69 / 73
おまけ:二人の時間
くら澤にて③
しおりを挟む
「定番のチーズケーキはあずの好物だもんな。でも、おすすめは秋らしく、カボチャのプディング。デザートは俺担当だから、胸張ってすすめるぞ。あとアイスもあるけど、これは業者から仕入れているからどうでもいいか。あず、なに食う?」
「ユキ兄」
思い切り体を硬直させ、戸惑うように小さくつぶやくあずさに向かい、微笑みかける。頭を撫で、髪の毛をいじっているせいか、ふんわりと柔らかい匂いがした。華奢な体つき。潤んだ目。弟と同等の扱いで構ってやった子供の頃と、あずさはもう違う。十分に色香の漂う女だった。
「兄ちゃんのおごりだ。好きなの言えよ、あず」
これ見よがしにあずさの耳元でささやいた瞬間、がしっと手首を掴まれた。
「あずって言うな」
気が付くと、弟の顔が目の前に迫っていた。
怒りを抑えようともしない、きつい目つき。ちょっとでも体を揺らしてこれ以上あずさにもたれたら、すぐにでも拳が飛んできそうな勢いだ。こちらも十分、男の顔つきだった。
いや、この目は昔から変わらない。あの四歳のときも、あずさを見つめる俊成の目は真剣だった。
「……ばーか」
ぶっと吹きだしながらそう言うと、良幸は立ち上がり、拳を俊成の頭に振り落とした。
「ええっ?」
状況を把握できないあずさの、疑問の叫びが店内に響く。
「ってーよ、ユキ兄っ」
「お前が悪いんだよ。男の嫉妬なんてみっともないことするから。なあ、あずさ」
「へぇっ?」
まだ追いついていけてないあずさに向かい、今度はにやりと微笑みかける。
「おごるのは止めだ。また次の機会な。今日はもう二人とも、帰れ」
どうしてよいか分からないといった表情であずさは良幸を見つめ、そしてゆっくりともう一人の当事者に視線を移す。
「俊成、君?」
先ほどまでとはうって変わり、顔を真っ赤にした俊成がそっぽを向いている。その表情に、あずさもようやく理解が出来たらしい。中途半端に口を開くと、そのまま何も言えずに一気に顔が赤くなった。そんな二人を見て、また良幸が笑い出す。
「帰ろう、あず」
がたんと椅子を倒しかねない勢いで立ち上がると、俊成は強引にあずさの手を引いた。
「え、だって、お会計」
あずさがとっさにカウンターに目をやると、兄弟の母が慌てて手を振ってみせた。
「仕送りから引いておくから、今は良いわよ」
つまりはさっさと帰れということだ。良幸は母にもにやりと微笑みかけると、そのままの意地悪い顔つきで、俊成の背中に呼びかけた。
「俊成。言っておくけど、俺が妹って呼ぶのは、あずさだけだからな。それ以外は認めないから、ちゃんと捕まえとけよ」
その瞬間、弟の背中がぴくりと震える。顔は見えないが、すでに耳元まで赤くなっているのは確認済みだ。
俊成は無言のまま店を出、一方のあずさはもたもたとバッグを手に、そんな恋人の後を追おうとしていた。
「あずさ」
声をかけると良幸はそれ以上何も言わず、親指をぐっと突き立て、片目をつむった。
あずさは一瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐに同じように親指を突き立て、へへっと笑う。その照れた表情のまま母に向かってぺこりとおじぎをすると、小走りで店から出ていった。
「可愛いねぇ」
しみじみとつぶやくと、背後から母の声がした。
「ユキ、からかいすぎよ」
だがその声は笑いを含んでいて、真剣味がない。良幸は店内から厨房に戻ろうと振り返り、準備運動をするように肩を回した。
「さてと。迷惑な客も帰ったことだし、そろそろ本気で働くか。親父、お袋、今日は店閉めたら鳥源行こうなー」
「焼き鳥?」
「ちなみにお袋のおごりだから」
「なんでよ」
「まあ、仕方ないよな」
今まで黙って見守っていた父が、苦笑する。口を尖らせ抗議する母を笑ってかわし、良幸は前掛けを締めなおした。
くら澤は、これからが忙しくなる。
良幸の頭の中には、もはや二人のことなど残っていなかった。
「ユキ兄」
