6 / 39
名誉アルファと儀式2
しおりを挟む着付けは当然、直された。
あのあと女中さんが沸き出てきて取り囲まれたのだ。
放置かと思ったけどそうではなく、俺が浴室から出てくるのを待ち構えていたらしい。
「男性オメガは扱いが難しいのです」
俺の帯を後ろからぎむっと締めながらひとりが言う。
「難しい……」
ぼうっとオウム返しをするだけの俺に構わず、ひとりの女中が聞いてくる。
「本来なら入浴にだって補助を付けたかったんですが……あなた様は普段、男湯と女湯のどちらに入るのですか?」
質問自体はよく聞かれる内容だから慣れたもので、いつものように答える。
「普通に男湯ですよ。更衣室も同じです」
テキパキと着付けをしていた彼女らの動きが一斉にぴたりと止まった。うえ。マズイ事を言ったか?
「気の毒ですね」
「鬼ですね」
「こんなのに入って来られたら男共が落ち着いて洗えないでしょうに」
「股間隠されるでしょう?」
揃って責められる。なんでだ。
「でも俺が女風呂に入るわけにもいかないだろ?」
反論を試みてみるが、途中で髪にドライヤーをかけられて声がかき消される。
「……」
そして、乾かしきった後に一斉に反論が来た。
「冗談じゃありません。入って来ないで下さい」
「鬼ですか」
「やめてください自信をなくします」
……逃げられないんだろうか、ここから。
しかしがっつりと両肩を捕まれて前後も囲まれているので物理的に無理だ。
着付けって数人がかりでしないと駄目なのか? 多くね?
「でもこの方の仰るとおり、成人男子が女湯に入るのは普通に犯罪ですよね」
「確かにそうですけどでも想像してみてよ。男湯に入ってる違和感と比べて女湯に入っているところを」
「……あぁ」
「……なるほど」
「違和感仕事しろですよね。ちんこついてるのに」
「ほんと扱い困るわよね」
……男、居ると思ってねーなこれ。
完全に『女だけの井戸端会議』状態でサンドバッグにされている間にも身が整えられていく。……プロだ。
着付け途中で皿に載ったおにぎりを差し出された。
「俺にくれるんですか?」
「はい。お食事は後の式の方にも用意されているのですが……主役ですから確実に食べる暇は無いかと。今のうちに軽くでも取られておいた方が良いですよ。豪華な会席じゃないのが申し訳ないのですが」
「……お気遣いありがとうございます」うれしい。「でもすみません、食事は遠慮しておきます」
「ダイエットですか?」
「いえ、今日は緊張で喉を通らなくて」……多分俺、食べると余計に迷惑をかけてしまう。「それより、あの、なんで顔を?」
「化粧ではないですよ。軽く肌を整えているだけです」
「そこまでしなくても」
「もう、立ったままではやりにくいわね。手が届かないわ」
「やはり男の人だから背が高いのよね」
下方からじっと物言いだけに見つめられる。
「椅子を出しますのでお座りください」
「……ハイ」
結局、いろいろ弄られた気がする。
──ようやく着付けが終わる頃には日はすっかり沈んでいた。空にあるのは星と細い三日月。計算されて創られた中庭からの眺めは流石に美しい。
不思議だ。さっきまでの怪しい空の面影はどこにもない。
知らず、顔を顰めてしまう。
おかしいな。
今の女中さんたちの雑談に『空』の話は出てこなかった。女の人の社交辞令は洗濯物の乾きだ。だからなにかしらの異変があれば必ず話題になるはずなのに。
……まさか、アレが気のせいだったのか?
俺だけに見えたとか?
いや、無いし。なんだったんだろ。
◇ ◇ ◇
大広間にいる。座敷にずらりと並ぶのは蒼々たる顔ぶれ。
……蒼々たる……、なんだろうかなー?
多分偉い人たちが揃っているのだが、おっさんだらけということしか俺にはわからん。
皆、思い思いの体勢で寛いで雑談に興じている。
酒を傾けつつ出てくる食事に手をつけている背広の人々。どことなく法事っぽい。遠くの親戚が集まっているときの感じに似てる……まんまそれか。
おそらく多くは分家筋の人間なのだろう。ここに集まっている人々の雰囲気はどこか似通っている。
こそこそと小声でやり取りをしているが、全員で地声がデカいから内容、結構筒抜けに聞こえてくる。
──『白々しい。お披露目なんて建前を』──『実質、就任儀式』──『こんなもんはやったもの勝ちじゃないか。実力じゃあない』──『後継者と認められるために随分と必死だよな。素質じゃ西方の分家に負けてるから』──『あァ、あの方はライバルを蹴落とすのだけはうまくてね』──
広間の有象無象から一段上の舞台になった上座。その脇の隅の方に俺は控えている。普段から他人の視線に晒される分、姿勢だけは良くしろと躾けられたおかげで正座も苦ではなく、こういう場面では助けられると思う。
そして黒子の気分。
あれだ、顔の前には簾みたいに黒いベールがかけられている。
……これ、どういう扱いなんだろうか? わからないけれど、おかげで好機の視線からは隔たれるので素直にありがたい。まあ、何か妙な物体がいるって視線は向けられるものの、直接見えない分、マシなのだ。
ところでその上座ではうちの社長が緊張して震えている。
本日の主役だ。年齢は50代だったか。肥満ぎみで着物がパンパンしている。
毎日、顔を見ているような……そうでもないような。入社してからこの社長と話をした回数は数えるほどしかない。
今は背中を丸めてブツブツつぶやいている。
少し気の毒か。てのひらに人と書いて飲んでみますか?
