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第二章 二人の距離
12.恋愛の醍醐味
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「ねぇ、お母さん」
その日の夕飯時、私はそっとお母さんに声をかけた。今日は私が塾で奈緒子お姉ちゃんがアルバイト。帰りの遅い娘達を待たずにお母さんは先にご飯を食べ終えて、お茶を飲みながらテレビを見ている。
「今度の土曜日の事なんだけど」
「『くら澤』? お父さんが6時くらいに行こうかって言っていたわよ」
お母さんはテレビの番組表をチェックして、リモコンを押してゆく。
「あ、お母さん、この時間はドラマ始まっちゃうからそれ駄目」
一緒にご飯を食べていたお姉ちゃんが、すかさずお母さんに反対した。
「えー、こっちの方が面白そうじゃない。」
「駄目だって。毎週観てるんだもん。お母さんだって好きでしょ? この俳優」
「あのさ、今回は『くら澤』じゃなくて別のお店にするっていうのはどうかな?」
その瞬間、動作が止まり、二人は一斉に私を見つめた。
「『くら澤』じゃなかったら、どこにするのよ?」
「えーっと、ほら、最近オープンした『いずみ亭』。なんかあそこ良くない?」
お姉ちゃんの問いかけに一生懸命考えて答えるけれど、聞いた本人は無反応で、リビングに放り出されたままの自分のカバンから何かを探し出してきていた。コロがそんなお姉ちゃんの行動に反応し、尻尾を振って後をつける。
「ちょっと、お姉ちゃん」
「あった。ほら、これ」
ぽんと放り出されて慌てて受け止める。ブルーのリボンで可愛くラッピングされたクッキーの袋。でもこのクッキー、妙にごつごつとかたいんですけど。
「なに? これ」
思い切り不審な表情で袋を見つめた。いつの間にコロが近寄って、自分にも見せろと前足で私を引っ掻く。
「今流行のオーガニック・クッキー。有機農法で栽培された小麦で作られた、素朴な味が人気」
「素朴ねぇ」
だからこんなごついのかな? 納得しかかった途端に、お姉ちゃんがにやりと笑った。
「の、お犬様用」
「お犬様?」
「家族みんなで祝う食事会なのに、コロだけ行けないでしょ? だから買ってきたの。あずさも行けないって言うんなら、それコロと半分こしても良いわよ。ねー、コロ」
そういいながらお姉ちゃんはコロを撫で回し、コロは嬉しそうに一声吠えた。
「お姉ちゃん!」
そのあまりに遠まわしな嫌味にむっとして私が叫ぶと、今度はお母さんが静かにさとしてきた。
「お父さん、『くら澤』のビーフシチュー好きだから、お店をかえることは出来ないわよ」
「うー、駄目かな、やっぱり」
「お父さんの誕生会だからね。お父さんの好きなお店でなくちゃ意味無いでしょ。最近我が家の娘達も年頃のせいか、滅多にお父さんと出かけることも無くなったし、かわいそうなのよ。年に一回くらいは付き合ってあげてちょうだい」
自分のいない間にこんなこと言われているお父さん。っていうのも十分かわいそうだと思うので、余計に反論できずに黙ってしまった。
「さてと。じゃあお母さんは先にお風呂はいるから。食器はちゃんと洗ってね」
本当にドラマを観る気は無かったらしく、お母さんは立ち上がるとリビングから出ていった。後に残された私とお姉ちゃんは、とりあえずテレビを見ながら食事を続ける。
「『くら澤』に行きたくないって、原因は圭吾でしょ?」
「……お姉ちゃんまで圭吾って言わないでよ」
ちょっとふてくされて抗議したら、面白そうに笑われてしまった。
「彼女の幼馴染に嫉妬か。可愛いなぁ」
「やっぱり、嫉妬なの?」
「ほかに『くら澤』になにかあるの?」
「……無いと、思う」
お茶碗を置いて、ため息をつく。
「俊成君なんて、関係ないのに」
「ずいぶん冷たいこと言うね、この妹は」
その言葉にお姉ちゃんの顔を見上げると、やっぱりまだ面白そうに笑っていた。あきらかに妹の恋愛をネタに楽しんでいる。それが分かっているのにな。気が付くと私はお姉ちゃんに向かって愚痴りだしていた。
