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折り合いをつける(麻痺継続中)
しおりを挟む爲永は低い声で聞く。
「……どうして言わなかった?」
ドスの利いた声ってこれを言うのかな。低音なのにびりびりと心臓に響く、半端ない威圧感。けれど問われたナイトは当たり前のことを聞かれて意味がわからないとでも言いたげに肩をすくめる。
「聞かれなかったからね」
──爲永が嫌いだから。という副音声が聞こえたような。
俺はといえば、自分の発言を早々に後悔していた。
迂闊すぎた。なに無神経なこと言ってんだ俺。生まれ変わりを召喚? どうして口が滑ったのか。今さっき反省したばかりでまた軽はずみな発言で周りを振り回してるどうすんだよああもう学習能力が無い。
不味い。このままじゃ不味い。
「あ……青い鳥」
「あ?」
「爲永さんは青い鳥の話、知ってるか? 幸せを呼ぶって青い鳥を捜して世界中を旅してはるばる地の果てまで行ったのに本当は家の近くにいたっていう骨折り損のくたびれもうけみたいな」
「てめえは何を言ってる」
「そうだよね何言ってんだよ俺。あり得ない事を口走ったって思う。反省してる。ごめんなさい」
爲永が口の端を上げて笑みらしきものを作るから俺も釣られて笑う。
納得してくれたかどうか。白々した空気に笑顔が引き攣る。
「無駄だな。俺はもう聞いた。嗾けたのはお前だ」
「嗾けてないから!」 焦って否定したところで爲永の表情はまるで変わらない。心臓痛い。「あのさ爲永さん。もし生まれ変わりがあるとして、いや万が一にも無いんだけどあるとしてだよ? 爲永さんの運命なら次も廻り逢えるに決まってるし今いないから異世界にいるってちょっと短絡的じゃないかなだってほら散々捜した青い鳥が本当は傍にいたって話はど定番なんだし召喚は良くない」
「それで青い鳥か」 感心したようにナイトが頷く。「円、ずいぶん早口で喋れるんだね」
「必死なんだよ口しか動かせないからね!」
と。何故だか抱き直された。対面に。
真正面にナイトと向き合う。
邪魔するつもりか? ムッとして睨みつけたが逆に静かな目で見つめ返された。
「円の不満はなんだい?」
「なに……って」 言われてから、考える。「不満もなにも、生まれ変わりを異世界から召喚するなんて、不可能だろ」
「なるほど。転生については僕には何とも言えないけど」 ふ、と水色の瞳を細めて俺の頬を撫でる。「召喚に限ってなら僕は出来るよ」
……はあ?
「ナイト、バカだろ」
言ってからしまったと我に返る。口が滑った。
ナイトはほんの少し首を傾げる。
「どうして円が怒るのかな」
言いたくなくて押し黙ると、頬を突かれて先を促される。
無言を貫くのは無理だった。──延々と突いてくるからだ。
「ちょっ、うにゅさふゃ」
麻痺で身体が動かないって不便だ。ろくに黙秘も出来やしない。
「もおおだっ……ナイトが召喚できるだなんて簡単に言うからだろ! 自分は元の世界には戻れない癖に」
「うん?」
「戻れないって言ったよな。喚ぶことはできるのに」
「うん。そうだね。僕は元の世界には帰れない」
「……あっさり肯定すんな」
無性に腹が立つ。だって……理不尽だ。
この番が生まれ育った故郷のことを、俺はほとんど知らない。どんな環境で生きてきたのか、そこは寒いのか、暖かいのか。
動植物は同じ? 違う? 空の色は? どんな人々と暮らしてた?
