絶滅危惧種オメガと異世界アルファ

さこ

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ぐるぐる考えた

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 珍しいことに、甲板にいた。

 たぶん他の人だったら見落としていた。
 この船、どれだけ広いんだかな。ここからは甲板の先までは随分遠くて、モアサナイトの姿は小さく見えているだけだ。
 いやあ。よくあんなところにいるってわかったなあ。
 ガーデン君に居場所を聞いた訳じゃない。それでもすぐに見つけられた俺は、すごい。
 まあ自信はあったけど。
 自画自賛しつつ、いま俺の胸中を占めているのは後悔と──心配だったりする。うっかり見つけてしまったナイトからもう目が離せない。だって、地上を眺めて黄昏たそがれている姿にはいつもの覇気がない。
 もともと威圧感を出すようなタイプじゃないけど普段はもっとこう、無駄に存在感があるのにどうし──思わずびくっと固まる。
 急に顔を上げてこっちを振り返ったからだ。
 俺のいる場所をまっすぐ見つめてくる。

 最初の印象は勘違いか。強いオーラと眼差しにほっとしたような落ち着かないような、やけに自分の心臓の鼓動の速さが気になる。もしかして俺、緊張してるのかな。あれなんでだ? ……自問自答して、あー。
 恥ずかしい。ちょっと久しぶりだからって。
 息を吸って、吐く。
 普通に、普通に。平常心、平常心。と唱えつつ、なんとなく直視は避けて、ゆっくり歩いて近づいてみる。不自然だろうが、顔が見られない。隣に立ってからようやく相手を見上げた。

 ナイトはふわりと微笑んでいた。……その反応は想定外。
まどか
 俺の名前を呼ぶのが嬉しそうで、なんか、わかってしまう。
「うん」
「もういいの?」
 そう聞かれる。ムカついて逃げてたのは俺だけど、逃がしてくれてたのはナイトだ。気が済むまで好きにさせててくれてたんだろう。結局この人、懐が広い。

 手摺りに凭れると、そこからは地上の景色が一望できる。
 上空なんだけれど、飛行機からの光景とはかなり印象が違う。それよりは宇宙からの映像に近いかも。地球は青かった──ってやつ。
 だって、丸い。
 おかげで現実味がまるでないから落ちるなんて感覚すら遠く、怖くもなんともないけれど。地平線ってのは線だからちへいせんじゃないのか? なんなのかな丸って。これ地平丸──そうじゃない、もー……現実逃避は止めないと。なにを喋ればいいのか。いま脳が高速で空回りしてる。ナイトは眉を上げて俺の動向を見守っている。
「ナイトは怒ってないんだ?」
 結局口から出たのは考え無しな台詞だ。違った、怒ってたのは俺の方なんだってば。怒らせるつもりもなかったけど。
 ただ、それなりに原因を作った覚えなら、ある。だけどナイトは破顔一笑する。
「ああ……失敗した。駄目だよね」
「うん?」
「円を見ただけで嬉しくなってしまったんだ」
 一応怒ってたんだよ? と言い訳のように言う。
 とてもそうは見えない上機嫌。
 ……こっちも嬉しくなるけどさ。

 変なの。
「……なんでアルファとオメガだけがつがいなんだろ」
「うん?」
 思考から洩れた声に反応されて密かに驚いた。俺は馬鹿か。いまひとりじゃないのに。
「ごめん独り言が出た。気にしないでく」
「それどういう意味?」
 前のめりに問い詰められる。
「えっ、あーごめん。最近、変な癖がついたのかも。あの、ほら、別にひとりで喋っててもガーデン君から相槌が返ってくるからつい」
「ああ」 ナイトは口の端を上げる。「僕が傍にいないからって寂しくてそうなる円は嬉しいけれども」
「言ってない。そんなこと言ってない」
 ナイトはそうだね、とあっさり頷く。
「そもそも言葉が足りてないよね。説明して?」
 やんわりと、けれどなぜか感じる圧。せ、せつめい? 
「いや別に。アルファとオメガの伴侶は番って呼んで、ベータ同士は番とは言わないだろ? それが不思議ってだけで」
「うん」
 沈黙。
 おかしいな。圧が消えない。──続きは? という無言の催促に言葉を続ける。
「……だから。会う前から相手が決められてるのはアルファとオメガの番だけじゃん」
「決められている?」
「運命の番ってそういうものだろ?」 無意識にふて腐れた声が出てしまった。「……そもそも俺、運命って言葉が嫌いなんだけどさ」

