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35 船のあいさつ
しおりを挟む体調が、良い。
凄く良い。
釈然としない思いを抱えたまま差し出された飲み物に口を付ける。
再び目覚めても隼百は同じ部屋にいた。……うん。
奇異な現象に遭遇する度に夢かな? と思うけどやっぱり今回も夢じゃなかったらしい。
今はベッドの上ではなく、横に設置されたテーブルについている。此処で最初に目覚めた時は騒がしさとパワーに圧倒されて失念していたが、落ち着いて考えると不可解だ。どうして自分は此処にいるのか。まあでも、それより、
「……おいしい」
ぽろと呟きが漏れた。
乾いた喉を潤す冷たい飲料と、つるんとした珈琲ゼリーの食感。何でジェリコ? と思ったし、本来、甘い珈琲も好かないからお義理で口を付けただけなのに。なにこれ。程よい甘さが身体に染み渡っていく。正直、感動した。
……おいしいって何の躊躇もなく素直に感じられた事にまた驚きを感じる。
余命僅か、とひとことで言っても体調には波がある。
痛みで何も考えられない最中はこの時間が永遠に続くように感じるけれど、凌げば楽になる。それからまた苦しくなるけど、耐えていればまた楽になる。
それこそ波のよう。
自分が不調を感じたのがいつ頃だったのか、隼百は覚えていない。そもそも体調ってものを意識するようになったのが相当調子が悪くなってからだ。
人より無頓着で、人より我慢強い。
だから手遅れになったのだけど。
病はじわじわと、確実に身体を蝕んでいく。
以前は意識せずに出来た些細な事が、今日は出来なくなる。不可能が増えていく。まだ喋るのは平気だし、立てるし、歩けるけれど。
近頃の隼百の不可能は、腹から笑う事。走る事。美味しく食べる事。
──失ったものは二度と戻らない。死に近付くというのは後戻りが出来ないものだと日々実感してる。
ポーションは、実はちょっと苦手だ。
あれは凄い。苦しさから開放される。けど病理の根本は治せるものではない。 精々、ちょっと前の段階に戻る感じか。
おかげで自分がこの後どんな症状を引き起こすのか、一端は通った道だからこそ解ってしまう。必ず来る苦痛を予測出来てしまうのだ。後からぶり返す痛みは結構、しんどい。
痛みや苦しさが続いてた方がマシだと思う。……いやオレどんだけ我が儘なんだか。良くしてくれたのに不満を持つのは恩知らずだ。隼百は自分の内から僅かに覗いた怯えをすっぱり断ち切って無かった事にする。全然平気だ。怖くない。
ややこしい思考になっている理由はわかる。体調がおかしいからだ。
頭がすっきりしているし、全身から痛みが消えている。ここまでならポーションを使われた時と同じだ。けど、
甘い珈琲が美味しい。何より──呼吸が楽だ。
妙な話、楽になった事で今までずっと苦しかったのだと自覚した。気付いていなかった自分が笑える。苦しいのが通常だと普通の状態を忘れるもんだな。
しかし、今なら何なら……走れそう? それだけの気力と体力を感じる。
ポーションの回復とは根本的に違う。これ。
……もしかして健康っていう状態では?
健康? まさか。
『お口に合ったようでなによりです』
胸にトレーを片手に抱えた青年がにこりと笑う。
──二度目の目覚めと体調の良さに呆然としていたら青年にジェリコを差し出され、現在である。
ワケがわからないけど、そもそもずっとワケがわからない。とりあえず……まあいいか。と隼百は現状を受け入れている。
対面するのは初めてだが、彼の声には聞き覚えがある。最初に目覚めた時、はしゃぐ子らを窘めてくれた人だ。放送で。
家の中で館内放送が流れるんだ? いや。
どうやらここは船の上であるらしい。教えてくれたのは誰だったか、色々ありすぎて、色々聞き流してる。
……船、ねえ?
隼百はストローからもう一口珈琲ゼリーを吸い込んで、難なく吸い込める事にやっぱり驚いて、隼百の背後に控えている青年をちらと伺う。
まず目を引くのは緑色の髪。長めの髪は後ろで一つに纏めてる。瞳まで緑色だ。次に目を引いたのは所作の美しさ。ぴんと伸びた姿勢は自然で威厳さえ感じさせられる。ザ・プロって感じ。何のプロかは知らんけど。子供達が名前を呼んでいたな。確か、
「……ガー君?」
『はい何でしょう』
「え? いや今のは呼んだんじゃなくて」 独り言に即座に反応されて焦る。「あの、ガー君さん、じゃねえ、えっと」
さん付けりゃ良いわけあるか!
トレーを抱いて首を傾げる相手の姿勢が良くて、良すぎて隼百の目には彼が特別に映る。指先にまで「意志」が通っている珍しい人だ。洗練されていると称するのとは少し違う。元々こうであるって感じ。所作には一切の無駄がない。
髪と目の緑色は単色ではなく、暗い部分は日陰の苔色。光が当たる部分は若葉の黄緑。森の中を彷彿とさせる配色だ。染めだろうか? でも不自然さもチャラさも無い。
田舎では見かけなかった人種を目の前に、隼百は恐縮して言葉を探す。
「不躾にすみません。貴方の事はどうお呼びすれば良いでしょうか? オレ、じゃない私は」
『ハヤトですね。存じております。畏まらずに言葉は崩して下さいませ。私の呼称は子供達と同じく「ガー君」と親しげに呼んで頂ければ幸いです』
「いやガー君なんて軽々しく呼んじゃいけないおハイソな雰囲気がヒシヒシとするんだけど?」
『おハイソですか。ハヤトから見て私はどんなものに見えるのですか?』
どんな?
真面目そうな相手から、とてもわくわくした気配を感じる。
「……執事さん?」
『当たらずとも遠からず』 頷くガー君さん。『自己紹介をさせて頂きますと私は船です』
「ふね」
繰り返す隼百だ。ガー君は穏やかな笑顔のまま。
ちょっと意味がわからない。えーと? ……グラスにたっぷりと盛られたクリームを掬って口に入れる。美味しい。
咀嚼してから口を開く。
「船と執事は遠いと思う」
『どちらも主の生活全般を支えるものであり、一般人には必要ありませんが支配者には必要不可欠なものですよ』
言い切るか? 違う気がするが自信満々にされると突っ込めない。いやそこじゃねえ!
「ちょっと待ってくれ。少し整理させて欲しい」 こめかみを押さえる。「……今いる場所が船の中だったか? 全然揺れないし潮の匂いもしないし実感無いけど。そもそもなんで船にいるんだろ」
外からの音もこの部屋には届いてこない。海上よりは地下にいると言われた方がしっくり来る。
『下界と隔離された空間であり、移動が可能だからですね。アルファには自身のオメガを囲って隠す性質がありますが、一所に囲うのでは狙われやすいですし不便ではないですか』
「なる……ほ……ど?」 全くわからん。「つまりこの船は円達にとって、いちばん安全で快適な居場所って事かな」
『有り難う御座います。ハヤトは要点の理解が上手ですね。私はここを管理する船であり家です。有機物であり無機物。解りやすい言葉で説明するなら人型コンピューターといったところでしょうか。この船は私であり、私はこの船の一部なのです』
再び停止する隼百だ。
でも硬直は長くは続かなかった。
ガー君をじっと見つめて、ああ、と呟く。
「しゃべる船なのか。キッドみたいな……あーそっか、だから動作が洗練されてるんだな」
自分の中から答えを引き出している。
彼を見た時の違和感は無駄がないからだ。普通の生物ならばどうしたって意味のない動きがあるものだ。けれどソフトの載ったハードなら、プログラムに必要のない動作はしない。
『キッド、ですか?』
一方のガー君は隼百の出した単語に首を傾げている。
「あ、わからない話を呟いて悪い。気にしないで」
『キッドとはテレビドラマに出るキャラクターの名ですね』
「え。そうだよ!? 人の言葉を理解して会話ができるスーパーカー! AIにしては高性能でさ。運転手不在でも自分の意志で動くし潜るし飛ぶし、ピンチに助けに来るし。何だこっちの世界にもあったのか」
『残念ながらございません』
「うん、そりゃフィクションだもんな。今思い出してみても主人公の相棒が車ってオカシイよな。ガー君みたいに人の姿にはなれないけど、皮肉屋で頼りがいがあって、オレ好きだった」
『困った方ですね。他の人達には伝わりませんよ。私だからこそ、わかるのです』
「え?」
『そのドラマはこの世界には存在しません』
「じゃ何でガー君には通じてるんだ?」
『ええ良い質問をしますねハヤト。答えは単純です』 バッと腕を広げてとてもイイ笑顔。『それは私が異なる世界線の事象を観測出来る唯一無二、万能の船だからです』
隼百はぽかんとガー君を見上げる。
「えっと……」 言葉に詰まる。ガー君は隼百の反応を期待している。何か言わなければ。「それは凄いな」
『そうでしょう?』
凄く無駄な知識を持っているという意味で、凄い。
ガー君は見たところ、ロボットではなく生身だ。ならサイボーグ? ホムンクルス? 見当外れな気がする。何れにせよ隼百には未知の次元の話だ。でも門外漢なりに解る事はある。
異なる世界線の古いテレビ番組まで網羅する必要は、無い。どう考えても無い。凄いけど必要ない。それって万能か? 無駄な情報を詰め込みすぎると取捨選択が出来なくて逆にポンコツになるんじゃ? という懸念が浮かんで消えてくれないけど、賢明にも隼百は口に出すのを止めておいた。
『ハヤトは妙な葛藤をしていらっしゃるようですが』
「変な事考えてるのバレた!?」
『貴方は私が船だという点は疑わないのですか?』
聞かれた隼百は困惑する。
「だってガー君は嘘を言えないだろ」
言ってからしまったと思う。まるで根拠が無いじゃん。
『……私を船だと認識した上であっさり受け入れてくれる方は久方振りですね』
「いや。それは感心するところじゃないよ」 自分が動じないのは大した理由ではない。「オレには驚くだけの素養がないだけ」
『素養』
「そう。最初から理解出来てないもん。許容量越えてるから今更不思議が増えても同じなんだよ。こういうのって頭の良い人の方が混乱するんだろうな」
『異常な状況に置かれているのに客観的な視点を持てる。それ自体、貴方が異質である証拠ですよ』
「オレは平凡だよ」
『ではそろそろ人を招いてもよろしいですか?』
「はい?」
平凡発言には明言せず、ガー君が話題を変えた。
唐突すぎる。
『マドカ達が貴方の目覚めを待っていました。ハヤトが落ち着いたら入室許可を出すように申し付かっております』
「待ってたの!? 許可なんていらないからどうぞ」
焦って了承した。
達と言ったからには当然、さっきの子供達も一緒なのかと思っていたが、室内に入ってきた面子は予想とは違っていた。
「よう。元気そうだな」
「誰だよ!?」
円とトルマリンが顔を見せたのは想定内。けど最初に口を開いたのが初めて見る美少年だった。
少年、じゃないか。一瞬子供に見えたけど普通に青年だ。
いや普通じゃない。凄く美形。でも美形って点に関しては隼百だって今更動じないのだ。それでも隼百は驚いた。
隼百の動揺に彼が小首を傾げる。
「わかんないよな」
「いやわかるけどわかるから驚いてるんだけどちょっと予想外で吃驚が仰天して、ええ?」
しどろもどろの隼百を見つめ、新顔が眼を細める。
「しっかし健康ってだけで見違えるもんだな。まだ痩せてるから太らせなきゃだけど、流石まどか」
「無責任に持ちあげんなよ」 どうやら円が褒めてられているようだが、当人の表情は冴えない。「オレはほとんど力になれてない」
「過ぎた謙遜は嫌味だぜ? 凄いのは自覚しろ」
「じゃなくて、今回のは納得いってないんだって」
美人がやると溜息も色っぽいんだな。目の前で軽く言い争われて口を挟めない隼百はどうでも良い事を考えている。円の言葉に新顔の美少年が難しい顔で腕を組む。いや少年じゃないってば。
「治したんだろ?」
「……病理は消したけど」
「煮え切らねえな」
太らせて煮るって、肉? 肉の話か? さっぱりわからん。それよりも、
見覚えている糸目の平凡顔とは似ても似つかない。けど。
「仲嶋さん?」
「なんだ?」
見覚えのない美形は隼百の呼び掛けに返事をした。
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