興味はあるけれど聞く事が出来ない。──俺のために切り捨てた世界の話をどんな顔で聞けっていうのか。
知らない俺には比べられないけれど、ナイトの故郷はきっと、この世界よりマシだ。
なにしろここでの自分達は絶滅危惧種だ。
考えると怖くなる。
俺なんかのために彼らが失ったものは計り知れない。
キレ気味の俺に、ナイトは何故か嬉しそうに微笑む。
「有り難う円」
「……礼、言われる理由がないんだけど」
「円のツンデレは珍しいね、可愛い」
「?」
「ああ。すまない、気にしないで。召喚は仕方がないんだ。時の流れと似たような物でね。過去から未来に。上流から下流に、ね? 逆には進めない。けどだからこそ喚ぶのは容易だ。──元よりこの地は受け皿だ。この地には鬱陶しいしがらみも他アルファからの横槍も存在しない。この絶妙に整えられた場に僕と君がメイトとして存在しているのも意味があるのだろうね」
「…………えっと?」
どうしよう。ナイトの台詞の意味がわからない。反応に迷っていると、わしゃわしゃと頭を撫でられた。
「ざっくり説明すると、現在この世界には召喚を成功させる好条件が揃っている。召喚に特化している世界だ」
ええ……。
「召喚って、ナイトの世界以外の存在も喚べるって意味だよな」
「環境が合えばね」
「……異世界って広くないか?」
『広いと言う表現は妥当ではありませんね。無限の世界の拡がりなどと比較すればこの世界の存在は宇宙と砂粒の対比よりも小さい』
ガーデン君の解説も入る。……広いって表現じゃ足りなくて、ものすごく広い、と。
答えは俺の想像とそう違って無くて、やっぱりと溜息が洩れる。
「……駄目だよそれ。召喚が出来るか出来ないかの問題じゃない」
「円は何が問題だと思うんだ?」
「単純な話だろ。居なければ呼べない。ナイトは存在しないものでも掴めるのか? それともパラレルワールドの同一人物でも召喚するって?」
「存在しないわけがない。居る」
いまさら割り込んだ声がある。
「爲永さん……」
「オメガ、お前が魂があると言ったんだろうが」
「……気のせいじゃないかな」
「惚けるな。俺は聞き間違えたりしないし、お前はその手の冗談を言わない。お前があると確信したからには絶対にある」
「まさか。確信なんてないよ。なんとなく思っただけで」
「なら俺はお前の勘を信頼するさ。俺が欲するのは平行世界の同一人物じゃない。唯ひとりだ」
「いや信頼はいらないから……違うんだよ。うっかりで……俺はそういう結論に持って行って欲しくないんだってば」
「てめえの思惑なんざどうでもいい。アレの魂は異世界にある」
爲永の頑なさにイラッとする。──が、こめかみの皺をぐりぐりと伸ばされて我に返った。目を眇めて筋張った指をみる。
……この指、好きだなあ。ぽこんと飛び出た場違いな思考に、心の中だけで笑う。
深呼吸する。
──爲永は妄執に囚われていてまるで話が通じない。弁明すら聞いてもらえない徒労感は半端なくて、ひとりで対峙してたら取り乱してたかもしれない。
爲永の望みは俺の手に負えるものじゃない。……うん。そこは自覚しておかないと。もう一度深呼吸をするとそれだけで落ち着いてきた。と、ご褒美のように髪を梳かれてうっとりと目を細める。気持ちい──じゃない。
番の匂いは精神安定剤になるけど……ちょっと、危ない。しっかりしろ俺。
とりあえず今の抱えられてる体勢、爲永の姿が見えてなくて会話しづらい。
「ナイト、見えないから向き変えてくれるか?」
頼むと意外と素直に抱え直してくれた。所謂姫抱っこだけど。爲永ともナイトとも視線を合わせられる体勢。
……視線だけでナイトを見上げる。
「うん?」
「あの……甲斐甲斐しく介護してくれるのは有り難いんだけどさ、先に麻痺を治してくれた方がナイト的にも楽だと思う──」
「駄目」
「だ、え?」
「駄目」
え……駄目ってどういう意味だっけ?