思い切り体を硬直させ、戸惑うように小さくつぶやくあずさに向かい、微笑みかける。頭を撫で、髪の毛をいじっているせいか、ふんわりと柔らかい匂いがした。華奢な体つき。潤んだ目。弟と同等の扱いで構ってやった子供の頃と、あずさはもう違う。十分に色香の漂う女だった。
「兄ちゃんのおごりだ。好きなの言えよ、あず」
これ見よがしにあずさの耳元でささやいた瞬間、がしっと手首を掴まれた。
「あずって言うな」
気が付くと、弟の顔が目の前に迫っていた。
怒りを抑えようともしない、きつい目つき。ちょっとでも体を揺らしてこれ以上あずさにもたれたら、すぐにでも拳が飛んできそうな勢いだ。こちらも十分、男の顔つきだった。
いや、この目は昔から変わらない。あの四歳のときも、あずさを見つめる俊成の目は真剣だった。
「……ばーか」
ぶっと吹きだしながらそう言うと、良幸は立ち上がり、拳を俊成の頭に振り落とした。
「ええっ?」
状況を把握できないあずさの、疑問の叫びが店内に響く。
「ってーよ、ユキ兄っ」
「お前が悪いんだよ。男の嫉妬なんてみっともないことするから。なあ、あずさ」
「へぇっ?」
まだ追いついていけてないあずさに向かい、今度はにやりと微笑みかける。
「おごるのは止めだ。また次の機会な。今日はもう二人とも、帰れ」
どうしてよいか分からないといった表情であずさは良幸を見つめ、そしてゆっくりともう一人の当事者に視線を移す。
「俊成、君?」
先ほどまでとはうって変わり、顔を真っ赤にした俊成がそっぽを向いている。その表情に、あずさもようやく理解が出来たらしい。中途半端に口を開くと、そのまま何も言えずに一気に顔が赤くなった。そんな二人を見て、また良幸が笑い出す。
「帰ろう、あず」
がたんと椅子を倒しかねない勢いで立ち上がると、俊成は強引にあずさの手を引いた。
「え、だって、お会計」
あずさがとっさにカウンターに目をやると、兄弟の母が慌てて手を振ってみせた。
「仕送りから引いておくから、今は良いわよ」
つまりはさっさと帰れということだ。良幸は母にもにやりと微笑みかけると、そのままの意地悪い顔つきで、俊成の背中に呼びかけた。
「俊成。言っておくけど、俺が妹って呼ぶのは、あずさだけだからな。それ以外は認めないから、ちゃんと捕まえとけよ」
その瞬間、弟の背中がぴくりと震える。顔は見えないが、すでに耳元まで赤くなっているのは確認済みだ。
俊成は無言のまま店を出、一方のあずさはもたもたとバッグを手に、そんな恋人の後を追おうとしていた。
「あずさ」
声をかけると良幸はそれ以上何も言わず、親指をぐっと突き立て、片目をつむった。
あずさは一瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐに同じように親指を突き立て、へへっと笑う。その照れた表情のまま母に向かってぺこりとおじぎをすると、小走りで店から出ていった。
「可愛いねぇ」
しみじみとつぶやくと、背後から母の声がした。
「ユキ、からかいすぎよ」
だがその声は笑いを含んでいて、真剣味がない。良幸は店内から厨房に戻ろうと振り返り、準備運動をするように肩を回した。
「さてと。迷惑な客も帰ったことだし、そろそろ本気で働くか。親父、お袋、今日は店閉めたら鳥源行こうなー」
「焼き鳥?」
「ちなみにお袋のおごりだから」
「なんでよ」
「まあ、仕方ないよな」
今まで黙って見守っていた父が、苦笑する。口を尖らせ抗議する母を笑ってかわし、良幸は前掛けを締めなおした。
くら澤は、これからが忙しくなる。
良幸の頭の中には、もはや二人のことなど残っていなかった。
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
桜のティアラ〜はじまりの六日間〜
葉月 まい
恋愛
ー大好きな人とは、住む世界が違うー
たとえ好きになっても
気持ちを打ち明けるわけにはいかない
それは相手を想うからこそ…
純粋な二人の恋物語
永遠に続く六日間が、今、はじまる…
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる