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28 放置
しおりを挟むぎりぎりと首を絞めあげてくる元館長は笑っている。
笑っているが、目の焦点が合っていない。
「ハぷッ、ハァッ、は、ハァッ」
呼吸は乱れ、吐く息は荒い──苦しそうなのは首を絞めている元館長の方で、隼百はまだ相手の表情を見る余裕がある。
天井の照明越しに覗ける顔はどす黒く、まるで彼こそが溺れていてるんじゃないかって気がしてくるぐらい。しがみ付いているのは隼百の首だけど。
どうしてこんなに怖がってんだ?
「な、んっなんだよ!? 今のはなんなんだよ!?」
ハッ、ハッ。ヒィッ、ヒハッ、元館長は過呼吸気味に息を吸い続ける。腕が緩んだ隙間に隼百は呼吸する。
そう。首に加わる力だって不安定なのだ。また腕が弱まった。──慌てるな。意識してゆっくり息を吸って、吐く。酸素は肺に届き、脳に血が巡る。──ほら、大丈夫。自らに活を入れる。ぼーっとするな動け。考えるのは後でいい。折角出来た隙を見逃すな。
隼百は目の前の逆三角形の身体を蹴り上げ──相手がズザッと音のするぐらい大げさな所作で飛び退いた。
当然、首から腕も外れる。
白けたような、間。
隼百は呆気にとられつつも体勢を立て直し、ふらつきながらもしっかりと相手に向き直る。
元館長が飛び退いた距離は、駐車の白線で車3台分。それだけ離れた位置まで逃げてしまった。
相手が途中で止めた理由がわからない。いまさら良心の呵責を覚えた、ようには見えないし。
元館長はブルブルと大袈裟に震えながら目には激しい怒りを燃やして隼百を睨んでいる。腰は引けてる。
明らかに隼百を警戒している。
えー……?
なんでオレ、自分を殺そうとしてきた相手から怖がられてるかな?
そりゃ至近距離から膝蹴りをしたけど体勢が悪かったし、力も弱い。うまくヒットしたところで隼百では大したダメージは与えられなかっただろう。必死に逃げすぎ。
やっぱりアレか? さっきの金的のトラウマか?
──けど。
「くそっ! くそがっ! あああ畜生ハズレがどうしてピンピンしてんだよ!?」 思い通りにならない焦れったさに暴れる子供みたいに地団駄を踏む。「てめえは死にかけてたろ! アレだけ頭陥没させてマトモに動けた奴なんて今まで居なかった! お前おかしいだろ!?」
隼百は目を丸くする。
「そ……」 けほっ。頭で平気だと思っても身体が付いて来なかった。けほっげほっ、頑張って息を整えるけど嗄れ声しか出せない。「そ、の言葉、そっくり返し……けほ、身体、大丈夫です?」
「ひぃっ」
引きつけを起こしたような悲鳴を発し、元館長は頭を抱える。目玉をぎょろぎょろ動かして虚空を見つめ、記憶を穿り返してる様子。額には脂汗が浮かぶ。
「……ありえねぇ俺は確かに……一度……めり、めり込んで……潰れひっ、ひはっ、でも、戻った! ああわかった、わかったこんな、こんな魔法使えるのはアルファしかないじゃねえか、これは俺の信仰の証だ! つまりは神のおぼし召し! ……ふは、はっ、ははは、ひは!」
ちょっと異様だ。
恐れと喜び。恐怖と歓喜。相反する感情が入り混じった奇妙なハイテンション。
異様なのは最初から、だけど。溜め息を吐く。隼百からすると館長はアルファとかオメガよりも変に見える。けどここは異世界。この世界の基準では普通かもしれないと違和感を呑み込んできたのだ。今なら解る。世界関係無いな。この男は壊れてる。それも、嫌な壊れ方をしている。……周りを巻き込んで壊す、質の悪いタイプ。
少しでも呼吸を楽にしようと首を抱えながら考えを巡らせる。
にしても、やっぱり覚えてるんだよなこれ。
何で覚えてるんだ?
