62 / 73
第三章 二人の会話
34.新しい日
しおりを挟む
俊成君が手を差し出すから、右手をつなぐ。左手にはコロのリード。歩きづらいかなって思ったけれど、休日早朝の商店街は人気が無く、歩道をすれ違う人もいなくて問題は無い。気が付けば、地下へともぐる駅改札への看板が見えてきた。つい手を握るその力を強めてしまう。
俊成君はそれには応えず、かわりに唐突に話しをはじめた。
「思い出したことがあるんだ」
「え?」
「去年の夏休みのこと。初めてカズ兄のところに遊びに行って、大学の周りをひとりで散歩してさ」
思い出しながら話すから、ぽつぽつとした口調になっている。私はなにを言いたいのか分からずに、ただ聞いているだけだ。
「塀の脇に空き地があって、雑草とか生えているんだけれど、そこの一角にカンナが植わっていたんだ」
「カンナ?」
「うん。赤いやつ。その風景がなんか良くって。あれ、あずにも見せてやりたいなって、なんとなく思った」
その途端、私の中で子供の頃のあの夏の日がよみがえった。
赤というより朱の色をした、真ん中から徐々に橙、黄色と色が変わる夏の花。立ち姿が真っ直ぐで、炎のようで。俊成君と二人、あの花を眺めていた。大切な二人の思い出。
「大学のこととかあずのことを真剣に考えるようになったのはその後戻ってからだけれど、今思うと、多分あれが最初だ」
俊成君はそこまで言うと立ち止まり、私と向き合う。気が付けばもう駅の階段まで辿り着いていた。
「だから、夏は一緒にカンナを見よう」
しばらく二人何も言わず、ただ見つめあった。
「一緒に、見たいな」
震える声で、それだけをつぶやいた。
俊成君と幼馴染でよかった。こうして二人、思い出を共にしている。
「うん。見よう」
あのときと変わらない笑顔で、俊成君がうなずいた。つないだ手を愛おしむように、指が絡まりぎゅっと握り締められる。お別れのときが近付いていた。
見送りはここでおしまいだから。
こんな家の近くじゃなく新幹線に乗るまでって私は言ったのに、それを断ったのは俊成君。私を一人で帰したくないって主張した。だからコロも連れてきた。
「あず」
呼びかけられて、抱きしめられた。気配だけでうながされて、ごく自然に唇が触れ合う。一瞬びくりと震えてしまったけれど、でももう止められなかった。触れ合うだけのキスを、何度も何度も繰り返す。でも、キスをすればするほど別れたくなくなる。追いすがってどこまでもついていきたくなる。我がままだって分かっているけど。
そんな私たちを諌めるように、ひまをもてあましたコロが動いてリードが引っ張られた。途端にようやく我に返る。
「と、俊成君」
「ん?」
「……恥ずかしい」
力が抜けてしまい、腰がふらついて体を預ける格好になっていた。
冷静になって周りを見渡せば、こんな駅前、たとえ交通量が少なくってもやっぱり車とか通りの向こうを渡る人は存在する。お互いさまなんだけれど、恥ずかしさの反動からつい上目遣いで抗議をした。俊成君ははぐらかすように視線をさまよわせ、小さくうなった。
「俺だって恥ずかしいよ。でも」
すっと私に目を合わせると、私の髪を撫で上げる。
「泣かれるより、ましだ」
その柔らかな表情に、逆に泣きたくなる。最近気が付いたんだ。私、俊成君に関連したことばかりで泣いている。
でも、今は泣く場面じゃない。
静かに息を吐き出すと、私はゆっくりと俊成君から体を離した。
俊成君は私をもう泣かせないって、宣言してくれた。だから微笑んでいたい。
「大丈夫だよ」
ありったけの気持ちを込めて、精一杯の笑顔を浮かべてみる。
「ゴールデンウィーク、待ってるね」
「うん」
「夏はそっちに遊びに行く」
「うん。待ってる」
「私も」
私も、待ってる。
もう一度、俊成君を見つめてから微笑んだ。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「……行ってくる」
俊成君が私の頬をそっと撫でてから、階段を下りていった。