 口に出してから後悔する。ナイトが無理矢理言わすから言わなくても良い事言っちゃったじゃないか。それが真意じゃないのに。
 ──ああ。結局、言葉が足りてないな。
 うまく言えない。

 正直なところ、俺は自分にモアサナイトという番ができても──いるからこそ、運命の番というモノを受け止めきれていない。
 俺にとってのナイトは特別だけれど、それは運命だからじゃない。
 でもいくら自分が違うと思っていても、それを証明する事だけはできないのだ。
 惹かれたのは理屈じゃない。
 けれど、それは運命で、自分がオメガだからアルファに惹かれたのだろう? って言われてしまえば反論できない。

 もやもやしてるのはベータとアルファの形を見せられて、あれが羨ましかったからだ。
 ベータとアルファでは運命にはなりえない──って事は逆に、その感情は自分で選んだって胸を張って言えるんじゃないか?
 運命って言葉は強い。問答無用で逆らえないようなその響きは自分の意思が否定された気がする。
 俺の気持ちは俺のものなのに。

 ぐるぐる考えてたら不意に眉間に指を当てられる。
 ふぁ?
 すいっと平らに伸ばされた。
「……ナイト?」
 見上げると瞳が苦笑してる。
「皺が寄ってる。円、そう拗ねないでよ」
「……拗ねてないけど?」
 ナイトはちょっと肩をすくめる。
「トルマリンが間違えるからいけない。円が惑わされることはないよ」
「うん?」
「アレは僕と同じで今までまともな番が出来た例しがないし、僕がずっと君を捜していた影響もあってオメガへの憧れが人一倍強い。だから自分も運命のオメガと」
「えっちょっと待って。なんでトルマリンさんの話だってわかったんだ?」
 ナイトはふと笑って手を滑らせて、今度は頬を包む。
「円の事ならなんだって知っている」
 あまい笑み。
 ええと。
 微妙にサイコな台詞を極上の笑顔で囁いてくれる。
 満更、嫌じゃないところが困るな。というか……くっそう。
「トルマリンさんの間違えって?」 ぜんぜん意味がわからない。ナイトには俺の考えが筒抜けなのに、こっちはツーカーできてないのが悔しい。「……ベータを選んだこと、じゃないよな」
「逆だ。アレの敗因はああなるまで自身の気持ちに気付けなかった事。その一点に尽きるよ」
「へ」
 ぽかんとして相手を見つめてしまう。するとナイトは彼にしては行儀悪く鼻を鳴らす。
「どうせ初めから選んでた癖に欲求に無自覚だからああなる」
 ああ? ……ああ! 無自覚。チャラい人だけど、そこにすごく納得した。うっすら感じてた違和感に答えを見つけた気分。
「……確かにあの人、自分の感情には鈍感だわ。っくく」 なんかじわじわ来る。不器用か。笑ってしまう俺にナイトが微笑む。指が頬から伝って耳に触れる。──まあその。後から考えれてみれば、否定されなかったのを気を良くして少し得意になっていた。「トルマリンさんって他人の事に目端が利くよね。あの人がベータの見分けがつかない訳ないんだよな」
 けどあんな風に煽ったりするから失敗する。
「よく見てるね」
「そうでもない。ただああいう人、嫌いじゃないんだよな……うん。全体のことはきちんと視えているってのに肝心の自分を等閑なおざりにしちゃって足下が見えてないところが、嫌いじゃない」
「ああ。それはアルファにはありがちな事だ」
「アルファも」 くすぐる指に目を細める。「間違える?」
 くすぐったい。
 ナイトは片方の眉を上げる。
「それはもう、たくさん。円は知っているだろう?」
 ──? 目の前から地球が消えた。視界が変わった、その疑問を感じる間も無く次の瞬間には腕の中に抱き込まれてる。満足げな吐息が耳に届く。
 ……え。
 なんでそうなる? 行動と話題の関係、無くないか? けどナイトは普通に話を続ける。
「理解したつもりでいても実際に体験しないと実感できない事は多いよね。だからあの放送は青くて恥ずかしかった」
「たいけん? 放送、あおい?」
 思考がついてこなくてオウムみたいに台詞を繰り返してしまう。
「トルマリンはオメガという枠に捕らわれていたから相手を怒らせたんだ。自分の特別にバースなんて関係ないのにね」
 もやっ。
「……本当に関係ないか? 自分だって同じだろ」
「円? どうしたんだい」
「別にぃ。運命のオメガが欲しくて異界を渡ってきた人がよく言えるよなーってちょっと思っただけ」
 どうしていま腕に抱き込まれてるのか? って些細な事よりも台詞に突っ込みたい気持ちの方がまさってる。
「それは心外だな」 ナイトは俺の怒りに気付いただろうにまるで動じていない。はぐらかされたのかと顔を上げると思いがけずに真摯な目が俺をみてた。「ねえ円。僕は君がオメガだから運命なわけじゃないし、運命だから愛しているわけじゃないよ」
 つい皮肉な笑いが洩れる。取り繕うように言われても。
「なにそれ謎かけ?」
 ムッとした事を悟られたくなくて意味がわからないフリをして腕から抜ける。抜け──抜けようとして、身体が全く動かせなかった。 ……う?
「最初は君を見つけた、それだけで嬉しかったんだ」
「ナイト?」
「だって僕は君をずっと捜してた。運命がいるのははじめから知っていたよ。僕は欠けているから」
「……欠けてる、って」
 淡々と、鼓膜に響く声には熱が籠もっている。……やだなあ。
 考えないようにしていた事がどうしても頭によぎる。この人は一体どれだけ必死に捜し続けてきたんだろう。それだけの価値が俺にあるか? ──それを考えても意味はない。

