絶滅危惧種オメガと異世界アルファ

さこ

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薬の効果

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 扉を開けてくれたのは少年姿のガーデン君だった。


 病人に配慮してなのか室内の照明は薄暗く、そのせいでいっそう重苦しい気分にさせられる。心なしか空気も澱んでいるような気がしてきて、せめて一度深呼吸をするために引き返したいという衝動に襲われる。
 けどその前にベッド脇の椅子に座っていた人物が俺達に気付いて立ち上がった。秘書の金針さんだ。

 そっと部屋の中に足を踏み入れる。


『マドカの要望通り、モアサナイトには一端、席を外して頂きました。ですが時間稼ぎは長くは保ちません。その辺りはご了承下さいね』
「うん」
『返事がおざなりですね。心ここにあらずですか』
「うん」
 眠っているところを見るのは初めてだ。
 ──でも。
「眠っているようにしか見えないな」
 俺が思ったことを仲嶋が言う。
「うん……」
 腕には点滴のチューブが繋がれていて、口は酸素マスクで覆われている。それが冗談みたいに似合わない。
「これが危険な状態なら、まず病院に運んだ方が良いんじゃないですか?」
 そう金針さんに聞いたのも仲嶋だ。
『ああそれは私から』 すっとガーデン君が仲嶋の前に立つ。『地上の医者などに診せるより、このままここに置く方が良いと助言しました。当艦はアルファの病に関しての情報も豊富ですし、現在この世界で施されている最先端よりも先の設備と技術もございます』
「最先端には見えないけどな」
『よくお気付きで。ナカジマはいつも着眼点が良いですよ。実際のところ、この症状には医療は無意味なのです。治療は今のところ最低限に抑えてあります』
 ……今のところ? その台詞に引っかかりを覚える。いよいよ危なくなってから治療法を変えるのか?
「褒め殺しは勘弁しろ」 仲嶋は嫌そうな顔でガーデン君から視線を逸らす。「俺は医者じゃないから普通に起きない人ってだけに見えますけど側近の金針さんから見ると違うのかな。どうでしょう?」
 この状況で部外者から口出しされるのは面倒だろうに、話しかけられた秘書さんは嫌な顔ひとつしない。
「……普通とは言えませんね。異常事態です」 台詞の内容の割に落ち着いているが、表情には隠し切れない疲れが覗いてる。「これだけ人がいて代表が目覚めないという事態がまずありえません」
 仲嶋は首を傾げる。
「アルファって人の気配だけで眠れなくなるんですか? 小動物並のメンタルじゃないですか」
『ナカジマは丁寧に見えて口が悪いですよね』
「あー、すみませんね」
「いえ、構いません。代表がそうなったのはこちらにも責任があります」
「責任?」

 ──俺は眠る爲永の手を取ってみる。
 嫌だな。想像していたよりもずっと冷たい。握っても生き物らしい反応が返ってこない。

 金針さんが口を開く。
「……昔、一人の男性オメガが集団からの暴行を受け死亡しました。被害者に非はありません。加害者達はオメガが生きているのが許せないという理不尽かつ身勝手な理由で私刑を行いました」
「はい?」 
「痛ましい事件でしたがそれは一昔前にはごまんとあった日常の不幸です。ただ、他のケースと違っていたのは現場に居合わせたのがうちの代表だった事です。……この話はご承知でしたでしょうか?」
 仲嶋は肩をすくめる。
「多分、まどかなら知ってるんじゃないですかね。けどこいつ今、会話に参加する気が無いみたいなんですよね。全然、突っ込みが来ない」

 気がないんじゃなくて、余裕が無いん──だから、気が散るって。
 ──、失敗。

「そうですか」 特別、残念そうでもない声。「一応お聞きしますが、仲嶋さんは運命の番がどんなものかご存知ですよね」
 軽い笑い声。
「身近に実例がいますからね。それに俺、一般人なので」
「……一般人、ですか?」
「はい。こういうのって身近にアルファがいると逆に実感ないんですかね。庶民に好まれるお話のひとつですって。王族に見初められて継母姉を下克上する話とか、お忍びで諸国漫遊するご隠居の話に並ぶ、最近人気の題材。一般人ならよく知ってますよ」
「そういう意味でしたか。確かに人気そうですね。……けど私が最初に運命の番がどういうものか思い知ったのはその過去の事件でした」
「思い知らされたんですか? リンチで殺されたオメガに?」
「そのオメガは代表の運命の番でした。正確には番になるだった。──番になる前に亡くなった運命を一般的にどういう言葉で表すのか私は知りません」
「運命って意外とその辺りに転がってるんですね」
「そういう反応ははじめてですね」
「すみません。でも有り難うございます」
「は? ……なぜ礼を?」
「いや、俺は外野だからおぼろげにしか事情をわかってなかったんで。直接教えてくれて色々腑に落ちました」
『ナカジマ、』
「あー悪い、聞き流して。それは置いといて何で金針さんが責任感じてんです?」
「……当時はまだオメガへの迫害が酷かった。オメガひとりが亡くなったところで葬式もなく、人の死として扱われなかった位です。そんな中で代表の泣訴は誰もまともに聞かず、誰も信じませんでした。……今更後悔しても遅いのですが、あの時にもっと」
「当たり前では?」
「は……?」
「だって運命の番に出逢えるのなんて、何百万人かにひとりですよ? しかも世界中でアルファもオメガも絶滅寸前。運命どころか同族にすら滅多に会わないでしょう。こんな状況でアルファが俺は運命の番に出逢った。初対面で死んだとか言い出しても確率、おかしいですもん。俺だって信じない」
「……そう単純に数字で片付けられる問題でもありませんが。……ありがとうございます」
「うん?」
「その事件以来です。私は代表が眠ったところを見たことがありません」
「……。ああ不眠症か」
「あの日を境にこの方は人が変わりました。そういう意味でしたら、確かにあれは運命でした」
「人が変わった、ってのは悪い方向に?」
「いえ……両方ですね。良い方向にも」
「へえ?」
「意外に思われるでしょうが、アルファ協会を強引にオメガ支援の方向に舵を切り替えさせたのは代表です。この方の働きが無ければ恐らく今でもオメガへの迫害は強かったでしょう」

 ──駄目だ。それどころじゃないから我慢して聞き流していたけれど、つい会話が気になってしまう。
 部外者にそこまでぶっちゃけて良いのか? 金針さんって仲嶋に甘くないか?
 というか仲嶋、オメガになって人タラシが強化されてないか?

「そーなんですか」 真摯な打ち明け話を聞いた仲嶋はザックリ纏める。「まー、今は眠れてるし寝不足解消できて丁度良かったんじゃないですかね?」
 やっぱり他人事だよなもうちょっとさ……って、もー! 全然集中できない。
『これは平和な睡眠ではありませんよナカジマ。生命活動が緩やかに落ちていっています。このままでは目を覚まさない可能性が高い』
「……眠り姫は似合わないな」
『せめて王子様では』
 暢気な会話に苛立つ。

「まどか、気になってるならなんか喋れよ」
「……」
 なんで?

 なんで出来ないんだ?
 さっきから──部屋に入って爲永の手を取ってからずっと、俺は治療をしようと試みている。真剣だ。どう見えようが真剣だ。けど爲永に変化はない。何も起こらない。
 魔法の兆しなんてひとカケラもなく、どんな手応えも感じない。
 俺のしていることは結果的にはベッド脇で座っているだけ。──前はどうやって治してたんだろう?
 焦る。全っ然わからない。そもそもの根本が、どうして俺に治療ができたのか。あれって魔法なのか? 結論を避けていたってのもあるけど今まで深く考えた事が無くて、冷静に考えてしまうと何で出来たのか、訳が分からない。感覚でやっていたから再現出来ない。こうなるともう、とっかかりすらわからない。
 爲永を一心に睨み続けて頑張れば出来るモノじゃないってのは充分にわかった。けどこれは進歩なのか?

 それでも諦める選択肢だけはないのだけど。
 頑張りが全く実らない悪あがきを続けてどのくらい時間が経ったのかわからなくなった頃。

「飽きてきたな」

 仲嶋がボソッと呟いた。いや……だからなんでいるんだろう。
「だから戻ってていいよ?」
「あ、ごめんな。俺は俺で暇潰してるからお構いなく。でもまどかも何もしてなくないか? ──ハイハイ忙しいんだなワカッター。ごゆっくり」
「仲嶋が良くても俺が気が散るんだけど」

 くあ、と欠伸する仲嶋。おい聞けよ。あと可愛いから止めて。

 すると仲嶋はちょいちょいとガーデン君を呼ぶ。
「今良いか? 俺、オメガの事を聞きたいんだけど。初心者としての心得は知っておきたい」

 ここでまた気になる話題出してくるかな!?

 俺じゃなくガーデン君に聞いてるし!
『どうぞ、ナカジマ』
 それにしても前向きすぎないか? 自分がオメガに変化したと知ったばかりで? ……得体の知れない不安が胸に湧くけれど、今は後回しにするしかない。
「まずさ、発情したくない時はどうしたらいい? 抑制剤ってあるのか?」
 ……そうだよな。まずはそこは気になるよな。
『ご安心下さい。勿論ございます。ヒートは自分でコントロールできるものですよ』
「ふうん。じゃあ逆に誘発剤もあるってこと?」
『どちらもあります』
「見せてくれ。誤飲は避けたいし」
 請われたガーデン君は懐から二種類の錠剤を出す。
「……前振り無しで準備も無かったのになんで簡単に出てくるんだ?」
「まどかは自分の作業に集中してろよ」
『不思議ではないですよ。こういった薬は重要度が高いので常備しているだけです。水色の錠剤が抑制、ピンクが誘発用です』
 水色は楕円形、ピンクはハート型のタブレット。
「もし間違えて誘発剤を飲んだ場合は? 抑制剤で効果は相殺されるのか?」
「そういった時には」 また懐から瓶を出すガーデン君。「こちら、黄色の鎮静剤を飲むようにして下さい」
「信号機かよ。わかりやすいけどさ」
『ちなみに誘発剤と抑制剤の同時服用はお薦めしません。副作用がありますので』
「副作用? 具体的には?」
『身体の弛緩──喋るのも困難になり、しばらくはまともに動けなくなります』
「危ないじゃん」
「……面白いなっていう副音声が聞こえた気がするんだけど」
 つい口を挟んでしまう。
「気のせいだな。それって苦しい?」
『いいえ。後遺症もありません』
「ふうん」 なにかを考え込む。しばらくの間、沈黙してから仲嶋は口を開く。「思うんだけどさ、まどかは甘いんだよ。自分がオメガで相手がアルファならまず他に試すことあんだろ。間怠っこしい」
「……他って?」
 急に、なに。
「さっぱりわからんて顔」 苦笑。「ところでトルマリンは来てないんだな」
 集中しなきゃいけないのに魔が差したみたいに寂しそうな声でつぶやくからやっぱり無視できなくて、仲嶋を振り返る。
「仲嶋……トルマリンさんは──うえっ!?」
 変な悲鳴が零れた。

 仲嶋が無造作にピンクと水色の錠剤を口に含んだからだ。

「なにやってん──!?」
 絶句する。
 というか、絶句させられた──頭が真っ白になる。物理的に口を塞がれたから。
 唇で。
 ……なんでだ? 衝撃を受けているウチに舌が口内に押し込まれる。指でくいっと顎を上向かされて、更に混乱。ごくりと喉が鳴る。
「んう!?」
「ごめんな」
 耳元で謝るから表情が見えなかった。そっと顔が離れてく。

