掌の中の神様

かずシ

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1.風の記憶 (5000字強)

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「くそっ、忌々しい」
 およそ文明とは遠い山奥の小さな集落。その外れにある小さな小屋の中に若い男の声が響いた。
 静かな春の夜。男の声は闇の中に消え去り、やわらかい風が窓を撫でる音だけが残る。
 男をなだめるように吹く風の音を聞きながら、しかし、男は憤っていた。
「どうも最近、部屋の中にいると嫌な事ばかり考えてしまうな……」
 男はそう呟くと、考えを振り払うように首を振り、周囲をぐるりと見渡した。一人暮らしの男の部屋らしく散らかってはいるが、生活用品は最低限のものしかない。もっとも、山奥の人里離れたこの小さな村には、仰々しく部屋を飾る者など男女を問わず誰もいなかった。
 囲炉裏のそばの火吹竹。手作りのテーブル。一週間分の食料が入った箱。男の目は部屋の中を彷徨い、部屋の隅でとまった。
 社会から完全に隔離されたこの空間に似つかわしくない、金属質の綺麗な機械。大きな羽がついたその機械はランプの灯を受けにぶく輝いていた。
「少し風にあたるか」
 そう言った男は機械のもとに歩いて行くと、三年前のある日付と近くにある丘の座標を入力した。
 ややあって機械はゴーゴーと音を立てると、男に風を送りだす。
 傍から見ると、巨大な扇風機のように見えたかもしれない。しかし、実際にはただの扇風機ではなかった。
 周辺の山で吹いた風を記録し保存する、風の記録機。この小さな村にある唯一の機械であり、また、唯一の娯楽だった。

 山々が連なる特殊な地形のためか、集落には年中風が吹いた。時に優しく、時に激しく、吹く風はその地形の効果も相まって無限の表情を持つ。
 絶えず吹きながらも1秒たりとも同じ表情を持たないその風は村民にとってもはや自分そのものといってよかった。
 自分の分身ともいえる風との共存は、村民たちにある能力を授ける。
 すなわち、野外で感じた風を再現すると、その時の風景や思い出を鮮明に思い出すことが出来るのだ。忘れていた記憶だけでなく、匂いや感情、その時五感で感じたすべての情報が鮮やかに蘇る。風が思い出を運んできてくれるように……

 三年前、十八歳の男が婚約者と近くの丘で遊んだ日。
 爽やかな風を浴びながら男はイライラが収まるのを感じた。いや、それどころか気分は高揚していく。
 甘酸っぱい風が二人の間をかける。
 程よい緊張感。春の草花の甘い香り。彼女が見せる笑み。
 隣に座る彼女の香りと春の香りが風の中でまじりあい、僕の胸を満たしていく。
 イライラした気分は風が吹き飛ばし、僕はうっとりとした笑みを浮かべた。
 彼女の髪に手を伸ばしつつ声をかける。
「あぁ、今すぐ君と結婚したいよ。いーや、僕は本気さ。僕はすでに畑も家畜も持っているんだから、君に心配をかけることもないだろう」
「えー、だめよ。村の掟で二十五歳をこえないと結婚することは出来ないわ」
 彼女は口ではそう言いながら、少しうれしそうにクスクスと笑う。
「でも、村の外ならみんなもっと若い時にも結婚してるって聞いたよ」
「だーめ。残念だけど私たちは村の外には出てはいけないのよ。村の掟、知ってるでしょう」
 彼女はだだっこを諭すようにそう言ったが、目は笑っている。からかっているのだ。
 愛する人との幸せな時間、僕の人生で一番大切な時間。
 そのはずなのに、どうしてだろうか、彼女の言葉が僕のこころの奥にひっかかった。僕は大きく息を吸う。
「村の外に出てはいけない、かぁ」
 いつものように冗談で返そうとしたはずだった。しかし、今回は、反射的に日ごろの不満が口をつく。
「村の外には出てはいけない。どうしてそんな掟を作ったのだろう。外の世界と交流を持つことはなにも悪いことじゃないと思うんだ」
 語気が強くなったことに僕は自分で驚いた。
 突然語気を強めた恋人に彼女も驚いたらしい。今度は真剣な顔を作りながら口をひらく。
「だめよ。外の世界の人は私たちの能力を不気味に感じてるらしいわ。それに私たちのことを嫌いに思う人も少なくないと言うし……」
 それが本当かなんて外に出てみないとわからないじゃないか、口から出かける言葉を今度はグッと飲みこむ。
 そんなことを言っても彼女に心配をかけるだけだ。僕はあわてて笑顔を作り彼女を見つめる。
「分かってるよ。仮に外の世界を見なくても、この村よりいい場所なんてないってことは分かるさ。君がいるからね」
 彼女の心配を取り除きたかった。
 いや、それだけではない。外に出たい気持ちはあるが、そんなことより彼女の方が大事だ。つまりこの言葉は僕の本心でもある。
 僕は彼女の目をじっと見る。目は笑っていない。いや、さっきより真剣な顔で僕を見ている気がする。
「本当にそう思ってるの?」
「あぁ」
 風の吹く丘で、二人は見つめあい、そしてそっと口づけをする。初めてのキスだった。

