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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
ある夜。
私は高熱を出してうなされていた。メイドが一人だけ様子を見に来てくれたが、家族は誰一人お見舞いに来ない。
私の家――マカロン家は伯爵で、裕福な家柄。剣の腕が昔から評判だ。
兄である長男のジェイコブは、銀髪の爽やかな青年であり一族で一番剣の腕が立つせいかモテる。
長女のアデライトは病弱だが、その美貌は国一番と言われるほど。体調が良い時にしか社交界に出ないにもかかわらず、花の女神と呼ばれている。
そして、妹で三女のアメリ。彼女は末っ子で甘えん坊、可愛らしい笑顔と人懐こさでみんなを虜にする我が家の天使ちゃんとして可愛がられている。
「――ハァ……ハァ……みずぅ……」
一方、今、誰にも見舞われず一人で風邪と闘っているのが、次女のソフィア……私だ。
寝ているのは殺風景な自分の部屋。
多分、他人が見たら貴族の娘とは思えないと驚くだろう質素な内装だが、ずっと姉の看病と妹の世話という家事を一手に任されていて暇がない私には、友達がいないので、誰も気づかない。
いいえ、友達は一人だけいるわ……。一人だけ。
朦朧とした頭でそう考えた瞬間――何故か私は、前世の記憶を思い出してしまった⁉
「ふあああ⁉ コンビニの新作スイーツ食べ損ねた‼」
それをきっかけに、次から次へと色々な記憶が蘇る……
コンビニの新作スイーツ、いや違う違う。
そう、前世の私は自由で、家族に恵まれて楽しく……笑って生活していたんだ!
「……なんだか、今の私って……中身が空っぽな人間だな」
私はフラフラとベッドから起き上がる。ずっと閉めっぱなしだった窓を開けて、夜空を見つめて決心した。
もう臆病な自分にサヨナラよ!
私は自分のために生きるわ‼
……とりあえず、水を飲んで寝ようっ、と。あー、コンビニとか欲しい。
その後、しばらくしてもう一度眠りにつく。
「……ん」
不意に、私のおでこにヒンヤリと冷たいタオルの感覚がした。
ボーッとしていて、タオルを当ててくれた人の顔が分からない。でも優しい人だと思う。花の香りがするもの。
誰かしら……家族の……誰かかしら……?
三日後――
そこには何の変わりもない家族たちの朝の風景があった。
風邪をひいていた私を一切気にしていない家族!
ここまでくると、清々しくて笑えるわ。
「ジェイコブ、また騎士団の騎士たちに負けない腕だと褒められたようだな。私は鼻が高いよ」
白髪交じりの銀髪の中年――マカロン家当主であるジェイソン、つまり父が彼と同じ銀髪でサラサラ髪の青年ジェイコブを褒める。
毎朝同じ内容の会話をして、よく飽きないわね?
「そんなことないよ。まだまだ僕はひよっこさ」
「ジェイコブ! そんな謙遜しなくてもいいのよ? ふふ、私は母親として鼻が高いわ。この前のお茶会でも、みんなジェイコブの婚約者に年頃の娘を紹介したいと言ってきたのよ」
お母様、その話、三十五回目よ?
でも、誰も突っ込まない。
だって、ここから話が盛り上がるんだものね。
「僕に婚約者? んー、でもさ、我が家の、いや、国一番の美女――花の女神であるアデライトに勝てる子、いる? 僕のお嫁さんはアデライト以上じゃないと」
ジェイコブ兄様は、ふるゆわな銀髪で儚げな美少女、アデライト姉様を褒めちぎる。
姉様は頬を赤らめて照れた。その顔もまた可愛らしい。
「ふふ、恥ずかしいわ。ジェイコブお兄様ったら」
「ジェイコブ兄様ー! 私はー? 私は可愛くないのー⁉」
「アメリ、何を言っている? お前は我が家の天使ちゃんだ。可愛いに決まってるだろ」
「ジェイコブ兄様の言う通りよ。アメリは我が家の天使ちゃんだわ。ふふ」
「へへへへー! だよねー? あ、ソフィア姉様! 私ね、人参嫌いだから、たーべーてー!」
銀髪ツインテールの七歳、末っ子のアメリが彼女が嫌いな人参を私の皿に載せてきた。
今更だけど……マナーとしてどうなの? みんな、何故注意しないのかしら? そうツッコミたくなる。
私は深いため息を吐いて妹のアメリを見た。
彼女はニッコリとただ微笑んでいる。
……少し前までは、妹だから、可愛い妹だから、と自分に言い聞かせ、彼女に押し付けられたものを食べてあげていたけど……
「は? 嫌よ。好き嫌いは良くないわ。食べなさい」
「ふえ⁉」