「なんで、気にするんだろうね。付き合っている相手の幼馴染なんてさ、この世の中にいくらでもいるよね。しかもあっちだって彼女持ちだよ」
「好きだから、気になるんでしょ。好かれている証拠だよ。いいじゃない、こういうのが恋愛の醍醐味なのよ」
いかにも無責任な発言なのに、なんだろう、妙に納得させられる。
恋愛の、醍醐味かぁ。けど、こんな醍醐味は嫌だな。
「お姉ちゃん、今付き合っている人、いる?」
妹という立場のせいか、自分の話はしてもお姉ちゃんの話は聞いたことないなと思って、質問してみた。
「いないよ」
「じゃあ、好きな人は?」
「んー」
お姉ちゃんは返事の代わりに照れたように小さく微笑む。その表情がいつもの『お姉ちゃん』じゃなくて、私や真由美とかと変わらない『女の子』なのに驚いて、ちょっと見入ってしまった。今のお姉ちゃん、可愛かったぞ。
「好きな人がいるのってさ、両思いじゃないと一方的に想ってばかりで辛かったりするんだけど、でも、独りじゃないんだよね」
まだまだ女の子の表情をひきずったお姉ちゃんが、そうつぶやいた。
「ひとりじゃない?」
「自分だけじゃない、って思える人」
「それが好きな人?」
「まあ、そんなところ」
話せば話すほど意味が分からなくなって、こんがらがってしまう。独りじゃないって、自分だけじゃないって、そう思える相手が好きな人って、なんだろう。
まるで謎かけか禅問答みたいな気がして、あきらめた。とりあえず今の私の課題は、圭吾にいかに俊成君の存在を忘れてもらうかだよ。
食べ終えた食器を手にし、立ち上がる。
「えー、あずさもドラマ観ないの?」
そう聞くお姉ちゃんの顔は、いつもの表情に戻っていた。
◇◇◇◇◇◇
その週の土曜日は、それでもサッカー初観戦を決行し、圭吾は私を楽しませてくれた。その後の誕生会についてはあえて話題にはしていなかったけれど、帰り際、つい困ったような表情で彼の顔を見つめたら、圭吾も同じようにちょっと困った顔で笑ってくれた。
「じゃあ、ご飯楽しんできて」
「……うん」
手を振って別れながら、心の中で謝っていた。
ごめんね、圭吾。もうお父さんの誕生会以外で『くら澤』には行かないようにするから。
子供っぽい決心かもしれないけれど、私は本気でそう心に誓っていた。
その日の夕飯時、私はそっとお母さんに声をかけた。今日は私が塾で奈緒子お姉ちゃんがアルバイト。帰りの遅い娘達を待たずにお母さんは先にご飯を食べ終えて、お茶を飲みながらテレビを見ている。
「今度の土曜日の事なんだけど」
「『くら澤』? お父さんが6時くらいに行こうかって言っていたわよ」
お母さんはテレビの番組表をチェックして、リモコンを押してゆく。
「あ、お母さん、この時間はドラマ始まっちゃうからそれ駄目」
一緒にご飯を食べていたお姉ちゃんが、すかさずお母さんに反対した。
「えー、こっちの方が面白そうじゃない。」
「駄目だって。毎週観てるんだもん。お母さんだって好きでしょ? この俳優」
「あのさ、今回は『くら澤』じゃなくて別のお店にするっていうのはどうかな?」
その瞬間、動作が止まり、二人は一斉に私を見つめた。
「『くら澤』じゃなかったら、どこにするのよ?」
「えーっと、ほら、最近オープンした『いずみ亭』。なんかあそこ良くない?」
お姉ちゃんの問いかけに一生懸命考えて答えるけれど、聞いた本人は無反応で、リビングに放り出されたままの自分のカバンから何かを探し出してきていた。コロがそんなお姉ちゃんの行動に反応し、尻尾を振って後をつける。
「ちょっと、お姉ちゃん」
「あった。ほら、これ」
ぽんと放り出されて慌てて受け止める。ブルーのリボンで可愛くラッピングされたクッキーの袋。でもこのクッキー、妙にごつごつとかたいんですけど。
「なに? これ」
思い切り不審な表情で袋を見つめた。いつの間にコロが近寄って、自分にも見せろと前足で私を引っ掻く。
「今流行のオーガニック・クッキー。有機農法で栽培された小麦で作られた、素朴な味が人気」
「素朴ねぇ」
だからこんなごついのかな? 納得しかかった途端に、お姉ちゃんがにやりと笑った。
「の、お犬様用」
「お犬様?」