隼百にも相手に攻撃を仕掛けて再起不能にした記憶がある。けど館長の身体に今怪我は無い。腕時計が発動して時が戻されたからだと予測は出来るのだけど……それではおかしい。
上書きされて元に直ったなら、その間の出来事は消える。
忘れてなきゃおかしい。
だって。
隼百は何度かその機能を発動させた事があるらしい。
らしい、なのだ。
自分の身に起きた『事故』の内容は教えられたから知ってる。でも感覚的には他人事だ。どうにも現実味が足りなくて自身の事とは思えない。隼百の危機感が足りないせいもあるが、1番の理由は記憶が無いからだ。
上書きされた5分間は消える。
故に、隼百の認識では何も起こっていない。
死んで巻き戻りが起こった場合、その間の出来事は無くなる。記憶だって上書きで失われる──というのが隼百の認識だ。
目の前の男は巻き戻りが発動し、尚且つ記憶がある。
そもそもなんで腕時計の機能が発動したんだろ? 発動のトリガーは死亡だった筈。館長、別に死んでないし……性的暴行でも発動するって言ってたよなそういえば。バールなようなもので股間を殴られるのは性的暴行に当てはまるのか? ……つか何で勃起? ……オレ何で股間の事考えてんだ? いつの間にか脱線してる。
錯乱する相手と膠着状態を続けているから思考をあちこちに飛ばしがちになるのかな。いつまで続くのか、暗澹となったところですうっと喉の痛みが引いていった。喉以外の痛みまで消える覚えのある感覚に顔を上げれば、隼百に無言でポーション染みこませたトルマリン。
「おわっ!? 出た?」
「人を化け物みたいに」
「急に現れるからだよ!」 吃驚した勢いで怒鳴りつけてから、我に返る。「今までどこに居たんですか?」
「どこって、車で先に行っちゃたのは君の方だろ。追いつくのに苦労したんだよー?」
よくよく見れば、息を切らせているトルマリンに隼百は首を傾げる。
「え。ぱぱっと転移で追いつけないのか」
隼百の呟きにアルファはハァと溜息をつく。マイペースな隼百に疲れたような、でも安堵も混じった複雑な表情。
「知らない人は魔法で何でも出来ると思って無茶を言う」
「アンタが何が出来て何が出来ないか、オレにはさっぱりわかんないですよ」
わかるわけないだろ。胡乱に答えた隼百にトルマリンは肩を竦める。
「ポーションで何でも治るわけじゃないし、転移でどこへでも出現できるわけじゃないんだよ。加えてここは協会のお膝元京都、敵地だからね。色々誓約があって厳しい」
「……トルマリンって協会の人じゃないのか」 意外だ。仲嶋さんが協会の人だったから、てっきり旦那も関係者と思い込んでた。なのに敵地って単語が出てくるのが不穏で複雑な。「京都?」
「おや、これは失言をしてしまったね。しまったな」
清々しい程に棒読みである。
「いや、わざと聞かせてるじゃないですか。何の遊びですか」
ツッコミをしながらも隼百の視線は元館長にあり、彼の動向に注意して身構えている。
元館長は隼百から飛び退いた位置から動いてない。
急に大人しくなったのだ。トルマリンの登場に目を見開いて驚愕し、後はひたすらこっちを凝視してる。
「……アルファだ」
ぽつりと呟く元館長。
今更何を。さっきだって対面してたじゃないか、と考えてから思い出す。あの時はこの人、目眩ましだか隠蔽だかでトルマリンが見えてない状態だった。
にしても不気味だ。見てるだけで喋りかけてはこない。
ただ話しかけて欲しそうな、物欲しげな目でひたすら凝視してくる。正直、口より視線の方がうるさい。
けれどトルマリンは元館長の存在を綺麗に無視して隼百に笑う。
「それにしてもまあ、凄いね」
凄い、とは。
「非道いねって言ってます?」
「気のせい気のせい」
否定の言葉が白々しい。
「……もしかして、見てました?」
「見てた」 トルマリンはとても愉しそうだ。「目はあったからね」
目?
