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20.帰還
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テオドアを見送ってから三日後。その日ビアは洗濯当番だった。あれからテオドアには会っていない。その代わりというわけではないが、テオドアが魔物討伐に向かったという噂はついにメイド達の耳にまで広がったらしい。あたりはこの話でもちきりだった。
「第八のノイマン副隊長が一人で行くことになったんですって」
「ガルムンドの血だから?でもあの人の力でも、一人でヘルハウンドと戦うなんて無謀だわ」
「まだ帰ってきてないらしいわよ」
「捜索隊は出さないのかしら?……なにか戻ってくるといいわね」
意識しないように努めたところで、隣から否応なしに耳に入ってくる。メイド達が噂話に夢中になる傍ら、ビアは一人黙々と洗濯の手を止めなかった。どうしてだろうか、あたりはこんなに騒々しいのに、心の中はしんしんと雪が積もるかのように静かだ。シーツを、タオルを、じゃぶじゃぶとたらいの中で洗い終えると、逃げるように洗濯場を出た。メイド達の小鳥のように可愛らしく、姦しい声は、その場を離れた後も背中に纏わりついてきた。
裏庭で洗濯物を干し終えると、ビアは次の洗濯物をもらうため、たらいを持って城へ戻る道を歩き始めた。途中、城門の方で何やら人だかりができているのに気がついた。
どよめきが聞こえる。不安を駆り立てるような、悲鳴にも似た声だった。ビアの胸に黒いもやのような不安が広がる。知りたいような知りたくないような、妙な気持ちが綱引きを始める。
暴いてしまいたい好奇心と目を背けたい恐怖心そこにはあった。二つは自分の両足を左右に引っ張り合い、ビアはその場から動くことができなかった。ただじっと騒ぎを傍観する。
「医師を呼べ!担架をもってこい!」
人混みの中から一際大きな声が響いた時、その綱引きは一気に決着をつけた。勝ったのは、好奇心の方だった。
足が駆け出す。三日前にできた靴擦れが痛んだが、それでも足は止まらなかった。
「どいてください!通してください!」
ざわめく人混みを掻き分け、無理矢理身体を捩じ込ませる。飛び入りの野次馬はまったく歓迎されなかったが、是が非でも進むつもりで足掻いた。両頬を押しつぶされても、足を踏まれても、担架に乗る人間が誰か暴くまで止まれない。
突然、身体の圧迫感がなくなった。視界がいっきに開け、人だかりの中心に辿り着いたのだと分かる。見渡し良好な視野を手に入れた時、ビアは目の前の光景に対し、映画か何かを観ているのではないかと錯覚した。
それくらい現実味がなかった。
目の前の世界は、そこだけ切り取られたかのように、ゆっくりと時が流れていた。
なぜかフェリクスがいた。見たことないほど切羽詰まった顔で何か叫んでいる。しかし一体何を叫んでいるのか、すぐ目の前にいるというのに聞こえなかった。
その隣には見覚えのある男がいた。三日前、テオドアの見送りの時に遠目で見た顔、眼鏡をかけた焦茶髪の男だった。彼もまた厳しい顔をして、眉間に皺を寄せながら、眼下の白い物体を見つめていた。
彼の視線の先にあった白い物体は、シーツだった。担架の上に真っ白なシーツが、何かを隠すように広げられている。
何かは微動だにしない。まるで無機物のようだ。上から下までシーツにすっぽり包まれて、謎に包まれたままだった。
ここからなら手を伸ばせば、シーツは容易く翻すことができるだろう。でもなぜか両腕は動かない。あんなに勢いづいた好奇心は、今になってひっそりとなりを潜めている。打ち負かしたはずの恐怖心がむくむくと大きく膨れ上がる。怖い、と思った。
ただぼんやり、担架が運ばれようとしている様を眺めていた。二人の男が両端を掴み、担架をゆっくりと持ち上げる。今から運ぼうというそのとき、片方の男がバランスを崩し、反動でシーツの下から中身がこぼれ落ちた。
どさりと音を立てて落下したそれは、赤紫色のブヨブヨした、グロテスクな物体だった。大小さまざまな水疱で爛れた、痛々しくおぞましい物体。化け物、肉塊、そんな単語がビアの頭に浮かぶ。哀れみより先に忌避感を覚え、すぐさま自己嫌悪が襲った。
だから次の瞬間、突然響いたフェリクスの叫び声を聞いたとき、ビアは頭をがつんと殴られたような酷い衝撃を受けた。
「テオドア!?大丈夫かテオドア!?」
さっきまで聞こえなかったはずのフェリクスの声が、今は鮮明な音で頭に響く。
心の臓が急に冷たくなっていく。腹の中を掻き回されるような不快感が襲う。視界がぐるぐる回ってゆっくりと暗転していく。息が苦しい。呼吸がままならない。汗がどっと流れて、なのに凍えるように寒い。