一段降りるたび、その距離の分だけ少しずつ、俊成君が離れてゆく。踊り場を経て次の階段へ曲がる直前、俊成君の視線が私を探す。慌てて手を振ると、彼の口の端に笑みが広がり、そしてそのまま姿が隠れた。
俊成君が去った後も、それからしばらく気が抜けたようにただ階段の前で立ち尽くしていた。
動こうという考えが浮かんでこない。けれど電車がやってきたのか、階段を数人の乗客が上ってきた。そのときになってようやく気付き、私は慌てて横にどく。その拍子に、ぱふっとコロの体が足に当たった。
「ごめん、コロ」
何も分からず、無邪気にコロが尻尾を振る。その無心に慕ってくる瞳に癒された。やっぱり私、新幹線まで行かなくて正解だったのかも。
横にはどいたものの、まだ立ち去りがたくて、でももう階段を見ていたくなくて、コロのふかふかとした耳をただ眺めた。
多分これから先、私たちの間には色んなことが起こるんだろう。
そんな事を考えていた。
四年の間、俊成君も私も立ち止まってはいられない。環境だけじゃない。心だって変化していく。俊成君は私に待っていて欲しいっていったけれど、俊成君だって私を確実に待つ保証はどこにも無いんだ。
でも、それでも、待っていたい。リードを持つ手に力がこもった。
俊成君がカンナの花を覚えていてくれたから。あの頃から、ううん、生まれたときから二人の関係が始まっていたんだって思えるから、だからこれからの四年間も大丈夫だって思えてくる。
いつの間にすっかり明けて広がる青空を見上げ、深呼吸をする。
「そろそろ、行こうか」
時間が過ぎるにしたがって、少しずつ人の量も増えてゆく。いつまでもここに立ち止まっているわけには行かない。コロに声をかけると背筋を伸ばし、私は歩き出した。
離れていても、俊成君とはずっと傍にいる気がするんだ。俊成君が好きだから。好きだから離れていける。最後に戻る場所は、いつだって俊成君の傍だ。
そして二人、これから新しい日をはじめよう。
俊成君はそれには応えず、かわりに唐突に話しをはじめた。
「思い出したことがあるんだ」
「え?」
「去年の夏休みのこと。初めてカズ兄のところに遊びに行って、大学の周りをひとりで散歩してさ」
思い出しながら話すから、ぽつぽつとした口調になっている。私はなにを言いたいのか分からずに、ただ聞いているだけだ。
「塀の脇に空き地があって、雑草とか生えているんだけれど、そこの一角にカンナが植わっていたんだ」
「カンナ?」
「うん。赤いやつ。その風景がなんか良くって。あれ、あずにも見せてやりたいなって、なんとなく思った」
その途端、私の中で子供の頃のあの夏の日がよみがえった。
赤というより朱の色をした、真ん中から徐々に橙、黄色と色が変わる夏の花。立ち姿が真っ直ぐで、炎のようで。俊成君と二人、あの花を眺めていた。大切な二人の思い出。
「大学のこととかあずのことを真剣に考えるようになったのはその後戻ってからだけれど、今思うと、多分あれが最初だ」
俊成君はそこまで言うと立ち止まり、私と向き合う。気が付けばもう駅の階段まで辿り着いていた。
「だから、夏は一緒にカンナを見よう」
しばらく二人何も言わず、ただ見つめあった。
「一緒に、見たいな」
震える声で、それだけをつぶやいた。
俊成君と幼馴染でよかった。こうして二人、思い出を共にしている。
「うん。見よう」
あのときと変わらない笑顔で、俊成君がうなずいた。つないだ手を愛おしむように、指が絡まりぎゅっと握り締められる。お別れのときが近付いていた。
見送りはここでおしまいだから。
こんな家の近くじゃなく新幹線に乗るまでって私は言ったのに、それを断ったのは俊成君。私を一人で帰したくないって主張した。だからコロも連れてきた。
「あず」
呼びかけられて、抱きしめられた。気配だけでうながされて、ごく自然に唇が触れ合う。一瞬びくりと震えてしまったけれど、でももう止められなかった。触れ合うだけのキスを、何度も何度も繰り返す。でも、キスをすればするほど別れたくなくなる。追いすがってどこまでもついていきたくなる。我がままだって分かっているけど。