穏やかに微笑みつつ、あまりにもすっぱりと却下されて言葉が出てこない。
え……っと。
人の頼みを無下にしておいて、ナイトは絶句する俺の後頭部に唇を押し当てる。とても機嫌が良い。
機嫌良く、見える。
出来ないじゃなくて、駄目て。
ああ……も、いいや。思考を放棄する。
まあね。敵視するアルファが自らの艦に居るこの状況はナイトにとっても少なからずストレスなんだろう。
多少のガス抜きは必要だし、好きにさせとこ……。それより爲永。
とにかく伝えないといけない。失ったものは戻らないと。
俺がか? 自己嫌悪に溜息が洩れる。
爲永はただ、必死なのだ。ずっと後悔してる。
運命の番ってものがどうして少ないのか、悟った気がする──必要ないからだ。こんなのが大勢いたら面倒すぎる。
執着が強……言い方……絆が強すぎる。
運命の番ってのは足りない者同士がなるんだと思う。
魂の片割れとか呼ばれたりもするけれど、少し違う。
魂の半分ってそれは自分だし。自分がひとつになっても孤独が増えるだけだし。
足りないものを満たすのは同質のモノじゃなく、自分とはまるきり別の存在だ。だから焦がれる。だから、アルファとオメガなんだろう。
運命の相手と一生逢えない人間はきっと多い。だって世界は広くて、神様は親切じゃない。
目の前の男は捜さなくても運命の番に逢えた。それは紛れもなく幸運だったのに──絶対に離してはいけないはずのその手を、離すどころか掴みさえしなかったのは爲永自身だ。いっそ見殺しにしたのはお前だろうと糾弾すれば楽かもしれない。簡単に追い詰められる──出来るか。
愚かな選択をした過去をずっと悔いている。
おそらく過ちを犯した瞬間から今まで、ずっと悔いている。その選択をやり直したくて、どうにかして取り戻そうとしている──そんなの不可能なのに。
──爲永と同じように自分のオメガを捨てる選択をしたアルファは過去にも居たのだろうか……居ただろうな。今となってはもう証言する人も残ってないから真相は解らないけど。
おそらく、この世界では多数派だった。
そういう世界だったから俺達は滅びようとしてる。
「割に合わないんだよ」 出来るだけ、冷たく聞こえるように心がける。「うまくいく確率は圧倒的に低い……じゃないな。確実に上手くいかない」
「確実に、ね」 爲永は皮肉に顔を歪める。「召喚はそれほどに難しいのか」
「知らない」
「あ?」
「失敗はしないよ」
「……なんだと?」
「だってナイトが出来るって言ったから出来るさ」 気付けば爲永がうんざりした顔をしてる。何だよ。「けどね。外れる」
「……外れる?」
「召喚できたとして、どこから、誰を呼ぶんだよ? どれだけ召喚を繰り返したら爲永さんは当たりを引き当てられるんだ?」
「……」
──その対象がどこにも居なかったら?
召喚は永遠に失敗し続ける。
「爲永さんはそれ、番の生まれ変わりを引き当てるまで繰り返すつもりなのか? それじゃ代償が大きすぎる」
追い詰めるまではしたくない。
最低限、逃げ場は残しておくべきだ。唯一の希望が失われてしまえばきっとこの男は消えてしまうだろう。他のアルファみたいに。
せめて──俺を恨めば生きがいになるかな? なると良い。恨めば良い。
「……代償を払う覚悟ならある」
「爲永さんが? 勘違いしてないかな。アンタが払える代償なんて無いよ。必要なのは爲永さんなんかの覚悟じゃない。招かれる方だ。俺とナイトの話は聞いてただろう? ここに喚ばれたら、二度と元の場所に帰れない」
──くすりと耳元で笑いが起こる。
「わかるか? 勝手に喚ばれて、今まで持っていた全てを失うんだよ。地位も、財産も家族も恋人も、全部。そんなの相当な覚悟が必要なのに」
「覚悟は必要なかったけどね」
「……ナイト?」
「僕は円が欲しかったからね。世界を捨てるぐらい何でもない」
「……いや、違って。そういう話じゃ」
するりと頬を撫でられる。
「本当に、何でもないんだよ?」
「……あり、がとう」
バキバキに話の腰を折ってくれたけど。餌を待つ犬のような顔で返事を待たれると弱い。ナイトは満足げに笑う。
「どういたしまして」
俺の演説は尻すぼみに終わった。
もしかして邪魔されたのか俺?
肝心の爲永からの反応はイマイチ薄い。無表情だ。もっとムカついてる顔をしてる予定だったのに呆れている? 悪役は難しい。
「……と、とにかく! 爲永さんがやろうとしている事は、無関係な誰かを不幸にするだけだ」 そして、その不幸は召喚が成功した分だけ生み出される。「だから認められない」
『良い分析ですねマドカ』 ガーデン君が頷く。『マドカは手持ちのデータが少ないのに中々的を突いています』
褒められると後ろめたい。俺のは分析じゃなくて感覚だ。でも……ガーデン君から見ても合ってるのか。
溜息が洩れる。
「もう一度言う。下手に希望持たせてごめん。でも爲永さんには協力できない」
「召喚は出来ないんじゃなく、やらないってことか? 俺はどうしたら良い?」
「諦めれば良い。爲永さんの理屈なら番は別の世界で元気に生きてるってことだろ? それで」
「それじゃ駄目だ。頼む」
「待っ……」
──止める間もなかった。
「俺が出来ることならなんでもする」
知りたくなかった。
やられた方が嫌な気分になるんだなこのポーズ。
何も言えなくて奥歯を噛んで口を引き結ぶ。と不意に大きな手の平に視界を塞がれた……いや。見えるな?