異常なまでの好奇心が、いったい何を望んでいたのか、今やっと分かった。そしてその期待は呆気なく裏切られた。
気づいたら、周りの人だかりはもうなくなっていた。
「第八のノイマン副隊長が一人で行くことになったんですって」
「ガルムンドの血だから?でもあの人の力でも、一人でヘルハウンドと戦うなんて無謀だわ」
「まだ帰ってきてないらしいわよ」
「捜索隊は出さないのかしら?……なにか戻ってくるといいわね」
意識しないように努めたところで、隣から否応なしに耳に入ってくる。メイド達が噂話に夢中になる傍ら、ビアは一人黙々と洗濯の手を止めなかった。どうしてだろうか、あたりはこんなに騒々しいのに、心の中はしんしんと雪が積もるかのように静かだ。シーツを、タオルを、じゃぶじゃぶとたらいの中で洗い終えると、逃げるように洗濯場を出た。メイド達の小鳥のように可愛らしく、姦しい声は、その場を離れた後も背中に纏わりついてきた。
裏庭で洗濯物を干し終えると、ビアは次の洗濯物をもらうため、たらいを持って城へ戻る道を歩き始めた。途中、城門の方で何やら人だかりができているのに気がついた。
どよめきが聞こえる。不安を駆り立てるような、悲鳴にも似た声だった。ビアの胸に黒いもやのような不安が広がる。知りたいような知りたくないような、妙な気持ちが綱引きを始める。
暴いてしまいたい好奇心と目を背けたい恐怖心そこにはあった。二つは自分の両足を左右に引っ張り合い、ビアはその場から動くことができなかった。ただじっと騒ぎを傍観する。
「医師を呼べ!担架をもってこい!」
人混みの中から一際大きな声が響いた時、その綱引きは一気に決着をつけた。勝ったのは、好奇心の方だった。
足が駆け出す。三日前にできた靴擦れが痛んだが、それでも足は止まらなかった。
「どいてください!通してください!」
ざわめく人混みを掻き分け、無理矢理身体を捩じ込ませる。飛び入りの野次馬はまったく歓迎されなかったが、是が非でも進むつもりで足掻いた。両頬を押しつぶされても、足を踏まれても、担架に乗る人間が誰か暴くまで止まれない。
突然、身体の圧迫感がなくなった。視界がいっきに開け、人だかりの中心に辿り着いたのだと分かる。見渡し良好な視野を手に入れた時、ビアは目の前の光景に対し、映画か何かを観ているのではないかと錯覚した。
それくらい現実味がなかった。
目の前の世界は、そこだけ切り取られたかのように、ゆっくりと時が流れていた。
なぜかフェリクスがいた。見たことないほど切羽詰まった顔で何か叫んでいる。しかし一体何を叫んでいるのか、すぐ目の前にいるというのに聞こえなかった。
その隣には見覚えのある男がいた。三日前、テオドアの見送りの時に遠目で見た顔、眼鏡をかけた焦茶髪の男だった。彼もまた厳しい顔をして、眉間に皺を寄せながら、眼下の白い物体を見つめていた。
彼の視線の先にあった白い物体は、シーツだった。担架の上に真っ白なシーツが、何かを隠すように広げられている。
何かは微動だにしない。まるで無機物のようだ。上から下までシーツにすっぽり包まれて、謎に包まれたままだった。
ここからなら手を伸ばせば、シーツは容易く翻すことができるだろう。でもなぜか両腕は動かない。あんなに勢いづいた好奇心は、今になってひっそりとなりを潜めている。打ち負かしたはずの恐怖心がむくむくと大きく膨れ上がる。怖い、と思った。
ただぼんやり、担架が運ばれようとしている様を眺めていた。二人の男が両端を掴み、担架をゆっくりと持ち上げる。今から運ぼうというそのとき、片方の男がバランスを崩し、反動でシーツの下から中身がこぼれ落ちた。
どさりと音を立てて落下したそれは、赤紫色のブヨブヨした、グロテスクな物体だった。大小さまざまな水疱で爛れた、痛々しくおぞましい物体。化け物、肉塊、そんな単語がビアの頭に浮かぶ。哀れみより先に忌避感を覚え、すぐさま自己嫌悪が襲った。
だから次の瞬間、突然響いたフェリクスの叫び声を聞いたとき、ビアは頭をがつんと殴られたような酷い衝撃を受けた。
「テオドア!?大丈夫かテオドア!?」
さっきまで聞こえなかったはずのフェリクスの声が、今は鮮明な音で頭に響く。
心の臓が急に冷たくなっていく。腹の中を掻き回されるような不快感が襲う。視界がぐるぐる回ってゆっくりと暗転していく。息が苦しい。呼吸がままならない。汗がどっと流れて、なのに凍えるように寒い。
異常なまでの好奇心が、いったい何を望んでいたのか、今やっと分かった。そしてその期待は呆気なく裏切られた。
気づいたら、周りの人だかりはもうなくなっていた。
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