 とろけるような甘い時間はあっという間に終わり、風がやんだ。
 男はハッと我に返ると、体が小刻みに震えていることに気がついた。
「あぁ。なんとか気分はよくなったな。しかし、どうも緊張したようだ。まだ心臓が鳴っている。何か別の風にあたって緊張をほぐさないといけないな」
 男は誰に聞かせるでもなくそう呟くと、緊張で震える手でメモを見ながら新しい風を探した。
 ふと、ある風が目にとまる。
「去年の夏、仕事中の風、か。メモに残したということは何かあったのだろうか」
 男は首をかしげたが、なにがあったか思い出せない。しかし、緊張をとくには日常の風が一番良いということは経験上知っていた。
「まぁ仕事の風なら変なことにはならないだろう」
 男が昨年のある日付と家の近くの畑の座標を入力すると、機械はまた新しい風を送り出した。

 昨年の夏、家の近くの畑で農作業をしていた日。
 涼やかな風を肌に受けながら、男は緊張がとけていくのを感じた。
 じりじりと照りつける太陽の熱を風が洗い流していく。
 心地よい汗。草木の青々とした香り。虫たちは生の全盛期を謳歌している。
 労働のほてりをさます風を受けて、僕は大きく息を吐いた。
「ふぅ、なんとか一段落ついたな」
 青い空を見上げる。大きな雲を見ていると、時がゆっくりと流れていくように感じる。
 僕はそばの切り株に腰かけ、夏の景色を楽しみながら水筒に手をかける。
 夏は、好きだ。動物も植物も山々でさえ、皆いきいきと活力に満ちている。見ているだけで力が湧いてくるようで自分も頑張ろうという気になるのだ。
 しばし夏の山を見ながら水を飲み終えると、自身に気合を入れる。
「よし。もうひと頑張りやるか」
 膝を叩き、勢いよく立ち上る。
 農作業に戻ろうと視線を山々から農道に移すと、知らない男が一人立っていた。男は獣よけの柵に肘をかけ、笑顔でこちらをみつめている。景色に夢中で全く気がつかなかった。
「うっ、わっ」
 驚いて変な声が出てしまう。
「あっ、すいません。脅かすつもりはなかったのですが」
 男は少し慌てた感じで謝った。
 僕は男をじっくりと見る。へんてこな服を着て笑顔を作っている。悪い人ではなさそうだが、見たことのない顔だ。小さな集落、村の人の顔は全員把握している。村の外から人が来るなんて今まで聞いたことがない。
 驚きすぎて言葉も出ない僕を見つめて、男は言葉を続ける。
「あはは、すいません。私は旅をしながら写真を撮ってるしがない男でして。夏の山を背景にに休憩をしてらっしゃる姿があまりにも絵になっていたので。つい、写真を撮るのも忘れて見とれてしまいました。いやはや、申し訳ない」
 旅人、か。聞いたことはあるが、見るのは初めてだ。しかし、言っている言葉がよく分からない。外の世界の言葉だろうか。シャシンとはなんだろう。
「はぁ、あの、シャシン、とは、なんでしょうか」
 挨拶することも忘れ、男を訝しげに見つめながら、僕は尋ねる。
「ははぁ、やはり、この付近の村は外部と完全に隔離されているという噂は本当だったんですね。いやぁ、良い写真が撮れそうだ」
 旅人は、一人納得するのように、うんうんとうなずく。
 外の世界の人が何の用だろうか。噂、とは。僕は警戒するように少し身構える。
「この村に何か御用でしょうか」
「いやいや、警戒しないで結構です。私は本当にただの旅人ですから。ただ、外の街でこの村のことを聞いたので冒険がてら写真を撮りにきた、というわけです」
 僕が警戒していると感じたのだろうか。男は敵意はないと言うように笑顔で両手を上にあげると、踊っているように手のひらをひらひらと動かした。その姿が少し滑稽に見え、思わずプッと吹き出してしまう。
 確かに敵意はなさそうだ。
 と、すれば、だ。警戒心は去っていき、にわかに好奇心が僕の胸をいっぱいにする。
「なるほどぉ。遠い所からわざわざどうも。それで、さっきからおっしゃっているシャシンとはなんでしょう」
 僕が警戒をといたこと伝わったのか、男は上にあげていた両手をおろすと、担いでいるバッグから何か紙のようなものを取り出し僕に見せる。
「これが写真です」
 それは夏の山々の精巧な絵、だった。実に細部まで緻密に描かれている。
「ははぁ、なるほど、絵描きの方ですか。いや、実にすばらしい絵です」
 僕は男の技量に驚嘆しつつ言った。
「いえ、写真とは絵ではありません。物の反射する光を紙に焼き付けたもの、と言えばいいでしょうか。外の世界では普通に存在している物ですよ」
 男は写真についていろいろ説明したが、結局僕には何を言っているのかよく分からなかった。
 