意図がわからなくてナイトを見上げる。
目の前に突き出されたこの手の目的はなんだ?
「なるほど」 ナイトは恐ろしく綺麗に笑う。「それが土下座かい? 面白いね」
「いや面白くないよ!? 爲永さん、困る。顔を上げてよ無意味だから。ねえナイト止めてこれ」
「円、落ち着いて」 耳元で囁かれる。「この手の謝罪なんかて動揺すれば相手の思う壺だよ?」
「……う」
正論だけど動揺するだろ。
この世界のアルファはほぼ絶滅してるけど、逸話は多く残ってる。それを思い出してみてもアルファの土下座なんて聞いた事がない。アルファのプライドは山より高い。土下座なんて不合理かつ意味不明な行動、選択肢にすら上がらないだろう。エレガントじゃない。名誉アルファだってやらない。
何より周りに迷惑だ。落ち着かない。
現に、爲永の傍らの秘書の金針さんは無言を貫いてるけれど、身の置き所がない感じに立ち尽くしてるし顔色が悪い。
綺麗な型を保って膝をついてる爲永が一番平然としているのが釈然としない。
「服従を態度で示すのは良い心がけだね。けど本来言葉にしなければならないものが無いよね。それともパフォーマンスだけで本当は謝罪する気は無いのかな?」
平然としているのもう一人いた。
「ナイト」
目の前に掲げられた手のひらに今度はやんわりと口を塞がれた。口を出すなってことか。ここで?
「俺が悪かった」 ……え。爲永が謝罪? 吃驚していたら、「と謝って気が済むものならいくらでも謝るが?」
爲永は爲永だった。
「人の番を殺しかけて? 気が済むわけがないだろう」
「だろうな」
慣れてきたけども。毎度の事ながらナイトと爲永の会話は殺気立っている。
……殺しかけた、かあ。言われて思い出した。そんなこともあったな。
「……俺のことは構わないけど」
口を塞がれてたからそれはモゴモゴと何を言ってるかわからない音になる。まあ大した台詞じゃないな。
なにしろ忘れかけてたぐらいだ。──けど。
爲永は仲嶋も殺しかけ──殺した。
思い出すのは、失うかもしれないという恐怖。……ああいうのは二度と御免だ。
あれを繰り返されたら……困る。次も俺に止められるかな? 難しい。
ふ、とナイトが苦笑する。
「円は負の感情には鈍感だからね。どうせ今も常識外れな事を考えているのだろう? 言っておくけれど君の許容量の広さは普通、他人には無いものだからね?」
……ナイトの言い様がひどくないかなあ?
「許せとは言わない。だが、誠意なら見せられる」 爲永が言う。「召喚で誤って招いた人間は決して無下に扱わない。召喚者──お前を含め、召喚された者たちが必要とするものを用意できるのは俺だけだ」
「君だけが出来る、ねえ? あるとは思わないけど」
言ってみろ、とナイトは顎で促す。
「環境だ。以前そこのオメガがゴチャゴチャ画策してたのはお前達新参アルファを受け入れる世論を作りたかったんだろうが。違うか?」
ざんねんだけど俺は口を塞がれてるし答えられないし。
ぶっちゃけ突っ込まれたくないから良かった──と、そっと視線を外したのに手のひらが外された。
「え? あー……あー。うん」
こういう時に限って!