そう私が言った瞬間、食卓が冷たい空気になった。
アメリは初めて私が拒否したことにビックリして泣きそうになっている。目の前にいる父と母は目を見開いていた。
「ソフィア? 貴女は姉なのだから妹のために――」
注意する母を無視して、私は隣に座るアデライト姉様のお皿に人参を載せる。
「…え⁉ え、え、……ソフィア? あの……何故、私に?」
「お母様が姉なのだからと言っているので。長女であるアデライト姉様が食べるべきでしょう?」
ニッコリ笑って答えると、アデライト姉様は固まった。向かい側の席のジェイコブ兄様がテーブルを叩いて立ち上がる。
「ソフィア! 悪い冗談はやめろ! アデライトも人参が苦手なんだぞ⁉ アデライトが病弱なのはお前も知っているだろう? 苦手な物を食べさせては身体に悪い!」
んなわけねーよ。
筋肉アホな兄の頭を殴りたいのをグッと堪えていると、お父様が首を傾げながら話す。
「……お前には昔から言っているが、兄のジェイコブは次期当主であるから敬え、姉のアデライトは病弱だからお前が看病してくれ。妹のアメリは末っ子なので姉であるお前が面倒をだな――とにかく、その反抗的な態度はよくないな」
長々と語ったお父様は、私が悪いのだと言いきってスッキリした顔になる。
みんながお父様に同意を示した。それがなんだか気持ち悪い。
「……あの、お父様」
「なんだ、謝るべきだと気づいたか? しょうがない奴だ」
「その『お前』呼ばわり、やめていただけませんか? 私には名前があるのを忘れてしまったのでしょうか?」
大袈裟にため息を吐いて軽く馬鹿にした表情をすると、お父様は真っ赤な顔でプルプルと震え出した。お母様はオロオロと困っている様子だ。
ジェイコブ兄様とアデライト姉様は、私の態度にビックリしたのか固まっていた。
鼻水を出しながらヒクヒクと泣いているアメリを無視して、私は立ち上がる。
「ま、待ちなさい! まだお前に話が――!」
「はい、ご馳走様でしたー」
そう返事をして、振り向きもせず食堂から出ていく。
家族だけではなく、屋敷の使用人たちもビックリした様子で私を見つめていた。
私はもう前の私じゃないぞ!
第一章
「やぁソフィア。……風邪が治ったばかりのところ申し訳ないのだが……、君に話したいことがあるんだ」
「あら、オスカー様」
屋敷中に衝撃を与えたらしい朝食後。オレンジ色の髪と綺麗な黄色の垂れ目が優しそうな雰囲気のオスカー・フォルフが、私を訪ねてきた。
彼はフォルフ公爵家の息子で、私の婚約者。幼なじみでもあり、二つ年上のとても優しいお兄ちゃんなので、私の初恋相手だ。
……うん、それにしても何故、オスカー様の隣にアデライト姉様がいるのかしら? まあ、察したけれどね。
二人は器用にも甘い空気感と一緒に、申し訳なさそうな雰囲気を出している。
「……すまない、僕はアデライトを愛してしまった。君との婚約はなかったことにしてほしい」
「オスカー様! 大丈夫ですわ。ね? ソフィア、私たちのこと許してくれるわよね?」
いきなり堂々と裏切りを宣言する婚約者と、それが当たり前だという態度の姉。二人とも、頭は大丈夫かしら……
記憶を辿ると、オスカー様の婚約者候補は元々アデライト姉様だった。けれど、フォルフ公爵家が病弱な姉を嫌がり、健康的な私を選んだのだ。
まあ、より後継ぎを産めそうな娘が良いという、その判断は理解できる。
そんな家の都合はどうしたのだろうか? 二人はまだ私が許していないことも気にせず、ラブラブ状態だ。
いや、今、私、婚約者に浮気しましたと言われたよね?
結局、私の意思を確認することはなく、オスカー様は帰ることになる。
家族みんなで玄関先まで彼を見送った。
家族は私の気持ちなど気にならないようで、二人を叱るどころか祝福の言葉をかける。
不意に母が私の肩にそっと手を添えた。
「おめでたいことだわ。婚約者は病弱なアデライトにお譲りなさい。あの子が可哀想だもの、仕方ないことでしょう」
そう言う。
だーれも私に慰めの言葉一つかけない。
そうかそうか、本当に呆れてしまう。
父はアハハと笑いながらオスカー様に話し掛けた。
「ハッハ! やはりオスカー君も我が娘のアデライトの虜だな! なあに、フォルフ公爵もこのことに賛成してくださるだろう! 心配することはない!」
「あ、ありがとうございます! 僕の母は特に厳しい人なので心配だったのですが、そう言われると心強いです」
いや、自分の親に何も言っていないんかい!