なんて話しかけるべきかどうか、つぶやきに耳を傾けてみる。
「ぃが……なにが、血筋しか取り柄が無いだ。馬鹿にしやがって……あいつら、馬鹿にしやがって」ふけっ、けっ、とひび割れた笑い声。「ざまぁみろ。これで、俺がアルファだ。これで俺が正統な後継者だって証明してやるさ」
……震えは緊張じゃなく武者震いだったみたい。
溜息をつきそうになるのを堪える。自分の問題で落ち着かないところにきて隣からのこの異様な気迫はキツイものがある。
どうしよう。
さっきからずっとつきまとっている不安が消えない。
……俺、ヒートじゃないよな?
突然そうなったら、という想像が、こんなにも恐怖だと知らなかった。こんな衆目の目前で、発情したらどうなるんだろう。自分が自分じゃなくなるのか?
迷惑をかける前に自己申告した方が良いのかもしれない。
……自分にヒートの兆候があったから危険だって? けど、もしかしたらそれで儀式も取りやめになるかも──無理か。
こんな時に都合の良い妄想をする自分に呆れる。
けどいまのところ、ここにアルファはいない。
まあ、建前はここの全員がアルファなんだろうけれど。
けど──
ぞわりと冷気を感じた。
「……?」
なんだ? 弛緩していた会場の空気が引き締まり、男達が一斉に姿勢を正す。
ざざっと座敷の人々が服従の意を以てひれ伏す。
入ってきた意外な人物に目を見張った。
今日来る本物のアルファって──あの人だったのか。
俺が知っている唯一のアルファ。
そして協会のトップ。
爲永 晶虎
虎を思わせる鋭い視線がすっと広間を嘗めると一瞥された全員が怯えたように身をすくませていく。水を打ったように静まりかえった空間に、後ろに秘書を従え悠々と入ってくる。
──綺麗な男だと思う。
相当身長が高いのにあまりそれを感じさせないのは均整の取れた体躯によるのだろう。無駄の無い筋肉は男として羨ましい。顔も整っている。
整っているんだけど、表情がな。
この人、いつ見ても絶対零度。
視線が俺を捉えた。
「……」
「……」
黒子的な妙な頭巾にもリアクションは無い。うん知ってた。冷めた目で観察されているのがわかる。
あー……。
あれに噛まれたいか? と考えてみれば、全力で嫌だ。
嫌だと感じる自分にすごくほっとする。
よかった。体調にも変化はない。
「──おめでとうございます」
不意に爲永が口を開いた。視線は社長を捉えている。
「この度は番(つがい)を得たとのこと。アルファとしてこれほど喜ばしいことはない。これでお爺さまも立派な後継者を得たと、さぞや安心していることでしょうね」
片頬を上げて笑みをつくる爲永。
社長は蛇ににらまれた蛙のように脂汗を流して引きつった笑みを浮かべた。
「は、ありがとうございます」
「「「おめでとうございます」」」
彼に続いて全員が唱和する。ああ──この場を支配しているのは上座の主役ではない。
唯一のアルファだ──。
爲永は腕を大きく広げ、芝居がかった口調で続ける。
「では、儀式を始めましょうか」
ぴくんと身体が震えた。……忘れてたわけじゃないが、
「おぉ……おお、そうだな」
覚悟をする間もなく、爲永の秘書に背を押されて前に押し出される。
「ご存じの通り」ゆっくりと、爲永が会場を見渡す。「アルファはオメガを番にする時にオメガのうなじを噛みます。そうすることでオメガはそのアルファの所有物になる。そう──わかりますね。オメガを手に入れたなら、それは正統なアルファだ」
爲永によって乱暴に黒のベールが取り払われる。ざわっと、急に会場が騒がしくなった。口々になにかを言っているけれど──こっちはそれどころではない。
「屈んで」
感情の無い爲永のバリトンが俺に告げる。
「……」
けど、
「──屈め」
命令。
ゆっくりと息を吸って、吐いて、従う。
……だいじょうぶだ。相手は社長だから。爲永よりはマシだ。だって社長はベータなんだから。アルファじゃないんだから。こんなのは茶番だ。カタチだけのことだ。
カタチだけなんだから俺は平気だ。
首筋を見せて屈むと再び会場はしん、とした。
摺り足で近寄ってきた社長にいそいそと抱き込まれる。
生暖かい息が首筋にかかる。ごきゅっと喉を鳴らす音が間近に聞こえて、気持ちが悪い。きつい香水の匂い。
首の後ろに歯が当たる。べろりと舌で嘗められて身が竦んだ。うわ、なにを余計なこと、
ガリ、という音が。
──噛みつかれた。
自覚した途端、血液が頭がら一気に抜けて失われてしまうような、貧血に似た覚えのある感覚がやってきた。
くそ。
これで何度目だろう。どうして慣れないんだろう。急降下する体調に翻弄されつつも、どこか頭の隅で冷静に考えてる。
「……く……ふぐっ」
「っっオイ! オマエッ」
喉の奥からせり上がってくるモノを堪えきれなかった。
やっぱ吐いたし。
高そうな着物が台無し──こんなもの、弁償させられても困るなぁ。
まともな思考を保つことが出来たのはそこまで。
……心臓が不規則に脈打って苦しい。胃が、臓器がひっくり返りそう。
あまりの気色悪さに耐えられなくなって、俺はあっさり意識を手放した。
0
お気に入りに追加
116
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる