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おまけ:二人の時間
あの夜のこと①
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「ただいまー」
そう言いながら奈緒子が玄関を開けると、すでに待ち構えるように立っていたコロがワンと吠えた。宮崎家では当たり前の、家族の誰かしらが帰れば繰り返される光景。
コロを一撫でし、洗面所で手洗いすると、奈緒子はリビングをのぞき込む。そこでは母がお茶をすすりながら、のんびりとテレビを見ているところだった。
「ただいま」
「お帰りなさい。ご飯は?」
「食べる。お腹空いちゃった。今日のおかずって、なに?」
聞きながら、答えを待つことなくテーブルを見る。
「アジの干物にカボチャの煮つけ、お味噌汁。A定食だ」
これは宮崎家の暗号のようなもので、ちなみにB定食は野菜炒めになっている。
「ちゃんと手を洗いなさいよ」
「もうやったって」
味噌汁を温めるため鍋を火にかけ、そこでようやく思い至って奈緒子の動きが止まった。
「二人分残っているけど、お父さんも食べるの?」
「お父さんは今日遅いわよ。歓送迎会あるって言っていたから」
「じゃ、これあずさの? 出かけているんだ」
最近、家にこもりがちだった妹にしては珍しい。すぐ近くに住む幼馴染の俊ちゃんと、ケンカをしていた。地方の大学に行くのを教えてくれなかったらしい。本人は否定していたけれど、それだけで切羽詰った顔をして落ち込んでいた。姉としても今後の二人の行方が気になるところだった。
「気分転換でもしてもらわないと、鬱陶しいからね」
そうつぶやきながら、お新香をつまむ。
「行儀悪いわよ」
「はいはい」
お茶を注ぐついでにテーブルに移動してきた母に、たしなめられた。それを軽く流して荷物を部屋に置きにいく。戻ってくると、ご飯と味噌汁がよそられていた。
「いただきます」
小さく言って、食べ始める。つけっぱなしのテレビはちょうど歌番組の時間で、母はそれをBGM代わりに本を読んでいた。
「……で、あずさどこに行ったの?」
活発な姉に比べ、妹のあずさの方はおっとりしているというのか、若干内気な性格をしている。夜遊びもそうそうするタイプではないのに、八時をとうに超えているのに帰ってきていない。母が悠然と構えている以上、まだ奈緒子が心配するほどの時間ではないが、妹がどこに行っているのかは気になった。
「倉沢家」
本から目を離さず、あっさりと母が答える。
「倉沢家? 俊ちゃんのとこ?」
思わずお箸を置いて聞き返してしまう。気分転換どころか、直接ぶつかったのだと考えると興味がわいた。
「なんで? どうして行ってるの?」
「カボチャをね、届けに行ってもらったのよ」
「カボチャ」
奈緒子はつい目の前の、A定食の真ん中にでんと出された盛鉢を見つめてしまった。
「これ?」
「百合さんに渡してもらおうと思って」
「俊ちゃんじゃなく?」
「だってあの子、ケンカしていたでしょ。俊ちゃんに渡せって言っても、嫌がるの分かっていたし。だから、俊ちゃんいないから百合さんに渡してって」
表情を変えるでもなく、当たり前のように説明する母。けれど奈緒子の目は細められ、口元には中途半端な笑いが浮かび始めていた。
「俊ちゃんいないって、なんでお母さん知っていたのよ」
「今日は合格発表の日よ。俊ちゃんが見に行くって、事前に聞いていたもの」
「合格したの? 俊ちゃん」
「したわよ。だから持って行きなさいってあずさに言ったの。いつまでもケンカしていても仕方ないでしょ」
やっぱりおばさんに、じゃなくて俊ちゃんに、だったんじゃないの。
そう言いたい気持ちを抑えて、奈緒子は中断していた食事を再開した。その柔らかい雰囲気で、人の良さそうな印象を受ける母だが、結構な策士である事を奈緒子は感づいている。娘が一生懸命秘密にしていた出来事を、当たり前のように母が知っていたことなんてざらにあった。母親なんてみんなそんなものかとも思うのだが、特にこの母の場合、何を考えているのか娘には読めない節があり油断が出来ない。
「で、俊ちゃんいたんだ」
普段なら食事中でもテレビの音がないと寂しくなる奈緒子だったが、今日は不思議とうるさく感じられた。多分興味が母の話す妹のことに行ってしまっているからだろう。リモコンでテレビの電源を切ると、また話を振ってみる。
