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爲永の過去
しおりを挟む混乱している間にもエレベーターは下降を続ける。
「えーと……そしたら爲永さんは知り合いでもない人の骨を肌身離さず持ち歩いてるんですか?」
疑問がそのまま口に出る。
「……」
答えないし。
「ひょっとして、呪術的な何か」
「俺がお前の質問に答えてやるメリットがどこにある? この状況で人を挑発してくる無謀さには感心するな。オメガはそんなに馬鹿なのか」
──話しながら考える。迎えが来るまでにはどれくらいの時間がかかるんだろう。トルマリンさんはエレベーターのコンソールは操作できると言っていたか? けれど今現在、箱の下降は止まってない。つまりあちらからは操作できない? なぜ。箱から降りてしまったから細工が出来ない、のかな?
この箱が下に届くまで何秒かかるのか。それがまた地上に引き返して、再び地下に降りてくるまでには何分か?
……とにかく長いよな。わかるのは、助けはすぐには来ないって事だ。
時間に意味は無いけど。爲永がその気になれば俺を殺すのに秒いらない。
まあいいや。
「回りくどいです」
「あ?」
「そもそも爲永さんがらしくないんですよ。嫌なら初めから何も答えなければ良かったじゃないですか。聞いたら答えるからつい聞きすぎたんです。中途半端に答えて止めて、なんなんですか。本当は話したいんじゃないんですか? 俺に言いたいことがあるんでしょう?」
「ない」
「嘘ですね。絶対文句はあるはずじゃないですか。裸にしてごめんなさい」
ガン、という音と共に箱が再びぐらぐら揺れる。
──エレベーターを蹴られたのだ。
揺れが今まででいちばん酷いんだけど! 怖い。近くにあったモノに必死にしがみついて目を瞑る。
これが藁をもつかむと言うコトか──よく見ればそれは腕で、縋り付く相手なんてひとりしかいない。けど選んでられるか。
「じ、自分も揺れるのになんで蹴るんですか」
「……顔を真っ青にして腹に力が入ってない状態で悪態をつくな馬鹿野郎。離せ」
「ゆ、揺れが止まったら離します。てか安全装置は働かないんですか! これ」
「へえ? ここで停止して欲しいのか」
「嫌だ」
「そういうことだ。これの場合、途中で止まる方がリスクが高い」
チン、と音。
エレベーターから降りて、へなへなと座り込む。ああ……動かない地面は良いなあ。そういえば地上に降りるのが久しぶりじゃないか?
地下だけど。
ガツッ、鈍い音と共に衝撃が襲い、一瞬だけ意識が飛ぶ。
目を開いたらのっぺりとした床の面が目の前にあった。
ああ──背中を蹴られたのか。
そう理解するのに時間が掛かった。こういうとき、痛みより先に驚きが来る。
身体をひねって頭上の相手を睨もうとして、びきんと背筋にすごい衝撃が走ってあっさり断念する。
蹴られた背中を踏まれてる。急速に気力が抜けてく。
暴力に会うと人は萎縮する。……俺は、それが人より強いんだと思う。
だってガタガタと震えが止められない。いま偉そうなことを言っていたくせに、怖くてもう何も考えたくない。
さっきは首を絞められかけたっていうのに今の方が恐怖を感じる。なんでだろう。
向けられているのは明確な悪意だからだ。たぶん爲永はこれで終わりにはしてくれない。理不尽な暴力は嫌だ。次はどこを蹴られるのか、痛いのは想像もしたくない。嫌だ。次に来る攻撃に耐えられるよう、せめて身構えないといけないのに、それすら身体が思うように動かない。
情けないなあ。
沈黙。
どんな顔してるんだろう。みっともなく震える俺を嘲笑っているのか、爲永にはそれすらなくて、無表情なんじゃないかと思う。
なんだか……それは悲しいな。
自分の為じゃなく。
恐れた衝撃はいつまで待ってもやってこなかった。
「やめろ」
爲永が言う。
……なにを?
「お前を見てるとどうしても考えるから嫌なんだ。──俺のオメガもそうやって怯えて震えていたのか?」
俺は床に蹲ったままでその声を聞く。どうして爲永の声が震えてるのか。俺のオメガ?
足が退かされる。
……いいのかな? おそるおそる、床に手を突いて起き上がる。ずきんと背中に響いたけれど、動ける。そのまま床に座り込んで、爲永を見上げて吃驚した。想像したような無表情じゃなかったから。
苦しげに顔を歪めている。視線はこちらを見ていながら、見ていない。どこか別の所を見ている。
ここではないどこか──。
「……オメガに対する集団リンチ」
「は?」
「お前もオメガなら聞いたことぐらいはあるだろう」
「それは……あるけど」
寒気が走る。怖気立つ、と言ったらいいのか。
爲永はなにを話そうとしているのか──聞きたくない。
オメガが人々の憎悪の対象だった時代はそれほど過去じゃない。けれど『あなたは幸運だ』と言われる程度には昔のこと。
オメガへの弾圧が酷かったのは俺が生まれる前だ。
──今ではそれが異常な集団心理だったと分析されている。
当時を知っている人間はまだ結構残っている筈だけど、その詳細を語ってくれる人は意外なほど少ない。間違えた過去に蓋をして無かったコトにしたい心理はわからなくはないけれど。
だから俺はよく知らないのだ。数少ない追憶の手記は読んだけれど、気分が良い物じゃなかった。
過去に行われたオメガへの私的制裁。通称オメガ狩りで集団から暴行を受けたオメガは──殆どのオメガは俺と同じように暴力に耐性が無い。長くは保たなかったそうだ。
手記に書かれていたのは、オメガはちょっと突けばすぐに死んでしまうこと。制裁は張り合いが無さすぎて楽しくなくて、正義感がなければとてもやってられないものだったということ。……被害者にとっては苦しみが長引かないのはせめてもの救いだったのかもと思う。
リンチを煽動したのも、参加したのもベータだ。アルファはほとんどいなくなっていたから。
「俺がほんの子供の頃まではオメガが殺されるような事件はまだ残っていたんだ」
相槌があっても無くても構わないのか、爲永は語り始める。
「中学の下校時だった。数人のベータが誰かを暴行をしている場面に出くわした。ああ。そんな些事、普段の俺なら気にも止めない。その時も無視してやり過ごすつもりだった。──あの時代の空気が異常なのは承知していたが、俺にはどうでも良かった。ベータの馬鹿さ加減にはうんざりしていたがな」
感情のない声で淡々と喋る。
「なのにその時は考えるより先に身体が動いた。いや……動きそうになった。よくよく考えて思いとどまった。誇り高いアルファがアホどもの仲裁だなんて馬鹿げてる。本能には従わなかった。ずっとそう教えられていたからな──アルファは、理性は本能に負けてはいけない。全く──本能よりつまらない教えの方を無視すれば良かったんだ。本当なら助けられたはずだったのに」
「……え」
「一度通り過ぎた。それでも気になった。どうしても無視できなかった。俺は結局走って同じ場所に戻った」 そこで言葉を切って、爲永は暫く沈黙する。「けど駆けつけた時には手遅れだった。オメガは脆い。……ただ最期に目が合った」
傍観して、見捨てようとして、それが出来なくて、助けに入ったけれど間に合わなかった。
オメガがそれだけ脆かったのか。
……違うと思う。それだけの悪意を向けられたらオメガじゃなくても耐えられないんじゃないか?
