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新しいおうち?

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 出かけていた時のモアサナイトが具体的には何をやっていたのか、突っ込んで聞いてみた。


「ちょっと召喚をね」
 ちょっと散歩をね、とでも言っているような口調だからしばらく考えてしまった。弱った……意味がわからない。知っている単語なんだけど。
 人間、自分の常識からかけ離れた台詞を言われると反応が遅れる。
「召喚してたの!? 誰を?」
「大丈夫だよ、竜や人間じゃない。ほぼ無機物だから故郷に戻せなくて可哀想だなんて事にはならない。大きさが大きさで少し手間取ったけれどね」
 大きさ?
 恐る恐る聞いてみる。
「それは、見つかって騒ぎになるくらいの大きさ?」
「その点は大丈夫」
「……どういう意味で?」
「迷彩仕様になっているから騒ぎにはならないんだ」
 大きいことは大きいのかよ。
「そんなもの置く場所、うちの部屋にないよ? それ以前に俺、追い出されて家も無くなるのに」
「だからだよ」 モアサナイトは鷹揚に微笑む。「住処が必要だと思ってね」
 すみか。頭の中に想像したものがモアサナイトが口に出した竜だったから、また思考が追いつかない。
「……家召喚?」

 なんだそれ。青くなる。
「家を置く場所もないよ!? どこに置いたの?」
 人の土地に家なんかを勝手に置いたら迷惑どころの話じゃない。
「あの場所は調べた限りは大丈夫そうだったけれど」 モアサナイトは視線を彼方に飛ばして考える様子。それから、にっこり笑う。「問題を起こさないように気をつけるよ」
「う、うん」
 大丈夫、なのかなあ。


 ◇ ◇ ◇


「お前、少し熱っぽくないか? 顔が赤い」

 仲嶋が眉をひそめて言う。
 チェーン店である。うどん屋ではなく、コーヒーショップ。
「熱? 全然なんともないよ」 ぶんぶん腕を回して答えたのに、仲嶋はより一層、不審そうな顔になった。あからさまに信用されてない。「でもほら、元気だろ?」
 熱があるのはモアサナイトの治癒を受けたのが原因じゃないかな、と思う。化学反応で熱を持つとかありえそうだ。
 ……魔法で化学反応は無いか? まあでも、そういうやつ。でもあれはもう昨日のことか? あれ一昨日?
「そーだな」 胡乱な目つきのまま仲嶋は同意する。「元気すぎるところが風邪をひいた時の甥っ子とよく似てるな」
「甥っ子いるんだ。何歳?」
「みっつ」
「三歳児と一緒にするなよ」
「いいから今日は帰れ」
 後ろから俺の頭をぐしゃっと潰した大男は岑村みねむら。高校の同級生だ。
「駄目だって。俺が頼んでる企画なんだから俺がいないと意味がない」
「誰もアンタがいないからって手を抜いたりしないし」 重ねて言ってきたのは、前の会社の事務の惠崎さん。キツい目がチャームポイント。「体調悪いのが出張ってると迷惑だって事ぐらい、分からない? 皆に風邪をうつす気かっての」
「ご、ごめん」
「平気よ。あとはウチらでやっとくし」
「むしろ本人いない方が話が弾むんじゃないか?」
「悪口でね」
「初めてだよねこういうの」
「この人、他人頼らないから」
「ねえ。珍しい」
 ほぼ初対面で話が弾んでくれるのは安心するけれど、いなくて良いと言われると複雑だ。
「だったら顔合わせが終わるまではいるよ。まだスタッフさんとか先生が来てないから」
「今日は顔合わせが目的だろうが。具体的に話を詰めるのは後なんだろ?」
「お前がいる必要ないだろ」
「いなくて良いわね」
「じゃあ俺」 手を上げたのが仲嶋。「お客さん迎え行くついでにこいつ送ってくわ」
「あの、俺の意思は」
「邪魔」
 追い出された。


