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30 巻き戻り
しおりを挟むトルマリンは超然と微笑む。
「隼百君はどうして俺が腕時計を取り戻さなかったのかわかるかい?」
「どうしてって……」 隼百は困って視線を彷徨わせる。あれ? 遅まきながら、それがいかにも不自然な事なのだと気付く。だってその気になりさえすれば、このアルファは盗人の腕を切り取ってでも大切な物を取り返しただろう。彼にはそれが出来る。「全然わかりません。教えて下さい」
「フフッ……素直」
「いや、待て、頭撫でてないで答えて下さいよ」
「ああ、悪い悪い。ちゃんとした理由があるんだよ。あの腕時計は登録者以外の人間の着用でちょっとした防犯機能が起動するんだ。折角盗ってくれたなら、隠し機能は使わないと勿体ないだろ?」
「……防犯機能?」
「そう。非登録者の装着時に死亡等の条件に合致すると、上書きではなく巻き戻りが発動する。結果的に蘇るのは同じだけどね」 人差し指を立てる。「これが良い罰になる。不思議とこのやり方だと記憶が保たれるんだよね。着けてる限りその呪いは溶けないし、繰り返せる」
「えっと? ……ごめん。ちょっと何言ってるのかわかん、な……」
元館長に視線を固定していた隼百は見た。そして理解した。
目の前で繰り広げられる光景はグロテスクだ。
倒れたところから不自然な体勢で立ち上がる元館長の動きは人間の動きには見えなくて、途中で違和感の正体に気が付いた。
これ、逆再生だ。
最初の時と同じく股間が露わだったから見えてしまった。潰れた身体の一部が戻っていく様子が。
元館長の周囲の時間は通常通りに流れてる。なのに元館長だけが巻き戻っていく。隼百にはそれがブレた映像に視えてくらくらした。吐きそう。
3D眼鏡無しで見る3次元映画みたいだ。
無理矢理に時空を重ね合わせるからこうして歪みが浮かぶのだろうか、内容も相俟って見てるだけで具合が悪くなってくる。
そのとき隼百が思い浮かべたのは何でか、賽の河原だ。
どれだけ丁寧に石を積み上げても、何度姿を変えても最後には全てが元通り。はじめから何も無かったかのように戻されてしまう。
──元館長の目だけは終始、苦悶の表情を浮かべているのが隼百にはわかる。
いっそ優しげな声が隼百の耳元で囁く。
「殺さないだけ親切だと思わない?」
「……」
言葉も出てこない。
逆再生自体はすぐに終わった。けど時間にして5分がやけに長く感じた。
「──ひ?」
巻き戻りが終わって、そこにはトランクを開ける前の姿勢をした元館長が立っていた。呪縛が溶けた瞬間青ざめる。
「ひっ、ひ……」
折角立ち上がれたのに腰を抜かしたのかべたりとへたり込む。彼の周囲のコンクリにじわじわと広がる水たまり。ツンと漂ってくるアンモニア臭。
「……」
「巻き戻りを引き起こすトリガーのひとつが登録者に対する攻撃なんだ」 トルマリンの手のひらに背中を支えられて、隼百は自分が蹌踉けたのだと知る。……どうりで視界が揺れたよ。「君はそいつに殺される事は二度と無い。でも引き続き用心はすることだね。今のは君の死の可能性をひとつ消しただけだから」
隼百の背を落ち着かせるようにトントンと叩いて世話を焼きながら、トルマリンは取り残されたもう1人に視線を向ける。
酷薄な笑み。
「地獄でも見てきたような顔をしてるね。復活した気分はどうだい?」
トルマリンの言葉に元館長はぱっと表情を変えた。
え……。悦んでる。
縋るように相手を見る目は爛々と輝きを帯び、潤んでる。対するトルマリンには隼百と話す時のような気軽さは欠片も無く、視線は絶対零度。ギャップが非道いんだけど。でも元館長は構わないみたいだ。あきらかに蔑まれてるのに頬が緩んでいる。
「オ……オレがアルファの目に映ってる……ふ、ふふ」
「あ、引いてるね隼百君」
「いや……」
平気なアンタの方にびっくりだよ。咄嗟に言葉を濁したけれどトルマリンには通じたようだ。
「信仰されるのには慣れてるからねえ」
肩を竦めるアルファを、元館長はきらきらした目で見つめてる。
信じられない。嬉しいか?
今の恐怖体験を打ち消す程に?
いくら初めてアルファに話しかけられたからって……初めて? いや、無いよ。自分で自分に突っ込む隼百だ。あの歳で初めて話しかけられたって事は無いだろ。
……無いよな?
だって元館長、アルファの家の人だし、いつも自慢してたし……深く考えたら怖くなりそうで首を振って思考を振り払う。
元館長の目は輝きながらもどろりと濁ってる。
トルマリンは信仰、と称した。
ああ、確かに信仰だろう。──救われる為に神を造り神に縋り、他の全てを踏み躙る。それは狂信者の信仰だ。
その対象が『アルファ』か。隼百は側にいるアルファを振り仰ぐ。
ん? とニコリと微笑むトルマリン。
……。チャラい。
わからない。どうしてコレに心酔出来るかな。ふと思いついて元館長の視界を覗いて視てみる。
隼百はさほど深く考えずにそうした。
何でなのか、隼百にはそれが自分に出来るのだと知っている。
まるきり違う世界が見えた。
隼百から視線を移したトルマリンは元館長を無表情に見下ろす。そこに纏っている王気にびくりと震えたのは自分なのか? わからない。一般人を寄せ付けない雰囲気が、こわい。
隼百ははじめて恐れを抱いて彼らを認識する。
見ただけで思い知らされるのだ。勝てない。逆さになったって、絶対にコレには敵わないのだと解ってしまう。
圧倒的な強者。
──これが、アルファ。
同時に隼百は自分がベータなのだと強く自覚する。本能的な恐れで直視もできない。自分は弱者であり、この相手は信仰の対象だ。理屈抜きに身に刻まれていくような感触。でもそれを強く感じる程に哀れになった。
これが大勢が見ているアルファの姿なら。
アルファは孤独だ。
知ってるアルファの顔が脳裏に浮かぶ。全員が同じではないけれど。すとんと理解した。
変なの。
別のベータの視界を通して隼百が解ったのがベータじゃなく、アルファの気持ちってところが可笑しい。
召喚を始めたのがアルファなら──会った事も無いけど、どうして最初の「彼」が召喚を求めたのか解った気がする。そうしてまで自らのオメガを求めるアルファの行動原理はシンプルだ。
強いアルファほど孤高の存在だから運命を──ただひとりを求める。
だってこれほど圧倒的な存在、誰かが寄り添ってあげなければ壊れてしまう。
緩く首を振って眼を元に戻す。
いまだそわそわして気が散ってる状態が続いてる。だからこんな緊迫した場面でつらつらと余所事を考えてしまうのかな。駄目じゃん。
反省してしまう隼百は今、自分が特別な事をしたっていう自覚は無い。
トルマリンはゆっくりと締め上げるような威圧を放ちながら元館長に話しかけている。
「……良かったな? お前は何度死んでも、何度再起不能になっても繰り返せる。何度でも蘇る事が出来るよ。今みたいにね」
アルファに威圧されながら、それでも話しかけられて恍惚としていた信者は教祖の言葉を理解した瞬間愕然とする。
「も、もう良いです。充分です。アレはもう嫌です。繰り返したくない。嫌だ」
震えて泣きながらの懇願にトルマリンの視線は冷ややかなままだ。
「大袈裟に怖がるなあ。お前はまだ一度も死んでないじゃないか。この子よりひどい状況には陥ってないよ」
「っは、そんな嘘、違、違ったごめんなさい嫌だ! お、お願いします、怖い、嫌だ助けて」
「……そうだね。温情を与えようか」
「ありがとうございます! ありがとうございます! 神よ!」
「繰り返すのはお前が殺した分だけで構わないよ。何人かは知らないけど」
泣き喚いてたのが急に静かになった。見れば白目を剥いて気絶してる。
「まだ何もしてないのに」
つまらなそうなトルマリン。
隼百はふるりと震えて自分の腕を抱く。寒気がする。……何人?