「コレが事切れてから自覚した」
手のひらの中のペンダントを眺めながら言う。聞き返すのが怖い。なのに、聞いてしまう。
「……なにを、自覚した?」
「こいつが俺の運命の相手だと」
──ああ。
「……爲永さん」
「年上の男だった。顔だって腫れきって崩れていて、それ以外は判別できなかった。けど俺にはわかったんだ。いま命を失くしたソレが、俺の運命の番だと」
過去を淡々と話す爲永が怖かった。俺はその光景を想像するだけで血の気が引いていく。もし自分だったら? やっと出逢えた運命の死ぬ瞬間に立ち会う? そんなの耐えられるもんか。
「うちは代々続いたアルファの家系だったが、もう本物は俺しか残っていなくてな。家族にも親族にも否定された」
「……」
「唯一の期待のアルファが、顔も崩れてわからない死んだオメガを自分の番だと言い出したんだ。とうとう俺も呪われたと騒がれたな」 長く、深い溜息。「理屈じゃないんだ」
「……わかります」 迷ってから続ける。「けど俺は、番を失って苦しむのはオメガだけだと思ってた」
アルファはオメガを捨てても生きていける。──少なくともモアサナイトに会うまでの自分はそう信じてた。
「ここの空洞が」 爲永が自分の胸を押さえる。「何をやっても埋まらないんだ。それどころか、時が経つほどにひどくなる」
「……」
「俺にはコレとの思い出なんて、ひとつもない。コレがどんな人間だったのかなんて知らない。元気だった頃の姿も見たことがない。声すら聞いたことが無い。……なのに、どうして俺はそのことを惜しいだなんて思わなきゃいけないんだ? どうして喪失感が消えない?」 乾いた笑い声。「確かにこれはオメガの呪いだ」
彼の気持ちは俺にはわからない。わかるだなんてとても言えない。
俺はアルファではないし、運命の番に先立たれてはいない。モアサナイトだったらきっと、俺がどうしようもなくなる前に助けにきてくれる。
爲永は憎んでいる。それは出会った時からずっと感じていた。
「……あなたが憎んでいるのはオメガだと思ってた」 けど話を聞くうちにその対象が解らなくなる。「爲永さんは何を憎んでるんですか?」
「なにを? ハッ……ハ、ハハハッ!」
気違いじみた笑いを収めて、爲永は静かに呟く。
「全て」
「そんなの……」
立ち上がる気力もなくなって項垂れる。あんまりだ。じゃあ爲永の中の空白は決して埋まることはない? これからも、ずっと?
他人事ながら思ってしまう。そんなのが運命の番なら、出逢わなければ良かったのに。
「なにもお前が落ち込む事はないだろうに」 一見優しい台詞に聞こえるが、爲永はこちらを馬鹿にするようにせせら笑っている。「誰が渡すか。この苦しみは俺の物だ」
──。予想外の台詞にびっくりした。
……ああもう。溜息をつく。
「それはノロケじゃないです……。自覚してるんですか? 爲永さん」
爲永にとって自らの番との繋がりは、苦しみでしかない。それしか持っていない。だからその苦しみを手放せない。
だけどそれじゃ。
「それじゃアンタは救われない」
「救い? 俺は半端な救いなんざ必要ない」
返ってきたのは思いの外、強い拒絶だった。
「……そんな、ばっさりと」
「オメガの分際で俺を救おうだなんて考えるのが傲慢なんだよ。──だが」 目をぎろりと光らせて笑う。「そうだな。俺が可哀想だと思うなら協力しろ」
不穏な瞳にたじろぐ。
「協力って……俺に出来る事なんて何も」
「あるさ。優しいお前の番に頼めよ。こちらにその世界の技術を寄越すように」
「……」 頭の中で警告音がけたたましく響く。これに頷いたら駄目だ。「それで爲永さんは何をする気なんですか」
「聞けば協力するのか?」
「……内容次第です」
爲永は答えない。
爲永は稀少なアルファで協会の実力者で、言ってしまえば世界有数の権力者なのだ。これ以上の力を手に入れようとする、その目的は何だ?
いま考えれば仲嶋を捕らえさせたのだって用件を飲ませる為の人質にする予定だったのだろう──オーバーテクノロジーを手に入れる為の。
それは『全てを憎んでいる』と言い切る人間に渡していいものなのか?
「もう一度、その技術を手に入れて何をするつもりか、聞いてもいいですか?」
「なに、ちょっとした商売をしようと思ってな」
明らかにはぐらかされた。
「……聞けません」
俺の返答に爲永はフン、と鼻を鳴らす。
「別に断ってくれても構わないがな」
「あの、俺帰ります。お邪魔しました」
引き返そうとしたが、進行方向の壁に手をついて阻まれる。
「馬鹿なオメガだな。帰すと思うか?」
「……ですよね。けど脅迫じゃ、モアサナイトは協力しないですよ」
「構わない」 被せ気味に返してきた。「幸せな番を見るのもムカつくからな。ぶち壊せるならそれでも?」
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「出逢い直したい。俺の目的はそれだけだ」
……であい、なおす?
「……過去には戻れないと思うけど。モアサナイトでも」
「そんなことはわかってる。死んだ人間は蘇らない」
「なら」
「けどパラレルワールドにならひとりぐらいは同じ人間がいるだろう。生きている俺の番が。それを呼び出すんだよ」
「……んな」
平行世界から同一人物を呼び出す?
なんて馬鹿げた。
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