 オメガが消えるこの世界から、ナイトはもう帰れないのだから。

「けどごめんね円」
「……どうして謝るんだ?」
 ひやりと背筋から悪寒がのぼってくる。彼を引き寄せたのは俺かもしれない、なんて考えに思い至ったから。
 ずっと──乾いててた。ずっと辛くて、焦がれてた。そんな自分を自分が知らなかったけれど。ナイトに会えて、俺は今まで孤独だったんだと気が付いた。だって、満たされた事自体がはじめてだったのだ。無意識に求めて引き寄せたんじゃないのか? ──が本当に欲しかったのは俺の方だ。だからナイトはこんな世界に堕とされたんじゃないか? 俺──
「君はすごく遠くて。星より遠くて、迎えに来るのがこんなに遅くなってしまった」
「そっち?」
「?」 不思議そうなナイトに何でもないと首を振る。「出逢えなかったからその間、想像だけは沢山していたな」
「……夢みがちな乙女みたいな」
「乙女?」
「いやごめん乙女は無いか。無いけど」
 混乱。妙な表現が口から出る程には混乱してる。これ一歩間違えると危ない人じゃ……一歩も間違えなくても駄目な人だな。
「想像してた僕のオメガは綺麗で儚くて、僕が守らなきゃいけない存在だった。出逢う前から君に恋してたとも言えるね」
 ……。
「ごめん。そんなひとは知らないからやっぱり人違いだったのかも」
「円のことだよ?」
「俺は綺麗で儚くはないよ」
 ナイトはまじまじと俺を眺めてから首を傾げる。
「そんなことはないよ」
「ナイト大丈夫か? 理想に近づけたくて色眼鏡で番を見てないか?」
「……円は冷静だな」
 つい突っ込んでしまう俺にナイトは複雑な表情だ。口元がぴくぴくしてる。……期待外れで悪かったな。このままだとそういう余計なことを口走りそう。てか既に口走っている。
 ……あーもう! さっきから調子が狂ってる。らしくもなく! ぐるぐると!
 なんでだろ。そもそもくだらない喧嘩になる前に今すぐここから離れたいのにすっぽり抱き込まれているから大人しく耳を傾けるしかないのがいけないんだ。ナイトは身体を堅くした俺の背中を撫でつつ更に引き寄せる。

 密着した胸からくつくつ笑いが伝わってきた。
「うん、円は不満だよね。可愛いなあ」
「そりゃ……はあ?」
 
「実は出逢った君は僕が長年願って想像していたとおりで驚いたな。でもすぐに違うって思い知った」
「馬鹿だろ」
「ばか?」
「がっかりしたんだろ? わかるよ。でもな。ナイトは理想と現実は違うって事を思い知るべきだ。断言しても良いけど思い描いた理想の番なんてどこを捜しても存在しないよ。どの次元を越えたって無理だから」 見上げた瞳を睨みつける。「だから俺で我慢しろ」
 急にぎゅうっと腕が締まったから息が苦しくて眉間に皺が寄って口がへの字になる。そんなに不服かよ。譲らないけど。
 けどナイトはひとを抱いた、そのままへなへなと脱力する。それから深い、深い溜息をついた。
「まったく、想像なんて現実に追いつかないものだよね。現実の君はとてもオメガというひとことで言い表せるモノじゃなかった。そもそも全然強くて強情で思い通りにならないし」
「……なにぼやいてるんだ?」
「でもそこが好きだ」 急に復活して覗き込むからびくっと引く。「思うんだけど、僕らオメガとアルファはベータよりも動物に近いだろう?」
「……斬新な意見だな」
「そう? どうして?」
 瞳を細めて甘い笑み。いやそんな風に雰囲気を出すシチュエーションじゃないから。
「どうしてって……アルファって、人としてのプライドがいちばん高い種族のイメージが強いし」
 歴史上、長いことオメガが見下されてきたのだって、ケモノみたいに発情するからだ。
「ふうん。そのプライドとやらに意味はないんじゃないかな。僕らはより原始的だからこそ、自分と形の合う相手を捜す能力が強い。それは強みだよ。運命ってつまりそういうことじゃないかな」
 なにがそういうこと? ……と聞きかけて、それがさっきの応答の返事だと気が付く。
 ……。
 律儀だな。……いや。そうじゃないか。

「ありがとな」

 ナイトは片方の眉を上げる。
「僕は君に感謝されるような事を言ったかな?」
「だってナイト、さっきからワザと俺が突っかかる様なことを選んで言ってるじゃん」
「君は煽られて感謝するのかい?」
「白々しいんだって」 どすんと頭を相手の胸にぶつける。勢いつけたのにびくともしないし。「……不満を吐き出させてくれたんだろ」
 不満というか、不安か。俺の指摘にナイトは苦笑する。
「心にため込んでおくのは良くないからね」
「……まあスッキリはしたけど」 上目遣いに睨む。「何か手のひらの上で転がされてる気がしてちょっと悔しい」
「心外だな。いつだって君に振り回されているのは僕の方だよ」
「嘘つけよ」 まったく。くくっと笑う。「俺、わかった」
「なにを?」
「俺、ナイトが運命だろうが運命じゃなかろうがどっちでも良いんだ。出逢えたのが全てだし」
「……うん。そうか」
 変なの──ひとの事を儚いとか言っておいて、自分の方が余程儚げに笑う。


 ◇ ◇ ◇


 で、である。

「あの、ナイト」
「うん」
「なんで離してくれないんだ?」
「何故離さないといけないのかな?」
 疑問に疑問を返された。
「……俺はもう言いたいことは言って気が済んだんだけど」
「うん、それは良かった」 宥めるように人の髪を撫でる。「でも離したくないんだ」
 えー……? 暖簾に腕押しな態度のナイトに言っても埒があかない。仕方なく強引に動く──が、どうやっても全く、腕から抜け出せられそうにない。なんで離してくれないんだ? と考えて、唐突にさっきまで見てた光景を思い出した。トルマリンさんにやんわり腕を掴まれていたままの仲嶋。掴まえた相手を逃がさないように必死だった。
 ……。

 主従で行動、同じかよ。

 穏やかな口調のままナイトが言う。
「それにまだ話は終わってないよ。円だって怒りの元々の原因は解決していないだろう?」
「え。俺は怒ってないよ?」
 そもそもナイトから逃げていたのは他に手段がなかったからだ。話し合いが平行線になった場合、そうでもしないと俺の方が不利だ。せめてほとぼりが冷めるまで、いわゆる戦略的撤退。……別に後先考えてないわけじゃないから。ホント、時間が欲しいだけだから。
 でも今、ナイトは『円』って言ったな。