ツッコミどころ満載……私は彼のどこが好きだったんだろうか。
彼は優しいけど、それだけだ。よく考えると、何かしてくれたことは当然、私を気にかけてくれたことすらなかった。
そして何より優柔不断。
深いため息を吐いている私の背中を、隣にいたジェイコブお兄様が押す。
「ほら、ソフィアも二人に祝福の言葉を贈るんだよ。常識がないのか?」
「……え⁉ お兄様は自分が常識ある人間だと思っているのですか?」
「な、なんだと⁉」
私が反論すると、周りにいるみんなは固まった。
オスカー様は私を見て、口をポカンと開けている。
私は隣でキャンキャン吠えている馬鹿兄を無視して、彼に近づいた。
「オスカー様」
「え、あ、うん。なんだい?」
「歯を食いしばってくださいな」
「……え?」
ぐっと拳を強く握りしめて、ストレートパンチを喰らわせる。
「キャア!」と屋敷中に悲鳴が響いた。
コロンとオスカー様の前歯が欠ける。
アデライト姉様が涙を流しながら彼を庇った。
「ソ、ソフィア⁉ 貴女、こんなこと、レディがすることじゃないわ? 一体どうしたの⁉」
「いや、婚約者が姉と浮気しただけじゃなく、あまつさえそれを祝福しなきゃならない状況なんて、意味が分かりません。そちらのほうが非常識です。ムカついたから一発殴りたかった、それだけですよ。はい、次はアデライト姉さ――」
「キャアア!」
「だ、誰かソフィアを止めろ! ジェイコブ!」
「うあああん! ソフィア姉様が頭おかしくなっちゃったああああ!」
混乱する屋敷内。
私は一度、使用人に取り押さえられたが、キッと睨むと彼らの手は離れた。再びハアとため息を吐いて、歯が欠けた状態の間抜けなオスカー様にニッコリと微笑みかける。
「さよなら、間抜けな元婚約者様」
そう告げて、その場から立ち去った。
両親に決められた婚約者ではあったけど、それなりに仲良くしていたのだ。十分、ショックを受けているし、悲しい。
見せかけの優しさを持つ彼に惹かれていただけかもしれないけれど……
さよなら、初恋よ‼
◇ ◇ ◇
私には五歳の頃から頻繁に通っている花屋がある。
家族に蔑ろにされていても、「いつか、みんなが私を見てくれるんだ」と信じて、その花屋に通っては自分で選んだ花を食卓のテーブルに飾っていたのだ。
だけど、今日まで誰も花の存在に気づかなかった。あるのが当たり前になっているようだ。
幼い私は家族に褒めてもらいたくて、季節の花をキチンと選んでいたのだけど……我ながらよくやっていたわね!
唯一、私の味方だったメイドがいて、最初の一、二回はその人と一緒に花屋へ行っていた。でも、彼女は婚約者が決まったのと同時期に辞めてしまった。
仕方なく一人で通い始めてすぐに、私は彼の存在に気づく。
「なあ、アンタ、いつも花を買っていくけど、花が好きなの?」
そう声を掛けられて後ろを振り向くと、沢山の薔薇を抱えた少年がいた。
ぶっきらぼうな態度の彼は、黒髪で紫色の瞳だ。
名前はアル。
唯一、私を気にかけてくれる人物だ。
花屋で働いているのだから、平民なのだろう。それ以外は、彼のことは何も知らない。彼が教えてくれないのだ。
けれど花が好きなのは確か。
最初は苦手なタイプだと感じていたものの、しょっちゅう会って話すうちに、私は彼と仲良くなった。
「――俺さ、思うんだけど。ソフィアは剣の腕がいいと思う」
「え? 剣の? 何故そう思うの? ふふ、アルって不思議なことを言うのね」
「なんとなく、運動神経が良さげだし。剣、習ってみない? 俺、教えられるんだ」
「んー? 平民の貴方に剣術が分かるの?」
「俺、なんでも屋みたいなものだから」
「アルって不思議君なのね」
ある日、突然、アルに誘われた私は、最初は女性が、とためらったものの、「家族が喜んでくれるかも!」という単純な理由で、密かに彼に剣術を習うことにする。
兄のジェイコブがよく剣の腕を褒められていたので、「自分も」と考えたのだ。
あれから十年程度の時間が経ち、家族との決別を決意した今日も、私はアルに剣術を教えてもらっていた。
