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名誉アルファと儀式1
しおりを挟むいま俺が在籍してる会社はアルファの一族が戦前から興した財閥からなるグルーブの一端だ。
グループ傘下では鉄道から貿易に自動車産業、不動産に百貨店、通信など幅広い事業を手がけている。
──機関車からルージュまで
産声から墓場までを見守る●●グループ──
という、いまだ使用される古風なキャッチコピーから感じられるのは自らがこの歴史を背負ってきたというプライドだ。
典型的なアルファの親族経営。
現在の社長は会長の孫で、一族の正当な後継者で血統書付きのアルファ。
……アルファ、ということになっている。
タクシーから降りて眼前に現れた建物にくらりとめまいがした。気分的な意味で。
武家屋敷みたいな日本家屋だ。
財閥の成り立ちを思い出してみれば、実際これは本物の武家屋敷かもしれないけれど。俺にはそういうものの見分けはつかない。どうでもいいから帰りたい。
このままタクシーに戻って引き返したら怒られるんだろうなー。けど……それがどうした? ふと気がつく。
俺、困らないよな。どうしようかと迷う前に門から人が出てきた。
無言でこちらを上から下まで眺めた後、睨み付けられる。
「全く、嘆かわしい。この敷地に自らオメガを引き入れる事になろうとはな。言っておくが本日呼集されるのは本来ならお前などが目にするのも不敬な方々ばかりだ。お役目に選ばれた僥倖を噛みしめ、精々厳粛に挑みなさい」
不愉快も露わに尊大な態度で先導してくれるおじさん。背広はきっちりオーダーメイド。腕に嵌まるぎらぎらの腕時計がコーディネートからやや浮いている。
自己紹介もされていないけれど、たぶん傍系血族の人なのだろう。オメガの案内役にまわされたのが屈辱だと全身で語っている感じ。
「ですが、ならどうしてオメガを尊宅に呼びよせたのでしょうか。わざわざ私などを立ち入らせる必要はなかったと念慮しますが」
案内にしては早足に先を行く後ろ姿に聞いてみる。儀式をやるだけならいつも出社してる社内で充分だ。タクシー使う手間もなかった。
おじさんは俺が自分から口を開いたことにびっくりしたようだ。ひっと喉の奥から声が漏れたのが聞こえた。
人形じゃないから喋るよ?
「ッホン……今宵は一族の重鎮及び、然るべき立会人を呼び寄せてあるのだ。それがどれだけのことか、卑しいオメガなどにはわからんだろうがな。尊い方々が儀式を見届けるために、こうしてお披露目の機会を作ったのだ。一般人も来る社屋などで行っては示しがつかん」
取り繕うように咳払いをしてから、威厳を込めた声で言い切る。
つまりカタチから入らなきゃいけない、ってとこか。
そっか駄目かー。
どんどんオオゴトになってくるなー。
そっと溜息をつく。
就職した会社だってはじめは零細企業だったのに。
社員もぎりぎり二桁。けどそのときの方がまともに仕事をさせてもらえていた。
少ない人数で自転車操業なところはあったけど、社員同士の仲は良くて楽しかった。
取り扱った商品が時代のニーズにあったのか、チームワークが良かったからなのか、最初の職場はあれよあれよという間に業績を上げて行った。そんなときに取引先の重鎮の目にとまって他社に引き抜かれた。
自分より優秀な社員はいたのに。
けど必要とされたのは単にオメガという肩書きだ。正直、身売りだと思ったけれど下請けの立場では断れないのはわかった。居ても居なくても変わらない自分が大人しく従えば丸く収まる。余計な軋轢も生まない。だから従ったけど。
新しい職場でなんとか落ち着いた頃に「儀式」を持ちかけられた。
そのあとは親会社に出向という形でまた売られて「儀式」
またそのあとは噂を聞きつけた全然別の業種から引き抜かれて、
次はまたその親会社に──。
途中から企業と自分の間に入って斡旋していたのは協会だ。
名目はオメガの共有。
名誉アルファの間には自分には与り知らないネットワークがあるのだろう。
ちっとも自分の居場所は落ち着かない。めまぐるしく職場が変わり、業種も環境も変わっていくけれど儀式は必ず新しいところに移るたびに行われる。
そして、新しい職場は前より規模の大きな会社に変わってる。
こういうのもわらしべ長者って言うんだろうか。
空模様が怪しい。
タクシーを降りたさっきまでは青空を残した夕方のあかね色が見えていたはずだ。
けど歩いている廊下から中庭がみえて、ちょっと目を疑った。
日没までには時間があるから灯籠だってまだ暗い。なのに。
空が、黒い。
灰色を通り越して、雲が黒かった。
天空すべてを分厚い雲が覆ってとぐろを巻いている。とぐろは絡み合い、うねり、どこか方向性を持って集結しているように見える。遠く山の方でちらちらと光っているのは稲光か。
どこかで見たことがあるような、だけど初めて見る不可思議な空だった。なんていうか、
──ひと言でいうと魔王降臨しそう。
アニメとかゲームではよく見るやつ。なにかが生まれてきそうな空をぼうぜんと眺めていると、
「儀式を行うのはお客様方が到着する夜からだ。それまでに身を清め用意された正装に着替えておくように」
こちらを見ないようにそっぽを向いた相手が淡々と説明をしてくる。
ええ? ……空が見えているはずだけど、おじさんは気にならないのか。しかし非友好な案内人を相手に暢気に天気の話をする気分でもない。
「おかまいなく。……入浴は出来れば儀式が終わってからを希望します」
「フンッ。これだから馬鹿なオメガは嫌なんだ。お前は良くても主人のことを考えろ。小汚い身体で神聖な儀式に挑むなと言っている。特に」もったいぶった様子で間を置いて、「此度の儀式に立会人としていらっしゃるアルファは特別なお方だ。くれぐれも失礼がないように」
「わかりました」
はあっ、と溜息をつかれる。
ふいに視界が真っ白に染まる。それから暗闇を裂いて浮かび上がる庭園の景色──雷光?
空を見上げて待つ。
………………? 聞こえないな。
首をかしげる。
30秒。
1分。
いつまで待っても雷の音が届かない。……あれ? 相当近くに落ちたと思ったのに。
「今さっき、光りましたよね?」
視線を下ろして聞いてみるが、
案内おじさんはもういなくなっていた。
あたりを見回す。
広い屋敷だ。けれど見える範囲には誰も、従業員も、住人もいない。
湯殿の前にひとりきり。
……ここで放置?
待って俺、このあとは時間までどうしてたらいいんだろ? そもそも夜って何時だよ。
こっちが溜息つきたいんだけど。
「……風呂、はいろ」
この際だ。何も考えないようにするには丁度良い。
さっさと服を脱いで脱衣所の奥に入ると、つんと木の香りが強くなる。
浴室は総檜造りだった。こういう時じゃなきゃテンション上がってたと思う。
湯船に手をつけて少しぬるいぐらいの適温を確認。かけ湯を被って手早く身体を洗ってしまう。それから足からゆっくり湯船に浸かる。
肩までつかると思わず声が漏れる。
「は……ふ」
固まってた筋肉がじんわりとほぐれてく。湯船の中で手足を伸ばす。……あー。
あれだな。どういう状況だろうが、お風呂はきもちがいい。
どこかで緊張していたんだろう。余計にあったかさが身に染みる。すっかり弛緩しきって湯船に沈む。……うん。ごくらく。
これでこのあとのお勤めが無ければ最高なんだけど。それが無ければここに居ないんだよな……。
──。
空白。
たぶん、眠りかけていたんだと思う。
ざっぱんっ! という派手な音に驚いて目を開けて、余計に驚いた。
「……あれ?」
音の出所は俺自身だ。
知らない間に立ち上がっていた。
広めの浴槽の真ん中に、自分が仁王立ちしてる。
思わずじっとひらを見つめる。ひろげて、握る。
え。なにが起こった?
自分の行動を思い返す。首を持ちあげる。天井しか見えないけど。その上には──空。
──。
呼ばれたんだ。
────だれに?
───それは。───おれの、魂。
「……いや」
冷静になってとぷんと湯船に戻る。なに考えてんだ?
いやないだろ。空から何に呼ばれるんだよ!? 魔王か?
首まで浸かる。恥ずかしい。これ中二じゃん。
じわっときた。
じわっと、
「……?」身体に違和感を覚える。なんだろ。むずむずする。
……どこが? わかんない。下腹の辺りがおかしい。目を閉じてかんがえる。
「んー……?」
ぶわっと頬に熱が集まる……急に体温が上がってきたのがわかる。ええ。ほんと俺、どうしたんだろ。のぼせるにはまだ全然早いのに。
膝を抱えて、違和感に気がつく。
股を開いてあいだを覗く。
「……」
無言で足を閉じる。静かに激しく動揺。……どうすればいいのかわからない。
「す、スマホ」
どうして持って来なかったんだろう。はじめて勃起した時は。で検索を……
「ぅあー?」
……駄目だ。めまいはくらくらがぐらぐらに変わってきてる。考えるとか無理。
怖くてじっと耐える。いやだ──どうして今、俺は発情しかけてるんだろう。
怖い。
変わってしまうのは怖い。たすけてほしい。……誰にだよ?
甘えるな。頼るな。
誰も、頼るな。
俺はひとりなんだから。
良かった。震えてても誰も見てないから良かった。……うん、良かった。
良かった。……こわい。
……あ。
もういちど足の間を見る。萎えてた。
「……。そうか」
そりゃそうだ。我ながら怯えすぎだ。なんだったんだよ。一瞬だったよ。
溜息。
上がろう。
ここで倒れてしまっても誰も助けてくれないし、それどころか怒られるのは解ってる。
恐る恐る立ち上がってみると、もう視界が回らない。
……体調が戻ってる。
「ってさあ!」
なんなの? 釈然としない。檜の匂いのせいか? 違うよな。理由──
──アルファが来るって言ってた。
まさか、と思うと同時に、じわじわと理解が追いついてきて気分が沈んでいく。
自分がオメガだって、わかってたけど。でも前会った時はなんともなかったのに。
檜風呂を堪能できなくて残念だったかな……どうでもいいや。
なんか、ものすごく疲れた。
もう未練なんか無く風呂から上がって、脱衣所で愕然とする。
着替えが、着物だ。
着付け? ってどうやればいいんだ?
「ま、まあ適当……てきとうでどうにかなるよな」
おっかなびっくり袖に腕を通すと、
衣が胸の突起に触れてぴくんとした。
「……なんなんだよ」
もーやだ。背中を丸めて自らの腕を抱く。
情けなさに、涙が出てきた。
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