいる。
「そうかしら。こういう買い物をしたことがないもので、何か失礼がなかったかしら」
「まさか。私もこの仕事は長いですが、これほど上品な貴婦人をお相手させていただいたのは初めてでございます。私の方が代金を支払いたいくらいですよ。ははは。あっそれでは、代金の方頂戴いたします。また、何かありましたらご一報ください。それでは、失礼いたします」
 相手に考える暇を与えずに、すばやく代金をいただく。考える暇を与えてしまっては、私がインチキ宗教家だとばれてしまうかもしれない。引く時はすばやく、これに限る。
 コーヒー代を支払い、そそくさとファミリーレストランから出る。一仕事終えた後の安心感、これで当分の間は生活できるだろう。
 ふぅ、と安堵のため息をつくと、私は次の予定の場所に歩き始めた。

 私はインチキ幸運グッズを売り歩いている。
 ある人には極楽へ導く幸運の壺を売り、またある人には長寿のお守りを売る。人はみな、極楽へ行くことを望むが、死にたがる人はそうはいないのだ。
 また、このような商品を望む人はお金持ちの老人に多いので、簡単に大金が手に入る。
 なんとおそろしく合理的な商売だろう。
 いや、しかし、私にも罪悪感がないわけではない。私の親ほどの年齢の、判断力が衰えた老人を相手に大金をせしめているのだ。私も人の子、どんなに冷徹になろうとつとめても、さっぱりと割り切れないというのが正直なところだ。
 その証拠にインチキ幸運グッズの販売を始めてから、慢性的な不眠症になった。夜中に横になっていると私がそれらの品々を売った老人の安堵の顔を思い出し、心にもやもやが残るのだ。
 だが、しかし、私にはこれを続けるしか生きる道が残っていないというのも事実だ。今まで数々の事業に手を出したが、いずれも失敗に終わった。あの頃の極貧生活を思い返すだけで背筋が凍る思いだ。
 さきほど壺を買っていったご婦人の顔を思い浮かべ、色々と思案しながら歩いていると、ようやく目的の場所にたどりついた。

 街のはずれのさびれた格安アパートの一室。
 今日はここでもうひと稼ぎ、というわけではない。
 ここには私の親友が住んでいる。親友は子供の時から頭は良かったが、変わっている男だった。三つ子の魂なんとやら、この年になっても定職につかず、おかしな薬の研究に没頭している。挙句、親の遺産をすべて使ってしまい、友人連中のなかでも羽振りのよかった私に、投資と称し大金を借りているのだ。
 これまで、やっと薬が完成しそうだと何度か連絡はきたのだが、一向に完成する気配がない。このまま金を貸したことをうやむやにされてはたまったものではない。金に余裕のあった時期に、ついつい言われるままに貸してしまったが、ここのところ警察の目も厳しくなっている。インチキ幸運グッズの販売も今後難しくなってくるかもしれない。今日こそは何か成果をもってかえらないと、このまま煙に巻かれてしまう。
 襟を正し、いざっ、とインターホンに手を伸ばそうとした、ちょうどその時、ドアノブがガチャリと回り、中から件の親友が出て来た。

「うっ、わっ」
 驚いた私の声が耳に入らない様子の親友は、喜色満面、いきなり私に抱き着いてきた。
「おー、お前か。今お前の家に行こうと思っていたところだ。ついに薬が完成したんだよ!」
「本当か?」
 私は親友を手で押しのけると、訝しげに尋ねた。何度ももうすぐ完成すると報告を受けたのだ。そう額面通りに受け取るわけにもいくまい。
「本当だとも。動物実験も終え、何度か人を使っての治験も行った。ついでに、先ほど俺も薬を飲んで、効果のほどを確かめたのだ」
 親友は興奮を抑えきれず、手をバタバタ動かしながら早口でまくしたてた。
 この親友の喜びようをみるに、どうやら本当らしかった。そうなると、話は別だ。人は人が喜んでいる姿を見ると自分も嬉しくなってくる。さらに、それが自分が大金を投じた研究の成功のおかげとなればまた格別の嬉しさというものだ。
「そうか。やはり、私の目に狂いはなかった。お前は絶対にこの研究を完成すると心の底から信じていたぞ。販売のルートは私に任せてくれ。たちまちのうちに投じた大金を回収してみせよう」
 先ほどまで、どう大金を返してもらおうかと思っていたところに、この知らせだ。こちらまで興奮して声が上ずってしまう。
「ありがとう! 俺も俺を信じてくれたお前を信じるよ。世界中がひっくり返るような大事件だ。我々の名前も歴史に残るかもしれないな」
 世界中がひっくり返る、か。
 スケールの大きな話を聞いているうちに、なんだか私は急に冷静になってきた。幸せのおすそわけというものはそう長くは続かない。
 そういえば、親友は私に金を借りる時、世界中がひっくり返る大研究をしてるだの、歴史に名前が残るだの、身を振り手を振り、言ってはいたが、薬の効能についての詳しい説明すらまだしていないのだ。効能の説明を聞かずに金を貸すとは、今になってみれば馬鹿らしいが、当時はまだ金回りもよく、親友の頼みとあって、駄目な時は諦める覚悟で金を出してしまった。
「あぁ、そうかもしれないな。ところで、完成した、完成したと言ってはいるが、私はまだその完成した薬の効能すら、詳しく聞かせてもらってないんだが。それを聞かずに、販売はできないだろう」
「あぁ、そういえばまだ話してなかったな。いいだろう。俺の一生をかけた大研究の成果を発表いたしましょう」
 親友は大きく手を振って、私を部屋の中へ招き入れた。

 親友の部屋の中はきれいに片づいていた。と、いうよりも、物が何もない、と言った方が正しいのかもしれない。テレビもラジオも携帯電話すら置いていない。これでよく薬の研究ができたものだ。
「適当にそこらへんに座ってくれ」
 親友は私を床へ座らせると、部屋の主のようにポツンと居座っている冷蔵庫から、大事そうになにか小さな錠剤を取り出した。
「これが件の薬だ。この薬のために、俺は一生をかけたのだ。まさに、現代社会にもっとも必要とされる薬と言っていいだろう。思えば長い道のりだった。この薬の構想を描いたのは学生時代、そもそも……」
「あぁ、待て待て。苦労話はまた後で聞かせてくれ。まずは、薬の効能を端的に説明してくれ」
 私は親友の話を途中で遮った。私が聞きたいのは、この薬が本当に大金を回収できるほどの効能を持っているかだ。苦労話には興味がない。
「あぁ、そうだな。じゃあまず、薬の効能を説明しよう。この薬は幻覚を見ることができる薬だ」
「幻覚だって?」
 私は拍子抜けした。なんだそれは。さんざん世界を変えるだのなんだの言っておいて、それはないだろう。確かに私はインチキ幸運グッズを売り歩いているちんけな男だが、麻薬まがいのもににまで手を出すつもりはない。そんなものを売り歩いていたら、すぐに警察に捕まってしまう。国によっては即死刑だ。
「あぁ、なるほど。お前、この薬を麻薬かなにかと勘違いしているな。安心しろ。そんな薬ではない」
 私の渋い顔を見て、親友は安心しろと言うように胸を手でドンと叩いた。
「それでは、どう違うのか説明してくれ」
「ははは。お前が端的に説明しろというから、端的に言ったまでだ。まず、この薬に中毒性はない。そして、この薬がもたらす幻覚は不安や焦燥といったものではない。むしろ、逆だ。本人が深層心理の中で最も見たいと思っている幻覚を見ることができるのだ。治験の際、ある人は極楽浄土の幻覚を見て、気分を完全にリフレッシュできたと言った。また、ある人は春の草原の幻覚を見て、癒されたと言った。もちろん、俺は薬が完成する幻覚を見た。まぁ、その幻覚を見たということは薬が完成している、ということだがな。ともかく、この薬は不安感や焦燥感といった類のものを完全に遮断することができるのだ。効果は一時間、きっかり一時間で効果が切れる上に、副作用もまったくない」
 親友は、薬の効能を一気に話すと、一度大きく深呼吸をし、呼吸を整えた。
「まぁ考えてもみろ、現代社会はもので溢れている。しかし、我々は精神的に豊かになったと言えるのか? 精神的な娯楽と言えば、せいぜい酒、たばこ、ギャンブル程度のものだ。麻薬は中毒性の問題があるし、酒やたばこも健康に悪い。また、ギャンブルで破産したなんてのは珍しい話ではないだろう。しかし、この薬はそれらの問題を完全に克服した理想の薬、まさに、精神の産業革命と呼ぶにふさわしい薬なのだ」
 なるほど、精神の産業革命と呼ぶにふさわしいかはともかく、精神的娯楽としてこれは売れるかもしれない。なんとか、大金を回収できそうだ。私は少し安堵した。
 私のホッとした表情を見て自信を得たのか、親友は続ける。
「精神的な娯楽としての使い方だけではないぞ。うつや不眠症といった精神疾患にも効果があるかもしれない。そして、お前にとっては良い話だが、悪用もできるぞ。お前の仕事もやりやすくなるんじゃないか?」
 親友は私を見てニヤリと笑った。

 その日の夜。私は自室のベッドの横で、親友からわけてもらった薬のサンプルを見ていた。
 不眠症にも効果があり、また、不安を遮断できる薬、か。まさに今の私が最も必要としている薬だ。私ほどふさわしい被験者はそうはいないだろう。試してみるには絶好の機会だ。
 そう思い薬を手にとってはみたものの、いざ飲もうとすると少し怖気づいてしまう。副作用や中毒性はないとのことだが、やはり、怪しい薬を飲むのは怖いものだ。
 しかし、このまま眠れない夜を過ごしていてもしかたがない。ええい、ままよ。私は覚悟を決め、一気に薬を飲みこむと、水で胃の中へと流し込む。

 薬を飲んで、五分ほど経っただろうか。夜中は時計の針の音がやけに大きく聞こえる。
 しかし、何も起こらない。
 なんだ、もしかして、まだこの薬は未完成なんじゃないか。ビクビクしていた自分がおかしくなって自然に笑みがこぼれる。
 また明日、親友のところへ行ってこの結果を報告してやろう。あいつはどんな顔をするだろうか。きっと悔しがるに違いない。
 私はベッドの中へもぐりこみ、目を閉じた。
 その時である。
 ドンドン、ドンドン。
 天井から何かを叩く音が聞こえる。私は、ハッとして目を開け、ベッドから飛び起きると、何がはじまるのかと身構えた。
 ドンドン、ドンドン。
 天井からはまだ音が続いている。しかし、幻覚らしきものは一向に現れない。幻聴だけが聞こえて、何も起こらないのだ。
 ドンドン、ドンドン。
 しかし、音を聞いているうちになんだか、不安な気持ちが嘘のように解消されていく。この音には催眠効果でもあるのだろうか。
 ドンドン、バタン。
 しばらくすると、音は完全に途切れた。
 すると、どうだろうか。一体何が不安だったのかすら頭に思い浮かばない。不安を完全に遮断するとはよく言ったものだ。
 不安な気持ちがなくなると、急にまぶたが重くなってきた。 何だか今日はよく眠れそうな気がする。
 私はベッドに横たわると、すぐに眠りに落ちていった。

「お前の薬はすばらしいな。私の不眠症にもばっちりと効いたぞ。確かに、これは医療にも応用できるかもしれない」
 翌日、親友の家をふたたび訪ねた私は、昨日の出来事を興奮気味に話していた。
「しかし、おかしいな。幻覚ではなく幻聴が聞こえただけとは。さらに、その音を聞いているだけで不安な気持ちが消えていったというのも変だ。この薬の構造から考えて、深層心理で本人が最も見たいと思っている幻覚が見えるはずなのだ。そんな怪奇現象のような事が起こりうるはずがない。馬鹿げている。お前は本当はラップ現象を聞いてみたいと思っていたのではないか」
 親友は私の報告を聞いてからずっとしかめっ面をしている。私の体験したことがどうも腑に落ちないらしい。
「まさか。私がそんなオカルト的なものを信じていないのはお前も知っているだろう。そんなもの信じているやつがインチキ宗教家などやっていられるものか」
「うーん。それでは、お前の見ていた幻覚は天井裏に現れた、と考えるほかあるまい。しかし、なぜ目の前でなく天井裏などに現れたのだろう。どうも納得できない。このままではこの薬が完璧に完成した、とは言えまい」
 親友はすっくと立ちあがり、私の手を引いた。
「よし、これから二人でその天井裏を調査してやろうじゃないか。何か手がかりがあるかもしれない」
 このまま薬が未完成、ということになれば、大金を回収することはできない。私は親友の提案を受け入れることにした。

 私の家に着いた我々はさっそく、天井裏を調べてみることにした。
 天井裏にある屋根裏部屋は、インチキ幸運グッズを収納できる物置にしている。売れ行きの悪いものから順に、ここに置いているのだ。
「昨日幻聴が聞こえたのは間違いなくここなんだな」
「あぁ、そうだ。だが、ここには私の商売道具しか置いてないぞ」
 親友はインチキ幸運グッズの山をじっくり眺めると、触ってみたり、叩いてみたりを繰り返した。
「うーむ。分からないな。なぜお前の幻覚はこの屋根裏部屋に現れて、物を叩いていたのか」
 私も親友を手伝おうと、昨日音がした辺りを中心に幻覚の原因を探しはじめた。
 うさんくさいお札が貼られた仏像を手にとり、周囲を見渡していると、屋根裏部屋の奥の方になにか見慣れない商品が見えた気がした。部屋は薄暗く、ここからでは良く見えないが、明らかに最近作った物ではない。
 近づいてよく観察してみると、そこには私が若い実業家だった時に作った商品たちが置いてある。
 懐かしい。これらを作っていた時は情熱だけは人一倍持っていた。しかし、物を売る才能と作る才能はまた別だ。どの商品もうまくいかなかった。
 その商品たちはインチキ幸運グッズの山にもたれかかるように懸命に立っている。懸命に自らで立とうとしながら、それが出来ない商品たちを見ると、極貧時代の自分を思い出すようでなんだか辛かった。
 私は親友を呼ぶと、昔作っていた商品たちがあったことを報告する。すると、親友はさっそくその商品たちを調べようとした。
「なるほど。もしかすると、お前の幻覚はこの商品たちを叩いていたのかもしれないな。しかし、なぜそのようなことをしていたのか……」
 と、親友が商品たちに手を伸ばした時、その手が当たって商品たちが倒れてしまった。
 ドンドン、バタン。
 あっ。これは、まさしく、昨日聞いた幻聴ではないか。
 頭の中にある考えがよぎった。
 親友も私と同時に同じ考えをもったらしい。閃いたように口を開く。
「もしかして、お前の見ていた幻覚っていうのは、この幸運グッズが消えていくものだったんじゃないか? なるほど、分かったぞ。お前は深層心理の中でこの幸運グッズを消してしまいたいと強く願っていたんだ。そして、グッズが消えていく度、若いころ作った商品が倒れていき、床を叩いていたというわけだ。音がするたび、不安が消えていったのはグッズが次々と消えていったからだったんだ。うむ、やはり薬の効能は正確だった。やはり俺は正しかったのだ」
「なるほど。私も同感だ。もし、消してしまいたい物を強く念じて、それを消す幻覚を見ることができるなら、例えば、禁酒や禁煙、家計の節約にも使えるかもしれないな」
 インチキ幸運グッズを売り歩いたことで商品の売り込みを考えるくせがついているらしい。私はすぐに薬の使い道を口走った。
「全く、お前は物をつくるのは下手だが、売り込みを考えるのは本当に上手いな」
 親友は苦笑しつつ、私をほめてくれた。

 幻覚の原因も判明し、二人とも納得が言ったところで我々は帰路につくことにした。
 帰り際、若いころ作った商品を一つ手にとり、積もったほこりを払う。なんだか私の心の中に昔の情熱がふっと蘇ってくるような気がした。
 インチキ幸運グッズに頼らなくても、今度こそうまくいくかもしれない。
 親友には完璧な薬を作ったものづくりの才能、私にはインチキ宗教家時代に培ったセールスの力があるのだ。
 さぁ、これから忙しくなるぞ。と、安心したところでどっと疲れを感じた。
 どうやら、今夜はぐっすり眠れそうだ。
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