異世界オメガ

26 無自覚に地雷を踏み抜く

「そりゃここ、オレの住処の側ですから。館長こそ、どうしてこんなところに？」

　咄嗟の隼百の返しに館長が言葉に詰まった。　
　そして誰もいない彼方をぎょろりと睨みつける。つまりはそっぽを向いてしまった。

「あの。館長？」

　声を掛けても視線を逸らしたまま顔を合わせようとしない。凄い。こんな時でも都合が悪くなると黙り込む安定の大人げなさに隼百は呆れを通り越し感心してしまう。
　それって自分から『後ろ暗いと感じている』と告白しているようなものなんだけど。
　後ろ暗い、か……。
　オレを殺しに来たから？
　はふ、と息をついて沈みそうになった気を引き締める。

　えっと。それにしても。館長がトルマリンについてどんなコメントをするのか期待してたんだけど一切言及してこないのは予想外。
　トルマリンには謎が多い。折角館長に会ったのだ。どうせならトルマリンが館長の知るアルファなのか、知らないのならばせめてどの程度の強さのアルファかわかるか参考に聞いてみたかったのに。

　なぜって隼百の知る人間の中で、いちばんアルファに詳しいのは館長だからだ。本人がそう豪語してる。

　ことある毎に『俺は幾多のアルファを輩出した家系の出だ』とか『アルファとはこういうものだ』『アルファならばこう言う』と話題に出す。親戚にアルファが多いのがどう凄いのか、生憎この世界に詳しくない隼百にはわからない話だけれども。金持ち自慢のスネ夫みたいだなあという印象はあるけども。
　でも、だからトルマリンがアルファである以上、何かしらの反応があると思ってたんだけど。
　無視かー。館長はアルファを見慣れてるから反応する程じゃないのかもしれない。
　大したことないじゃんトルマリン。

　……ってか、

　これやっぱ、いわゆる目隠し状態なんだろなあ。今の館長にはトルマリンの姿だけが見えてないっぽい。

　で、そのトルマリンはと言えば、腕を組んで事態を静観している。
　高みの見物かよ。

　しゃーないな。
　どうせはじめから頼るつもりは無い。隼百は気持ちを切り替える。

「それにしてもお久しぶりです。館長、急に水族館辞めて居なくなったから皆が心配してましたよ」
「よく言う。どうせ俺の事なんか忘れて楽しくやってたんだろが」
　話題を変えると今度は返事はしてくれた。
「あー……楽しいって言うよりは忙しかったですね」
「ハッ、そりゃ責任者が不在じゃどうにもならんよな。俺のありがたみがわかったか。ざまぁだな」
「いや、どっちかと言うと居なくなっていろいろな事がスムーズに進んだ分、忙しくなったって感じで」
「……は？」
　ぽかんとする相手に笑顔でごまかす。
「何でもないです。お元気でしたか？」
「それがさっき急に気分が悪くなってな……くそ。ハズレの顔を見たからだ」
　いや。トルマリンがフェロモンをぶつけたからだ。
　館長が吐いたのは胃もたれみたいなものかなあ？　隼百にはアルファのフェロモンが苦しいって感触はない。味覚で言うなら甘いと思う。隼百の好みからは外れるけど。
「館長は繊細なんですね」
「ああ、しかしここで顔を見せるだなんてお前、相変わらず能無しだな」
　うーん。どうしよう。隼百は首を掻く。こんな、挨拶で嫌味を言われるだけの無為な会話がしたいわけではない。悪意の塊との会話は体力を使う。てか面倒になってきた。

「館長が辞めた理由が知りたいんですけど」

　なので普通に踏み込んでみた。
　まともな答えを期待したわけじゃない。相手の反応を見るだけの質問。再び無視されるか、暴言が来るか、身構えて様子を伺っていると館長の口の両端がゆるりと釣り上がった。
「アルファが俺に……」
「アルファ？」
「聞いてんだろ？　クビにされたんだ」
「……理由がわからないです」
「素行の悪さだ」
「え。今更？」
　口が滑ったが、館長は我が意を得たりという顔。
「だよな？　笑わせるだろ？　そりゃしょぼっくれた水族館なんかに未練はないが、クビなんざ納得出来るか。誰かが俺を嵌めたんだ……」
「オレは違いますよ？」
「ハッ、知ってる。そんな権力がハズレにあるわけねぇ。俺が、誰の仕業なのかわからない、そこがおかしいんだよ」
「って……変ですかね？」
　そういった個人情報を開示しないのは当たり前だと思うけど。
「馬鹿が、地元でうちに手を出す馬鹿はいねえんだよ。動いてるのは親会社の上の上だ。情報は隠されてるが、俺はやっと突き止めたぞ。手を引いてるのは協会だった。それも地方じゃあない、中央の働きかけだ。指示を出したのはアルファだ……」
　ブツブツと口の中で呟きはじめる。早口で。
　なんだかな？　館長がアルファを怒らせたって噂はこっちでは早々に流れてたけど、本人は知らなかったのか。
　トルマリンは微笑んで手を横に振る。