「そうね。うちにきたから」
「うち? うちって、ここ?」
そう言いながら奈緒子が玄関を開けると、すでに待ち構えるように立っていたコロがワンと吠えた。宮崎家では当たり前の、家族の誰かしらが帰れば繰り返される光景。
コロを一撫でし、洗面所で手洗いすると、奈緒子はリビングをのぞき込む。そこでは母がお茶をすすりながら、のんびりとテレビを見ているところだった。
「ただいま」
「お帰りなさい。ご飯は?」
「食べる。お腹空いちゃった。今日のおかずって、なに?」
聞きながら、答えを待つことなくテーブルを見る。
「アジの干物にカボチャの煮つけ、お味噌汁。A定食だ」
これは宮崎家の暗号のようなもので、ちなみにB定食は野菜炒めになっている。
「ちゃんと手を洗いなさいよ」
「もうやったって」
味噌汁を温めるため鍋を火にかけ、そこでようやく思い至って奈緒子の動きが止まった。
「二人分残っているけど、お父さんも食べるの?」
「お父さんは今日遅いわよ。歓送迎会あるって言っていたから」
「じゃ、これあずさの? 出かけているんだ」
最近、家にこもりがちだった妹にしては珍しい。すぐ近くに住む幼馴染の俊ちゃんと、ケンカをしていた。地方の大学に行くのを教えてくれなかったらしい。本人は否定していたけれど、それだけで切羽詰った顔をして落ち込んでいた。姉としても今後の二人の行方が気になるところだった。
「気分転換でもしてもらわないと、鬱陶しいからね」
そうつぶやきながら、お新香をつまむ。
「行儀悪いわよ」
「はいはい」
お茶を注ぐついでにテーブルに移動してきた母に、たしなめられた。それを軽く流して荷物を部屋に置きにいく。戻ってくると、ご飯と味噌汁がよそられていた。
「いただきます」
小さく言って、食べ始める。つけっぱなしのテレビはちょうど歌番組の時間で、母はそれをBGM代わりに本を読んでいた。
「……で、あずさどこに行ったの?」
活発な姉に比べ、妹のあずさの方はおっとりしているというのか、若干内気な性格をしている。夜遊びもそうそうするタイプではないのに、八時をとうに超えているのに帰ってきていない。母が悠然と構えている以上、まだ奈緒子が心配するほどの時間ではないが、妹がどこに行っているのかは気になった。
「倉沢家」
本から目を離さず、あっさりと母が答える。
「倉沢家? 俊ちゃんのとこ?」
思わずお箸を置いて聞き返してしまう。気分転換どころか、直接ぶつかったのだと考えると興味がわいた。
「なんで? どうして行ってるの?」
「カボチャをね、届けに行ってもらったのよ」
「カボチャ」
奈緒子はつい目の前の、A定食の真ん中にでんと出された盛鉢を見つめてしまった。
「これ?」
「百合さんに渡してもらおうと思って」
「俊ちゃんじゃなく?」
「だってあの子、ケンカしていたでしょ。俊ちゃんに渡せって言っても、嫌がるの分かっていたし。だから、俊ちゃんいないから百合さんに渡してって」
表情を変えるでもなく、当たり前のように説明する母。けれど奈緒子の目は細められ、口元には中途半端な笑いが浮かび始めていた。
「俊ちゃんいないって、なんでお母さん知っていたのよ」
「今日は合格発表の日よ。俊ちゃんが見に行くって、事前に聞いていたもの」
「合格したの? 俊ちゃん」
「したわよ。だから持って行きなさいってあずさに言ったの。いつまでもケンカしていても仕方ないでしょ」
やっぱりおばさんに、じゃなくて俊ちゃんに、だったんじゃないの。
そう言いたい気持ちを抑えて、奈緒子は中断していた食事を再開した。その柔らかい雰囲気で、人の良さそうな印象を受ける母だが、結構な策士である事を奈緒子は感づいている。娘が一生懸命秘密にしていた出来事を、当たり前のように母が知っていたことなんてざらにあった。母親なんてみんなそんなものかとも思うのだが、特にこの母の場合、何を考えているのか娘には読めない節があり油断が出来ない。
「で、俊ちゃんいたんだ」
普段なら食事中でもテレビの音がないと寂しくなる奈緒子だったが、今日は不思議とうるさく感じられた。多分興味が母の話す妹のことに行ってしまっているからだろう。リモコンでテレビの電源を切ると、また話を振ってみる。
「そうね。うちにきたから」
「うち? うちって、ここ?」
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