 その後も僕は好奇心の赴くままに質問を続けた。男はそのたびに嫌な顔一つせず外の世界について説明してくれた。
 動く写真、室内の温度を調整する機械、自動で動く車輪。まるで魔法のような不思議な物たち。
 とても信じられなかったが、実際に写真は現実に、ここに存在しているのだ。
「はー、なるほど。そんな魔法のような品々が存在するんですね」
「ははは。我々は科学と呼んでいますがね。さて、私はもう行かないと。この村の写真を撮っていきたいんですが、この村の権力者の方に許可はいただけますかね」
 村の掟では、外の世界の人の来訪に関する法はない。わざわざ、この村に来たいなんて人は今までなかったからだ。
「さぁ、まぁ大丈夫だと思いますよ。僕の方から村長に言っておきます」
「それはありがたい。では、少しまた歩いてみます」
 男は村の中心部へと歩いていこうとした。
 僕は男に最後の質問をぶつける。
「あっ、そうそう、この村の噂を聞いたとおっしゃいましたが、どんな噂が流れているんですか」
 男はバツが悪そうにこう言った。
「いや、山奥の辺境の地にかまえる集落にはよくある噂なんですが、なんでも狂人の村、とか。部屋の中で突然暴れたり、何もない宙に声をかけたり、人を食べるなんてのもあったかな。私は自分の目で確かめたい人なので、まぁ信じてはいなかったのですが」
 それを聞いて僕は驚き、憤った。
「そんなわけないですよ。僕達のなかにそんなことする人はいませんよ」
「ははは、そのようだ。まぁ、帰ったら私から街の皆にはちゃんと言っておきますよ。あなたも機会があれば外の街を見てみるのもいいと思いますよ。何事も自分の目で確かめるのが一番だ」
 男はそういうと、歩き出す。小さくなっていく男を見つめ、僕は外の世界への興味が膨れていくのを感じた。
 何事も自分の目で確かめる、か。ワクワクが胸の内を占拠した。
 胸の鼓動がはやまっていく……

 風がやむと同時に男はハッと我に返った。
「やれやれ、旅人との交流の記憶だったか。緊張をとくつもりが、もっと興奮してしまったな」
 男はそうつぶやくとメモに「旅人来訪」と書き足すと、またつぶやく。
「このままでは、寝付けない。リラックスする風は何かあったかな」
 男はメモを見ながら次の風を探したが、自分が休んでいる時の風はなかなかみつからない。休んでいる時は、基本的に屋内にいるからだ。
 風は万能ではない。記憶が蘇るのは、あくまで外で吹いている風を再現した時だけだ。屋内の記憶が蘇ることはない。
「風の神様は空の上にいるから、部屋の中まで見ることはできないのよ」
 村の他の子供達と同じように男も両親からそう言われて育った。
 もっとも、制限はついてもこの能力は素晴らしいものだと男は思っていたし、風の神様から与えられたこの力は密かな自慢でもあった。
 男は少し考えると、何かを思いついたように半年前の日付と庭の座標を入力する。

 半年前、夜更かししながら庭のハンモックに横たわり月を見ていた日。
 心地よい風を感じながら男は体から力が抜けていくのを感じた。
 気持のいい風が頬を撫でる。
 空に浮かぶ星座たち。鈴虫たちの声。風たちがきんもくせいの香りを運んでくる。
 風が体の緊張をさらっていくのを感じながら、僕はニヤニヤと笑みを浮かべひとりつぶやく。
「さて、どんな世界が僕を待っているんだろう」
 半年後に行う冒険の計画を立て終わり、体は充実感に満ちている。村の掟に反し、初めて外の世界を見る計画だ。村の外には何があるのだろう。
 心地よい疲れをハンモックにあずけ、涼しい秋の風を感じながら僕は目をつぶる。目を閉じた僕の体は徐々に弛緩していく。いつまでもこの風を感じていたい。
 心が風にのって体から離れていくのを感じながら、僕の意識は少しずつ遠のいていく……

 一時間後、風がやむと同時に男の体は跳ね上がった。どうやら眠っていたらしい。起き上がる時、鋭い痛みが男の頭を襲った。
「いてて、どうも体が冷めたらしい。あまり長時間風にあたるのは良くないな。風にあたるのはいいがこの欠点はよくない。まあ、そのおかげで風に自分をさらわれることはないわけだが」
 男は苦笑しつつ、装置の電源を切った。

 心地よさが男を包んでいた。しかし、それも長くは続かなかった。
 風が無くなると気分が落ち着かない。どうも最近、部屋の中にいると嫌な事ばかり考えてしまう。
 男にまた淀んだ日の記憶がよみがえった。
 先日、冒険と称し村の外に出た日。
 男が初めて体験した風のない屋外で起きた、あの淀んだ日の思い出が鮮明に。
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