「……あの。館長が人殺しとか、冗談だよな」
聞きたくないのに聞かずにはいられない。
ここで冗談だよ、と言って欲しい。けど、言うわけがないとも思う。
「さあ? 俺は知らない」 興味なさげな答えはひどくて、でも隼百はほっとする。答えを知るのが怖い。「まあ前科は無いね。けど代々続く権力者の家系らしいからねえ」
含みのある言い方に眉が寄る。トルマリンは被害者が居ないとは言っていない。
「多少の事件なら家が揉み消すだろうし、あとね、少し調べただけでも奴の行動範囲には行方不明者が多い」
「……」
「景気悪い顔だな。君は折角助かったんだから喜びなよ」
「……」
すっかりテンションの下がった隼百に苦笑するトルマリン。
「まあ、よくある話だよ。流石にこれは少し特殊だけど」
「……なんで?」
「こいつらの若い頃ってオメガを殺しても大した罪にならなかった時代でね。幸い、過去の話だ。けど昔迫害をしていた人間が今はもう普通の親になり、普通の顔をして暮らしてる。いくらかは教育者だったり指導者だったりしてね。そんなだからこういう行き過ぎた輩だって相対的に増えるさ」
「……なんで?」
壊れたみたいに同じ問いを繰り返す隼百をトルマリンは馬鹿にするでもなく、弱った顔。
「そういう時代があった世界だから、としか言い様がない。君は理解しなくて良いよ。まあそれを差し引いても上司がシリアルキラーって君は運が悪いよねえ。悪運は強いのかな?」
「……」
「上司が殺人鬼で吃驚したかい? そうでもないよね。君は薄々気付いてた」
「……買い被りです。知らないですよ」
「そうかな? 覚えてるかい? 奴に二度殺されてるって教えた時、君、冷静だったろ」 隼百は思わず顔を上げて、続く言葉に相手と目が合った事を後悔した。「他のことには驚いていたのに上司が殺人者だって事実には驚いてなかった」
「……」
「やっぱり慧眼だよね」
「慧眼とか言われたって……」
役に立たなければ意味が無い。
隼百はずぶずぶと沈んでいく気持ちを止められない。
館長が異常なのははじめから知っていた。
幸いな事に迂闊な自分は助けてもらえたけど、本当に幸いかどうかはわかんない。
殺された人達は死ぬ前に助けて欲しいって願っただろうに。……不公平だ。生死を分けた差はなんなんだろうと思ってしまう。
オレならいつ死んだって構わないのに。
──生に執着が薄いのは赤ん坊の頃から、らしい。
なかなかお乳を吸わないし、ご飯は食べない。高いところから平気で飛び降りる。怪我してもまるで懲りない。迂闊に親から離れて攫われかける。幼い頃は随分と両親を苦労させたと聞いた。それがマシになったのは『親より先に死ぬのが親不孝』だと自覚してからだ。自分は少なくとも両親には必要とされていた。愛されていた。その自覚は隼百をひどく安心させた。……それって本来、生まれた赤ん坊が本能で知ってる事なんだけれど、何故か隼百には自覚が足りなかったらしい。必要とされてたから後は普通に生きた。でも余命宣告されて、結局は親不孝をしてしまったっていうこの体たらく。挙げ句、こんな縁の無い異世界に飛ばされて、
どうしてそのオレが生き残ってんだろ。
可哀想だ。
「あれ。もしかして泣いてる?」
「泣くわけないでしょ適当言わんで下さい」
覗き込んでくるのに隼百は顔を見られたくなくて顔を背けた。苦笑する気配。
「また絆されるじゃないか」 強めに頭を撫でられて視界がブレる。「君が泣かなくても良い」
「……泣いてないんで」
「あはは。泣かせてごめんね。別に肝心なところで勘が悪いなんて思ってないし、恥ずかしくないよー」
「しつこいな」
慰めてるのか揶揄っているのかわからないトルマリンを隼百は睨む。
「だって君の涙は自分の為じゃなくて、顔も知らない被害者救えなかったって懺悔の涙でしょ。いくら何でも過去の人間までは救えないよ」 言って、感心したように続ける。「知らない他人の為によく泣けるよねえ」
「……」
知ったような口を。黙り込んだ隼百に、トルマリンの声が少し柔らかくなる。
「君達は身近にいる人は疑えない性質なんだよ。それは悪いことじゃない」
「誰だよ君達って」
「オメガ」
は?
「オレ、オメガじゃないんだけど?」 何言ってんだコイツ、という空気を出したのに表情の変わらないトルマリンに隼百は自信がなくなってくる。「……ベータ、だよな?」
いやまあオメガでもベータでも、バース区分のない異世界人の隼百にとっては重要な問題じゃないし、どっちでも良い。
とまでは言わないけど。
言ってる事がコロコロ変わるのは不可解だ。
トルマリンは答えない。ただ──無言で首の後ろを触られて隼百は目を剥く。
「……な!」
反射的に手を振り払っていた。え? 何だこのはじめての感覚!? 不愉快度が半端ない。
隼百の過剰な反応にトルマリンが薄く笑う。
「いっそ本当に攫われてみるかい?」
────────────────
シリアルキラーとは「一般的に異常な心理的要求の元、一ヶ月以上の冷却期間をおきながら複数の殺人を繰り返す連続殺人犯に対して使われる言葉」だそうです。
トルマリンはオメガに甘いアルファです。隼百に対する態度を決めかねているうちに無自覚に甘くなっちゃったな、とか考えている。でもあまり悩まないので、もう甘やかす方向に舵を取った感じ。
次回は「暗転」攻めが出てくるまでもうちょっと。
なんですが、繁忙期やら冬コミでまた更新は遅れると思います。冬コミ行かれる方、30日金曜の東地区ナ45a{異世界オメガ}寄って下さるとありがたく。はじめて取っちゃったので絶対寂しい。新刊は本編にはあまり絡まない仲嶋君家族の話です。
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