「隼百君、言っておくけどそのアルファさんは俺じゃないよ」
「……」

　ちょっと不気味だ。
　館長はトルマリンの存在に気付いてないのに、トルマリンが口を開くと口を閉じる。
　トルマリンが腕を組むと再起動した館長がまた喋り出す。

「すげえだろ？　アルファ様が俺のやることに、俺に、関心を持つだなんて、はっ、ははは！　アルファ様がだ！　こそこそ暗躍してないで正々堂々と俺の前に姿を現せってんだよ！」

　アルファ様？　なんでそんな呼び方になってるのか詳しく聞きたいが、館長はひどく興奮していて下手に刺激したくない。適当にお茶を濁して会話を終えたい。

　……アルファの関心、か。それなら隼百も思い当たる節がある。

「アルファって自分が関心持ってるモノにはとことん熱心だけど興味ないとハナから視界に入れないですもんね。……そりゃオレ達だって大なり小なり似た傾向はあるけど、あそこまで極端じゃない。あの人達、許されてる分すごい自由なんですよ」
　隼百の返答に館長が目を見開いた。なにを驚愕してるのか。
「えっと、だから、アルファって皆好き嫌いがはっきりしてるなって。少なくともオレの知ってる人達は頭は良いんだろうけど、何かに関心持つとアレな方向に一直線」

　隼百の頭の中には来己、室長、それらの顔が浮かんでいる。目の前にはトルマリンがいる。俺じゃないよね？　って顔をしているけど、アンタも嫁には大概だ。
　あ、でもどうかな。
　隼百の知ってるアルファが特殊なだけかもしれない。
　隼百は一般的なアルファを知らない。……普通のアルファがいるとして、きっとその人達はもっと理性的だ。
　この世界に来たアルファは皆、何かのために、
　──誰か、ひとりだけのために他の全てを捨てる人間なのだ。
　まともなわけがない。

「藤崎」

　少し考えに沈んだ隼百を呼ぶ声に、
　返事をするより先に首の後ろに手を当てた。
　……なんでオレ首を庇った？　違和感の正体に思い当たる。館長から、ハズレとかじゃなくちゃんと呼ばれるのは珍しい。

　きらきらとひかる虹の残滓を見た──。


　　　　　　†


　気持ち悪……。

　ツンと鼻を刺激する匂いで隼百は覚醒する。目覚めが吐き気を催すゲロの匂いってのは毎度のことながらさいあく。じわじわと弱っていく身体だから時々やってしまうのだ。消化器系は脆く、最近は多い。片付けの面倒まで考えて暗い気持ちになる。……と？　なんか違うな。口の中はクリアだ。自分のゲロじゃない？
　狭いし、暗い。
　……？
　うつ伏せの胎児のような姿勢。
　目に滴ってくる滴。水を被ったのか。
　狭いけれど一応動ける。そっと手を動かして濡れた顔に触れる。目をこらして手のひらを見ると、黒っぽい。漏れてくる薄明かりで辛うじて赤だとわかって、我ながら引いた。遅れて理解する。

　頭を殴られた。

　間近の記憶で思い出したのは振りかぶった館長の姿。
　……。
　オレは馬鹿かな？
　油断した。
　だって外だったし、まさか唐突に暴挙に出てくるとは思わないし……まあ人影、全然無かったけど。
　反省する。あらかじめ警告されてたんだからちゃんと警戒するべきだった。

　にしても躊躇のない一撃だったなあ。

　頭は痛くない。全然。感覚が無くなるほど酷いことになっているのかとちょっと焦って、けど、さっき見た虹の残滓を思い出す。
　あれポーションか。

　トルマリンが回復してくれたんだ。

　……犯行前に止めてくれれば良いものを犯行後の回復って辺り、助け方が雑だけどありがたい。そのトルマリンの姿は見当たらない。
　というか、ここに人がもうひとりいられるスペースは無い。
　身体はうまく動かせない。拘束されているわけではなく、単純に狭い。
　これは……一定のリズムで振動してる。
　どこかに向かっている車の、多分トランクの中。

　死んだと判断してどこかに埋めに行く途中かな？
　笑い出してしまいたい。運転席にバレるからやらないけど。多分トルマリンがどこからか見ているだろうし、ぎりぎりで助けてくれる気がするし、良いんだけど……腕だけは動かせる体勢だからひとつ気付いた事がある。いつもあった腕の重さが消えてる。
　──ふっかつのじゅもんは使えないな。

　時計が奪われている。