「煮え切らねえ返事だな」
「恥ずかしい」
「あ?」
「そ……そ、そうだよ」
「……」
俺の反応を見守るナイトの目がどんどん細くなり、半眼になる。
だって! そりゃ、その為にテレビ出たりしたけど! 俺なりにナイトの為に何か出来ないかって考えてこっそり起こした行動の真意をあっさりしかも他人に見透かされてたって知らされたらそりゃ羞恥で顔を赤くするしかないじゃん。
結局アレは訳のわからん結果に終わったし……穴があったら入りたい。
「世論のコントロールなら協会の専売特許だ。異世界の人間なんて怪しげな異物を民衆に受け入れさせるのに必要なものは何かわかるか? 巨大な組織の後ろ盾だ。絶対に世論が味方するように仕向けなければならない場合には特に、な。自慢じゃないが、協会はその手の力業が得意だ──言い換えるなら協会の後ろ盾があれば、出来る。こちらにはその準備があるからな。必要なら戸籍から揃えてやる」
「必要はないよ」 ナイトは台詞を最後まで聞かず口を開く。「地産だってわかっているだろう? 僕らの元には圧倒的な力が──武力があり知識がある。生活だけならこの艦で充分、事足りるんだよね。それにその準備、別に僕らの為にしていたわけじゃないだろう」
「……」
爲永が黙り込む。図星の反応だ。つまり──
「最初から準備してたってのか? 何のために……って」
ここまで言って、俺にも思い当たる。ナイトが肩をすくめる。
「勿論、奴の番の為だよね」
「……ああ、そういう」
──ひょっとして。
オメガの扱いが昔と比べて格段に改善されたのも無関係ではなくて、爲永が亡くした番の為にした事なのかな。
──不遇な生涯を送り、若くして命を落とした彼への追悼と悔恨としてオメガの地位を改善させた──
って単純な話じゃないんだろうなあ。
爲永は良くも悪くも前しか見ていない。
本当に、彼のオメガが戻ってきた時のために、用意してたんだ。
今度は困らないように。辛い思いをしないように。
ああ……そっか。俺、知らない間に恩恵に預かってたのか。
有り難いけれど、素直に喜べはしない。本来なら誰かが受け取るはずだったもの。それを横からかっ攫ってたって事なんだから。
でもこれで腑に落ちた。
ずっと、どうして憎まれてるんだろうと思ってた。
俺は爲永に何もしていないのに。
爲永からしたら、俺はどうしたって苛立つ存在だろう。
想像した通りなら──爲永の改革は過去からずっとオメガを蔑んできた歴史を根本から覆すものだ。それは権力があっても簡単ではない。
全ては番のためを想って起こした行動。
外野からは色々言われたかもしれない。そんなことをしても番は戻ってこない、と。
けど爲永は認めない。諦めない。
番の死を認めない方法を模索して辿り着いた「召喚」という狂った希望はか細くて、のうのうと恩恵にあずかってるオメガが、俺。
ひどいジレンマだ。番の罪の償いをすることで、より番の不在を意識する。
どれだけオメガの地位を向上させたところで、番になる筈だった相手はもう居ない。なのに同じオメガである俺は元気に生きている。
爲永がオメガ嫌いなのもわかる気がする。なんて考えすら、おこがましいか。
「……俺が出来る事を教えてくれ」 爲永が静かに問う。「命は無理だがそれ以外の要求は全て呑む。欲しいものがあれば全て差し出す。だから頼む。協力してくれ」
「差し出す、ねえ。全財産でも?」
「成功報酬になるがそれで良いか? 無一文では捜せない」
爲永は無茶な要求に現実的な内容に変えて即答する。
「いらないけどね。お前から与えられる物なんて欲しいわけがないだろう」
「ナイト」
思わず口を挟んだ俺にナイトは片眉を上げる。
「……仕方ない。僕の番は優しいからね。くれると言うなら貰ってやろう」
どうしてここまで態度がデカいのか。圧倒的優位にいる癖に、全く容赦のないナイトが怖い。
何が怖いって、尊大な態度のナイトが自然体に見える。
けれど爲永はナイトではなく、俺を、睨みつけた。
「なんだその目は。オメガが俺を哀れむな。不愉快だ」
「そ、んなつもり無いけど」
この期に及んで俺は、俺に喧嘩なんて売って大丈夫か? などと爲永の心配をしていた。ナイトが許すはずがない──
「とは言えないよね円。僕も地産に同意見だな。そんな目で男を見るものじゃない」
「……そんな目?」
予想外の方向からの追撃に喉がひゅっと変な音を立てた。
? 何がショックなのかわからない。
ええと。まず、落ち着こう。ナイトが……いや全然大丈夫。ふたりのアルファから責められるなんて逆に貴重な体験だ。だって言われなくても知ってる。オメガは淫乱だ。いくら自分は違うと思っていてもそうなのだ。今更その程度の言葉で傷ついたりしないし、実際、誰にどんな風に見られても平気だった。けど、
ナイトからそう思われるのはちょっと、きっついかも。
背中から撃たれたらこんな気分かなあ。
ナイトは血の気が引いた俺をみて首を傾げる。
「円? ああ伝わってないな……困ったね。誤解させるのは本意じゃない。本当は僕は、こう言いたいんだ。そのアルファを視界に入れるな」
「え?」
「大丈夫だよ。そんな狭量な台詞は吐かない」 そっと頸を撫でられる。「でも僕は君が考えているより嫉妬深いよ。もう少し節度を持って会話してくれないと嫉妬で困った事になるかもね」
──待ってくれ全然わからん。
今までの会話のドコがアウトだった? 困った事ってなんだ?