 ◇ ◇ ◇


「しかしまあ、よくも癖のある連中ばかり集めたもんだな」 帰りの電車の中で、仲嶋は意地が悪い顔をして笑う。「類は友を呼ぶってか?」
「なにもしてないな俺……皆、忙しいところを集まってくれたのに」
 急な呼びかけだったのに仲嶋をはじめ、思ったより人数が来てくれたから変にテンションは上がってたかもしれないけど。消化不良だ。
「誰だってお前に頼られるのは嬉しいんだろうよ」
 意外な台詞に顔を上げる。──世論を動かしたいという俺の曖昧な相談に、まず人を集めろと提案してきたのは仲嶋だ。
「力になりたいのに何もできない。もどかしい思いをしてきてんだ。その相手が頼ってきたら、そりゃあ多少無理をしても助けに来るんじゃないか?」
「……」 つり革に掴まってゆられながら、仲嶋のくれた言葉を吟味ぎんみする。「俺は可哀想に見えていた?」
「いいや」 仲嶋は肩をすくめる。「俺、可哀想な奴は苦手だもん」
「どういう基準だよ」 笑ってしまう。「まあ折角だからお茶でも飲んでいく?」
「ああ、例の追い出されるってアパートな。覗いてっていいか?」



 帰ってきたアパートの部屋は、もぬけの殻だった。

 家具も冷蔵庫もなにもかもが、ない。がらんとした空間に途方に暮れる。
「うわ。もう荷物も捨てられたのか?」
「違う……と思うけど。ごめん仲嶋、お茶淹れられないや」
「いやそもそもお前の淹れる茶なんか期待してないけどナニコレ。自分の部屋だろ?」
「俺の部屋、だよねえ?」
 首を傾げる。元凶に心当たりがあるので特に焦りはないけれど。
 ただ、言葉通りにお茶も出せないのが困る。
「大丈夫か?」
「いやー……物が無くなると別の部屋みたいだなあって思って」
「あ。わかる。からっぽの部屋って中身詰まってる時よりも狭く見えるんだよな。この現象に名前を付けたい」
 俺に緊迫感がないので仲嶋も気を楽にする。
「入っていい?」
「え? うん。なにもないよ」
「そりゃ見えてるよ。すごいレトロ。貧乏くさい。モノ片付ける前に呼んでくれれば撮影したのに」
「なんでだよ」
「これがオメガの実態だってスクープになるじゃん?」
「はあ……そんなもの流したところで視聴者の共感は得られないと思うけど」
「冷めてるな。そんなん見せ方次第だろ」
「でも」
まどか
 と──前触れも無く現れた相手に仲嶋がびくっとした。モアサナイトの方もどこか戸惑った様子。
「あ。ナイトこれ、どうなってるんだ?」
「うん。円にとって必要な物がわからなかったから部屋の中身は全部移動したよ」
「ぜんぶ」
 オウム返しに呟いてしまう。
「安心してくれ。保管スペースには余裕があるから何も捨ててはいない」
「えっと。どちらさま?」
 仲嶋の問いにモアサナイトはただ微笑む。

 荷物移動してくれたのはいいけど、一体どこに運んだんだろう? 俺は一般の人より持ち物が少ない方だけど、生活する以上、それなりにあったモノをすっからかんにしてまだ余裕があるとか……。
 それだけ広い土地となると田舎か? 迷彩仕様でバレないと言われても迷彩柄しか思いつかない。迷彩柄の物で思いつくのはやっぱり戦車で、田舎に戦車? なかなかに牧歌的だけどマズイ。的外れであってほしい。

「こんにちは。俺、こいつの同僚です。あなたがヒモのうちのひとりですか?」
「ヒモ?」
「ああ、心当たりがなければ大丈夫です。どうぞよろしくお願い致します」
「頂戴致します。よろしくお願いします仲嶋さん」
 仲嶋が名刺を取り出してモアサナイトに渡している。なにこの光景。
「なにあの子、物怖じしないね。さすが円さんと親しくなるようなタイプは違うね」
「トルマリンさん」 はっとする。「ごめん俺が紹介するんだった」
「平気だぞー。安心したし、迎えの予定あるからそろそろ帰るな」
 安心?
「ありかとう?」
「じゃーな」
 姿が見えなくなってしまってからはっと気が付く。
「あっ仲嶋、送る」
「もうトルマリンが行ったぞ」
 あああ。
「……気遣いできなくてごめん」
 もー……今日おかしいな俺。やっぱり風邪なのかもしれない。
「構わないだろう」 モアサナイトが言う。「それで、その、円……円の持ち物だと思うと惜しいのだけれど、いらないものは捨てようと思うんだ。後で必要なものだけを選んでほしい」
 モアサナイトが遠回しに伝えたいことはわかった。
 庶民的な荷物が気に入らないんですねロイヤルめ。


 程なくして戻ってきたトルマリンさんはなぜかご機嫌機だった。
「面白い子ですね」
「何か話したんですか?」
「いろいろと」 そう言ってトルマリンさんが掲げたのはコンビニ弁当だ。「買ってもらいました」
「ごめん、俺がごはん用意しなかったばっかりに」
 ……ヒモ疑惑が深まったかもしれない。
「あはは。心配しないでも勝手に食べてますって」
 打ちひしがれていると、モアサナイトが屈んで目線を合わせてくる。
「円、今から新居に行こうと思うんだけど良いかな?」
「うん。また飛んで移動は嫌だけどね。場所がわかるなら交通機関を使って移動しようよ」
「飛ぶのは駄目なのか」
「駄目だろ」
「そうか」
 モアサナイトが悩みはじめる。……危ねえ。トルマリンさんがへらへらと笑う。
「円さん、無茶ぶりっすねー」
「……トルマリンさんがどんどんチャラくなっていく」
「チャラ?」
「この世界に馴染みすぎです」
「それは良かったです」
 嬉しそうだが褒めたわけじゃないぞ。それに無茶ぶりはしていない。家に帰るのに電車とかバス使えばって言っただけじゃん。
「電車やバスでさ、乗り方はわからないと思うから俺、教えるよ。バスも通らない田舎なら……自家用車は持ってないんだけど必要そうなら……なんとかするし」
 一応、免許は持ってるし。

「……よし」 気合いを入れるように言ってモアサナイトがすらりと立つ。「道を作ろうか」
「できるんですか?」
 俺じゃなくて、トルマリンさんが聞いている。
 俺は質問以前に彼らが何を言っているのか、さっぱりわからない。
 でも──苦情を言って以来、別の言葉ではなく日本語で会話してくれている事はわかる。二人の気遣いはさり気ない。
 モアサナイトは不敵に笑う。
「出来るか、じゃない。やるさ」
 モアサナイトは右腕を露を払うように一振りする──と、次の瞬間その手には長剣が握られていた。

 Tシャツジーンズに、長剣……どう考えてもシュールな筈なのに、その立ち姿はどこか神神しい。
 剣を手にしているのにまったく怖くないのはその剣の登場で場が清浄になったからだ。凛とした立ち姿はさながら厳かに儀式を執り行う神官のよう。
「何処と繋げるかな……うん、灯台下暗しで行こうか」
「?」
 鞘から剣を取り出す。しゃり、と音がした。刀身は──黒。
 黒なのにそれは角度によって蒼色が浮かぶ不思議な色合いをしてる。刀身に左手を添えて地面と平行に持つ。それが実戦の構えではないのはわかるけど。
「なにをするつもり?」
「船への道を作るよ」
 ──ふね?
 海? 一瞬で様々な考えが脳裏をよぎる。
 家じゃなくて船。それなら土地なんて必要ない。問題ないんじゃないか? ……甘いか。船は船で航行の許可とか欲しい気がする。他国が領域超えてきたとかよくニュースでやってるし。無許可の船。それはいわゆる海賊では。モアサナイトの海賊、似合うけどさ。なんで似合うんだよ。
「ねえ円、僕らが会う前に円がいた場所は覚えてるかな? 例のアルファの隠れ家」
 唐突な質問にぽかんとする。
 隠れ家?
爲永ためながさんのビルのこと?」
 地下にいくエレベーターに乗る時間がやたらに長かった、あの珍しいビル。
「……ではそのエレベーターで行こうか」
 俺、エレベーターって口に出して言ったかな。
 なんて考えていたらとつぜん何も見えなくなった。

 真っ暗──停電?

 んなわけがない。まだ太陽が出ている時間帯なのだ。目を凝らすと真っ暗闇だっていうのにモアサナイトの黒の剣が浮かび上がって見える。
「え……剣の中に光が吸い込まれていってないか?」
「さすがですねえ」
 暗闇の中で聞こえたトルマリンさんの声にちょっとほっとする。
「さすがって?」
「黒は色を吸収するから魔力の流れを追うのは難しいんですよ。普通は」
「黒……」
 魔力、なのか。
 モアサナイトが扱うソレは一般に想像する魔法と違っていて大層な呪文を唱えない。発動もあっさりとしたものだから、俺はいつもいつ魔法を使われたのかもわからないんだけど。
 ──けど、影響力はあっさりなんて可愛いもんじゃなかった。
 家の周囲が騒がしくなって、耳を澄ます。

 急ブレーキにクラクション。悲鳴。『うそ!なに!やだ失明?』 お皿の割れる音。『暗い暗い怖い怖い』『助けて怖いおかあさーん』男の泣き声。『目が! 目があ!』 ワンワンワンワン。『いやーー』