 つまりナイトの方はまだ怒ってる、と。

 けど、そうだよな。さっき本人が言ってたんだった。聞き流してた。そっかー。……うん。
 ……まずい気がする。

「円の役割は終わったんだよね? アレには用件を伝えたんだから」
「は。アレって? 用件?」
 なんだっけ。
「円、宣言してただろう? アルファを増やすと。それは構わないんだけど、円がこの世界のアルファと協力する必要はないよね?」
「この世界のアルファって。ああ」 ようやく何の話かわかった。しかし……か。あくまで個人名を口にしないという強いこだわりを感じるんだけど。そこまで嫌いか。
爲永ためながさんとの話なら全然終わってないよ? まだ始まってすらいない、し……ナイト?」
 もー。名前を出しただけで空気が不穏になる。
「円はまだ奴に会うつもりなのか」
「そりゃ、とうぜ」
「君が出て行くことはないよ。僕がかわりに会うから良いだろう?」
 ナイトの口調は柔らかい。けれど。
「聞けないよ。だいた」
「これから話し合いがあるとして、円が入る必要はないよね。もっと言えば君の出る幕はない」
「あのさ。そうやって人の台詞遮る時点でナイトは冷静じゃないだろ。そんな状態で爲永さんと単独で会わせられるかよ。どっちも何するかわからないから怖いもん」
「君は彼を庇いすぎじゃないかな。それに、忘れてるんじゃないかな? ……何度殺されかけたと思ってる」
「そういう問題じゃ」 はっと我に返る。「だからこれ蒸し返してどうすんのさ」
 こういう会話は以前にもやった。
 状況が前と変わってるから全く同じ会話じゃないけれど中身は同じだ。
「……」
 ナイトから返事は返らず、かわりに背中に回っていた腕がより締めつけられる。ふあ、とした匂いを吸い込んで、うん?と思う。俺には花に似た香りに感じるもの──番のフェロモン。さっきまでは気付かなかったのに。そりゃ密着していれば匂うのは当然か。何で今更気になったんだろ。まさか出し入れ出来るのか? 違うよな。自分がアルファの生態をよく知らないのが不安を誘うこれ……いや。それより会話、続き。
「言っとくけど止めても」
「止めても無駄なのはわかってる」
「もー……またひとの台詞を遮るし」
 けど続いた言葉に芽生えかけた反抗心も失せてしまう。
「せめて少しだけでも安心させてよ。君を離したくない」
 そんな、明らかにムッとした声で。……まったく。
「俺。ひとりで行くって言ってないけど?」
「……」
「大丈夫だよ。知ってるか? 俺の番は強くて頼りがいがあるアルファなんだ。何があっても守ってくれるから俺は全く心配してないんだけど」
 照れくさいのを我慢して言ったのに、反応は無いし拘束は微塵も緩まない。
 ええ……? むなしい。
 ……。
 離して欲しいなこれ。その──はやく。
 こうして密着していると微かに、背筋の辺りからじわりと迫り上がって来るような、何かがくる気がする、予感がある。ような?
 気のせいだな。だって今までなんともなかったし。
 けどそれは収まったり、無視できくなくなったりの感覚が波のよう。いや。多分気にしすぎだろう。焦るな俺。

「…………不安なんだ」
 と──ぽつりと洩らされた言葉がずいぶん心細さそうで、びっくりする。
 甲板の上だけどこの船は全体に空調が保たれている。空気は流れても、吹くのはそよ風でしかない。だっていうのにナイトがすごく寒そうに見えたから自由に動く腕を相手の背中に回して抱きしめてさすってやる。
「大丈夫だよ」 繰り返したけれど、あまりナイトの心には響いてくれないみたいだ。そんなに心配か? そりゃ確かに殺されかけたけどいま生きてるし……駄目か。冷静に考えたら駄目だな。でも──それでも。抱く力を強くする。「俺は爲永さんって怖くないんだよ」
「……ふうん」
 ほぼ無言なのに怒りが伝わってくるってどういうこと。背中を宥めるようにさすってやっても身体が硬い。オーラが。
「だから怖いって。ナイトのが怖い!」
「……」
「嘘だから嘘! 真に受けてショック受けた顔すんな!」
「ごめんね。でも円、僕は奴のことに関して冗談は通じないと思って?」
 堂々と狭量だということを宣言してくれる。いっそ潔い。
「……けど平気になったのって、ナイトが来てくれてからなんだよ。俺、前はあのひとが怖かったもん。番がいると強くなれるものなんだな。それともこれナイトが俺の運命の番だからなのかな」
「……」
 ぺらっと喋ってから失言に気が付く。
「ごめん。頼りすぎだよな」
 するとくっと笑われた。それでもまだ離してくれる気配がない。

 しばらく経ってから、ナイトは溜息を吐いてからつぶやく。
「運命の番になりえる相手はひとりとは限らない」
「……うん?」
「これまで円と奴が接しているのをみて確信した。運命は相性だと言っただろう? その線で考えるなら円は奴との相性はおそらく相当高い」
「は?」
「奴も円の運命の相手なのかもしれない」