「……見るに堪えない」 ぼそりとした呟きに我に返る。爲永がウンザリしてる。「よくもオメガ相手にそうみっともなく縋れるものだな。貴様にはアルファのプライドが無いのか」
「地産アルファ。君は……」 ナイトはまっすぐに爲永を見据える。「自分が番を殺した理由を理解していないようだね、可哀想に。たとえ無知だとしても許される理由にはならないけど。どうせ僕には関わりがない。そのアルファの誇りとやらを一生大事にして滅びるが良いよ」
──それは地雷だ。爲永の瞳があっという間に怒気に包まれる。
「わかったような口を聞くな。てめえに頭を下げてる時点でアルファの誇りなんざ捨ててる」
「それが頭を下げる相手に対する態度かい? 君には全てを捨てる覚悟が足りないようだ」
ナイトはわざと煽ってるのかな。
爲永が吐き捨てる。
「うるせえ。簡単に番を得たお前になにがわかる」
次に起こった出来事には思考がついていけなかった。
後から響いた轟音に目を見開く。
「爲永さん!?」
──吹っ飛んだのだ。
ナイトに殴られたからだ。普通ならとても目で追えなかっただろうけど……殴った当人に抱えられてたからな。流石に俺でも動きが見えた。
それでも視界から消えてったんだけど。
「貴様は俺が円を得たのを簡単だったとでも言いたいのかな?」 微笑みを保ったままナイトが威圧する。「不幸ぶるのも大概にしろ」
「ナイト……」 言いかけてやめた。この場で俺がかけるべき台詞は無い。「あー。爲永さん無事か?」
返事のかわりに咳き込む声が聞こえた。
無事だな。
「運命は与えられるもので、避けられない障害とでも思っているのかい? それは間違いだよ」 ナイトはいっそ優しげに爲永を見下ろし断言する。──下手に見目麗しいからなのか、そこには厳かな雰囲気を纏ってる。まるで神が天啓を告げるかのよう。「幾多ある可能性の中で巡る奇跡を抜かりなく、間違えずに掴まえなければ容易く逃してしまう。それが普通だよ。当たり前に得られるものではない。人ごときの力でコントロール出来ると思い上がるな」
爲永は押し黙る。言い返す気は無いらしい。
……無茶苦茶だ。ナイトの方が。
いろいろ言ってるけど、結局殴りたかっただけじゃないかと思う。相手が黙って殴られてくれる大人で良かった。アルファに本気で遣り合われたら止め様が無い。
「……爲永さん、他はまともなのにな」
ぼそっとした呟きに、それでも反応があった。
「まとも? 俺が」
鼻で笑われただけだけど。
「だって爲永さん、ナイトに散々扱き下ろされても意外と冷静だろ。そもそも理知的じゃなきゃ戦略的な協会の運営なんて出来ない」
「……」
「それだけ客観的な分析が出来る人が異世界召喚なんて絵空事にこだわる意味が俺にはわからないんだけど」
「俺はお前がわからない方が不思議だ」
「へ? 俺?」
「お前はオメガだろうが」
「そうだけど」 やけにくぐもった声が気になって爲永の飛んでった方向を横目で見ると、なんとか確認する事が出来た。痛々しく腫れてる頬が。「治療……」
身体が動かないのがもどかしい。どうして。俺なら治せるのに。
「円」
と、目の前に手のひらが表れて爲永の姿が見えなくなる。なんだよ、また。
ナイトにちょっかいかけられてる間に爲永の声が続く。
「世間でのオメガの地位は未だに低い。言わなくともお前はオメガがどういう扱いを受けてきたか、身をもって知っているだろうが」 吐き捨てるように言う。「なあ。お前はもしも生まれ変わるとして、またこの世界でオメガとして生きたいと思うか?」
不可思議な仮定を持ち出す。
「それ、俺に聞く?」 答え難いんだよ本人がいるから。俺が黙り込むと、ナイトと爲永の二人から返事を待っている空気を感じた。……いや早く治療しろよ。何この圧。溜息。「……生まれ変わるかはわからないけど、俺はここで、オメガで良いよ。ナイトがいるから」
「いなかったら」
間髪容れずに問われる。
「変わらないよ。同じだろ。ナイトはここまで来てくれた。なら次も逢える」