「家族みんなで祝う食事会なのに、コロだけ行けないでしょ? だから買ってきたの。あずさも行けないって言うんなら、それコロと半分こしても良いわよ。ねー、コロ」
そういいながらお姉ちゃんはコロを撫で回し、コロは嬉しそうに一声吠えた。
「お姉ちゃん!」
そのあまりに遠まわしな嫌味にむっとして私が叫ぶと、今度はお母さんが静かにさとしてきた。
「お父さん、『くら澤』のビーフシチュー好きだから、お店をかえることは出来ないわよ」
「うー、駄目かな、やっぱり」
「お父さんの誕生会だからね。お父さんの好きなお店でなくちゃ意味無いでしょ。最近我が家の娘達も年頃のせいか、滅多にお父さんと出かけることも無くなったし、かわいそうなのよ。年に一回くらいは付き合ってあげてちょうだい」
自分のいない間にこんなこと言われているお父さん。っていうのも十分かわいそうだと思うので、余計に反論できずに黙ってしまった。
「さてと。じゃあお母さんは先にお風呂はいるから。食器はちゃんと洗ってね」
本当にドラマを観る気は無かったらしく、お母さんは立ち上がるとリビングから出ていった。後に残された私とお姉ちゃんは、とりあえずテレビを見ながら食事を続ける。
「『くら澤』に行きたくないって、原因は圭吾でしょ?」
「……お姉ちゃんまで圭吾って言わないでよ」
ちょっとふてくされて抗議したら、面白そうに笑われてしまった。
「彼女の幼馴染に嫉妬か。可愛いなぁ」
「やっぱり、嫉妬なの?」
「ほかに『くら澤』になにかあるの?」
「……無いと、思う」
お茶碗を置いて、ため息をつく。
「俊成君なんて、関係ないのに」
「ずいぶん冷たいこと言うね、この妹は」
その言葉にお姉ちゃんの顔を見上げると、やっぱりまだ面白そうに笑っていた。あきらかに妹の恋愛をネタに楽しんでいる。それが分かっているのにな。気が付くと私はお姉ちゃんに向かって愚痴りだしていた。
「なんで、気にするんだろうね。付き合っている相手の幼馴染なんてさ、この世の中にいくらでもいるよね。しかもあっちだって彼女持ちだよ」
「好きだから、気になるんでしょ。好かれている証拠だよ。いいじゃない、こういうのが恋愛の醍醐味なのよ」
いかにも無責任な発言なのに、なんだろう、妙に納得させられる。
恋愛の、醍醐味かぁ。けど、こんな醍醐味は嫌だな。
「お姉ちゃん、今付き合っている人、いる?」
妹という立場のせいか、自分の話はしてもお姉ちゃんの話は聞いたことないなと思って、質問してみた。
「いないよ」
「じゃあ、好きな人は?」
「んー」
お姉ちゃんは返事の代わりに照れたように小さく微笑む。その表情がいつもの『お姉ちゃん』じゃなくて、私や真由美とかと変わらない『女の子』なのに驚いて、ちょっと見入ってしまった。今のお姉ちゃん、可愛かったぞ。
「好きな人がいるのってさ、両思いじゃないと一方的に想ってばかりで辛かったりするんだけど、でも、独りじゃないんだよね」
まだまだ女の子の表情をひきずったお姉ちゃんが、そうつぶやいた。
「ひとりじゃない?」
「自分だけじゃない、って思える人」
「それが好きな人?」
「まあ、そんなところ」
話せば話すほど意味が分からなくなって、こんがらがってしまう。独りじゃないって、自分だけじゃないって、そう思える相手が好きな人って、なんだろう。
まるで謎かけか禅問答みたいな気がして、あきらめた。とりあえず今の私の課題は、圭吾にいかに俊成君の存在を忘れてもらうかだよ。
食べ終えた食器を手にし、立ち上がる。
「えー、あずさもドラマ観ないの?」
そう聞くお姉ちゃんの顔は、いつもの表情に戻っていた。
◇◇◇◇◇◇
その週の土曜日は、それでもサッカー初観戦を決行し、圭吾は私を楽しませてくれた。その後の誕生会についてはあえて話題にはしていなかったけれど、帰り際、つい困ったような表情で彼の顔を見つめたら、圭吾も同じようにちょっと困った顔で笑ってくれた。
「じゃあ、ご飯楽しんできて」
「……うん」
手を振って別れながら、心の中で謝っていた。
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