「監視カメラでもあるのか」
「そういった類のモノだよ。まあ、見えるだけで追いつけなかったからもどかしかったんだけど」 とにやりと笑う。「やってくれたね。股間の急所をバールで潰したのは非道いよね」
「非道い言ってんじゃないですか」
「いや感心してるんだよ。隼百君は自ら窮地を乗り越えた。本当、偉いよ。ヒーローの出番は無くなったけど」
「……誰がヒーローだよ」
気まぐれなのか何なのか色々と助けてくれるトルマリンだけど、その行為は大変有り難いんだけども、人のピンチに揶揄うのを優先して面白がってるところがある。ひとことで言うと軽薄。ヒーロー名乗るとか片腹痛い。
「少なくとも俺の事じゃないねえ」
「え?」
「それより遅れてごめんね。これでも焦ってたんだよ。なにしろ君、腕時計奪われちゃうから」
「あ」
「あれは登録者の装備で軽い隠蔽がかかる。なのに盗られるって不思議だよね。本来、着けてる事すら他人に気付かれない筈だけど」
「うっ」
「隼百君は心当たりあるかな? 最初に剣崎から注意されたろ? 隠蔽は完璧じゃない。舐め回すように熱心に見られたりする場合は意味が無いって」
答えを知っているかのような問いだった。……解せない。謝られてたのにいつの間にか説教されている。でも飄々とした揶揄いなら聞き流せても、真面目に問い詰められると弱くて隼百は縮こまる。
「あー……高級腕時計つけてるのが生意気だとか言われた事は、ありますね」
「君はそこで執着されてるって用心すべきだった」
「……返す言葉もないです。すみません。大切な借り物なのに」
へこむ。
盗られた借り物は高い。……値段の問題じゃなく、目の前のアルファが愛する奥さんの為に用意した物なのだ。貴重でないわけがない。
なのに、思い返せばオレ、無意味な行動しかしてない。精一杯反撃した結果はリセットされ、でも記憶は残ってるから相手を逆上させた。
守りの魔法が付与された腕時計を身につけた元館長は致命的なダメージを負っても巻き戻る。……不死身の殺人者って最悪じゃないか? 預かった責任がある以上、自分で取り戻したいが──オレに出来るか? 不安になる隼百だが、トルマリンは何故か呆れ顔。
「……あのね。そうじゃないでしょ。ここは君が俺を責める場面なんだけど」
「はい?」
「見捨てられた、非道いって怒っても良いよ。不意打ちで殴られる君を俺は放置して見てた。だから君、攫われたんでしょ。君は俺に文句こそ言えど、謝る立場じゃないんだよ認識大丈夫かな? 加護を剥がされて焦ったのはこっちの都合だし、それも謝るのは禁止」
トルマリンの重ねる台詞に隼百の首が横に傾いていく。怒らないからって文句を言われても。
「別に見捨ててないでしょ」
「なんで」
「いや、アンタ、追いかけてくれたじゃないですか。そもそも今オレが生きてるのはアンタに助けられたからだし。だからオレが想定外に奥さんへの贈り物盗られたのを申し訳ないって思うのは間違えじゃないだろ?」
相手はムッとした顔。
「想定内だよ。寧ろ、これを狙って罠にかけたんだ。理解してないみたいだからはっきり言うけど、俺は君を利用して危険に晒してる。悪く思わないでくれるかな」
「成る程。オレは囮なんですね」
罠が何かわからないまま素直に納得した隼百にトルマリンは頭をがしがし掻いて、溜息。
「……想定内だけど、実際やってみたら心臓に悪いんだよな」
「うん?」 問答をしていてひとつ、思い出した。「……それであんな過剰ポーション状態になったんだ?」
「過剰って。適切だから! 身体悪いでしょ君。ただでさえ身体弱いベータなんだから安全性を考慮した結果だよ!? 適切だから」
「ベータって身体弱いのか?」
「そうだよ。言っとくけど世間では弱いって言われてるオメガのが全然丈夫だからね? そりゃオメガは身体動かすのは下手だけど持久力あるから。ベータは大勢いるから個々が弱いんだよ。うちの子だってベータがいちばん手がかかるし、すぐ身体壊す。丈夫になったと思うと油断できないし」
なんだ? 隼百からの指摘が余程体裁悪かったのか、言い訳みたいに口数多い。
「わかりました。適切、適切でした」 隼百は片手を上げて話を強引に打ち切る。本当はよくわかってないけど、子供の話にまで及ぶと話が長くなる予感がする。いい加減、放置されたままの館長の視線が痛い。「まあ、ポーションが貴重品じゃなきゃオレは良いんです」
高い借りとか作りたくないのだ。生きてるうちに返せないではないか。なのにトルマリンは事もなげに言う。
「貴重品だよ? あれ作れるのが世界で一人だけだから」
「っはあ!?」
「制作者の許可は取ってるから問題ないよ。それより君は今、腕時計の加護が無い状態って事を注意しなさい。危なっかしいったらない」
「いや聞き捨てない事実をさらっと流さないで下さいって。一人だけっておい。勿体ないだろ」
「だから気にしなくて良いって。使わなかったら俺が制作者に怒られるよ。君ら、結局似てるよね」
「誰と!?」
「どうして君がベータなのか、ちょっとわかってきたよ。力は弱いのに芯が強いオメガの片鱗があって、ベータの脆さはあるけど自由でどこにも縛られてない。そういう子はさっさと庇護されるべきなのにさあ」
さっきので吹っ切れたのか箍が外れたようにトルマリンは心情ぶちまけてくる。心情だけぶちまけられても説明が無い。
「なんですかそれ意味わかんないし。子、子って、オレはガキじゃないし!」
白熱する言い争い。なんでケンカ腰になってるのか、お互いよくわからなくなってる。
「おおおれを無視するなァ!」
「あ」
思い出した。乗り越えてない。全然乗り越えてないし脅威はまだそこに居た。
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