「……」
目を塞いでいた手が降ろされる。その手は俺の手のひらをぎゅっと握った。
だから何だよ。
爲永の方は拍子抜けしたような顔してる。期待した解答が得られなかったようで悪かったかな? と少し罪悪感を覚える。
「爲永さんのオメガ、不幸じゃなかったと思うけど」
だから思ったことを言った。
「適当な慰めを」 乾いた声が嗤う。「……アレの人生に救いなんて無かった」
「確かに俺はその人を全然知らないけどさ。爲永さんだってひとめ会っただけで同じだろ。何を考えてたか、どんな人間だったか」
わかるのは爲永の運命の番だったって事実だけ。
「アレのことなら全て調べた。全て知っている」
「……全てって」
「中流家庭。三姉弟の長男。オメガと判明したのが中学入学前のバース検査だ。直後、親が離婚して一家離散。両祖父母も健在だった筈だが姉弟の内、彼の引き取り手だけは無かった。児童養護施設に馴染めず、学校内でも日常的に虐めを受けていた。安らげる場所は無かっただろう」 履歴書を読み上げるような淀みなさで人ひとりの半生を語る。「高校は未就学。殺された現場の繁華街では幾度となく夜に姿を確認されている」 ……昔はオメガが生計を立てるには身体を売る位しかなかったと聞いた事がある、けど。「アレを正式に雇っている店は無かった」 淡々と語る爲永は無表情だ。「暴行を受けたきっかけは、その人通りが多い繁華街で突然ヒートになったからだ。駅近く、人が引っ切りなしに通っていたにも関わらず、死に瀕したオメガを助ける者はいなかった。後の調べで判明した事だが、石を投げる等、犯行に参加した人数は数十人に及んでいた」
番になる筈だった人をアレと呼ぶ。全て調べてるのなら当然知っているはずなのに、爲永は一度もその名を呼ばない。
呼べないのか。
「でも」
疑問が浮かぶ。どうしてその人、薬を使わなかったんだろ。
当時はまだ、オメガ性を打ち消す「新薬」が楽に手に入った筈だ。それは実際のところ毒だったけれど……でも命を縮めると知っていて尚、薬を使うオメガは絶えなかったと聞く。
隠してしまえば虐げられないから。
理性が不思議がる一方で、心の奥の奥では納得もしてる。
俺もきっと、同じにするだろう。
たとえ安全な薬があっても使わない──だって、見つけて貰えなくなる。
自覚した事は無かった。運命の話を聞いた時だって、あり得ないと笑い飛ばしてたし。
それでも。
ずっと欲していた。ずっとさがしてた。
「──止めを刺したのは俺だ」 思考に沈んでいるうちに爲永の台詞は続けられている。「暴行を受け地面に転がったオメガを助ける者はなかった。死にゆくアレからは通り過ぎていく人の足だけが見えていただろうな。誰ひとり立ち止まらない。誰にも顧みられない──全て調べたのに、わからないんだ。素通りしていくその中に運命の番がいたのを、アレは認識していたのか? 意識はあったのか? アレは最後の最後に、運命に見捨てられた。予定外のヒートが来たのは運命の番が近付いていたのが原因だったのに。……きっと、俺を恨みながら死んでいっただだろう。だから解るんだよ。アレが生まれ直すなら、この世界だけは避ける」
「なるほどね」 気のない相槌を打ちながらナイトは俺を抱え直す。「つまり、散々虐げられた世界からようやく解放されて別の世界に生まれ変わったに違いない番を、見捨てたお前は取り戻したいんだね。随分と良い趣味だな地産」
「でも……そんなこと。したら」
「憎まれるだろうな」
爲永はあっさりそう認める。
──思えば俺は最初から爲永が気になっていた。
初めて見た本物のアルファだから、だけじゃなく。視界に入ればどうしても目が離せない。それがオメガの性質なのかと落ち込んだりもしたけど、今ならわかる。
爲永は欠けている。
アルファは完璧なはずなのに、爲永には人としての何かが足りていない。それはきっと彼の番が埋める筈だった部分だろうし、失ったオメガへの執着が彼を歪なものにしている。
運命の番って、なんなんだろう?
爲永とその番との邂逅なんて、相手が死に至るまでの僅か一瞬だった。なのに雁字搦めに縛られている。半身を失ったと感じてる。だって言うのに、その空白に思い出ひとつ持たないのだ。──それは虚無だ。
歪だからこそ、番を失くした他のアルファ達のように消え去ることもなかった。
このアルファを突き動かしているものが何なのか、俺は読み間違えてたと思う。
生まれ変わった番と出逢い直したい。最初からやり直したい。
そういう後ろ向きだけど前向きな希望かと思ってたのに──憎まれるため、なのか?
そんなんじゃ、どこにも救いがない。
「ねえ円。僕なんて一度も君に逢えなかったけど君を迎えに来たよ」
「……ふぁ?」
え。なんの対抗だ? その主張、意味あるのか?
混乱したところでナイトは微笑む。
「振り回されるばかりが運命じゃあないって事」
「……ああ」
暗い気持ちに沈みかけたところをはかったように、引き上げられる。
でも、そっか。
「……じゃあ俺はナイトで良かった」
「だろう?」
ここにナイトがいて良かった。俺の運命がナイトで良かった。
爲永の話は俺には重すぎて、自分ひとりなら気持ちを引き摺られていたと思う。
──だから、
息を吸って、吐く。
「爲永さん」 呼びかける。「俺は爲永さんの番と同じ、オメガだ。残念だけど、アンタの番にはなれないけど、言えることはあるよ。俺だけがアンタに伝えられることが、ある」
「円」
なぜかナイトが青ざめる。
まあ失言をしたからだけど。この時の俺はそれに気付かなかった。俺が言わないと──という切迫感と使命感で自分の言い回しの妖しさにまで気を配る余裕が無かったのだ。
──俺は爲永の番と面識はないし、どんな人なのか、全く知らない。けど、同じオメガで、同じく運命の番に会って──不思議とその気持ちがわかる。
間違えていない、という確信がある。
なら、これは俺にしかわからない。言ってあげられない。
俺は、彼の気持ちを思い出す。
「俺、殺されても不幸じゃなかったよ。だって逢えただけで嬉しかった。逢えたのが嬉しかった。最後に逢えて」
「──」
「わかった円! ストップ!」 突然、目の前から爲永が消えた。いや違う。俺が退かされたのか。かわりに爲永の前に仁王立ちするナイトが視界の端に見える。なんで重要な話をしようとすると邪魔するかな。文句を言う前にナイトが口を開く。「全面的に協力を申し出よう」
しん、と沈黙が落ちる。
「協力? 何をだ」
「何を? 今まで何の話をしていたか忘れたのか? 僕の申し出はシンプルだよ。君の望みを叶えてやると言ってるんだ」 射殺しそうなほど冷たい眼光で相手を見下しつつ、ナイトは真逆の台詞を言う。「先に釘を刺しておくが、生まれ変わりなんて不確かなモノ、狙って召喚するのは僕には不可能だ。そこは自分の運命を引き寄せる力に期待するしかないだろうね。精々、神に縋るんだな」
待って。目の前の殺気と台詞の内容が真逆すぎて認識バグる。こっちは最初の衝撃から立ち直っていないのに性急な説明に目が白黒する。
沈黙がやけに長く感じた。様々な、本当にいろいろなことを考えたのだろう。暫くの間の後、
「恩に着る」
爲永が礼を言うのを初めて聞いた。
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