 大混乱。

「……あの、ナイト? 今、どれくらいの範囲で暗くなったのかな」
「あ」
 ぼそっと、しまったとつぶやくモアサナイト。そうこうしているうちに徐々に色が──光が戻ってきた。
「すまない。力の加減を誤った……いて範囲が狭くなったんだ」
 珍しく痛恨の表情。失敗、ならわざとじゃない。
「わ、わかった。大丈夫」
 窓を開けて、叫ぶ。
「怪我した方、いませんかー!?」
 耳を澄ます。と、後ろから焦った気配。
「手伝います手伝います」
「様子見てくるから円は待ってて」
「一緒に行くよ」


 ──結果、割れた皿で足を切った女性が一人。急ブレーキでのむちうちが一人。怪我人が出たけれど、死者はなくてほっとした。

 暗転は一瞬だけだったし、生き物の本能なのか皆、暗くなった時に咄嗟に行動が止まったのが良かったらしい。あと表の道路の交通量が少なくて助かった。
 範囲は意外と広かったけれど。

「そういえばさっき失敗して範囲が狭くなったって、ナイトの言い間違い?」
「合ってますよ。もっとの範囲を広くした方がその分、周囲への影響が薄まるんですよ。まあ、他の人が同じ術をやってたならちょっと暗くなる程度なので調整の必要は無いんですけど……モアサナイトは規格外なので」
「ああ。そういう」
「ごめん。円にも迷惑をかけてしまった」
 ……困った。しょんぽりしているのが可愛くて、顰めっ面ができない。
「ところで円さん、いつから魔法が使えるように?」
「はい?」
 トルマリンさんが思い掛けない事を聞いてくる。
「ドライバーのむちうち症を治していましたよね。あれ、放っておけば後遺症がでるタイプだったからモアサナイトを呼ぼうしたらその前に円さんが治してしまったんですよ」
「そうなのか?」
「そうなんだ?」
「そこハモるんですか」
「それ急ブレーキ踏んだ運転手さんの事だろ? 俺、痛そうなところを触っただけでなにもしてないよ。魔法なんて使えないもん」
「……無自覚ってことか」
「あーそれは良くないですね。慣れない力を使うと暴走しますから。これモアサナイトの影響でしょう? 責任を持って教育してくださいね」
「わかった。当然だ」
「……あ」
 思い出した。
「なんだ?」
「いやなんでもない」
 咄嗟にごまかす。
「円? 心当たりがあるのかい?」
「……えっと。そういえば治癒、したことがあるなあと、思い出しただけ」
「誰を?」
 モアサナイトが聞く。
「え?」 ……誰って。しばらく考えてから口を開く。「怪我人。俺が手をかざしたら血が止まったんだよ」
「なるほど。それで、あのアルファを治したの?」
 勘弁してほしい、こういう時の目敏めざとさ。
 けど、別に俺に後ろめたいことはないのだ。胸を張って言う。
「そうだよ爲永さんだよ」
「なるほどね」
「……ナイト、怒ってないよね。怒る理由はどこにも無いもんな」
「怒るよ? 僕はそこまで知らなかった。つまり、あの狂いかけのアルファは自分を治療してくれた円を殺そうとしたんだね」
「あう」
「合点がいったよ。あの界渡りの日だろう? 使役には元凶を襲うように仕向けておいたんだ。手応えがあったのに生き延びたのは、円のおかげなんだね」
「……モアサナイト、円さんが涙目ですよ」
「うん。知ってる。可愛いな」 とても、優しく笑う。「円に対して怒っているわけじゃないから大丈夫だよ」
 だいじょうぶじゃない。
「あっモアサナイト、案内、案内しましょ? ほら、引っ越し先を円さんに見せないと!」
「そうだね」
 口を挟む余地も無く抱え上げられる。姫抱っこ。そして結局、飛んで運ばれた。


 本当はもっと言いたいことがあった気がするのだけど──モアサナイトに抱えられた瞬間、他がどうでも良くなった。
 直に触れた体温の低さが──なんだろう。すごく嫌な感じ。
 冷たい? 以前はそんなことはなかったのに。少し考えて思い当たる。
 ああ。この人、体調が悪くても隠すのか。
 上空は地上より少し寒いけれど、その温度は調整されているのだろう。耐えられない寒さにはならない。ぎゅっと相手の首にしがみついて体温をわけるイメージ。すると、すぐに首からぽかぽかしてきた。モアサナイトがすごく困ったような顔をしたけど無視して続ける。嫌な感じが消えてほっとする。急に眠気が。
 空の旅を満喫する余裕が無かったのは良かった。


 ◇ ◇ ◇


「円、起きて」
「え寝てた?……ごめん!」
 車の助手席で眠ってしまったのと同じ申し訳なさ。
 モアサナイトは俺の唇にひとさし指を当てて、甘く笑む。
「謝らないで円。ごめんね。道を教えるから少しだけ我慢して起きていて」
「……いまさら?」 相手をみあげて思わず突っ込む。「いま飛んできたんだよな?」
 モアサナイトは地面に降ろした俺を離さず、腰を抱き寄せて口づける。ちょっと? 返事になってない。

 たどり着いたのは見覚えのあるビルの前だ。人通りはあるのに空から降りた俺たちに誰も注意を払わない。
 ……えっ。
「……もしかして誰にも見つからない魔法ってあるのかな?」
「そうですよー。結界ってわかります?」
「この世界の住人は何をするにも原始的な手段しか持っていないからね。簡単な術で事足りて助かるよ」
 ……時々モアサナイトがここの人類に喧嘩を売る発言をするの、なんなんだろうか。明確な悪意を感じる。
「でもこのビル、最新のセキュリティーが掛かってるから勝手には入れない……」 先を歩くトルマリンさんが扉の前に立つと、何の抵抗もなく自動ドアが開いた。「なんて事はないんだね」
 溜息が漏れる。
 なぜ選んだのがこの場所なのか、爲永の所有するビルである。
 あのときは隠れ家として使っていたのだから恐らく今、ここに持ち主の爲永はいない。
 だから俺も余裕でいられるんだけど。この状態で鉢合わせたら目も当てられないつーの。
「円さん、エレベーターってどれですか?」
「あ。こっちだよ。……でも動くのかな」
 エレベーターにだって当然高いセキュリティーがかけられている。この手のクラスなら専用のカードとか、生体認証だとか特定の条件を満たさないと動かせない仕様の筈。
「問題なく」
 とモアサナイト。
「ああ……そう」
 言葉の通り、全員がエレベーターに乗ると箱は上昇を始めた。

 現代最新のセキュリティーが通じない空しさをちょっと味わう。エレベーターの中はやけに甘い花の香りがしている。
 うん? ……上昇?
「ナイト、誰も階層ボタン、押してないよね」
 ──その答えを聞いたのか聞いてないのか、よく覚えてない。

「円? 眠いならこっちに寄りかかって」
 言われてはじめて自分の身体が傾いてたのに気が付く。うつらうつらとして、トルマリンさんの方に倒れ込みそうになってた。恥ずかしい。
 程なくしてポーンという到着の音。扉が開く。
「ここ?」 確かに同じビルの中に引っ越すなら、灯台下暗しだけれど。「けどどうやって部屋を借り……てないよなあ」
 この国の通貨も知らないで部屋を借りるなんて流石にないだろうし。じゃあ何でエレベーターに乗ったんだろう。考えながら外に足を踏み出して、首を傾げる。
「?」
 違和感に振り返ると、そこにあるのはもう、エレベーターの扉ではなかった。
 だって出てきた扉が観音開きのドアに変わってる。
 モアサナイトが言う。
「お帰り円。ここが僕らの船だよ」


「ふね?」
「うん」
「海」 窓を見つけて走り寄る。硝子に手を当てて表を眺める。追いついたモアサナイトを見上げる。「空」
「うん。円、単語で喋ってる。かわいい」 まだ窓の外を見ていたかったのに、後ろから抱き寄せられた。すん、とナイトの腕の匂いを嗅ぐ。すると額にてのひらが当てられる。「……また熱が上がったな」
「えっ、そうなんですか。随分急に」
 なにかに驚くトルマリンさんにナイトは溜息で答える。
「慣れない治癒を使うからだよ」
「さっきのドライバーですか?」
「いや。円、運んでる途中。俺に力を分けてきたんだ」
「ああなるほど……モアサナイト、力使いすぎて弱っていたからでしょう?」 笑う気配。「無茶な力の使い方はメイトで似てますね」
「……喜んでいいのか悪いのか」
 ナイト悲しい? 頭をナイトの胸に擦り付ける。
「熱。俺?」
「そう。円が」
「ナイト、キスして」
「あ、これ」
「近寄るなよ」
「……はい!」
「ナイト」
「仰せのままに」
 ちゅ、と望んだ物が与えられてクスクス笑う。
「理性が消えたね。完全なヒートまではもう少しかな」 ナイトが笑う。「もう抑制剤は飲まさないよ」


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