 台詞が予想外すぎた。それをどう捉えて良いのかわからず、しばらく呆けてしまう。密着しているせいで背筋からくるぞくぞくの波を三回やり過ごしたぐらいにはたっぷり沈黙してしまった。
 奴って爲永さんか? 運命って運命の番の運命のコトだよな。
「……へえ。そうなんだ」 受けた衝撃をなんとなく隠したくって平静を装った相槌を打つ。装えてるかどうかは兎も角。「その相性ってナイトと張り合えるぐらい?」
『私が必要ですか? ええ。数字のことなら私の出番ですね』
「あ? ガーデン君」 また急に会話に入ってきて。今ここに天井がないから声って足元から聞こえてくるんだな。……って数字?「は? ちょ、ちょっと待って」
『モアサナイトが100%、彼との相性は80%程になります。この数値は凄いと思いませんか?』
「……はちじゅ? 爲永さんと俺が?」
「高すぎる」 理解が追いつかずに呆然としてたら地獄の底から響くみたいな声が聞こえてビクッとした。「予想以上だ」
『ええそうでしょう? これは正に天文的な確率と言えますよ』
 ……おい。飛空艇は空気読めないと墜落するよ?
「ええっと、それならナイトの方が高」
「当然だろう? 僕の方が円に合っている」 やんわりとした口調で、けど相変わらず台詞を被せてきたところから苛立ちが伝わる。「そうか……円が僕より前に奴と会っていても何事もなかったのは、奴が別の運命に先に出逢っていたからなんだね」
「あ。なるほど」
 普通に感心してしまったが、
「ふうん。円、そういう反応で良いの?」
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「逆、って?」
「だってアルファは浮気してオメガを捨てるんだろ?」
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 ナイトは苦々しげに何事かを早口で口走る。珍しく母国語を使っていたので俺は意味を理解できなかったけど多分、悪態。
「俺はモアサナイトしか選ばないのに疑うからだ」
「……選ばないじゃなく、君はもう俺以外をないんだけれどね」 知ってる。オメガとはそういう生き物だ。「円は後悔してる?」
「怒るぞ」
「──ごめん」
 番を得たオメガは生涯その相手しか愛さない──捨てられようと相手が死んでも他の人間には靡かない。どうしてそうなってるのかは俺は知らない。知らないけど、うなじを噛まれるとその相手のことが魂に刻まれるんじゃないか?
 反面、番のアルファの方には何の縛りもない。アルファが番のオメガを捨てて他へ新たな番を作るなんてのはざらにある話。それはアルファがアルファだから仕方がないと思う。オメガの番は絶対に裏切らない。多分、裏切らない相手なんて闘争心が強いアルファには物足りないのだろう。アルファなんて特に刺激を求める人種だし。落とした途端に相手から興味を失うってタイプの人間はベータにもいるし。だから疑う権利があるなら俺の方だし。

「けど僕は円を裏切らないよ。この世界には他に惑わす相手もいないしね」
 ……ふうん。
「へえ?」
「まどか?」
「ナイトは他にオメガがいたら惑わされるんだ? へえ」
「……それ、は」
 ナイトが震えてる。俺、そんなに恨みがましい顔をしていたか? まあ浮気されるとは微塵も思ってないけど。実際そうなったら自分はどうするだろ……思い描いこうとして、想像が真っ暗で思考が拒否された。ああ……なんだ。俺も大概だな。
 どんな顔してるかと頭上の男を覗き込む……が。
 腰が引けてると思ったのは誤解だった。顔を背けたナイトをよくよく見てみたら、笑いを堪えてて──嬉しそう。むっか。さっきから、人の反応窺ってからかうのは悪趣味だろ。

 顎をあげて文句を言おうと開きかけた口に、唇が合わさる。「違っんう」 キスするつもりじゃなくて! けど抗議は声にならず、顎を抱え込まれたまま舌が口に割り込んでくる。
 びくっと大袈裟なくらい痙攣してしまった。
 くっそ……あっさり陥落したことを誤魔化したいのと、変な対抗心で自棄になって積極的に舌を絡めてみて即、後悔した。自爆だこれ。
 独特の花のようなあの香りに酩酊する。
「っ、ふ。う……」 くちゃっ、ちゃ、と口の中から響く水音が鼓膜に突き刺さって、ぞくぞくする。「やっ、ばっ──」
 バカやろう! 気持ちは怒鳴りつけてるのに身体はただナイトに縋り付く。こんな風に流されるのは嫌だ。けど脳の抵抗空しく身体の方はくたりと全身から力が抜けていき、反比例して背筋の上からぞろりと湧き上がってくる何か。うなじ、が熱い。頭ぐらぐらする──おれ、なに考えてたっけ?
「……あ。ためながさん」
 早くこの件を片付けたいのにナイトを目の前にするといろいろ後回しになる──っていうか忘れちゃう。ような? うやむや、よくない。
 と俺は頭の隅に残った冷静な部分でひとり反省会をしていたので今、自分が決定的にマズイ台詞を口にしたんだって事にまるで気が付かなかった。
「……ふぁ?」
 ぶわっと目の前が色に霞む。色。何色、とかじゃなく──視覚が色に染まった。噎せるほど色濃い香りに無理矢理押し流される。コレ。叩きつけるように放たれたフェロモン。
 なんだっけ……ナガサレルって? ああ、理性だ。



「ねえ」
 髪に指を絡めて引っ張る。
「いたた、円、ちょっと痛い」
「ね、にゃい……にゃ」 んん? 自分の言葉に首をかしげる。俺は猫かよ。「にゃ……いと。……な、いと」
「……ぐっ」
 急にナイトが口を押さえて呻いた。なん? うまく口が動かせなくって舌足らずになってしまうのが、もどかしい。なんでできない? わからん。それでも呼びたくて、呼ぶ。
「ないと」 へんじ、待たずに呼びかける。「ナイト」
 満足。うまくなってきた。
「うん」 顔が近づいて、唇が触れる距離で囁く。「もっと呼んで?」
「ナイト、だいすき」
 ふ、とナイトは吐息を吐くように笑みこぼれる。
「ご機嫌だね」
 ナイトの方こそ機嫌良く、首の後ろを撫でてくれる。
「気持ちいい?」
「……きもちいー」
「爲永は?」
「んっ?」
「ねえ円、のことはどう思ってる? まさか彼のことも好きなんて言い出さ……なんでふき出すの」
「そこか」
 けらけら笑っていたら憮然として顔を逸らす。拗ねた?
「……案外、君、正気だよね酔わせたのに……そうだよな。円は円か……痛たた悪かったって。髪、引っ張らないで、ね?」 やんわりと髪を握ってた手を外される。むー。「どうしたの円、怒ってる? だってリミッター外れて素直になった円に聞きたかったんぷ」
 喋ってる途中で唇で口をふさいで舌をからめる。ナイトは硬直。呆然とした後、はっとして急に積極的に応じてくれるけれど、俺の方はすっかり満足したので顔を離す。
 向こうは知らん。
「……円、もうちょと」

「まもらなきゃいけない人」
「え?」
 ぽかんとしてるから、またおかしくなってきた。くくくっと喉が鳴る。「おれたちが、守るんだよ。アレが最後の希望だから」
「は。奴が希望だ?」 眉間にすっごい皺が寄ってる。脊髄反射? からの、戸惑いの顔。「……君が守るの?」
 呆けた顔におでこを合わせて微笑う。
「知ってるか? 俺はナイトとなら出来ないことはない。きっと面白くなるぜ?」
「……」 ナイトは溜息。「あくまで関われと言うんだね。アレを助ける理由も、ましてや守る必要なんて、全く、全然、ないと思うんだけど。ああわかってるよ……どうせ僕は円には逆らえないんだ」
 ふうん。
「巻き込まれて後悔してる?」
「……いいや」 機嫌良く、なぜか抱き上げられた。「喜んで?」



 この後どうやら俺はベッドに運ばれたらしい。

 というのは後から理解したコトだ。状況から想像することしかできないんだけれど、おそらくナイトに溜まっていた鬱憤をぶつけられたんじゃないかと思う。

 あやふやなのは酩酊していて記憶が飛んでいるからだ。オメガだからなのか、それとも俺が特別フェロモン酔いに弱いのか、真相はわからないけれど。でもこの仕様が便利だなと初めて思ったよ。仕返しされたってぜんぜん平気だから。だって何も覚えてないからな。

 覚えてないから。

 ──。
「ほら、円、泣かないで。……ね? うん? だいじょうぶ。オメガはこれで丈夫なんだよ」 ちろりと目尻を舐めた舌がするりと降りてきて唇を舐める。「欲深いアルファの全部を受け止めないといけないからね。ほら──もっと頑張れるだろ?」

 覚えてないから!

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