「カキン!」と剣の刃の音が辺りに鳴り響く。
剣を振りながら事の顛末を私が語ると、アルは笑った。
「ははっ! ようやくあの馬鹿家族に言いたいことを言えたんだ? 遅いよ。ほら、タオル」
「む、笑わないでちょうだい。風邪が治ったばかりの友人に掛ける言葉かしら?」
アルは使っていた剣を片づけつつ私の顔をジッと見つめて首を傾げる。
「髪型、変えた?」
「変えてないわよ」
アルは私の全身をじっくり見て、また質問をする。
「なんか……んー、変わった? 雰囲気? いや、なんというか、以前と少し変わったような。前は自分に自信がない感じだったし、あの家族に反抗するなんてなかったから。色々と吹っ切れたのかな?」
なかなか鋭いと、私は感心した。
前世を思い出してから、確かに私は気が強くなった。けれどそれは、前世を思い出して自分の置かれている状況を客観的に見られたから。人格そのものが変わったわけじゃない。
私は私のままだ。
「クスッ……新しい私はお気に召さないかしら? お師匠様」
「その呼び方はやめろよ。もう一回、練習をする? もうほとんど教えることはないレベルだけど」
「あら、怠けては駄目よ。腕が鈍るわ。だから、もう一回稽古を見てもらえる? その後で、薔薇の花束をお願いしようかしら」
花の注文に、アルは軽く嫌そうな顔をした。
「……またあの家族にか?」
「まさか、私自身のために、よ。部屋が殺風景だから薔薇でも飾ろうと思って」
剣の練習後。
私たちはお店に戻った。
お店のおじさんはとても腰が低い方で、何故か自分の息子のアルにもたまに敬語を使う。
「……アッ! アルフ……いやアルー! 店を手伝ってくださいませ、このやろー」
「ハイハイ」
アルはいつも通りぶっきらぼうに薔薇の花束を作り、私に渡した。
顔は良いのだから笑顔の一つでも見せれば、モテるのになあ。
アルがぽんぽんと私の頭を撫でてくれる。
「……アル?」
「ま、なんかまた嫌なことがあったら、ここに来い。話くらいは聞いてやる」
少し意地悪な顔で笑う彼に、周りにいた女性客が頬を赤らめた。
私のたった一人の友人は、ぶっきらぼうで不思議な青年だけど、とても良い人だわ。
私は作ってもらった花束を持ってお店の出口まで歩く。
やっぱり……うん、友人は有り難い存在だな!
「アル! ありがとうね!」
「……っ……ばーか。早く帰れ」
私たちは笑い合って、別れる。
家に戻って早速、私は薔薇を花瓶に入れて自分の部屋に飾った。
うん、華やかな部屋になった気がする!
今日はとてもいい汗をかいたし、気分が良いわね!
◇ ◇ ◇
次の日の朝食。
「――ねえ、今日も私が一番美しいかしら?」
「もちろんですとも! アデライト様は国一番、いえ! 世界中の誰よりもお美しいですよ!」
「ふふふ、もう。褒めすぎよ」
メイドに可愛らしい花型の髪飾りをつけてもらったアデライト姉様を、私はじっと見つめた。
体調が良いせいなのか、機嫌も良さそうだ。
そこで今更なことに気がつく。
……アデライト姉様は病弱、病弱と言われているけど……病名は何⁇
だって、お茶会や買い物など、遊びには行っているのだ。小さい頃にしょっちゅう風邪をひいていたくらいで、特に目立った症状が出ているのを見たこともない。
それに――
「お待たせ、みんな、おはよう。……ふぅ、でも私、朝早く起きるのはやっぱり苦手だわ」
髪を整え終えたメイドが下がっていく。
「アデライト、無理することない。まだ寝ててもいいんだ」
「ジェイコブお兄様ありがとう。目の下にクマもできてて……」
「まあ! なら、寝ないと! 朝食は部屋へ運ばせるわ!」
「アデライト、ゆっくりしてなさい」
「お母様、お父様、ありがとう!」
……いや、姉様、夜更かしして遊んでるわよね⁇
本を夜遅い時間に読むことでストレス発散をしているうちに、私は知ったのだ。アデライト姉様が夜にコソコソと出かけては遊んでいることを。
どこが病弱⁉
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