「なっ、ん」
 がくんと膝から力が抜けて崩れ落ちる前に少年の細い腕に支えられた。

『マドカ』
 へ?
 ……なんで立てなくなったのか自分で理解できなくて、重くなってきた首を巡らせて仲嶋を仰ぎ見る。
「りゃ、はひ」 喋ろうとしてびっくりする。舌がびりびりと痺れてうまく動かせない。ちょっと待て。薬の作用がこんなに早く出るなんて聞いてない。「ろ……ひ、れ」
「どうしてって、この手の薬は即効性があるものと決まってる。すぐに効かなきゃ意味がないんじゃないのか?」
 バカ、そういう意味で聞いてない。
「………………」
「あ。お前バカって言ったろ」
 よくわかるな。なにしてくれるんだ。人で薬の効果を試すな。呼吸はできるのが救いだよ。
「そんな恨みがましい目をすんなって」 に、と笑う。「まあ見てろ。こういうのは荒療治が効くんだよ」
 ……荒療治って。
 台詞の意味を考えている間に仲嶋はもう一錠、ピンクの錠剤を出してゆっくりと口に含んだ。ええ? 俺、まだ飲まされるのか? 身構えるけれど、力が入らなくて歯を食いしばることすら出来ない。けど、

 そのままごくりと呑み込んだ。仲嶋が、自分で。
『ナカジマ』

 え? 呆然として、
 はっとする。──しまった。
 遅ればせながら仲嶋が俺に薬を飲ませた狙いに思い当たる。
 だって、自由に喋れるなら俺はガーデン君に命令してでも仲嶋を止めるから。
「ら…………の……は……」
 俺の精一杯の喋りに、くくっと笑う。
「だからバカ言うなって」

 ともすれば閉じそうになる瞼を頑張って見開く。何をするつもりだ、なんて問う必要もなかった。
 だって、わかる。
 ──ぶわり、と拡がる、知らない香り。
 けど不思議と覚えはあって、何かに似ていると感じる。何だったか、わからない。けれど雨上がりの日の朝の光景が目の裏に浮かんだ。

 ──それが仲嶋の、オメガのフェロモンなのか。
 ああああもう……満足に身体を動かせていたなら頭を抱えていたと思う。

 やっぱり自暴自棄になってるんじゃないか!

 オメガのフェロモンはアルファの性欲を強制的に引き摺り出す。人類の中で頂点であるはずのアルファの唯一であり、最悪の弱点。
 ──アルファはオメガのフェロモンにはあらがえない。

 たとえ死に瀕していても爲永がアルファである限り、ソレで目を覚ます可能性はあるって──なんてこと考えるんだ!? お前いちばん関係ないだろ!
 誰か──救いを求めて、身体を支えてくれている少年を見やる。
 けれどその注意は仲嶋に注がれていて俺の訴えには全く気が付いてくれない。なんで!?
「あァ。口を出すなよ飛空艇。それよりもまどかを安全な場所に連れて行ってくれ」 仲嶋に釘を刺されたガーデン君は仲嶋の言葉に素直に頷く。げ……少年の華奢そうな見た目に反してガッシリと安定した力で抱えられて運ばれてしまう。コレ、仲嶋の台詞が命令として処理されたのか? その動きはいつもと違い人間味が無く、機械的だ。舌打ちしたい。肝心な時に俺の意を汲んでくれない。 部屋の外に出される──と思ったらそのままそっと後ろの椅子に座らされた。「……そこ安全なのか?」
『はい』
 仲嶋の方もガーデン君の対応に不満そうなのが笑える。いや笑えん。
 けど、それ以上、仲嶋が追及するような事はなかった。
「ここじゃなく、そ」
 ふいに黙りこみ、そのうちにぐうっと呻いてお腹を押さえて蹲ってしまう。

 自分がそうなった時のことを思い出す。
 ──刻一刻と外野に気を配る余裕が失われていくのだ。
 大丈夫なのか? 大丈夫じゃないよな。
 発情を客観的に見た事がないからヒヤヒヤする。相当顔色が悪い。唇震えてるし、色は紫だ。俺の視界は狭くて良く見えないけれど、仲嶋の額に脂汗が浮いているのがやけにはっきりと見える。
 だって無理矢理に身体に変化を起こしているのだ。苦しくないわけがない。
 ぶるぶる震える身体を抱きしめるよう、じっと固まったまま動かない──けど。ふー、と息を吐いた瞬間に雰囲気が変わった。見ているうちに明らかに肌に赤みが差してくる。じわじわ匂いがつよくなって。
 ……まずい。
 ふらりと立ち上がり、よろめく。覚束ない足取りで、それでも躊躇いなくベッドに身体を乗り上げる。死体のように眠っている男を跨いで見下ろす。
 ──さっき紫だった唇が、今は妖しく赤い。
 ど……どうしよう。いや大丈夫。大丈夫だ。こんなので目覚めるわけがないし。俺が頑張っても起きなかったし。怖い可能性を必死に否定しつつ、胸に拡がる嫌な予感は消えてくれない。もおおお──これで本当に爲永が覚醒した時には襲われるだけってわかってんのか? お前男に犯されるなんて絶対嫌だろうが後先考えなさすぎだろ。
 やめてくれ。誰かあいつを止めて。

 そうだ秘書さんなら!
 顔が動かせないから苦労して眼だけで姿を確認して──絶望する。
 ……知らなかった。ベータにもこれだけ効くのか、オメガのフェロモンは。

 はっはっはっ、獣みたいに短く荒い、息づかい。
 ぎらぎらと血走った目。
 まさかの金針さんが……ベッドに乗り上げた仲嶋の後ろ姿を凝視している。今にも涎を垂らしそうな表情──普段が理性的な人だから余計、そのギャップに戦慄する。
 唐突に動き出した。酔ったみたいに頭をぐらつかせ、欲だけが先立って身体がついて行かないみたいな、ゾンビのような不自然な動きで仲嶋の後ろ姿に向かって首を伸ばす。
 止まってくれ。
 願いも空しく、ゆっくりと腕を伸ばし、無遠慮に仲嶋の肩を掴んだ。ベッドから引き剥がして抱き寄せようとし──
 ガーデン君が足をかけて転がした。

 ええ?
 ……受け身も取れなかったと思う。でも派手な音ですっ転んだ後、はっとした顔には正気が戻ってる。

 そこで一瞬で状況を把握したのか金針さんは青ざめた顔でざざっと凄い勢いで後方に下がってきた。

 よ、良かった。
 金針さんは俺の傍に来て、泣きそうな顔で言う。
「……私はなんてことを。す……すみません」 そこまで恐縮しなくてもいいけど、肝が冷えた。「私では彼に近寄れません。止められません」
 ……そっか。
「あの……ちょっとトイレに」
 金針さんが前屈みだ。
 あ、どうぞ。
 声が出せないけれど気持ちで答える。……間が抜けたやり取りだな──なんて、思考が止まった。

 ぞくりと背筋に走った悪寒。
 これ──。

 瞼の裏に浮かんだ雨上がりの情景が掻き消される。
 匂いだ。
 ──これまでとは別の、フェロモン。番のいる俺にその香りは効かない。けれど否応なしにひれ伏させられるような、焼けるような圧力だけは感じる。

 そんな重圧を出せる人間なんて、ここにはひとりしかいない。
 視線を転じれば、横倒しになった点滴のスタンドと、放られた酸素マスク。

 寝台に横たわっていた筈の男が身体を起こしていた。

 仲嶋が押し倒されている。びくびくと抵抗してる姿は弱々しく、猛禽に捕らわれた小動物みたい。


 ──感情の抜けた瞳が獲物だけを映してる。


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