そんな私たちを諌めるように、ひまをもてあましたコロが動いてリードが引っ張られた。途端にようやく我に返る。
「と、俊成君」
「ん?」
「……恥ずかしい」
力が抜けてしまい、腰がふらついて体を預ける格好になっていた。
冷静になって周りを見渡せば、こんな駅前、たとえ交通量が少なくってもやっぱり車とか通りの向こうを渡る人は存在する。お互いさまなんだけれど、恥ずかしさの反動からつい上目遣いで抗議をした。俊成君ははぐらかすように視線をさまよわせ、小さくうなった。
「俺だって恥ずかしいよ。でも」
すっと私に目を合わせると、私の髪を撫で上げる。
「泣かれるより、ましだ」
その柔らかな表情に、逆に泣きたくなる。最近気が付いたんだ。私、俊成君に関連したことばかりで泣いている。
でも、今は泣く場面じゃない。
静かに息を吐き出すと、私はゆっくりと俊成君から体を離した。
俊成君は私をもう泣かせないって、宣言してくれた。だから微笑んでいたい。
「大丈夫だよ」
ありったけの気持ちを込めて、精一杯の笑顔を浮かべてみる。
「ゴールデンウィーク、待ってるね」
「うん」
「夏はそっちに遊びに行く」
「うん。待ってる」
「私も」
私も、待ってる。
もう一度、俊成君を見つめてから微笑んだ。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「……行ってくる」
俊成君が私の頬をそっと撫でてから、階段を下りていった。
一段降りるたび、その距離の分だけ少しずつ、俊成君が離れてゆく。踊り場を経て次の階段へ曲がる直前、俊成君の視線が私を探す。慌てて手を振ると、彼の口の端に笑みが広がり、そしてそのまま姿が隠れた。
俊成君が去った後も、それからしばらく気が抜けたようにただ階段の前で立ち尽くしていた。
動こうという考えが浮かんでこない。けれど電車がやってきたのか、階段を数人の乗客が上ってきた。そのときになってようやく気付き、私は慌てて横にどく。その拍子に、ぱふっとコロの体が足に当たった。
「ごめん、コロ」
何も分からず、無邪気にコロが尻尾を振る。その無心に慕ってくる瞳に癒された。やっぱり私、新幹線まで行かなくて正解だったのかも。
横にはどいたものの、まだ立ち去りがたくて、でももう階段を見ていたくなくて、コロのふかふかとした耳をただ眺めた。
多分これから先、私たちの間には色んなことが起こるんだろう。
そんな事を考えていた。
四年の間、俊成君も私も立ち止まってはいられない。環境だけじゃない。心だって変化していく。俊成君は私に待っていて欲しいっていったけれど、俊成君だって私を確実に待つ保証はどこにも無いんだ。
でも、それでも、待っていたい。リードを持つ手に力がこもった。
俊成君がカンナの花を覚えていてくれたから。あの頃から、ううん、生まれたときから二人の関係が始まっていたんだって思えるから、だからこれからの四年間も大丈夫だって思えてくる。
いつの間にすっかり明けて広がる青空を見上げ、深呼吸をする。
「そろそろ、行こうか」
時間が過ぎるにしたがって、少しずつ人の量も増えてゆく。いつまでもここに立ち止まっているわけには行かない。コロに声をかけると背筋を伸ばし、私は歩き出した。
離れていても、俊成君とはずっと傍にいる気がするんだ。俊成君が好きだから。好きだから離れていける。最後に戻る場所は、いつだって俊成君の傍だ。
そして二人、これから新しい日をはじめよう。
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
桜のティアラ〜はじまりの六日間〜
葉月 まい
恋愛
ー大好きな人とは、住む世界が違うー
たとえ好きになっても
気持ちを打ち明けるわけにはいかない
それは相手を想うからこそ…
純粋な二人の恋物語
永遠に続く六日間が、今、はじまる…
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる